1031.足りない物資
移動放送局プラエテルミッサは、カイラー市とカーメンシク市の中間に位置する漁村でも、放送することになった。
「あんたら、行商人かい?」
「薬があったら分けて欲しいんだけど」
漁協の許可をもらい、事務所前の駐車場で放送の準備をしていると、おかみさんたちが、干物作りや網の手入れを中断して集まってきた。
子供たちの顔が強張る。ドーシチ市での騒動を思い出したのだろう。
薬師アウェッラーナは自分の胸元を見て、【思考する梟】学派の徽章を服の中に隠してあるのを確認して声を掛けた。
「ここってお医者さんや薬師さん、居ないんですか?」
「こんなちっさいとこ、居るもんかね」
「戦争前までは、カイラーとカーメンシクから交代で、診療車と薬屋さんが来てくれてたんだけどね」
「まぁ、すぐ近くだし【跳躍】すりゃいいんだけど、なかなかねぇ」
薬師アウェッラーナは、おかみさんたちの苦い笑顔から、カイラー市の治安の悪さを思った。
……今の時期、素材はいっぱい採れるし、いいかな?
「私たち、移動放送局プラエテルミッサって言います。お薬、備品の傷薬と熱冷ましが少しあるだけなんですよ」
「それ、譲ってもらうワケに行かないよね?」
「勿論、お代は払うよ。……ねぇ?」
おかみさんが周りに同意を求めた。十人くらいの湖の民は、何度も頷いて、同族のアウェッラーナに期待の籠もった目を向ける。
薬師アウェッラーナは、レノ店長に声を掛けた。
「半分くらい、いいですか?」
「うーん……香草茶もありますけど、どうします?」
「あら、お茶も分けてもらえるのかい?」
おかみさんたちの顔が明るくなる。
一人が困った顔で事情を語った。
「燃料と【無尽袋】が値上がりしたせいで、行商も来なくなったのよ」
「こっちは魚の干物や干し蝦、魚の缶詰だったら渡せるんだけど……」
メドヴェージとパドールリクが長机を一台降ろし、レノ店長と薬師アウェッラーナ、ピナティフィダが渡してもいい物を並べる。
……移動販売って随分、久し振りな気がするわ。
薬師アウェッラーナは、いつ以来なのかも思い出せなかった。
おかみさんたちが漁港中に声を掛け、あっという間に人集りができる。
アナウンサーのジョールチとDJレーフが、よく通る声で行列を整理し、アビエースとソルニャーク隊長が誘導してくれたお陰で、混乱は起きなかった。
漁協の組合長が出て来て言う。
「薬は組合でまとめ買いする。入用になったら、事務所に言ってくれ」
その一言で、ドーシチ市のような騒動が起きずに済んだ。
結局、この日は遅くなったので放送せず、翌日に持ち越した。
夕飯はもらった魚で済ませる。
レノ店長とソルニャーク隊長、ジョールチとメドヴェージがネモラリス島の地図を囲み、難しい顔をした。
誰も何も言わず、重苦しい時間が流れる。
とうとう痺れを切らし、少年兵モーフが聞いた。
「隊長、何黙ってんスか? その地図、何かマズいんスか?」
「次のカーメンシク市より東には、リャビーナ市まで大きな街がない。これが、どう言うことかわかるか?」
「わかんねぇッス」
モーフが即答すると、葬儀屋アゴーニが笑った。
「坊主、もうちっと考えてから言えよ」
「何だかわかんねぇから聞いてんのに」
隊長は、口を尖らせるモーフに「仕方のない奴だな」と苦笑を洩らして答えた。
「都市に挟まれたこの漁村でさえ、医療と物資が不足しているのだ」
「食いモンとか、盗られるかもしんねぇんスか?」
「その懸念もある。尤も、農村ばかりだから、食糧を奪われる可能性は高くないだろう」
「薬やら燃料やら、手に入り難いモンが狙われるだろうな」
メドヴェージの視線が、薬師アウェッラーナに向けられる。
「私が薬師だってバレたら、またドーシチ市みたいになるかもしれません」
「しかも、あのお屋敷みてぇに毎日、ご馳走が出るなんてこたぁねぇ」
メドヴェージに言われ、モーフは口をひん曲げて横を向いた。
「俺、そんな口軽くねぇよ」
「あぁ、ハイハイ。今までちゃんと黙ってたもんな」
メドヴェージに軽くあしらわれ、モーフはますますむくれてしまった。
「盗難の心配もそうですが、リャビーナ市まで、燃料が手に入らない懸念があります」
「この辺り……パドール湾より東は、地形の都合で港を作れないので、農家が多いんですよ」
アナウンサーのジョールチが、地図を示した指をすっと東に走らせると、パドールリクが眉根を寄せて声を落とした。
「生野菜などを街に出荷するのにトラックを使うでしょうが、湖上封鎖で輸入が減りましたからね」
兄のアビエースが、呪符を貼ったポリタンクに目を向けて小声で聞く。
「後、どのくらい行けそうです?」
「チェルニーカで満タンにして、カイラーでもちょっと入れたし、次のカーメンシクでも、ちったぁ手に入るんじゃねぇか?」
運転手のメドヴェージが気軽な調子で答え、少し場の空気が軽くなった。
DJレーフがポリタンクをポンと叩く。
「もし、ガス欠で動けなくなっても、アミトスチグマまで跳べば買えるし、一個くらい、担いで帰れるから、心配ないって」
「お、兄ちゃん行ってくれンのか。ありがとよ」
メドヴェージがニカッと笑い、この話はこれで終わった。
「ジョールチさん、あんた、生きてたのか!」
「えぇ、お蔭様で命だけはどうにか……」
翌日の放送は、放送の設備を使う必要がなさそうなくらい人が集まった。
「新聞の配達がなくなって、ラジオだけになっちまってな」
「ラジオは戦時特別体勢で、似たようなのしかやんなくて、つまんないし」
「街へ出たついでに新聞買っても、薄っぺらくてお堅いハナシしか載ってないしなぁ」
漁村の住民は情報にも飢えていた。
放送終了後、大喜びで郷土料理の蝦スープを振る舞ってくれた。
……街に挟まれたここでこんなじゃ、この先、どうなってるかわかんないわね。
開戦後、巡回診療が一年近く途絶えたなら、予防接種なども受けられなかっただろう。
薬師アウェッラーナは、感染症がどれだけ蔓延したか想像しかけたが、すぐにどうこうなるものではない、と無理矢理自分に言い聞かせて気持ちを落ち着けた。
……もし、そうなってたら、燃料と一緒で、外国に助けを求めればいいのよ。
何もかもを自分たちだけで解決しようなどと、無謀にも程がある。
平和を目指す活動と同じだ。
みんなで協力すれば、乗り越えられることは多い。
困り事は何でも相談して、手伝ってくれる人、助ける力を持つ人と縁を繋いで行かなければ、とラキュス湖の漣を見て改めて思った。
☆ドーシチ市での騒動……「235.薬師は居ない」「236.迫りくる群衆」参照
☆あのお屋敷みてぇに毎日、ご馳走が出る……「237.豪華な朝食会」「246.部屋割の相談」「251.蔓草細工の班」「266.初めての授業」「281.行く先は不明」参照




