1052.校長の頼み事
「さぁて、明日っからちょっとの間、子供らは学校だが……」
「坊主、おめぇ、何年生するよ?」
「お……俺……」
葬儀屋のおっさんが人の気も知らず話を振り、メドヴェージが妙にやさしい声で聞く。反対する間もなくとんでもない話がまとまってしまい、少年兵モーフは進退窮まって俯いた。
父が居た頃は小学校に通えたが、事故で亡くなってからは、来る日も来る日も仕事に追われ、殆ど通えなかった。何年もそんな暮らしを送る内に、習った文字の大半を忘れてしまい、まともに書けるのは名前だけになってしまった。
空襲後、放送局の廃墟や図書館で教えてもらい、その後も気が向いた時に勉強をして、少しは読める字が増えた。
それでもまだ、絵本や小学生の教科書を読むのも覚束ない。いきなり中学校に放り込まれても、年相応の授業について行ける気がしなかった。
ソルニャーク隊長を見たが、「どうする?」と聞きたげに軽く首を曲げ、他のおっさんたちと同じ目でモーフを見るだけだった。
「ティスとアマナちゃんは同級生だし、同じクラスよね?」
「うん。途中になっちゃったから、もう一回、五年生させてもらおうかな」
「あー、それいいかも。何か色々忘れちゃったし」
ピナに聞かれ、妹は意外なことを口走り、アマナがのんびり同意した。
「じゃあ、私ももう一回中学二年生ね。モーフ君は……自治区の学校って、学年の区切り方、違ってたりするの?」
急にピナから話し掛けられ、モーフは慌てて顔を上げたが、気の利いた返事が全く思い浮かばず、再び面を伏せた。
「お……俺、わかんねぇ」
「あ、ゴメンね。こっちの学校の仕組み知らなかったら、違いなんてわかんないよね」
ピナに気を遣わせてしまい、モーフは申し訳なさで消えてしまいたくなって、更に項垂れた。下を向き過ぎたせいか、やたら耳が熱い。
自治区以外の学校の説明をするピナの声が、右から左へ抜けて行く。
「歳は私と同じくらいっぽいし、今だけ同じクラスに来てもらっていいかな?」
モーフは顎をぶん殴られたような勢いで顔を上げ、ピナと目が合って息が止まった。嘘や冗談を言う目ではない。
「な、何で?」
「村の人みんな、いい人そうだけど、湖の民の教室で私一人だけ陸の民って心細いって言うか……あ、こんなの、失礼だってわかってるんだけど、でも」
「あ、あぁ、そりゃ気マズいな」
言った瞬間、モーフは凍りついた。
恐る恐る薬師のねーちゃんと漁師の爺さん、葬儀屋のおっさんを見る。湖の民は三人とも聞こえなかったのか、さっきと同じ表情だ。
「明日の時間割って聞いたか?」
レノ店長が妹たちに聞くと、女の子たちは固まった。
晩メシが終わって、荷台の外は真っ暗だ。学校の敷地には移動放送局のみんなしか居ない。
……時間割ってむちゃくちゃ久し振りに聞いたな。
同時に、曜日を勘違いしたせいで忘れ物をして、先生に定規でビンタされた痛みを思い出す。モーフは無意識に頬を撫でた。
「じゃあ、ちょっと重いけど、教科書は一学年分、全部持ってけばいいな」
「二人で半分ずつ持つから平気」
「ねー」
アマナが言うと、ピナの妹がイイ顔で頷いた。
「音楽の授業があってもなくても、先生に【癒しの風】の呪文、渡してくれる?」
薬師のねーちゃんが言いながら、ごそごそ紙とペンを出すと、ピナは快く引き受けた。
いつもより少し早く朝メシを済ませ、みんながバタバタ慌ただしく、今日の準備をする。
モーフは、すっかり遠くなった一種の焦りを思い出したが、何をすればいいかわからず、ピナの後ろをウロウロした。
教科書やノートなどは、寝る前にふたつの鞄に分けて詰め、呪歌のメモはピナとアマナの鞄に一枚ずつ入れてある。女の子たちは忘れ物がないか点検するが、モーフには何が必要だったか思い出せなかった。
