1040.正答なき問い
午前中はカーメンシク市の様子を軽く調べ、報道の申請は午後からに決まった。
クルィーロは、レノ、葬儀屋アゴーニと三人で、大きな公園沿いの歩道をゆっくり歩く。カーメンシク市の詳しい地図を手に入れるのが第一の目的で、ついでに商店街の様子も見る。
「おっきい公園なのに、仮設がないんだな」
「あ、ホントだ」
レノに言われるまで気付かなかった。
これまで通った大抵の街は、公園やグラウンド、小中学校の校庭などがプレハブの仮設住宅で埋まり、本来の用途で使えなかった。
ここは遊具の区画で子供たちが親や祖父母に見守られながら遊び、グラウンドでは若者たちがサッカーに興じる。
戦争の影が見えない平和な光景に何となく心がささくれた。
「ここはネーニア島から遠いし、交通の便も悪いからな。わざわざ逃げて来る奴が少ねぇんじゃねぇか?」
「あー……成程」
アゴーニの仮説に頷く。
商店街は湖の民ばかりで、クルィーロの金髪とレノの大地の色の髪はよく目立った。通行人の好奇の目に小さくなりながら本屋に入る。
地図は難なく手に入り、アゴーニが暇そうな店主に話し掛けた。
「ありがとよ。……ところで大将、ここは仮設住宅がねぇんだな?」
「仮設住宅?」
店主が眼鏡越しにクルィーロとレノをじろりと見る。緑の瞳に憐みと侮蔑が見えた気がするのは、穿ち過ぎだろうか。
「どっから逃げて来たんだ?」
「ネーニア島です」
レノが答える。店主は同族の葬儀屋に目を向けて言った。
「この辺にゃないが、工場の近くに一箇所だけあるぞ」
「あるんですか」
レノのホッとした声には見向きもせず、店主は伝票の整理を再開して説明を続ける。
「力なき民の連中は、電気、ガス、水道が揃ってなきゃ暮らせんからな」
「そうですね。その方が助かります」
「それに、工場にゃ力なき民でもできる仕事がある。職場に近い方が何かと便利だ。何もケチや性悪でこっち側にプレハブを置かんワケじゃねぇ」
店主の声は素っ気ない。
「何かあったんですか?」
「仮設の申し込みは市役所だ」
話を続ける気がないとわかり、三人は本屋を出た。
……仮設の住民と何かあったんだろうな。
ゼルノー市のグリャージ区でも、工場周辺の住環境はよくなかった。
日曜や夜間もどこかの工場が稼働して、騒音と振動でゆっくり寝られない。
常に悪臭が漂い、外に干した布団や洗濯物が煤などで却って汚れるくらいならまだマシで、誰かが肺の病気になって、他所へ引越す家族も少なからず出た。
クルィーロの勤務先は音響機器の組立工場で、それらの公害で苦情が来たことはないが、重工業や化学系の製造工場には、訴訟を何件も抱えるところがあった。
……あっ! 空襲で工場丸焼けだし、ひょっとして、あれ全部うやむや?
クルィーロは歩きながら北の工場地帯を見遣った。
カーメンシク市の主要産業は鉱工業だ。
湖の民が多いから、信仰上の理由で水質汚濁には神経質なくらい対策するだろうが、他に関してはどうだろう。ほぼそのまま輸出する石炭はともかく、鉄鉱石の製錬や製品への加工は重工業で、何かと対策にカネが掛かる。
運搬の大型車両が出す排気ガスも多いだろう。
……元々いいとこに住んでた人は、愚痴のひとつも言いたくなるだろうな。
地元民が力なき民の避難者に配慮して工場地帯に仮設住宅を集約した気持ちも、それに愚痴をこぼされて気を悪くするのも理解できる。
どちらの心が狭いと言うこともなければ、どちらが悪いと言うのでもない。
強いて言うなら、何もかも戦争が悪いのだ。
これまで通ったどの街や村でも、人々は日々の暮らしで精一杯で、どうすれば戦争を終わらせられるのか、じっくり考える余裕などないように見えた。
移動放送で「すべて ひとしい ひとつの花」を流すと、どこでも喜ばれた。それだけ切実に平和を願う国民が多いのだ。
……でも、どうすれば戦争が終わるか、自分に何ができるのか、全然わかんないんじゃなぁ。
戦争は相手のあることだ。ネモラリス人だけが平和を望んでも、アーテル人がそう思わないなら、いつまでも終わらない。
復讐に駆られた両国の人々は政府軍とは無関係に報復を続ける。
すべての人が、戦争と戦闘をやめるには、どうすればいいのか。
家々の屋根のずっと向こうで、工場の煙突が幾筋も煙を吐く。
レノとアゴーニが店先の値札で物価を調べるのを他所に、クルィーロは平和を手繰り寄せる糸口を探して考え続けた。
「お兄ちゃん、おかえりなさい!」
駐車場の門でアマナに飛びつかれた。クルィーロは妹を抱きとめ、その背をさする。
「ただいま。勉強、捗ったか?」
「わかんないとこ教えて」
アマナは曖昧な笑みを浮かべて兄の手を引いた。
トラックに戻り、レノとアゴーニは忘れない内に物価情報を一覧表に書き込む。
今ではすっかり情報収集に慣れて効率化が進み、コピー用紙に主要な物品の項目を入れた表を書き溜めてあった。
場所と調査日で用紙を分け、同じ物品の価格を比較しやすい。そこから、どこで何が不足し、どんな物なら余裕があるか読み取れる。
総合商社パルンビナ株式会社の役員マリャーナも、仕入れや輸出の計画を立てやすくなったと喜んでくれた。
アナウンサーのジョールチとDJレーフ、ソルニャーク隊長とレノが、カーメンシク市の地図を広げ、放送場所の選定を始めた。
薬師アウェッラーナは一段落ついたらしく、プラ容器を抱えて荷台奥の小部屋から出て来た。
「油を買いたいんで、午後の申請、私も行っていいですか?」
「いいですよ。ここ、胡麻油とオリーブ油が割と安かったんで、ちょっと多めに買いましょう」
レノが気安く応じる。
「アマナ、わかんないとこ、どこだ?」
「この分数」
「あ、それ、私もわかんない」
エランティスも、カイラーで買ったばかりの教科書を覗く。
……算数だったら、答えはひとつだし、すぐわかるのにな。
クルィーロは、木箱に置いた教科書を前に俄か家庭教師を始めた。




