1054.束の間の授業
少年兵モーフは、久々に受けた授業で頭が飽和状態だ。
昨日、四人は湖の民の校長先生に案内され、まず職員室に寄った。
校長先生と音楽の先生だけが村に住んで、他の先生はみんな、カーメンシク市から【跳躍】で通うとかで、まだ半分くらいしか居なかった。
小学五年生と中学二年生の担任は、机で何か作業中だった。
朝のクソ忙しい時に、いきなり力なき民の子供を押し付けられ、二人は一瞬、露骨にイヤな顔をしたが、すぐに笑顔を繕った。
「ようこそ」
「短い間だけど、よろしくね」
二人とも女の先生だ。
「こちらこそ、突然お邪魔してすみません。教科書と文房具はあります。ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんが、よろしくお願いします」
ピナがみんなを代表して、大人みたいにしっかり挨拶した。
先生たちも感心して、口々にピナを褒める。
「偉いわねぇ」
「中学生とは思えないくらい、しっかりしてるわ」
「あなたがみんなのお姉さん?」
「あ、いえ、妹はこの子だけです。こっちの二人は近所の子で、戦争始まってからずっと一緒に避難して、移動放送局のお手伝いしてる仲間なんです」
少年兵モーフは「仲間」との説明に心臓が跳ね上がった。時間が停まったようにピナの横顔を見詰める。先生たちと女の子三人があれこれ話す声が、右から左へ素通りした。
どのくらい経ったのか、みんなが荷物を持って動きだす。
モーフは我に返り、慌ててついて行った。
この学校は、リストヴァー自治区と違って、小学校と中学校が同居する平屋建てだ。
廊下の途中でピナの妹たちと分かれ、中学二年生の教室に入った。黒板の前に教卓。これは自治区と同じで、モーフは何となく安心した。
「みなさん、おはようございます」
「おはようございます」
生徒はたった四人で全員湖の民。男子は一人だけだ。日焼けした顔が不思議そうに陸の民のピナとモーフに向けられ、最後に担任を見る。
「昨日の放送で、みなさんももう知っていると思いますが、移動放送局のお二人です。今日と明日の二日間だけですが、みなさんと一緒に学ぶことになりました」
地元の四人が緑色の目を開き、隣の奴と顔を見合わせる。お互いの目を見ただけで何も言わず、すぐ正面に向き直った。
「わからないことは教え合って、仲良く過ごしましょう」
「はい」
地元の奴らは、先生の呼び掛けにやたらイイ顔で返事した。
「それじゃ、みなさん、お二人に予備の机と椅子を持って来て下さい」
四人はこれまたイイお返事をして、イヤな顔ひとつせずに出て行く。
「私も……」
「あなたたちはいいのよ。重いですから」
ピナが床に鞄を置いて行こうとしたが、担任に止められた。四人は肩越しにちらっとこっちを見ただけで、教室を出てどこかへ行く。
「それから、この村の子たちは巡回診療の先生くらいしか、陸の民を見たことがないの。髪の色で何か言われても、気にしないであげてね」
モーフは何とも言えない気持ちで頷いた。
四人が戻り、六つの席を横並びに配置する。
先にあった席を左右にずらし、ピナとモーフの席を真ん中に置いた。
「自己紹介は休み時間にして下さい。それじゃ、一時間目は社会。教科書の三十二ページの続きからです」
ピナが机を寄せ、境目に教科書を広げて置く。
モーフは急いでノートと筆記具を出した。
初めてまともに受けた中学の授業は、案の定、モーフには難し過ぎた。
教科書の文章も難しく、先生がどこを見て解説するのかさえ、わからない。
ソルニャーク隊長やラジオのおっちゃんが教えてくれたことを思い出し、どうにか眠気を堪えて耳を傾けた。
ピナは先生の話に時々頷きながら、凄い速さでノートに何か書く。その向こうで、地元の奴が緑色の目をチラチラ向けて、二人を窺うのがわかった。
……ま、気になってしゃあねぇのはお互いサマだしな。
モーフも、流石にノートが真っ白なのはマズいいと思い鉛筆を握ったが、何を書き留めればいいかわからず、気持ちが焦るばかりで手はピクリとも動かない。
先生の口からウヌク・エルハイア将軍の名が飛び出し、ギョッとして教科書から顔を上げた。
どうやら今は、歴史の項目で、旧王国時代のハナシらしい。
モーフは意識的に肩の力を抜いて、教科書に目を走らせた。
ピナの顔が近い。気付いた途端、心臓が暴れだした。
……いやいやいやいや。今はそんな場合じゃねぇ! 勉強……勉強しなきゃ!
