0106.分析と願望と◇
レノは視線を上げ、ずっと遠くを見た。
今夜はまだ時間が早いからか、それとも、西へ行ったきり戻らないのか、あの闇の塊は見えない。
普通の魔物は、この世の生き物をみつけると襲ってくる。
しかも、魔力を持つ者が好物だ。
魔法使いが二人も居るのに、全く眼中にないかのように西へ去った。雑妖が取り込まれたのを見る限り、ロクな存在ではないだろう。
昨夜、見たのがレノ一人なら、夢でも見たかと思うところだが、少年兵モーフも同じモノを見て、ちゃんとソルニャーク隊長に報告した。
……あいつが居るから、この辺丸ごと見捨てられたとか?
そんな考えが頭をかすめたが、すぐ否定する。
そもそも、被害状況の調査隊や、警察や消防の救助隊すら見かけないのだ。どうやって、あれの存在を知るのか。
では、何の為にこの辺りが救護対象から外され、まるで存在しないかのように扱われるのか。
敵軍……アーテル・ラニスタ連合軍の目的は、リストヴァー自治区のキルクルス教徒の救済だと言う。
それが本当なら、現政権と魔法使いを一掃する為に、空襲と言う強硬手段に出たこと自体が、首を傾げたくなる暴挙だ。
信仰の違いでバラバラになったとは言え、元はひとつの国だ。
ネモラリス政府と話し合って、自治区民をアーテル共和国に移住させるなど、平和的な解決方法は幾らでもある。
ネモラリス軍は何故、自治区周辺に展開しないのか。
何故、友好国であるラクリマリス王国は、連合軍の戦闘機が領空を通過するのを黙認するのか。
わからないことだらけだが、ラジオから流れる断片的な情報からは、大したことはわからない。
ただ、ここに居ては危ないとは思う。
食糧にしてもそうだ。
いつまでも、クルィーロとアウェッラーナの二人だけに頼ってばかりはいられない。どうせ西へ行くなら、ミエーチ区を越えてゾーラタ区まで行ってみてはどうだろう。
農村地帯がまだ無事なら、ゾーラタ区役所で手続きができるだろう。
もしかすると、個人の厚意で非公式な避難所が開設されたかもしれない。
納屋でも何でもいいから、ちゃんと屋根と壁のある建物で、妹たちを休ませてやりたかった。
もし、ダメだったとしても、畑の焼け残りがあれば、当座の飢えはしのげる。
今は冬だから、畑にはホウレンソウや冬キャベツなどの葉物野菜が多いだろう。麦はまだ撒いたばかり、根菜類もまだまだ小さいだろう。
地上に育つ作物は無理でも、芋類ならまだ少しあるかもしれない。
レノは、見張りの交代時間まで、ずっとそんなことを考えて過ごした。
☆あの闇の塊/雑妖が取り込まれた……「0089.夜に動く暗闇」参照
☆アーテル・ラニスタ連合軍の目的は、リストヴァー自治区のキルクルス教徒の救済……「0078.ラジオの報道」参照
★第五章 あらすじ
バラック街から焼け出されたアミエーラは、仕立屋の店長から情報と物資を与えられ、クブルム山脈の登山道へ向かう。
行き先は、祖母の姉が暮らすと言うネモラリス島。
一方、薬師アウェッラーナたち十人は、廃墟と化した市街地で安全な場所を求めて移動を開始する。
※ 登場人物紹介の一行目は呼称。
用語と地名は「野茨の環シリーズ 設定資料」でご確認ください。
【思考する梟】などの術の系統の説明は、「野茨の環シリーズ 設定資料」の「用語解説07.学派」にあります。
★登場人物紹介
◆湖の民の薬師 アウェッラーナ 呼称は「榛」の意。
湖の民。フラクシヌス教徒。髪と瞳は緑色。
隔世遺伝で一族では唯一の長命人種。外見は十五~十六歳の少女(半世紀の内乱中に生まれ、実年齢は五十八歳)
父と姉、兄、甥姪など、身内で支え合って暮らす。実家はネーニア島中部の国境付近の街、ゼルノー市ジェリェーゾ区で漁業を営む。
ゼルノー市ミエーチ区にあるアガート病院に勤務する薬師。
魔法使い。使える術の系統は、【思考する梟】【青き片翼】【漁る伽藍鳥】【霊性の鳩】
真名は「ビィエーラヤ・オレーホヴカ・リスノーイ・アレーフ」
◆パン屋の青年 レノ
力なき陸の民。フラクシヌス教徒。十九歳。濃い茶色の髪の青年。
ネーニア島のゼルノー市スカラー区にあるパン屋「椿屋」の長男。
両親と妹二人の五人家族。パン屋の修行中。
レノは、髪の色と足が速いことからついた呼称。「馴鹿」の意。
