0108.癒し手の資格
生きた人間の姿はないが、死体も見当たらない。
全員が無事避難できたのか。
弔いの為に回収されたのか。
魔物が喰らい尽くしたのか。
……いい人ならいいけど、あんな悪い人なら、居ない方がマシね。
雑妖から目を逸らし、前を向く。
あの暴漢たちは、アウェッラーナが癒し手だと告げても、意に介さなかった。
口から出任せだと思ったのか、自暴自棄だったのか。
それとも、【白鳥の乙女】を知らなかったのか。
アウェッラーナは、あの暴漢たちを後者だと思った。
……普通は「もし、本当だったら」って思って、ヤケになってもあんなことする訳ないし。
では、何故【白鳥の乙女】を知らないのか。
彼らが魔法使いではないからだ。
だが、力なき民でも、ネモラリス共和国で普通に暮す者なら、それが何か常識として知る筈だ。
生命に関する術は、大部分が未婚でなければ使えない。
どんなに魔力が強くとも、一度「資格」を失えば、治療の術は殆ど使えなくなってしまう。
【白鳥の乙女】は、被術者の貞操を守る術だ。
それは「癒し手の資格」を守り、性犯罪者の血筋を根絶やしにする呪いだった。
この術を掛けられた「癒し手」に手を出した行為者本人は、呪いが発動し、激しい苦痛を伴って、声と繁殖力を奪われる。
その三親等内の親族も、性別を問わず繁殖力を失い、子供は死に絶える。
結婚の儀で術を解除しない限り、恋人や婚約者であっても、呪いの影響を受けてしまう。
術の対象は、未婚の癒し手や、癒し手として育てる予定の乳幼児だが、名家の令息、令嬢なども悪い虫がつかぬよう、対象となる場合がある。
声を失えば、発声の必要な術が使えなくなる為、魔法文明圏では生活に支障を来す。周囲の人間は、呪いを受けた者に何かあっても助けない。
先天的に声を出せない者の為の術式もあるが、声を失った理由がこれでは、まず教えてもらえない。
影響範囲と効果が絶大な【渡る白鳥】学派の代表的な術として、魔法文明圏に於いて【白鳥の乙女】を知らぬ者はなかった。
……知ってれば、自分の安全の為に手を出さないのに……ひょっとして、自治区の人?
星の道義勇軍の生き残りの可能性に気付き、薬師アウェッラーナは思わず、ソルニャーク隊長を見た。彼は油断なく周囲を警戒しながら、トタン板と麻袋を運ぶ。
市民病院を襲撃した部隊は、偶々良識ある隊長に率いられた「良識あるテロリスト」だった。言葉が通じない狂信者ではなく、テロを行った理由も……許せることではなかったが、一応、筋は通る。
一時的なのだろうが、星の道義勇軍のこの隊は、魔法使いの自分たちとも、生きる為に協力し合えた。
この関係がいつまで続くかわからないが、今のところ信用できる。いや、信用するしかなかった。
……私たちを守った方が生存率が上がるし、裏切る理由も……今のところなさそうだし。
ショッピングモールが無残な姿を晒す。
建物は完全に崩壊し、僅かに残った看板がかつての様子を伝える。
「缶詰か何かありゃいいんだけどなぁ」
少年兵モーフが物欲しそうに言った。
食料品コーナーは大抵、地下だ。倉庫も地下なら、焼け残った可能性がある。
「階段が使えればいいんですけど……」
ロークも足を止め、瓦礫の山に目を向けた。
クルィーロが足を止めずに言う。
「無理無理。君んちの地下室も雑妖の巣になってたろ」
アウェッラーナたちは、あれと戦う術を知らない。
【急降下する鷲】学派などの戦いに関する術は、個々の術が強い魔力を要求する上、扱いが難しい。しかも、魔物や雑妖と直接、対峙するには、強い魔力だけでなく、勇気と高い身体能力も必要だ。
戦いに関する術は、武官や駆除業者などの専門家くらいしか修得しない。
ロークは肩を落として歩き始めたが、少年兵モーフは瓦礫の山を見詰めて動かなかった。
☆あんな悪い人/あの暴漢たち……「0082.よくない報せ」~「0086.名前も知らぬ」参照
☆君んちの地下室も雑妖の巣……「0096.実家の地下室」参照




