1044.歴史を見直す
モルコーヴ議員が、資料写真の一枚を手に取る。ファーキルが動画から一部を切り取って印刷したものだ。
「私も、動画で職人さん用の聖典を拝見しました。主に魔物から身を守る術と、力なき民でも、【水晶】などで魔力を補えば、使える術が載っておりましたわ」
「教会や聖職者の衣の装飾を見たところ、【巣懸ける懸巣】と【編む葦切】の術を組込んであると、確認できました」
支持基盤がネモラリス建設業組合のアサコール党首が言うと、与党の若手議員クラピーフニクが頷いた。
「僕は、一般信者向けの聖歌の部分を読んだんですが、【歌う鷦鷯】の呪歌を共通語に翻訳したものでした」
「それらは全て、一般信者には魔術であることを伏せられ、聖職者と星道の職人にのみ伝えられました」
ラクエウス議員の声にシレンティウム記者が顔を上げ、ずり下がった眼鏡を指で押し上げた。
「それで、一般信者から全ての魔術を排除する動きが……星の標のように尖鋭化した原理主義者が現れたのですね」
「左様。それでも教団は魔術の使用を明言せず、奴らは実質、野放しなのです」
「何故です?」
打てば響く勢いで当たり前の質問が返され、ラクエウス議員の声に熱が籠る。
「これは推測なのだが、六百年程前に起きたアルトン・ガザ大陸南部の植民地支配と関係がある気がしてならんのだよ」
「植民地……当時、発明された大型帆船と銃や大砲で、南部の魔法文明国を蹂躙した件ですね」
記者の目が、長命人種の呪医に向く。
「私が生まれる二百年も前のことですが、あの地方の国々は三界の魔物によって弱体化して、かなりの術が失われたと聞いたことがあります」
「信仰を支配の道具にしたんじゃないかなって」
シレンティウム記者が、ファーキル少年の一言に訝しげな目を向けると、クラピーフニク議員が澱みなく仮説を述べた。
「科学の武器で現地人を虐殺し、宗主国に反抗しないようにキルクルス教を広めて“魔術は悪しき業だ”と魔法の使用を禁止して、無原罪の清き民……大陸北部から進出した力なき民の立場が上になるように、教義を曲げたのではないでしょうか」
キルクルス教圏では、植民地支配と信仰の利用について、研究すること自体がタブー視されるが、他の信仰を持つ歴史学者の間では、主流の学説であるらしい。
……全文ではないとは言え、居ながらにして世界中の論文を調べられるとは、インターネットとは恐ろしいものだな。
研究費用欲しさに買収される学者が、一人も居ないとは言い切れない。
どこかの陣営が、自分たちに都合のいい論文だけを集めて、主張の根拠として利用する可能性もある。
ファーキル少年が作ったこの一覧も、非キルクルス教徒の歴史学者の説に偏り、ここを突かれれば反論は難しいだろう。
「御社は確か、ルフスにも支局をお持ちだったと記憶しておりますが」
「えぇ、しかし、現地の状況を鑑み、支局員は力なき民しか派遣しておりませんよ。力ある民を派遣しても、記者証が発行されるどころか、国外退去させられますから」
シレンティウム記者は、モルコーヴ議員に首を振り、一同を見回した。
「それに、アーテル政府はネットに規制を掛けていますから、本社との詳しい遣り取りは、一旦、帰国しなければできないんですよ。手紙も検閲される可能性がありますので」
キルクルス教団本部……大聖堂も、アーテル政府も、都合の悪い情報を信者や国民から隠蔽し、正確な情報や、複数の選択肢が存在すること自体を知らせない。
……人々の目を覆うこの状況こそが、教義に悖るのだがな。
ファーキル少年とラゾールニクの調べでは、アルトン・ガザ大陸南部の両輪の国を中心に教義の矛盾を指摘する声が上がり、インターネットを介して瞬く間に拡散したと言う。
……もしかすると、自治区に派遣されたフェレトルム司祭も、それに感化されたのやもしれんな。
「ランテルナ島には、力ある民が居ますよね? そっちにも派遣できないんですか?」
「先程も申し上げました通り、記者証が発行されませんし、それこそ、政府に警戒されて、不当に拘束される惧れがあります」
クラピーフニク議員が、肩を落としてタブレット端末をつつく。
表示されたのは、何かの一覧表だ。
「これ、カルダフストヴォー市の魔獣駆除業者の料金表です」
「本土派遣は、出張加算の他、交通費、宿泊費も実費請求……? この駆除業者は、ランテルナ島在住の力なき民なんですか?」
「力ある民の【急降下する鷲】とかですよ」
「えッ?」
記者が画面を食い入るように見つめる。
「基本料はネモラリスの業者と同じくらいですから、割と良心的ですね」