◆ピナティフィダ(愛称 ピナ) 呼称は生まれた季節に咲く花の名。
力なき陸の民。フラクシヌス教徒。中学生。二年三組。濃い茶色の髪。
レノの妹、エランティスの姉。しっかりしたお姉さん。
◆エランティス(愛称 ティス) 呼称は生まれた季節に咲く花の名。
力なき陸の民。フラクシヌス教徒。小学生。五年二組。濃い茶色の髪。
レノとピナティフィダの妹。アマナの同級生。大人しい性格。
◆工員 クルィーロ 呼称は「翼」の意。
力ある陸の民。フラクシヌス教徒。工場勤務の青年。二十歳。金髪。
パン屋の息子レノの幼馴染で親友。ゼルノー市スカラー区在住。
両親と妹のアマナとの四人家族。隔世遺伝で、家族の中で一人だけ魔力がある。
魔法使いだが修行を怠り、使える術の系統は【霊性の鳩】が少しだけ。
機械に興味があるので、ゼルノー市グリャージ区のジョールトイ機械工業の音響機器工場に就職。
◆アマナ 呼称は生まれた季節に咲く花の名。
力なき陸の民。フラクシヌス教徒。クルィーロの妹。金髪。
小学生。五年二組。エランティスの同級生。ゼルノー市スカラー区在住。
◆少年 ローク 呼称は「角」の意。
力なき陸の民。商業高校の男子生徒。十七歳。ディアファネス家の一人息子。
ゼルノー市セリェブロー区在住。家族とは相容れなくなり、家出する。
祖父たち自治区外の隠れ教徒と自治区の過激派が結託して、テロを計画していることを知りながら、漫然と放置してしまった。
保身に走り、後悔しがち。
◆お針子 アミエーラ 呼称は「宿り木」の意。
陸の民。キルクルス教徒。十九歳の女性。金髪。青い瞳。仕立屋のお針子。
工員の父親と二人暮らし。祖父母と母と弟妹は病死。弟妹はいずれも幼い頃に亡くなり、人数も憶えていない。泥棒が同情するレベルの赤貧。
魔力はあるが、魔法が使えない。
母方の祖母が力ある民。隔世遺伝で魔力を持つが、魔法を教わっておらず何もできない。
◆仕立屋の店長
力なき陸の民。キルクルス教徒。一人暮らしの老婆。気前がいい。
リストヴァー自治区の団地地区で、仕立屋を経営している。
アミエーラの祖母の親友。ずっとお互いに助け合ってきた。
◆フリザンテーマ 呼称は「菊」の意。
力ある陸の民。フラクシヌス教徒。アミエーラの祖母。クフシーンカの幼馴染で親友。
力なき陸の民でキルクルス教徒の夫と結婚。内戦終了後はリストヴァー自治区に移住した。
自治区では、魔法使いであることを隠す為、知り合いのいないバラック地帯で生活した。
◆カリンドゥラ
力ある陸の民。長命人種。
アミエーラの祖母フリザンテーマの姉。仕立屋の店長クフシーンカの幼馴染。
無事なら現在も、ネモラリス島に住んでいる筈。
◆少年兵 モーフ 呼称は「苔」の意。
力なき陸の民。キルクルス教徒。星の道義勇軍の少年兵。十五~十六歳くらい。
リストヴァー自治区のバラック地帯出身。
アミエーラの近所のおばさんの息子。祖母と母、足が不自由な姉とモーフの四人家族。
父は、かなり前に工場の事故で亡くなった。
以前は工場などで下働きをしていた。自分の年齢さえはっきりしない。
貧しい暮らしに嫌気が差し、家出してキルクルス教徒の団体「星の道義勇軍」に入った。
◆隊長 ソルニャーク 呼称は「雑草」の意。
力なき陸の民。キルクルス教徒。星の道義勇軍・第三小隊の隊長。モーフたちの上官。おっさん。
知識人。冷静な判断力を持つ。
キルクルス教徒だが、狂信はしていない。自爆攻撃には否定的。
陸の民らしい大地と同じ色の髪に、彫の深い精悍な顔立ち。空を映す湖のような瞳は、強い意志と知性の光を宿す。
◆元トラック運転手 メドヴェージ 呼称は「熊」の意。
力なき陸の民。キルクルス教徒。星の道義勇軍の一兵士。おっさん。
リストヴァー自治区のバラック地帯出身。
以前はトラック運転手として、自治区と隣接するゼルノー市グリャージ区の工場を往復していた。
仕事で大怪我をして、ゼルノー市ジェリェーゾ区にある中央市民病院に入院したことがある。
◆市民病院の呪医
湖の民の男性。フラクシヌス教徒。髪と瞳は緑色。
ゼルノー市立中央市民病院に勤務する唯一の呪医。
【青き片翼】学派の術を修め、主に外科領域の治療を担当。




