1042.工場がアジト
カーメンシク市の社員食堂は、モーフがこれまで下働きしたどの工場よりも立派だった。
……何作ってるか知ンねぇけど、儲かってんだなぁ。
「おっちゃん、ここって何屋?」
「製鉄所だよ。社食の一般開放や学校の社会見学で、地域貢献もしてる」
「へぇー」
半分くらいしかわからなかったが、全部わかったフリで頷いておく。
パドールリクは、野菜炒め定食を食べながら説明を続けた。
「秦皮の枝党のパドスニェージニク議員の弟さんが社長だから、従業員は割と陸の民が多いんだ」
言われて見回すと、広い食堂を埋める作業着姿の厳ついおっさんたちは、髪の色がバラバラだ。
……ん? トネリコのパド……なんとかって。
聞き覚えのある名にオムレツを食べる手が止まった。
隣のアビエースが、カウンターに顔を向けてグラタンにフォークを刺したまま固まる。少年兵モーフは爺さんの視線の先を見たが、注文の行列の隙間からメニューや何かの注意書きらしい貼り紙が見えただけだ。
……何かマズいコト書いてあんのか?
聞いたところで、本格的にマズいコトなら、ここでは説明できないだろう。少年兵モーフは、視力の面では読めたが、文字の意味までは読み取れず、諦めて食べ進めた。
パドールリクも気付いてカウンターを見たが、何事もなかったかのように話を続ける。
「ピアニストのスニェーグさん、今月はカーメンシクで弾くそうだから、明日、行ってみよう」
「どこの店かわかってんスか?」
「商店街のカフェ……お店の名前も控えといたから、すぐわかるんじゃないかな?」
「ふーん」
モーフが最低限の返事をすると、アビエースもやっとグラタンを食べ始めた。
……ピアノの爺さんに言わなきゃなんねぇ情報ってコトか。
「天と地の恵みを遍く照らす日月星のご加護に感謝します」
モーフは後ろの声にギョッとして、危うくスプーンを落としそうになった。こっそり背後を窺ったが、工員のおっさんたちが雑談しながら昼メシを食うだけだ。
……フツーの顔してるってコトは、知らねぇのか、みんなそうなのか、どっちだ?
「仮設の呪符泥棒、やっとなくなったらしいな」
「へぇー、いつの間に捕まったんだ?」
少し離れた席の声にハッとして耳を澄ます。
「いや、パートのおばちゃんの話じゃ、五月の中旬頃から急に止んだらしい。それまで毎日、どっかの部屋が盗られてたんだけどな」
あの一団は、星の標の犯行だと知らないらしい。
……あれっ? じゃあ、ここってアジトじゃねぇのか?
何だかワケがわからないが、流石にここでフラクシヌス教徒の連れ二人に聞くのはマズい。後でソルニャーク隊長に相談すると決め、工員の話に耳を傾けながら食べ進めたが、それ以上は目ぼしい情報が出なかった。
話に出た仮設住宅は、この工場の南隣のグラウンドにあった。
建って一年経つか経たないかのハズだが、どのプレハブも煤けて薄汚い。雑妖が居ないのは、日当たりがいいからだろう。
煤けた風に大量の洗濯物がはためく。
パドールリクが案内板を見て集会所へ足を向けた。
「力ある民は一人もいないんだな」
「何で?」
老漁師の呟きに反射的に質問が飛び出た。
「何でって【操水】で洗濯したら、干さなくていいだろう」
「あっ」
ここの集会所は、他所と違って何も作らず、大人たちが本を読むだけだった。みんな同じ本で、表紙は題名の他、機械の絵と文章がごちゃごちゃ書いてある。
子供は一人も居ない。平日のこの時間は、まだ学校だろう。
……あれっ? 集会所じゃなくて、大人用の学校か何かか?
