1030.価値観の違い
カイラー市内での最後の放送を生で聞こうと、公民館の駐車場に市民が続々と詰めかける。
クルィーロは、樫祭でカイラー神殿へ参拝に行く途中、ひったくり騒ぎを目撃して以来、ずっと気を張って過ごしてきた。
あの日、鞄をひったくられたおばさんが悲鳴を上げても、地元民は慣れっこなのか知らんぷりだった。クルィーロはどうしていいかわからず、アマナの手を握って父と顔を見合わせた。
「ひったくりよー! 捕まえてー!」
おばさんが連呼しながら追い掛ける。
犯人が勝ち誇った顔で大通りの人混みに紛れようとした時、誰かに足を引っ掛けられて派手に転んだ。近くに居合わせた者たちがあっという間に犯人を取り囲み、たくさんの足が日頃の鬱憤を晴らすかのように蹴りを浴びせる。
ひったくりは逃げるどころか、起き上ることもできず、身体を丸めて蹲るだけで精一杯。おばさんが追い付いた時には、立てなくなっていた。
犯人を転ばせた人物も、蹴りに加わった人々も、おばさんがお礼を言うより先に解散して人混みの一部になる。
カイラー市内では珍しくもない光景なのか、野次馬が集まることさえなく、おばさんも鞄を拾うと行ってしまった。
……警察とか……呼ばなくていいのか?
通行人は、道の真ん中に倒れた男をチラ見して通り過ぎるだけで、誰も介抱しない。アマナが父と兄を見上げるが、二人とも下手に動けなかった。
……何かして仲間だと思われたら、地元の人に何されるかわかんないよな。
見回したが、公衆電話は見当たらなかった。
店から人が出て来て、ひったくり犯の足を持ち、店と店の隙間に引きずって行った。顔が変形した男は、荷物扱いされても反応がない。店員は面倒臭そうに店内へ引っ込み、レジ横の電話を使った。
「お店の人がお巡りさん呼んでくれたみたいだし、行こうか」
父が声を掛けると、アマナは悪い夢から覚めたような顔で歩きだした。
クルィーロは歩きながら考えたが、そもそもどこにポイントを置いて、驚いたり怖がったりすればいいかさえ、わからない。
ひったくり事件が起きたこと。
目の前の事件に無関心な人が多いこと。
犯人を捕まえてくれた人が何人も居たこと。
捕まえ方が荒っぽいこと。
捕り物に加わった人々が、お礼目当てではなかったこと。
被害者が犯人に無関心なこと。
道の真ん中に倒れた人が居ても、通行人が無関心なこと。
店員が、負傷して気絶した犯人を物扱いしたこと。
地元民がやたら手慣れた様子なこと。
どれもこれも、ゼルノー市ではなかったことばかりだ。
カイラー市に来るまでに通過したどの都市でも……ネモラリス領でも、ラクリマリス領でも、こんなことはなかった。
首都クレーヴェルでは爆弾テロに巻き込まれたが、あれは特殊な例だろう。
後でレノとジョールチから、カイラー市の犯罪統計の話を聞いて納得した。
……まぁ、犯人ボコるのはどうかと思うけど、捕まえてくれる人があんなに居て、謝礼を要求しなかったってのは、イイことだよな?
ジョールチの判断で、この事件は放送しなかった。
もうひとつ驚いたのは、公民館の駐車場に放送場所を移した時、少年兵モーフがクルィーロたちの報告を聞き流していたとわかったことだ。
……自治区じゃ、よくあるコトなのか?
もっと酷い可能性に気付き、クルィーロは何も言えなかった。
「パッと見、街の様子は落ち着いてるし、モーフ君は情報収集とかで警察行かなかったし、防犯ポスターも……まぁ、アレだし……わかんなくても仕方ないよ」
メドヴェージとアゴーニに呆れられ、しょげるモーフをどうにか慰めようと、レノが声を掛けたが、リストヴァー自治区出身の少年兵は項垂れたままだった。
……カイラー市に着いてすぐの時、自治区に似てるって言ってたの、要するにそう言うコトなんだろうな。
クルィーロは悲しくなった。
昨日、葬儀屋アゴーニがアミトスチグマ王国まで、DJレーフを迎えに行った。
レーフはたくさんの土産を持ち帰って上機嫌だ。みんなはレーフの無事な姿にホッとした。
ラクリマリス王国のAMシェリアクで放送した特別番組「花の約束」は、概ね好評だったと言う。
土産は両国で買った保存食と日用品、他国で活動する仲間が収集し、ファーキルが印刷した情報だ。分厚い紙束が幾つもあり、全てに目を通すだけでもかなり日数が掛かる。
「戻ったばかりで疲れているでしょうが、明日の放送の打合せを」
「大丈夫ッスよ。そんな疲れてませんし」
DJレーフは、軽い調子でアナウンサーのジョールチに応じた。
今朝の放送は、心配したような場所取りの喧嘩騒動や、スリや置引などの事件が起こらず、無事に終わった。
クルィーロが神経を張り詰めたからと言って、犯罪を防げるワケではないが、放送が終わった途端、どっと疲れが押し寄せた。
「久々にいいモン聞かせてくれてありがとよ。これ、少ないけど、持ってってくれや」
