1055.先生の計らい
二時間目、数学の先生は、教科書とやたらでかい三角定規を持った湖の民のおっさんだった。
「折角の機会だ。今日は普通の授業を休んで、二人に他所の話を聞かせてもらおう。二人とも、いいかな?」
「はい。大丈夫です」
ピナが地元の奴に合わせてイイお返事をした。
……助かった!
さっき袋から出す時、ページが捲れて中身がチラリと見えたが、モーフが初めて目にする記号ばかりで、完全に「暗号の本」だった。読めたのは、表紙の「数学 中学校第二学年」だけだ。
「じゃ、教科書仕舞って机寄せて」
数学の先生が、教科書と三角定規を置いて教卓の椅子に座る。
地元の奴がするのを見て、モーフも机の向きを変えた。六つの机をぴったり合わせてひとつにする。モーフの向かいはピナ、隣は三ツ編の女子、ピナの隣は男子。教卓から一番遠い席に短髪の女子とふたつ括りの女子だ。
モーフが教科書を袋に戻すと、隣の女子が話し掛けてきた。
「チャイム鳴っちゃって、自己紹介、まだですよね」
「あ、あぁ……俺、モーフ。よろしく」
取敢えず名乗ったが、キルクルス教徒のモーフには呼称なんてない。子供とは言え、魔法使いに本名を知られるのは何だか癪に障ったが、仕方がなかった。
「モーフ君、よろしくね。さっきの続き、聞かせてもらっていいですか? 子供なのにお薬作るお手伝いって、何をしたんですか?」
三ツ編の女子は、地図帳を男子の席との境目に置いて聞いた。
「あ、先生には後で私たちから説明します」
「頼むよ、スモークウァ」
ふたつ括りの女子が元気よく言い、先生がピナとモーフを見る。
「何って、薬草採って来て枯れたとこ毟ったり、乾物の虫すり潰したり、できた薬を計って一回分ずつ包んだりって、そう言う、力なき民でもできる作業」
学校の奴らはみんな喋り方がやたら丁寧で、モーフはいつもの調子で喋るとバカにされそうな気がした。ちょっと喋り方を変えただけなのに別人になってしまったようで落ち着かない。
「えぇッ?」
「モーフ君って力なき民なの?」
「スゴイ! モーフ君、中学生なのに薬草の目利きできるんですね」
男子は声もなく、三ツ編と短髪は驚いたが、ふたつ括りの女子は机に身を乗り出して食いついた。
「ん? あ、あぁ、薬師のねーちゃんと、警備員の兄ちゃんたちに教えてもらったんだ」
「あ、あの、ゼルノー市ってクルブニーカに近いから、そう言うアルバイトが結構あって、製薬会社の人とか、製薬会社の警備員さんとかにちょこちょこ……レサルーブの森に製薬会社の研究所があるから、それで。あっ、でも、私たち、力なき民だから、森じゃなくて草地だけなんで、あんまり詳しくないんですけど」
ピナが早口で、モーフの失言を誤魔化してくれた。
……やべぇ! もうちょっとで薬師のねーちゃんがプロの薬師だってバラしちまうとこだった。
モーフは内心、冷や汗を拭ってピナに感謝した。
「えぇー? でも、私たち、どれが薬草か全然わかんないし、スゴイです」
「後でひとつかふたつ、教えてもらっていいですか?」
短髪とふたつ括りが食いつき、先生は渋い顔をした。
「そんな、一日二日で同定が身につくワケないだろう。村にはちゃんと鑑定できる専門家が居ないんだ。触っただけでかぶれる毒草もあるのに、無理なお願いをするものではないよ」
「でも、それじゃいつまで経っても何も変わらないじゃないですか」
短髪の女子が先生に言い返し、モーフは度肝を抜かれた。
……コイツ、先生に口応えしやがった!
モーフは身構えたが、緑髪の先生は三角定規を投げつけたりしなかった。それどころか、やさしい声で諭し始める。
「薬草だけあったって薬師さんが居なければどうにもならない。巡回診療が今度いつ来てくれるかわからないのに、薬草を摘んでも傷んでしまうよ」
「でも、それじゃ、お兄ちゃんたち、どうなるんですかッ?」
……ここの奴らも色々大変なんだな。
向かいをそっと窺う。
ピナは、地元の連中に気の毒そうな目を向けるだけで、何も言わなかった。
……そっか。通りすがりの俺らが口挟んだって、余計に拗れるだけだもんな。
モーフはピナに倣い、黙って先生と生徒の遣り取りを見守る。
三ツ編の女子がモーフの耳元に口を寄せて囁いた。
「ごめんね。メーラのお兄さん、魔獣に襲われて寝込んでるから、気が立ってるのよ」
「えッ? 病院は?」
「自力で歩ける人は行けたけど、無理な人は動かすのも無理で、傷が化膿しないように看病して、街の病院に行けるくらい元気になるまで家で寝てるしかないの」
「えぇッ?」
モーフは掛ける言葉を失くして短髪の女子を見た。
……薬師のねーちゃんの薬……を勝手に持ち出すワケ行かねぇよなぁ。
「呪医と薬師を軍に取られて、地方の巡回診療がなくなってしまったからな。こればかりは、戦争が終わってくれないことにはどうにもならないんだ」
先生が言外に「だから、ワガママを言うんじゃない」と釘を刺したのが、モーフにもはっきりわかった。
「あ、でも、今日は大人の人たちが素材集めに行って、明日、外国の街で薬師さんに作ってもらうって言ってましたから、明後日には、何とかなるかもしれませんよ」
堪え兼ねたピナが明るい話題を出したが、ふたつ括りの女子と唯一の男子は皮肉に口許を歪め、横目で数学の先生を見た。
「でも、村の近くで、どんな薬草がどのくらい採れるかわからないんですよ?」
「足りなかったら長男長女だけ治して、次男次女以下は放置ってフツーにありますからね」
「は?」
ピナとモーフの声が揃ったが、今はそれどころではない。
……奪い合いになるとかじゃなくて歳の順? 産まれた順番? フツー? なんだそりゃ?
モーフは頭が疑問でいっぱいになり過ぎて、逆にひとつも口に出せなかった。
「さっき、王都に行ったって言ってましたけど、神殿にお参りとかしました?」
「王都ってどんなとこでした?」
三ツ編の女子が強引に話題を変え、短髪の女子が乗っかった。
「女神様の西神殿にお参りしました。王都は全体に水路が巡らせてあって、それが魔法陣になってて、たくさん神殿があって、どっちを向いても景色の中に神殿がありましたよ」
「移動は車じゃなくて、やたら細い船だったッス。幅、この机くらいの」
ピナとモーフは、助かったとばかりに話を合わせた。
三時間目の理科と四時間目の国語も、そんな調子で普通の授業をせずに終わる。
お昼休みのチャイムと同時に校舎を出て、二人はトラックに戻った。




