1053.この村の世間
薬師アウェッラーナと兄アビエース、レノ店長とクルィーロ、籠を背負った村人四人は、野良仕事に行く人々と共に国道へ出た。
「今日一日、よろしくお願いします」
「こちらこそ、お願いします」
「目利きの勉強、させて下さい」
「俺たちも、薬草摘みのアルバイトちょっとしただけだから、そんなに詳しくないんですけどね」
レノ店長が誤魔化しのきっかけをくれた。
アウェッラーナは薬師だと知られないよう、話を合わせる。
「私たち四人とも、ネーニア島のゼルノー市出身なんです。どんなとこかご存知ですか?」
「いえ……お恥ずかしい」
「何せ、買出しくらいしか他所へ行かないモンですから」
「この二百年くらいで他所へ行ったの、クレーヴェル大学を出た校長先生だけなんですよ」
「要は、みんな村の学校だけで、学がないんですゎ。校長先生の教えで、言葉遣いだけは、どこへ行っても恥ずかしくないようにしてるんですけどね」
アウェッラーナは、こんなコメントし辛い返事が来るとは思わず、どうしたものかと困った。
「あれっ? 他の先生方は……」
クルィーロが意外そうに呟いて、微妙に話を逸らしてくれた。村人たちは東の休耕地へ歩きながら答える。
「先生方は、みんなカーメンシク大学の出なんですよ」
「音楽の先生だけミャータ市から村に引越して下さって、他はみなさん、カーメンシク市から通いですよ」
「先生方から他所のお話って聞けないんですか?」
クルィーロが更に聞く。
他の村人たちは、門を出てすぐ自分の畑に【跳躍】して、あっという間に居なくなった。牧人たちだけが、牛や羊を追って歩いて西の牧草地へ向かう。
アスファルト舗装の国道は、上下二車線だけで、一台も車が通らなかった。
「ここらで小中学校の先生になるのは大抵、次男三男や次女三女で、後継ぎになれないもんだから、都会の大学へ行って、そのまんまあっちに居着くんですよ」
「上の学校に行かせてもらった恩を忘れて、実家に帰ったら、継がせてもらえないのに農作業を手伝わされるからイヤだって、不平ばっかり」
「配属先も、地元は絶対イヤだって、ワガママ言う人らばっかりですし」
「音楽の先生はミャータ市の人で、【道守り】の指導の為にわざわざ引越して来て下さったんですよ」
アウェッラーナは、他の教員を侮蔑する村人への不快感を抑え、話を戻した。
「ゼルノー市はネーニア島の東、国境に近い街で、すぐ近くに医療産業都市クルブニーカがあります」
「ん? あぁ、クルブニーカなら聞いたことありますよ」
「確か、中学の地理で習いました」
自分も知る話題が出て、村人たちの顔が明るくなる。
アウェッラーナは、ギリギリ嘘にならない言葉を選んで説明した。
「そんな場所なので、私は内乱中からお薬作りのお手伝いをして」
「俺たちは最近、始めたばっかりなんで、彼女、大先輩なんです」
「俺は家業の漁をしていましたので、その方面は妹に敵いません」
レノ店長と兄が話を合わせてくれた。
「これは失礼。親子じゃなくてご兄妹でしたか」
「そのクルブニーカはどうなりました? 確か、ラジオで立入制限がどうのと」
「あの辺り一帯……ゼルノー、クルブニーカ、マスリーナは空襲で壊滅して、今のところ、立入制限が解除されたと言う情報はありませんね」
アウェッラーナは、教えていいものか判断できず、リストヴァー自治区の復興が先行した件は伏せた。
「俺たち、ゼルノー市から隣のマスリーナ市に避難したんですけど、とんでもなく大きい魔獣をみつけて、西へ逃げたんです」
クルィーロが歩調を緩めずに言うと、地元民はどんなとんでもない大きさなのか聞いた。
「街区一個分、焼け残ったビルよりずっと大きかったから、全力で西へ逃げて、クルブニーカに着いたんですけど、そこもダメでした」
「車だったんで、レサルーブ古道を通って北ザカート市まで行ったんですけど、ネーニア島の西の端も空襲でやられてて、ザカートトンネルを抜けてラクリマリス領に避難しました」
レノ店長は淡々と語ったが、村人たちの目は同情と微かな優越感を帯び、何か言おうとしては言葉をなくして口を噤んだ。