どうにか呼称らしき単語をみつけ、幾つかノートに書き写す。字を書くのに必死で、今度は先生の声が耳に入らなくなった。
チャイムが鳴る。
呪縛が解けたように脱力し、どっと疲れが出た。
「ありがとうございました」
生徒たちの声に送られ、担任の社会科教諭が出て行く。モーフはノートの上に鉛筆を転がし、大きく息を吐いた。
「次は数学かぁ」
ピナが呟いて、社会の教科書を片付け、通学カバンをごそごそ探る。
「数学はそっちみたい」
「お、おう」
ピナから逃げるように顔を逸らし、机の横にぶら下げた手提げ袋に手を突っ込んだ。
……すーがく?
未知の教科を言われたが、どうにかそれらしい物を探り当て、机に出した。
「ありがと」
ピナが教科書を置いた途端、地元の連中に囲まれ、一斉に話し掛けられた。
「君たち、どこから来たんですか? あ、僕、カーラムです。短い間だけどよろしく」
「メーラです。昨日のお歌、スゴイよかったです! 私にも教えてもらっていいですか?」
「私も一緒に教えてもらっていいですか?」
「自己紹介、自己紹介」
短髪の女子に小突かれ、ふたつ括りの女子がぺろりと舌を出して呼称を名乗る。
「スモークウァです。あれって街で流行ってる歌なんですか?」
「私はフヴォーヤ。ずっとアナウンサーの人たちと一緒に、ネモラリス島全部の街や村を回ってるんですか?」
最後に三ツ編の女子が名乗った。
歌の件はともかく、他の質問に答えていいものか、判断できない。
モーフは久々の授業で既にヘトヘトで、四人の呼称も覚えられなかった。
四人とも湖の民で、さっきは見分けがつかないと思ったが、よく見ると、男子は一人で女子三人は髪型が違う。短髪とふたつに分けて括った奴と、長い三ツ編を背中に垂らした奴だ。
三ツ編の奴がみんなから離れ、黒板の字を消した。
……あ、そっか。先生が書いた奴、写しときゃよかったのか。
今更気付いたがもう遅い。黒板消しは久し振りに見たチョークの字をキレイさっぱり消してしまった。
「ピナティフィダです。こちらこそ、よろしくお願いします。私たち、ネーニア島のゼルノー市から、ラクリマリス領に避難して、王都から船でクレーヴェルに帰国しました」
「ゼルノー市ってどこですか?」
「王都ってラクリマリスの王都ですよね?」
「スゴイ旅したんですね。これからネモラリス島を一周するんですか?」
地元の奴らは緑の瞳を輝かせ、モーフそっちのけでピナに質問を浴びせる。
三ツ編の奴が地図帳を出し、ピナがゼルノー市を指差した。
そこからマスリーナに移動してクルブニーカに這わせ、森を突っ切るレサルーブ古道を辿って西端のザカートトンネルを越えてみせた。
湖の民四人は、地図を示す指を見詰め、ピナの説明に頷きながら聞き入る。
「ドーシチ市の偉い人のおうちで、お薬作るお手伝いして、何カ月も泊めてもらいました」
そこでチャイムが鳴り、先生が入ってきた。




