1046.再放送の反応
晴天続きで朝から暑く、日が高くなれば更に暑くなる。
力なき民が多いこの製鉄工場隣接グラウンドでは、他所より二時間早く放送するが、録音を流すだけだと伝えたにも関わらず、放送開始の三十分前には、前日の数倍の聴衆が詰め掛けた。
工場の警備員が人々を誘導し、移動放送車の通路を確保する。
……手間が省けて助かったけど、無事に出られるかな?
クルィーロは、ワゴン車の助手席で冷や汗をかいた。
今回は、録音を流すだけなので、イベントトラックの荷台は開けず、誰も車を降りない。
葬儀屋アゴーニがトラックの屋根でアンテナを支え、レノが発電機と放送機材の操作をし、アナウンサーのジョールチは録音を流す前後で一言二言挨拶し、放送の開始と終了を告げるだけだ。
FMクレーヴェルのワゴンはDJレーフが運転し、助手席にはクルィーロ、後部座席にはソルニャーク隊長、荷台に老漁師アビエースと水を詰めた樽を三つ乗せ、不測の事態に備える。
……この水、使うようなコトになんなきゃいいけど。
発電機の駆動音が聞こえたが、すぐに消える。トラブルで停止したのではなく、ジョールチが術で音を消したのだ。
一呼吸置いて、ネモラリス国民の耳に馴染んだ国営放送アナウンサーの声が、番組の開始を告げた。
「カーメンシク市のリスナーのみなさま、おはようございます」
クルィーロは、受信確認用のラジオを聴衆に向けた。開け放った窓から聴衆の嬉しそうな顔がよく見え、元気よく朝の挨拶を返す声が聞こえる。
トラックとワゴンは、放送後すぐに出られるよう出口方向に向け、車間距離を広く取って停めてあった。
「移動放送局プラエテルミッサです。本日の放送は、生放送ではなく、特別番組『花の約束』の再放送になります」
人垣の中にラジカセがちらほら見える。
……あ、そっか。工場の近所は電波干渉でノイズ入るからか。
これだけ送信アンテナに近ければ、少しはマシかもしれない。
ジョールチの声が番組の紹介を始め、集まった人々だけでなく、警備員たちもトラックに顔を向けてじっと耳を傾ける。
「今日放送する『花の約束』は、ラクリマリス王国のAMシェリアクが、先月末に放送した番組です。パーソナリティとして、ネモラリス共和国のFMクレーヴェルからDJレーフが出演し、ゲストは、世界を舞台に活躍するアイドルユニット“平和の花束”でお送りします」
聴衆の目が、車体にFMクレーヴェルと大書されたロゴ入りのワゴンに向く。
クルィーロは取敢えず、軽く会釈して愛想笑いを浮かべたが、DJレーフ本人はハンドルに手を掛けたまま、真顔で正面を睨んで動かなかった。
手許のラジカセから流れる声が、特番の説明を続ける。
「特別番組『花の約束』は、戦乱が続くラキュス湖周辺地域に一日も早く平和が訪れる日を願って企画されました。番組に寄せて、歌手のニプトラ・ネウマエさんからメッセージをお預かりしております」
一拍置いて声の調子を整え、スニェーグがくれたメモを読み上げる。
平和を望むみなさんへ。
歌は、国境を越えられます。
人種や信仰、魔力の有無などにも妨げられません。
歌は、時間を越えられます。
共に歩む心を過去から現在、未来へ届けましょう。
「……とのことです」
人々の顔が、国営放送のイベントトラックに向いた。
アンテナを支える葬儀屋アゴーニは、トラックの部品のように動かない。
「それでは、お聞き下さい。AMシェリアクの特別番組『花の約束』の再放送、ネモラリス共和国では初公開になります」
軽快なジングルに続いて、DJレーフの「仕事の声」が流れる。
クルィーロがレーフの放送を聞いたのは、首都クレーヴェルの帰還難民センター以来だ。
あの夜は、ネミュス解放軍のクーデターで首都が大混乱に陥り、生命の危機が迫る中、懸命に都内のリスナーに状況を伝えようとする緊急報道だった。
今、流れる特番は、少ししんみりした雰囲気ではあるが、平和でのんびりした普通の深夜放送だ。平和の花束も、地下街チェルノクニージニクでファーキルに見せてもらった動画とは別人のように、表情豊かな声でトークを展開する。
聴衆は隣の者と囁きを交わすだけで、今のところ大人しい。
無事に放送が終わって、聴衆が暴徒化しなければ、クルィーロが新曲「真の教えを」の楽譜を配る予定だ。
……この調子で行ってくれればいいんだけど。
番組自体は、録音を再生するだけなので、問題なく進行する。
一曲目、ニプトラ・ネウマエが歌う「この大空をみつめて」が終わり、聴衆が明るい顔で拍手した。
DJレーフと少女たちの声が何度も、AMシェリアク公式サイトに設置されたアンケートへの回答を呼び掛ける。
だが、ネモラリス共和国にはインターネットの設備がなく、国民の大半は、それが何なのか知らない。首を捻る者や、聞き流す者、隣に聞く者など、聴衆の反応は様々だ。
アミトスチグマで行われたコンサートの合唱が終わり、一際盛大な拍手が沸き起こる。録音の再放送で、歌手には届かないとわかっていても、人々の顔は明るかった。
……そうだよな。さっさと戦争終わって欲しいもんな。
それなのに何故、一年以上も戦争が続いて、ネモラリスではクーデターやテロなど、他の戦闘まで発生するのか。
平和の花束の少女たちが、インターネットでキルクルス教の聖典を見た、と話し始め、クルィーロはギョッとした。
聴衆がざわめいたが、隣のDJレーフは眉ひとつ動かさない。警備員たちも、やや動揺したようだが、すぐに冷静さを取り戻した。
録音のテープはお構いなしに進む。
バックミラーの中で、ソルニャーク隊長が手で小さく合図し、老漁師アビエースが険しい表情で頷いて水樽の栓をひとつ外した。
少女たちの歌が始まる。
聴衆は、キルクルス教の聖典について歌う曲に呆然と聞き入った。
……ん? 聞きに来てんの、キルクルス教のガチ勢じゃなくて、それと知らされないで教義を刷り込まれ中の人ばっかなのか?
