1047.乾電池がない
移動放送局プラエテルミッサの一行は、パドール湾に突き出た半島には寄らず、平野部の国道を東へ直進した。
鉱工業の街カーメンシク市がどんどん遠ざかる。
レノは係員室の小窓から、フロントガラスの向こうとサイドミラーに流れる景色を見た。
街の防壁を出てしばらくは牧草地が続き、今は収穫を終えたばかりの麦畑が道の左右に広がる。
農作業する人の姿は見えなかった。
ソルニャーク隊長が、前を走るワゴンの後部座席から荷台に移り、両手を振ってメドヴェージに合図する。トラックが速度を落とすと、DJレーフもワゴンの速度をゆるめた。
「お兄ちゃん、どうなったの?」
ピナが係員室を覗く。ティスも姉にしがみついてレノを見上げた。
「もう大丈夫だ。この辺の村は湖の民ばっかだから、星の標や隠れキルクルス教徒が紛れ込んでる心配はないよ」
「でも、それって逆に私たちがそう思われるんじゃないの?」
顔を曇らせたピナの肩越しに、少年兵モーフが明らかに傷付いた顔で、項垂れるのが見えた。
……あー……でも、無理もないよな。
トラックの荷台にも、聴衆の怒号や疑問の声は届いた。
係員室の小窓から外の状況が見えたレノとジョールチは、言葉を失い、息を殺して見守ることしかできなかった。
ソルニャーク隊長はこうなることを見越して、クルィーロ、アビエースと共にワゴンで待機してくれたのだ。
「嬢ちゃんたち、心配すんな。俺らがついてっから大丈夫だ」
葬儀屋アゴーニが振り向いて笑顔を見せる。助手席の窓から吹き込む熱風に白髪混じりの緑髪がそよいだ。
一行には湖の民が三人、力ある陸の民も三人居る。本物のキルクルス教徒も三人居るが、これまで一度も疑われなかった。
……陸の民の信仰は、黙ってりゃわかんないもんな。
だからこそ、力なき陸の民が大勢暮らす都会では、キルクルス教徒が密かに紛れ込んで暮らせる。それがまた疑心暗鬼を生み、首都クレーヴェルなどでは、隠れキルクルス教徒狩りや、力なき陸の民への私刑が横行したのだ。
「そうですね。いつもありがとうございます」
「なぁに、いいってコトよ」
ピナとティスは、弱々しい微笑と共にお辞儀して引っ込み、荷台の薬師アウェッラーナにも礼を言った。
トラックとワゴンは、後ろを気にしながらひたすら東へ走る。西のカーメンシク市方面からの車輌は他になく、東西二車線だけの国道は対向車線も空だ。
遮るもののない道を駆け、昼時を少し過ぎた頃、最初の村に着いた。
国道の南側に土壁の平屋がポツポツ建ち、集落全体を腰くらいの高さの石垣が守る。低い石垣に囲まれた村から、農具や籠を持った者たちが出て来た。
「こんにちはー。俺ら、移動放送局のモンだ。ニュースの入用はねぇか?」
メドヴェージが国道脇に停め、運転席の窓を開けて愛想良く声を掛ける。
村人たちは不意に現れたワゴンとトラックに不審そうな眼を向け、一塊になって相談を始めた。緑色の頭が集まる様は、ちょっとした藪に見える。
一頻りヒソヒソして、一人が藪から離れて村へ走り、別の一人がトラックに近付いた。
「あんたら、どこの局のモンだ?」
「移動放送局プラエテルミッサってんだ」
葬儀屋アゴーニが助手席から声を掛けると、村人は同族の存在で、日に焼けた顔を和らげた。
アナウンサーのジョールチも立ち上がり、係員室の小窓からフロントガラス越しに外を窺う。
藪を成す一団から、木の葉のざわめきのような囁きが聞こえた。
「見落とされた者?」
「ヘンな局名だな」
「聞いたことあるか?」
「いや? お前は?」
「ないない」
そうこうする内に、先程の村人が一人の老婆を連れて戻った。
「こんにちは。私が村長ですけどね、どんなニュースで、お代はどうなさるんです? まずはそれを教えてもらわないことには、聞くかどうか決められませんよ」
「あぁ、こりゃどうも」
アゴーニが緑色の頭を掻き、身を捻って村の方を向く。
