1033.拒絶をほぐす
……あれっ?
誰一人として、平和の花束の新曲「真の教えを」が「よくなかった」では手を挙げなかったが、ネモラリス難民たちの顔は冴えない。
「じゃあ、よかったって人、手を挙げて下さい」
ファーキルが戸惑いを抑えて声を掛けたが、隣の顔色を窺うばかりで、一本の手も挙がらなかった。
「あれっ? じゃあ、良くも悪くもない、フツーってコトですか?」
「いや、女の子らの歌はまぁ、上手かったと思うよ。でもなぁ」
老人が隣のおじさんと顔を見合わせ、微妙な表情で頷き合う。
奥の席から子供の声が上がった。
「あれってキルクルス教の歌だよね」
「あんなの流していいのかなーって」
「ねーっ」
「いーけないんだー」
小学生たちの正直な声に大人たちの顔が強張る。
老婆が眉間の皺を深くして吐き捨てた。
「これの歌詞はいらないよ」
……思ってたより、拒否感強いな。
ファーキルは集会室を見回した。
ネモラリス共和国から逃れた戦争難民の顔は、先程とは打って変わって険しい。
この分では、特番「花の約束」の録音テープを最後まで聞いたのは、最初の一回だけだろう。いや、その一回でさえ、途中で止められた可能性が高い。
「あの歌は、確かに、キルクルス教の歌です」
「そら見ろ。何であんなモン放送したんだ?」
ニプトラ・ネウマエのサインをねだった老人が、別人のように鋭い目でファーキルを睨む。
「キルクルス教の聖典は、一般信者用と聖職者用、特別な職人用に分かれています。あれは、一般信者が知らないことを歌ったものなんです」
「それがどうした?」
「なんでそんなコト知ってんだ?」
「あんた、まさか……」
人々の目に憎悪と嫌悪、怯えの色が加わる。
ファーキルはひとつ深呼吸して続けた。
「インターネットには全部載ってて、キルクルス教徒じゃなくても……世界中の誰もが見られる状態なんです。アーテルとか、検閲がある国は例外ですけど」
「何でわざわざ、そんなモン見に行ったんだ?」
ファーキルに刺さる視線は、相変わらず厳しい。
「あるバルバツム人に教えてもらいました」
「やっぱ、あんたキルクル」
「最後まで聞いて下さい。その人は、キルクルス教徒だけど、自分が魔力を持ってることに悩んでて……バルバツムにはそんな人が大勢居るんです」
ファーキルは、声を一段大きくして言った。
六十人以上を前にして力なき民の少年一人。
彼らの怒りに火がつけば、逃げることもできないだろう。ラクリマリス人のボランティアの助けは、期待できそうもなかった。
声の震えを抑え、腹に力を入れて、なるべくゆっくり話す。
「バルバツム連邦は、信仰の自由を認める国で、世界展開する大企業は、力ある民も力なき民も関係なく採用します」
「それが何だってんだ?」
「俺らにバルバツムで仕事探せってのか?」
「冗談じゃねぇ!」
「色々複雑みたいで、何年か前に、同僚の魔法使いが護符を落として、その人が拾ってあげたそうなんです。そしたら、まぁ、その人に魔力があるってわかって、その人自身、それまで全然、知らなかったらしくて」
「ん? 何で知らないんだ?」
西神殿の集会所に疑問が満ちる。
「バルバツムでは、魔力の有無を検査しないそうなんです」
「それで、その人、どうなったの?」
「あなたと話したってコトは、生きてんのよね?」
「はい。今も遣り取りがあります。奥さんは子供たちを殺して行方不明、ご両親が離婚して、お母さんは自殺、その人は会社をクビになりませんでしたけど、奥さんの身内に毎日、人殺しって罵られて、生きてるのが辛いって言ってます」
「おいおいおいおい……」
「そんなのって……」
難民たちが言葉を失う。
「その人は、両輪の国出身の人から、聖職者用の聖典がインターネットに載ってるって教わって、解説を見ながら読んだそうです」
「あんたも読んだんだよな?」
「何が書いてあったの?」
同情と疑問が加わり、憎しみが薄らぐ。
「魔法です」
「えっ?」
「は?」
「何で?」
ファーキルは、耳を疑う人々に繰り返した。
「魔法が載っていました。聖職者用と特別な職人用の聖典には、あの歌にあった通り、【巣懸ける懸巣】や【編む葦切】【踊る雀】の術が図入りであって、【歌う鷦鷯】の呪歌は共通語の歌詞で載ってました」
驚き、呆れ、困惑、混乱。
人々の心を憎悪以外のものが満たし、場が静かになる。
一呼吸置いて、湖の民のボランティアが問いを発した。
「呪歌を共通語で歌っても仕方ないと思うけど?」
「その歌に合わせて【踊る雀】の魔踊を舞うそうです」
何人かが納得し、小声で子供に説明する。
「だったら、何で星の標は『魔術は悪しき業だ』なんて言って、あちこちでテロしてんだ?」
少し奥の席で、誰に聞くともなしに疑問の声が漏れた。
「いつの間にか、キルクルス教の信仰が歪んじゃったみたいで、ついこの間、バンクシア共和国の大聖堂から、星の標が居るってわかってるラニスタとアーテル、それと、リストヴァー自治区に正しい信仰を伝える使命を帯びた司祭が、派遣されました」
「あんた、そんなコトまで知ってんのか」
再び、ファーキルに疑念が向いたが、タブレット端末を指差し、落ち着いて答えられた。
「インターネットのニュースで見ました」
「へぇー……その、なんとかネットってのは、スゴイもんなんだねぇ」
感心するおばさんに、周りのみんなも、うんうん頷く。
一人が急に顔を曇らせた。
「その司祭、星の標に殺されたりするんじゃないだろうね?」
「そうよねぇ」
「それに、自治区やアーテルで偉い司祭が何言ったって、クレーヴェルに潜り込んだ星の標にゃ届かんだろ? ネモラリスにはその、えー、なんだ、アレがないんだからよ」
老人がファーキルに渋い顔を向ける。
「そうですね。それでも、星の標の本部があるラニスタや、支部があるアーテルと、リストヴァー自治区に正しい教えが伝われば、武器の密輸とかが減るかもしれません」
「そんな上手く行くかしらねぇ」
「まぁ、何もしないよりゃいいけど」
何とも言えない微妙な空気だが、先程の憎悪に満ちた鋭さは消えた。
……頃合いかな?
「ご感想、ありがとうございました。必ずニプトラさんたちにお伝えします」
「サイン、頼んだぞー!」
老人の声で場が和んだ。
☆あるバルバツム人……「812.SNSの反響」参照
☆正しい信仰を伝える使命を帯びた司祭……リストヴァー自治区「1007.大聖堂の司祭」~「1009.自治区の司祭」「1012.信仰エリート」、ラニスタ「1013.噴き出す不満」、アーテル「1024.ロークの情報」参照