……中学、一日だけじゃなくって、もうちょい顔出しときゃよかったな。
薬師のねーちゃんは、手提げに水筒とビニール袋を何枚か詰め、素材集めの仕度を済ませると、ついでに明日用に薬の材料や容れ物を鞄に詰め始めた。
葬儀屋のおっさんまで、リュックサックに大きい封筒を何枚か、それに手帳とペンを突っ込んで、明日のアミトスチグマ行きの用意をする。
そうこうする内に村長と籠を背負ったおっさんの四人、それに校長先生が来た。
「おはようございます。本日はよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
大人たちの声が他人事のように頭を抜ける。
走ったワケでもないのに心臓が暴れだし、モーフはクラクラしてきた
子供四人は学校、薬師のねーちゃんと漁師の爺さん、レノ店長と魔法使いの工員クルィーロは薬草摘みで、地元のおっさん四人も手伝う。他の大人は情報の整理と原稿作りだ。
村長は、よろしくお願いします、と言い置いて家に帰った。
「学校の件でもう少し、みなさんと話があります。君たちは先に門で待っていて下さい」
校長先生が村長の後ろ姿を見送って、薬草摘みのおっさんたちに言う。四人は素直にトラックを離れ、農作業の連中に合流した。
「急なお願いで誠に恐縮ですが、もし可能でしたら、明日、ニュースとは別に、他所のお話を子供たちに聞かせていただけませんか?」
校長先生は、小声でラジオのおっちゃんに頼み、荷台に残った他の大人たちを見回した。
「ニュースとは別……とは、具体的に?」
「講演や授業形式でお話しいただけましたら……勿論、報酬はお支払致します」
ラジオのおっちゃんジョールチの質問に答え、校長先生はもう一回大人たちを見回すと、今度はみんなに言った。
「何でも結構です。村の外を知らない子供たちに、ここ以外の社会を教えてあげたいのです」
「誰か一人が一日中、喋ンのかい? 葬式の話なんざ辛気臭ぇだけで、子供らが退屈すると思うがね」
アゴーニがやんわり断ったが、校長先生は食いついた。
「それなんですよ。他にも例えば、力なき陸の民の方々が普段どんな暮らしを送るのかなど、自分たちとは違う人たちの“普通”や“当たり前”があることを子供たちに教えて欲しいんです」
「普通って……説明、難しいですね」
レノ店長が引き攣った笑いを浮かべる。
DJレーフが授業のように手を挙げた。
「俺はいいですよ。ただ、普通ってのはテーマが広過ぎるんで、もうちょっと、絞ったのを何個か言ってもらえます?」
……この兄貴、なんでこんなヤル気なんだ?
モーフは、ソルニャーク隊長とラジオのおっちゃんジョールチを窺った。
「そうですね。具体的なテーマがありましたら、担当を割り振ってお話できると思います」
「この移動放送局は、寄せ集めですからね。色々な角度から語れますよ」
ジョールチが話を進め、隊長までやけに乗り気だ。
「引受けて下さるんですね。ありがとうございます。他所の街の様子、農業以外の仕事、外国のこと、戦争のこと、難民キャンプの詳しい様子をご存知でしたらそのお話など、色々ありそうですが……一時間後に改めてお伺いします」
始業時間が迫り、モーフたちは校長先生に連れられて校舎に入る。
授業を受けられるのは、今日と明日だけだが、少年兵モーフはとてつもなく長い二日間になりそうな気がした。
☆放送局の廃墟や図書館で教えてもらい……放送局の廃墟「138.嵐のお勉強会」「140.歌と舞の魔法」、図書館「168.図書館で勉強」「169.得られる知識」参照




