1029.分断の阻止へ
「バルバツムの目論見?」
エレクトラが首を傾げ、頬に掛かった髪を払いのけた。大地の色の髪の少女だけでなく、緑髪の呪医や他の者たちも、怪訝な顔でラクエウス議員に視線を注ぐ。
若手議員のクラピーフニクが、みんなを代表して聞いた。
「この地域をキルクルス教化して、魔法使いの国を減らす他にも、まだ何かあるんですか?」
「うむ。植民地化だ」
「えっ? 今時、それってアリなんですか?」
中学生のファーキルが目を丸くし、当時を知る長命人種の呪医は、表情を険しくした。
クラピーフニク議員が、首を捻りながら質問を重ねる。
「そんなの国連が……バルバツムは常任理事国ですけど、他の国が黙っていませんよね?」
「無論、かつてアルトン・ガザ大陸南部に対して行ったような、完全支配による搾取と隷属ではない」
ラクエウス議員は、先程もらったばかりの紙束に視線を落とした。
大きな活字で印刷してくれたお陰で、老眼にも読みやすい。ルフス工業団地化計画の束を食卓の中央に置いて説明した。
「今朝、フィアールカさんが、姉の手紙を届けてくれた。大聖堂から派遣されたフェレトルム司祭についてだ」
バンクシア共和国の精光ルテウス大学……キルクルス教社会の最高学府を卒業した優秀な聖職者だが、歯に衣着せぬ物言いで上の不興を買ったらしく、辺境のリストヴァー自治区に飛ばされたようだ。
当人は逆に、差別と弾圧に苦しむ自治区民を救済し、道を踏み外した異端者「星の標」を何としてでも聖なる星の道に連れ戻す、と気炎を吐いているのだと言う。
ラクエウスの姉……仕立屋の店長クフシーンカの筆は、困惑に満ちていた。
フェレトルム司祭は、大聖堂が一般信者に隠し続けたことを礼拝で堂々と公表し、自治区内の元・星の標への報復が激化したと言う。
「あれっ? でも、ラクエウス先生と私たちが撮った動画も、同じですよね? 聖典に魔法の呪文が載ってるって……」
針子のアミエーラが、不安に翳る目で報告書の束を見て、ラクエウス議員に視線を移す。
姉のクフシーンカと星の道義勇軍のソルニャーク隊長、アミエーラの後輩の針子サロートカ、市民病院の呪医も動画の収録に協力した。
直後にネミュス解放軍が自治区に侵攻したが、姉の証言データはインターネットを介して、アミトスチグマの同志の許へ無事に届けられた。
「うむ。自治区ではタブレット端末を持つ者が少ないからな。それに、同じ内容でも、匿名のみんなや俗人の儂が言うより、大聖堂から来た司祭の口から語られた方が重い」
「あー……」
平和の花束の少女たちが、渋い顔で頷く。
「フェレトルム司祭は、一昨日の礼拝で、聖職者の中にも魔法使いが居ると明かし、『だから、この地の力ある民が、キルクルス教に改宗することには、何の問題もない』と言い放ったのだそうだ」
「えぇッ?」
若手議員、呪医、歌手が同時に声を上げた。フラクシヌス教徒の魔法使い三人は、驚きのあまり後の言葉が続かないらしい。
力なき民のファーキルが、大人たちに代わって聞く。
「そんなコトになったら、ラキュス湖の水位が減っちゃうって言うか、その司祭、フラクシヌス教の神話をただのお伽噺だと思ってませんか?」
「知ってるんなら、まだマシなんじゃない?」
「あー……全然知らないかもー」
アルキオーネが黒い瞳に無理解への怒りを漲らせ、アステローペが眉を下げた。
「その可能性は大いにある。フェレトルム司祭は、キルクルス教団がアーテルの工業団地計画に資金援助を行い、リストヴァー自治区でも、同様の計画が進行中だと言ったらしい」
それには、職を失った自治区民が顔色を良くした。
末端の労働者にとって、本社がどこの企業だろうと、雇用の受け皿がひとつでも増え、生活が立ちゆくなら大歓迎だ。
「それだけでなく、和平の成立後、国民が改宗して、自治区の領域を広げるならば、ネーニア島内の他の場所でも、同様の援助を行う用意がある、とも言ったそうだ」