それなら、移動放送局プラエテルミッサが襲われる心配はなさそうだ。クルィーロはホッとして、ダッシュボードから楽譜の封筒を取った。
曲が終わったが、拍手は起こらない。
呆然とする者、俯いて拳を握る者、隣と早口に喋る者、工場の建屋を睨む者。聴衆の反応は様々だが、誰一人として続きのトークに耳を傾ける者はなかった。
アビエースがふたつ目の樽を開ける。
メドヴェージが、助手席の窓を三分の一くらい開けた。トラックは放送が終わるまで発電機を止められず、エンジンを掛けられない。
クルィーロは、聴衆の様子と警備員の動きに神経を集中した。
「これ、ホント?」
「キルクルス教なのに魔法を?」
「星の標の連中は、魔術は悪しき業だっつってテロしてんのに?」
「どう言うコト?」
「聖典の現物があれば一発でわかンのに!」
「自治区の連中は知ってんのか?」
ざわめきが次第に大きくなる中、再放送のテープが終わり、音声がマイクに切替わる。
「以上、AMシェリアクの特別番組『花の約束』の再放送をお届けしました。移動放送局プラエテルミッサのカーメンシク市での放送は、本日までとなります」
ジョールチの落ち着いた声に人々のざわめきが小さくなる。
DJレーフがワゴンのエンジンを掛けた。
クルィーロは緊張で掌に汗が滲み、息を詰めて見守る。
「放送にご協力下さったみなさま、並びに、ご清聴下さったみなさま、ありがとうございました。それではまた、いつかどこかでお会いしましょう。さようなら」
葬儀屋アゴーニが送信アンテナを助手席の窓から入れ、手を伸ばして受取ったメドヴェージが、座席の後ろに素早く置いてエンジンを始動する。
クルィーロは窓から身を乗り出して、近くの警備員に声を張り上げた。
「警備員さん! これ、放送で使った曲の楽譜です。三部入ってるんで、仮設の自治会長さんとか、工場の偉い人に渡して下さい!」
年配の警備員とクルィーロの間に数人の男性が割り込む。
「おい! あの歌、ホントなのかッ?」
「どう言う意味だ?」
「何でキルクルス教の歌なんざ流しやがったッ?」
「ラクリマリスじゃなくて、アーテルのラジオじゃないのか?」
トラックがクラクションを鳴らし、男性たちが振り向く。
「クルィーロ君、引っ込め!」
後部座席からソルニャーク隊長の声が飛び、水塊が顔の横を掠めて彼らの前に広がった。
男性に手を叩かれ封筒を落としてしまったが、DJレーフは構わず、クラクションを鳴らしながら強引に発車する。水壁が車の左右に建ち、聴衆が後退った。
我に返った警備員たちが人々を押し留め、車の進路を確保する。
ミラー越しに、アゴーニが助手席の窓からトラックに乗り込むのが見えた。メドヴェージがクラクションを鳴らしながら、車間距離を詰める。
水塊が車の速度について行けず、【操水】の壁が途切れた。
「ちょっと待って!」
「どこの回しモンだッ?」
「質問に答えろ!」
国道に出たが、徒歩や自転車で追い掛けて来る。
移動放送局のワゴンとトラックは、運転手の罵声を浴びながら大型車両の間をすり抜け、カーメンシク市の東門を駆け抜けた。
☆ジョールチが術で音を消した……「711.門外から窺う」参照
☆特別番組『花の約束』……「1014.あの歌手たち」~「1018.星道記を歌う」参照
☆車体にFMクレーヴェルと大書されたロゴ入りのワゴン……「660.ワゴンを移動」参照
☆歌手のニプトラ・ネウマエさんからメッセージ……「1035.越えられる歌」参照
☆レーフの放送を聞いたのは、首都クレーヴェルの帰還難民センター以来……「610.FM局を包囲」「611.報道最後の砦」参照
☆ネミュス解放軍のクーデターで首都が大混乱……「600.放送局の占拠」「601.解放軍の声明」参照
☆地下街チェルノクニージニクでファーキルに見せてもらった動画……「429.諜報員に託す」「430.大混乱の動画」参照