「こんにちはー。移動放送局プラエテルミッサの者です。突然お邪魔しまして恐れ入ります。少々お時間いただいてよろしいでしょうか?」
パドールリクが堂々と言ったが、仮設の住民たちは、本から上げた目を湖の民の老人と陸の民の子供に向けて、訝しげに眉を顰めた。
「移動放送局?」
「ホントに?」
あちこちから囁きが聞こえ、一人が戸口に来た。
「どんなご用ですか?」
「後日、この近くで放送させていただきますので、そのご挨拶と、みなさんがどんな情報を求めてらっしゃるか聞き取りを致したく、お伺いしました」
住民たちは、パドールリクの澱みない答えに顔を見合わせ、隣の者と囁きを交わす。パドールリクはチラチラ向けられる不審者への眼差しをものともせず、笑顔で説明を続けた。
「番組は、国内ニュース、国際ニュース、難民キャンプ情報、放送エリアの地域情報と音楽で、ニュースキャスターは国営放送アナウンサーのジョールチです。地域情報の取材はこれから行いますので、先にご要望をお伺いしまして、可能な限りみなさんが必要とされる情報をお届け……」
「ちょ、ちょっと待って」
「ジョールチさんって生きてたのか!」
「難民キャンプって、アミトスチグマまで取材に行ってんの?」
住民たちの目の色が変わり、数人が腰を浮かす。
少年兵モーフは思わず身構えたが、パドールリクは落ち着いた声で応じた。
「はい。クーデターの際、どうにか首都を脱出できた国営放送とFMクレーヴェルの有志が、移動放送局を起ち上げました。戦時特別態勢で手薄になった地域情報などをきめ細かくお届けします」
「取材要員の家族も一緒なんで、子供も居ますが、子供らも放送のお手伝いを頑張ってくれてるんですよ」
老漁師アビエースが言い添えると、モーフに向けられた視線が、やさしいものに変わった。
「アミトスチグマにも定期的に取材へ行き、難民キャンプの様子や、湖南経済新聞や時流通信社の協力を得て、その他のニュースもお届けしております」
「要望ったって……」
「急に言われても、すぐには思いつかないんで」
「今は、シフトが休みで工場のマニュアル読む勉強会のモンだけなんだ」
「お勉強中、恐れ入ります」
「あ、それはもう全然いいんだけど、仕事行った人にも聞いて話まとめた方がいいから、明日か明後日、もう一回来てくれないかな?」
「わかりました。それでは、明後日のこの時間に改めてお伺いします。お勤め中のみなさんにも、よろしくお伝え下さい」
パドールリクが突然の訪問を丁寧に詫び、三人は仮設住宅を後にした。
公園の駐車場に戻ったのは、夕飯の支度を始める少し前だ。
アマナがパドールリクに飛びついて笑顔で迎える。今朝言われた通り、すっかり機嫌が直っていた。
……ゲンキンな奴だな。
モーフは呆れたが、ピナに「おかえりなさい」と声を掛けられた途端、どうでもよくなった。
「仮設の人たちは、工場のマニュアルを読んでいたのですが、表紙にキルクルス教の祈りの詞が、スローガンとして印刷されていました」
みんなに報告したパドールリクの声が重い。
食前の祈り、カウンターの上に貼られた祈りの詞、呪符泥棒の正体を知らない工員が居ること、仮設の住人は多くが力なき民で、パドスニェージニク議員の弟が経営する企業の工場に雇われたこと、モーフが気付いたことも、わからなかったことも、パドールリクとアビエースはしっかり見ていた。
☆秦皮の枝党のパドスニェージニク議員……「654.父からの情報」「655.仲間との別れ」「691.議員のお屋敷」「695.別世界の人々」「696.情報を集める」「722.社長宅の教会」「793.信仰を明かす」参照
☆天と地の恵みを遍く照らす日月星のご加護に感謝します……「308.祈りの言葉を」「0978.食前のお祈り」参照
☆今朝言われた通り……「1039.カーメンシク」参照