「何ですって?」
呪医セプテントリオーが緑の目を丸くする。
真っ先にそうなるのは、隣接するゼルノー市だ。市民病院の呪医が声を荒げるのも無理はない。
「サイッテー。札束で顔ひっぱたいて、欲しかったら改宗しろって言うようなもんじゃない」
アルキオーネが憤る。
ソプラノ歌手オラトリックスのよく通る声が、質問で話を戻した。
「それが、植民地化なんですのね?」
「本国と同じ条件で雇われるなら、単なる私企業の事業拡大で済むのだがな」
「違うんですの?」
「みんなも知っての通り、この辺り……魔法文明圏では、物々交換が主流で、給料も物納が多い」
「えぇッ? それってもしかして、つまんないガラクタで払って、タダ働き同然でコキ使うってコトですか?」
「札束ですらない!」
「ウッソー!」
「最低ー……」
アルキオーネの先回りに平和の花束のメンバーが呆れる。
「大国のバルバツムをはじめ、科学文明圏の国々は、ここしばらく不景気が続いておる。デフレに次ぐデフレで物価と賃金が下がり続け、あちらの消費者は、更なる低価格を求める悪循環に陥っておるのだよ」
「それは、つまり、破格の低賃金で使える労働力を求めて、湖南地方に進出しようとしていると言うことですか?」
若手のクラピーフニク議員は、飲み込みが早かった。ラクエウス議員は頷いて続ける。
「左様。復興支援名目で入り込んだが最後、労働者への搾取が何十年も続くであろう」
「えっ? 地元の会社も復興しますよね?」
ファーキルの質問に議員二人を除く者たちが同意する。
「先に人手を取られ、信仰で囲い込まれたのでは、復興の足を引っ張られてしまう。そうなれば、雇用の受け皿が減り、限られた就職先を求め、改宗する者が増えるだろうな」
ラクエウス議員が、和平成立後の惨状を瞼に浮かべて説明すると、他の者たちは凍りついた。
開戦前までは、建物に施された【魔除け】などの維持の為、力ある民が優先的に雇用された。
力なき民に生まれた者が、後天的に魔力を身に着けるのは不可能だが、「誰でも聖者キルクルスを信仰してもいい」となれば、力ある民は、水が低きに流れるように改宗するだろう。
「このままでは、ディケアなど、湖東地方と同じ轍を踏んでしまうのですね?」
ラクエウス議員は、呪医の確認に深く頷いた。
「うむ。国家の再統合に向け、早急に行動を起こさねば、カネと信仰、二本の刃で、我が国は細切れにされてしまう」
「再統合? 元のラキュス・ラクリマリス共和国に……どうやって、ひとつの国に戻すんですか?」
ファーキルが、自分にできることはないかと身を乗り出す。
「まずは、情報収集だ。手始めにラクリマリスの世論と、アーテルの魔物や魔獣による捕食事故の統計を調べてくれんかね?」
「はい!」
少年が力強く応じる。
かつては、異なる信仰を抱いても、ひとつの国の民として共存できたのだ。
不可能ではないと信じ、それぞれの役割を確認した。
☆かつてアルトン・ガザ大陸南部に対して行ったような完全支配……「370.時代の空気が」「434.矛盾と閉塞感」「542.ふたつの宗教」「585.峠道の訪問者」「858.正しい教えを」参照
☆大聖堂から派遣されたフェレトルム司祭……「1007.大聖堂の司祭」~「1009.自治区の司祭」「1012.信仰エリート」参照
☆ラクエウス先生と私たちが撮った動画……「858.正しい教えを」~「861.動かぬ証拠群」参照
☆姉の証言データ……「887.自治区に跳ぶ」~「891.久し振りの人」参照
☆魔法文明圏では、物々交換が主流で、給料も物納が多い……「0026.三十年の不満」「330.合同の演奏会」参照
☆科学文明圏の国々はここしばらく不景気が続いて……「435.排除すべき敵」参照
☆力ある民が優先的に雇用された……「107.市の中心街で」「723.殉教者を作る」参照
☆力なき民が後天的に魔力を身に着けるのは不可能……「296.力を得る努力」参照