村長は、同族の胸元に視線を注ぎ、露骨にイヤな顔をした。よく考えれば、放送局員が葬儀屋の証【導く白蝶】学派なのは珍しいと言うか、不自然だ。
ジョールチが助手席背後の係員室から声を張り上げる。
「こんにちは。国営放送アナウンサーのジョールチです。クーデターで首都の本局が占拠されたので、他局の有志と一緒に移動放送局を起ち上げました」
「ジョールチさん?」
「ホンモノ?」
「生きてたんだ!」
トラックの荷台は、運び屋フィアールカが用意してくれた擬装用シールを剥がして、元通り国営放送のロゴを見せ、ワゴン車も、FMクレーヴェルの局名とロゴがある。
ジョールチは、ざわめきと驚きが鎮まるのを待って説明を続けた。
「国内ニュースと国際ニュース、難民キャンプの様子、昨日までのカーメンシク市のニュースと、一昨日まで調査したカーメンシク市内の物価情報、それから、音楽です。対価は、食料品などをご無理のない範囲で分けていただけましたら、助かります」
「この村には電気がなくて、ラジオは電池で聞くんですけどね、もうないんですよ。業者さんが、空襲に遭った街へ救援物資で送って、品薄になって、値上がりして、それでも半年くらい前まではどうにか買えたんですけど、今はもう、街の人が他所者に売ってくれなくなって」
「えぇッ? 工場の近所のスーパー、そんな高くなかったし、いっぱい売ってたぞ?」
物価調査をしたアゴーニが驚くと、村長は淋しげに笑った。
「あの辺のお店は近所のメーカーさんが直接卸すから、他所より安いんですよ。ウチの村から野菜も出荷してますし」
「それなのに、あんたらにゃ売ってやんねぇってのか? ケチ臭ぇ」
メドヴェージが呆れる。
「材料の輸入が滞って品薄だから、野菜じゃ売れないって言われましてね。どうにか燃料と缶詰やら他の日用品、お薬少しと換えてもらえるだけなんですよ」
……それじゃ、何しに行ってんだかわかんないよな。
レノはジョールチと顔を見合わせた。
カーメンシク市でも他所と同様、物価情報と共に小売店などの広告を読み上げ、広告料として売り物を受け取った。
電器屋にもらった乾電池が大小色々ある。
村長は深い溜息と共に言った。
「電池がなくなってラジオは聞けないし、新聞も紙とインクが足りないせいで薄くなって、戦時特別態勢でアレですし、値上がりしたしで、野菜を売りに行った時に代表が一部だけ買って、みんなで回し読みするんですよ」
「野菜で聞かせてくれるんなら、助かるけど……」
「電池がないんじゃなぁ」
村人たちが肩を落とす。
ジョールチが、少し声の調子を明るくした。
「公開生放送で、受信確認のラジオを置きますから、トラックの前にお集まりいただけましたら、聞けますよ」
「聞けるんですか?」
「ありがたい」
「助かるよ」
「今から?」
「おい、野良へ出た奴、呼び戻そう!」
村人に喜びが弾けた。石垣の中へ走り、術でどこかへ跳び、あっという間に人数が減る。
村長が、顔中の皺を一層深くして何度も礼を言い、移動放送局の車輌を村の広場へ誘導した。
☆首都クレーヴェルなどでは、隠れキルクルス教徒狩り……「746.古道の尋ね人」「793.信仰を明かす」「806.惑わせる情報」「0969.破壊後の基地」参照
☆力なき陸の民への私刑が横行……「746.古道の尋ね人」「793.信仰を明かす」「806.惑わせる情報」「833.支部長と交渉」「852.仮設の自治会」「903.戦闘員を説得」「0969.破壊後の基地」参照
☆運び屋フィアールカが用意してくれた擬装用シール……「474.車のナンバー」「476.ふたつの不安」「479.千年茸の価値」参照
☆元通り国営放送のロゴ……「673.機材の積替え」「690.報道人の使命」参照
☆ワゴンもFMクレーヴェルの局名とロゴがある……「660.ワゴンを移動」参照