休耕地に着き、薬師アウェッラーナはざっと見回した。
傷薬になる薬草とお茶になる香草が、一面の白詰め草の中にポツポツ見える。
白い花の上を蜜蜂が忙しく飛び交い、ピクニックにはよさそうだが、薬草摘みは大変だ。
鹿や猪を避ける柵には、筒状の小さな花を咲かせたパエデリアが巻き付く。
……皸のお薬なら一般の人でも使えるけど、まだ実が生る時期じゃない。でも、根っこで脚気や腎臓病のお薬、止瀉薬を作っても、量の調節が難しくてプロじゃないと危なくて使えないし。
中途半端に教えて、この村を去った後で薬害事故が起こっては、取り返しがつかなくなる。取敢えず、パエデリアの薬効は教えず「蔓草細工の素材」として採取すると決めた。
アウェッラーナは、薬草を一本折り取って、特徴と、よく似た他の草との見分け方を丁寧に説明した。
「これで傷薬ができるんですか」
「魔獣に襲われて、何人も家で寝込んでるんですよ」
「これで助かります」
「ありがとうございます」
村人たちの顔が明るくなった。
見本に一本ずつ、地元民に渡して、別の株でみつけた虫綿を取って見せる。
「これは、咳止めになるそうです」
「成程、これはわかりやすくていいですね」
「素人がいきなり薬草に手を出すのは危ないでしょう」
「間違えて毒を採ったらアレなんで、これだけ集めます」
アウェッラーナは、籠を降ろそうとする四人を慌てて止めた。
「虫綿がついてるのは、確実に薬草ですから、くっつけたまま摘んで下さい。これが採れるのは、春から夏にかけてで、秋から冬は中に虫が居るので触らないであげて下さい」
「成程、そう言う見分け方もあるんですね」
「勉強になります」
「わかりやすくて助かります」
「それでは、お先に」
村人たちが休耕地の四方に散る。
見送った薬師アウェッラーナは、思わず溜め息を漏らした。兄がその肩をポンと叩き、苦笑交じりに頷く。
……この村の人たち、喋り方は凄く丁寧なのに、なんかイヤミよね。でも、別に意地悪された感じじゃないし、はっきりイヤって言う程でもないけど。
口には出せないが、兄のアビエースも同じ思いなのだとわかり、アウェッラーナは少し肩の力が抜けた。
これがカイラー市なら、「そいつを先に言ってくれよ、お嬢ちゃん」などと言って、笑いながら背中を叩かれるだろうが、そのくらい明け透けな方が気は楽だ。
何となく、畑を継がせてもらえない弟妹が、都会に出て故郷を捨てた気持ちと、校長が、子供たちに外の世界を教えて欲しいと頼んだ理由がわかった気がした。
街の住人が、初めて訪れた他所者の移動放送局プラエテルミッサには、報酬として気前よく品薄の物資を分けてくれたにも関わらず、日頃から付き合いのある村人には品薄を盾に売らないのも、同じ理由だろう。
実家の村が困窮しても、都会に出た者たちが電池一本寄越さないことに、彼らが村に居た頃、どんな扱いを受けたか、想像がつくような気がした。
校長は、他の職業や力なき民の暮らし、閉じた人間関係の外に出なければ知り得ない「別の世間」や、「基準が異なる人々にとっての普通」を教えて欲しいのだろう。
……やっぱり、私も何か授業で話した方がいいのかな?
アウェッラーナは気を取り直して、レノ店長たちにパエデリアを「蔓草細工の素材」として採る件を伝え、白詰め草の間に目を凝らした。
レノ店長は【耐暑】のリボンを鉢巻きにした上から蔓草細工の帽子を被り、片手が【魔力の水晶】で塞がる。
アウェッラーナは店長が作業し難いだろうと思ったが、意外と順調に摘み取り、いつものように大型のゴミ袋にどんどん入れた。
その傍らで、魔法のマントを羽織ったクルィーロが香草を摘む。
アウェッラーナも何種類か別の薬草をみつけて摘む傍ら、兄が摘んだものを確認して袋に入れた。
二時間程度、休耕地で採り、レノ店長が【魔力の水晶】を交換する。クルィーロが空の【水晶】を受け取って充填しながら摘み始めた。
「もう少し、森に近い草地に行きたいんですけど、大丈夫ですか?」
アウェッラーナの声で、一番近くの村人が立ち上がり、腰を伸ばして答える。
彼が呼び集め、八人連れ立って、畑と森の間に設けられた緩衝地帯に移動した。