最前列で最初から最後まで聞いた年配の男性が、照れくさそうに酒瓶を差し出した。封が切られ、中身は半分くらいだ。
クルィーロは営業スマイルが引き攣った。
「ありがとうございます。お酒飲む人が居ないんで、お気持ちだけ……」
「あぁ、これな、中身ガソリンなんだ。べらぼうに値上げしやがったから、こんだけしか買えなかったけどよ、遠慮しねぇで足しにしてくれや」
彼はよっぽど楽しみだったのだろう。朝食の準備中から来て、移動放送局プラエテルミッサの前で古雑誌に座り、最初から最後まで動かなかった。
眩しい笑顔で差し出された酒瓶には、剥がれかけのラベルがあるだけで、呪符は一枚もない。
「あ……ありがとうございます。あ、あの、ホントにいいんですか?」
「いいって、いいって。遠慮しねぇで取っといてくれよ。久々にいいモン聞かせてもらったからな。ま、キモチだ」
男性は、ガソリン入りの酒瓶を半ば押しつけるように握らせて、さっさと行ってしまった。
……ちょ……これ【耐火符】も何もナシって、ほぼ火炎瓶じゃないか。
クルィーロは冷や汗をかいた。車内に持ち込むのは怖いが、だからと言って、いつまでも手に持っていたい物ではない。
万が一に備えて、そっとトラックから離れた。
公民館の駐車場からどんどん人が減る。
「お兄ちゃん、どうしたの?」
「な、何でもない、何でもないから来るな!」
アマナが気付いて駆け寄ろうとするのを慌てて止める。
葬儀屋アゴーニも気付き、止める間もなく距離を詰められた。
「兄ちゃん、どうした?」
「それが、いいモノ聞かせてもらったお礼にって、ガソリンもらっちゃったんですよ」
「火炎瓶かよ。わかった。待ってな」
アゴーニはトラックに駆け戻り、荷台に飛び乗った。
アマナが不安げにクルィーロを見て、父の傍へ寄る。
「ほらよ。もう大丈夫だ」
アゴーニが酒瓶に予備の【耐火符】と【防火符】を貼ってくれ、クルィーロは膝から力が抜けそうになった。
どうにか礼を言うと、アゴーニは笑った。
「オバーボクでいっぱい買っといてよかったな」
オバーボク市には、湖北地方のミクランテラ島行きの定期便があり、呪符職人が多い。
湖北七王国はいずれも鎖国政策を採るが、魔法使いの国際組合【霊性の翼団】の本部を置くルブラ王国領ミクランテラ島だけは、開かれていた。
湖北地方の膨大な魔術の知識や、貴重な素材が手に入る為、オバーボク港は北への玄関口として賑う。
素材やそれを求める職人が集まることで価格競争が起き、また、オバーボクでは見習い呪符師の手による物も多く出回る為、他所より呪符の値段が安いのだ。
アゴーニは他に【魔除け】【耐寒】【耐暑】などの呪符も、たくさん調達してくれた。
もう七月だが、去年、ランテルナ島でゲリラの拠点から脱出した時のように【操水】で冷却し続けて、魔法使いたちが疲弊する心配がなくなった。
……仮設から呪符盗んでた星の標って、ホント最悪だな。
アゴーニと連れ立って、FMクレーヴェルのワゴンに歩きながら、呪符からの連想でつらつら考え、改めて憤る。
「鉱山の仕事ってなぁ、落盤なんざなくたって命を落としやすいモンなんだ」
「山の魔物とかですか?」
「そうだ。それで命の値段が安くなりがちで、細く長く生きてぇって奴より、太く短くって奴が多い土地柄なんだよ」
……それで犯罪が多くて、こんな色々雑なのか。
クルィーロは思ったが、口には出さず頷いた。
ガソリンをくれた男性は、雑ではあるが、移動放送局プラエテルミッサの番組を楽しんで、その喜びと感謝を直接、伝えてくれた。
義理堅く、親切でもあるだろう。
移動放送局が必要とする物をちゃんと考えて、差し入れに高価なガソリンをくれた。
……この街の人って、価値観が全然違うってだけで、完全な悪人って、他所と同じくらいしか居ないんだろうな。
だからあの日、ひったくり犯は通行人に成敗されたのだ。
片付けを終え、人情は厚いようだが、居心地がいいとは言えなかったカイラー市を後にした。
☆首都クレーヴェルでは爆弾テロに巻き込まれた……「709.脱出を決める」~「713.半狂乱の薬師」参照
☆レノとジョールチから、カイラー市の犯罪統計の話/公民館の駐車場に放送場所を移した時……「1020.この街の治安」参照
☆カイラー市に着いてすぐの時、自治区に似てるって言ってた……「0989.ピアノの老人」参照
☆【耐火符】も何もナシって、ほぼ火炎瓶……普通は、術を施した専用容器「130.駐車場の状況」か、呪符「0967.市役所の地下」を貼って使用する。
☆オバーボク市には(中略)呪符職人が多い……「852.仮設の自治会」「0948.術を学び直す」参照
☆ランテルナ島でゲリラの拠点から脱出した時のように【操水】で冷却……「472.居られぬ場所」「474.車のナンバー」参照