アサコール党首の声は冷ややかだ。
ファーキルが窓の外へ視線を向ける。
「移動販売でランテルナ島に居た時、仲間が駆除業者の人と話したんですけど、本土の人は魔法戦士をアテにするクセに、すごく見下してるって呆れながら怒ってたそうです」
「頼るのに、見下す?」
画面から上げた顔は困惑でいっぱいだ。
「去年の夏、アクイロー基地が魔獣に襲われて、基地の兵だけで何とかしようとしたけどダメで、朝になってから島の業者に助けを求めて……」
「報道発表では、よくあることなので、通常通り、軍の特殊部隊を派遣して駆除した、とありましたよ。現地の記者は、戦時下で国民が不安になるのを防ぐ為、全国ニュースにはしないよう、要請されたそうですが」
「御社が【明かし水鏡】をお持ちでしたら、どちらが嘘かわかりますよ」
記者はアサコール党首の声に小さく顎を引き、ファーキルを見た。
「泣きついたクセにやたら上から目線で、口止め料も出さなかったからって、その業者さん、チェルノクニージニクのあちこちで言いふらしてたみたいです」
「歪められた教義のせいで、力ある民を同じ人間ではなく、穢れた力を持つ……魔物や魔獣に近い“劣った存在”扱いする者が居るのだよ」
ラクエウスの声は、自分でも思った以上の情けなさと悲しみが滲んだ。
「それで、軍だけじゃなくってアーテルの一般人も、駆除屋さんにおカネ投げて寄越したりとか、汚いモノ扱いするって」
「アーテルの中高年は【急降下する鷲】の力を忘れたのですか? 内乱が終わったのは、ほんの三十年前ですよ?」
シレンティウム記者の声が恐れと呆れに揺れる。
彼が引き攣った笑いを洩らすのも、無理はない。
「知った上で、カネの力で抑えられると思っておるのだろうな」
「でも、その業者さん、そんな失礼なコトした奴のとこには、どれだけおカネ積まれたって二度と行かないって言ってたそうですよ。ちゃんと感謝してくれる人のとこにだけ行きたいって」
「まぁ、そう言いたくなるのが人情ですよね」
不愉快な思いを我慢してまでアーテル本土に行かずとも、他に仕事はたくさんあるのだ。
「信仰の歪みが人の心を歪め、差別と偏見を生じ、社会を歪めてきたのだよ」
ラクエウス議員は、ファーキル少年が集めた歪に苦しむ者たちの怨嗟の束に視線を向けて続けた。
「アーテルに限らず、今、世界中のキルクルス教社会で、その歪によって溜まった負のエネルギーが噴き出しつつある」
「いつ、どこで歪みが生じたのか、歴史を見直し、正すべき時が来た、と?」
記者の確認に一同、頷いた。
「常命人種にとっては、遠い昔の他人事でも、私たちにとっては思い出の範疇です。若い人の中にも過去を見詰め直し、何が真実なのか見極め、嘘の闇を払おうと努力する人たちが居ます」
呪医セプテントリオーが、ファーキル少年の目を見て、机上に積まれた膨大な資料を掌で示す。
若者たちの曇りのない目が見た世界の矛盾は、様々な言葉で綴られ、形を変えて国境のない電脳空間に溢れる。
「キルクルス教団にも一応その動きはあるが、いかんせん、彼らは性急に過ぎ、別の問題を生んでおるのですよ」
「成程。……では、アーテルだけでなく、ラニスタと湖東地方のキルクルス教国の現状を調査し、共通語圏の声を拾ってウェブ特集を組めるよう、編集会議に掛けてみます」
「検閲は大丈夫なんですの?」
記者はモルコーヴ議員の不安に不敵な笑みで応えた。
「そうですね。アーテルでは検閲に引っ掛かるでしょうが、共通語版のページも作って他の国々に伝えれば、調査報道そのものが無駄になることはありません」
シレンティウム記者は、大量の資料を【無尽袋】に詰め、湖南経済新聞アミトスチグマ本社に帰った。
☆六百年程前に起きたアルトン・ガザ大陸南部の植民地支配……「370.時代の空気が」「371.真の敵を探す」参照
☆アルトン・ガザ大陸南部の両輪の国を中心に教義の矛盾を指摘する声……「434.矛盾と閉塞感」「435.排除すべき敵」「448.サイトの構築」「568.別れの前夜に」参照
☆仲間が駆除業者の人と話した……クルィーロ「519.呪符屋の来客」「520.事情通の情報」参照
☆アクイロー基地が魔獣に襲われて……「459.基地襲撃開始」~「466.ゲリラの帰還」参照
☆報道発表では、よくあることなので、通常通り……「908.生存した級友」参照
☆キルクルス教団にもその動き/彼らは性急に過ぎ、別の問題……「1007.大聖堂の司祭」「1008.動かぬ大聖堂」、「1012.信仰エリート」「1013.噴き出す不満」参照




