1037.盗まれた物資
「店長さん、今日は手紙だけだったよ」
東教区の礼拝堂に戻った工員のプラエソーが、申し訳なさそうに封筒を差し出した。シフトが休みの日、新聞屋や他の協力者たちと交代で、クブルム街道の山小屋を見に行ってくれる。
郵便受けの鍵は、東教区のウェンツス司祭が管理する。その上から、運び屋フィアールカと仲間が魔法の【鍵】を掛ける。合言葉は毎回変わり、前の手紙で知らされるので、両方が手に入る限られた者にしか開けられなかった。
「変ね。前回のお手紙では、お薬を分けて下さるって約束してくれたのに?」
店を失っても店長と呼ばれる件はさておき、クフシーンカは急いで手紙の封を切った。
ラジオでアーテル共和国の本土にも届くよう特別番組を放送した件と、今回持って来た薬の一覧と使用上の注意が別紙にまとめてある。
手紙の末尾には、共通語で次回の合言葉が書いてあるだけで、特にいつもの遣り取りから変わったところはない。
「一緒に持ってきたみたいよ」
「でも、いつものリュック、なかったッスよ?」
「まさか、あれを無断で持ち出したのでしょうか?」
老いた尼僧が怖ろしげに呟き、胸の前で聖印を切って祈りの詞を唱えた。
「まさか、ねぇ? だって、小屋には注意書きが貼ってあるじゃないのさ」
「字ィ読めねぇ奴の仕業かもしれんぞ?」
茶髪のおばさんが言うと、黒髪のおじさんが宙を睨んだ。
「農家の人のも、なかったのか?」
「小屋ン中からっぽで、郵便受けの手紙しかなかったんだ」
新聞屋に聞かれ、プラエソーは固く目を閉じ、溜め息を吐いた。
これまでも、ゾーラタ区民からの交換品が盗まれることは度々あった。
ゾーラタ区に戻った農家の人々は、日々の暮らしで家事などに使う【霊性の鳩】学派や、農業に関する【畑打つ雲雀】学派は使えるが、契約や禁止の強制などに関する【渡る白鳥】学派の術は使えない。
少し前、盗難の件でフィアールカに相談したところ、そう教えられた。
ゾーラタ区民が小屋の扉に【霊性の鳩】学派の【鍵】を掛ければ、合言葉を知らない者は立ち入れなくなるとも言われたが、それでは薪拾いや食糧集めに行った者たちが休めなくなってしまう。
ゾーラタ区の農家の人々も、あれこれ考えてくれたが、今のところ妙案は浮かばなかった。
あの大火から一年近く経つが、ネミュス解放軍の襲撃や、戦争による物流の停滞で、無事だった工場も稼働日数が減った。リストヴァー自治区東教区の教会には、職を失った人々が、救済事業のちょっとした手仕事を求めて集まる。
今も、礼拝堂の会衆席は、針仕事の者たちで三分の一が埋まる。道具が必要ない箒作りや蔓草細工は自宅でもできるが、これらの手仕事で得られるのは僅かな食糧だけだ。
ゾーラタ区の農家が手芸品と交換してくれる食糧は、自治区民にとって有難いものだった。
フィアールカと名乗った湖の民の運び屋は、リストヴァー自治区の情報と引き換えに薬や食糧だけでなく、手仕事に必要な道具類も届けてくれる。
運び屋の仲間には、【渡る白鳥】学派の術者が居た。
「あのリュックの呪いって、解けないんですか?」
若い娘が、礼拝堂最奥の聖者像に縋るような目を向けた。聖者キルクルスは穏やかに微笑むだけで、応えてはくれない。
運び屋たちが運搬に使うリュックサックには、袋を補強する【耐火】や【頑強】だけでなく、泥棒避けの強力な術が掛けられ、よからぬことをすればどうなるか、小屋の壁に注意書を貼ってあった。
……ハッタリだと思って持ち出したの?
若い世代も、ネミュス解放軍の襲撃で魔法の恐ろしさが身に染みた筈だ。
「どうしましょう?」
「治安部隊に届けた方がいいんじゃねぇか?」
「司祭様が戻られてから、相談しましょう」
新聞屋の声に尼僧が待ったを掛けた。
治安部隊が動くとなれば、クブルム街道の山小屋は徹底的に調べられ、後日、政府軍の監視下に置かれるだろう。フィアールカたちとの情報交換は、法に触れる行いではないが、戦時下では、軍にどう見られるか知れたものではなかった。
リストヴァー自治区に派遣された治安部隊は、全員が力なき民だ。
ギリギリの人数で日々の業務をこなすだけで手いっぱいで、まだ一度も、クブルム街道に足を踏み入れておらず、自治区周辺を調査する余裕などなかった。
臨時政府と政府軍は、ネミュス解放軍とネモラリス建設業組合の有志がクブルム山脈を横断する街道を再整備し、東端のリストヴァー自治区から西端の北ザカート市付近まで開通させた件を把握できずにいた。
これが今頃になって伝われば、厄介なことになりそうだ。
……ホントに、どうしたものかしらね。
「みなさん、お疲れ様です」
手隙の者たちが額を寄せ合うところへ、東教区のウェンツス司祭が、区長宅の会合から戻ってきた。礼拝堂の大扉へ目を向けた者たちが、おかえりなさいの言葉を飲み込む。
……こんな時に限って。
大聖堂から派遣されたフェレトルム司祭も一緒だ。
礼拝堂で手仕事をする人々を物珍しげに眺め、当たり障りのない挨拶をしたが、共通語なので伝わらず、自治区民の反応は薄い。
「みなさん、こんにちは。勤勉なあなた方に聖者様のご加護がありますように、とおっしゃってます」
クフシーンカが通訳すると、自治区民たちはぎこちない笑みを浮かべ、湖南語で挨拶を返した。
「店長さん、プラエソーも丁度よいところに。少し話したいのですが、新聞屋さんも、お時間よろしいですか?」
ウェンツス司祭が湖南語で早口に囁く。
「ウィオラが待ってるから、あんまり長居は……」
「そんなに長い時間は掛かりません。幾つか確認したいだけですから」
「あぁ、そのくらいなら」
「俺も夕刊に間に合うんならいいですよ」
新聞屋も同意し、仕立屋の店舗を失ったクフシーンカには急ぎの用がない。
裁縫の指導を尼僧に任せ、連れ立って執務室に移動した。




