1015.放送本番の夜
ロークは廃病院にポスターを貼った二日後、運び屋フィアールカと会って情報交換し、中古のラジオを受け取った。
「あのブローチは、次にクラウストラと会う時まで、クロエーニィエ店長に預けたままにしてね」
「へ? は、はい」
何だかよくわからないが、わざわざ手許に置く理由はないので、素直に頷く。
あの日は廃病院の後、クロエーニィエ店長とスキーヌムの三人で夕飯を食べた。その時、店長から恐ろしい話を聞いて、蠍のブローチのことなど頭から吹き飛んでしまった。
「あなた最近、ルフスとかに行ってるんでしょ?」
「えっ? あぁ、情報収集しに日帰りで……」
クロエーニィエ店長が太い眉を顰め、声を落とす。
「気を付けなさいよ。今、ルフスじゃ人面犬が出るって噂だから」
「人面犬?」
ロークとスキーヌムが同時に声を裏返らせ、獅子屋の客たちの視線が集まった。
「あぁ、それ、俺も聞いたぞ。頭がふたつある奴だろ?」
常連の一人が気安く話に混ざり、クロエーニィエ店長が重々しく頷く。
「そうよ。多分、人間を捕食した双頭狼だから、それなりに強くなってるでしょう。気を付けるのよ」
「護符の【魔除け】くらいじゃどうにもならなそうなんですけど、人間の頭がふたつもついた魔獣なんですか?」
ロークは想像して背筋が寒くなった。
「元は狼の頭がふたつよ。でも、食べられちゃった人の怨念とかが強いと……」
クロエーニィエはホール係を呼び止め、鎮花茶を二人前注文した。心を鎮めるお茶が来るまで、三人は黙々と定食を食べ進める。
粗方食べ終えたところにお茶が来た。
「捕食された人の苦痛や怨念が強いと、魔獣の表面にその人の一部が浮かび上がるの」
「それじゃ、その双頭狼、生きたまま二人も食べたんですか?」
「そうみたいね。犠牲者の負の念があまりにも強くて、魔獣の行動がそれに引っ張られたり、完全に乗っ取られたりってコトもあるわ」
魔法の道具屋を営むクロエーニィエ店長は、旧ラキュス・ラクリマリス王国時代には王国軍の騎士で、魔獣討伐隊の所属だった。【編む葦切】学派の職人なので、物資調達や呪符や防具などの作成、補修などの後方支援が主な任務だが、全く戦わなかった訳ではない。
現在も逞しい身体を維持し、魔獣由来の素材を調達しに行く為、時々店を閉めて出掛ける。
スキーヌムが白身魚のムニエルをキレイに食べ終え、鎮花茶の風味を胸いっぱいに吸い込んで聞いた。
「乗っ取られるって、魔獣が……ですか?」
「そうよ。食べられた人の死霊が憑くって言ったら、わかりやすいかしらね」
「そんなモノが、ルフスに?」
スキーヌムが目を見開く。
……逆に話が通じて、関係ない人は食べなくなりそうだけど、甘いかな?
クロエーニィエは、ロークの心を見透かしたように眉を下げた。
「もう食べられて死んじゃってるから、その人を助けるのは無理だし、大抵は魔獣とも意識が混ざってて、憎悪の対象だけじゃなくて、その近くに居る人とかも無差別に襲うわ」
「ロークさん、特殊部隊が駆除してくれるまで、ルフスに行かない方が……」
「そんなワケいかないよ。あの団体の動きも探らなくちゃいけないのに」
スキーヌムが涙目でロークを見る。
……泣きたいのはこっちなんだけどな。
クロエーニィエが小声で聞く。
「その団体、今はどうしてるの?」
「んー……なんか、その双頭狼の噂が出る前から、黒い魔獣を探してて、目撃情報を募集してますね」
「特に秘密ってワケじゃないのね?」
「連絡先を書いたポスター貼ってましたよ」
「あらあら……」
その日は、何とも言えない気持ちで宿に帰り、蠍のブローチのことなどすっかり忘れてしまった。
クラウストラが一緒なら最悪の場合、【跳躍】で連れて逃げてくれるだろうが、彼女も何かと忙しそうだ。「力なき民の身であまり無理するな」と釘を刺された手前、危険だとわかったルフスまで、一緒に来て欲しいなどとは言えない。
仕方なく、イグニカーンス市や周辺の小さな町で情報収集を続け、放送当日を迎えた。
すっかり寝仕度を整えたスキーヌムに声を掛ける。
「今夜は深夜ラジオを聞くんだ。うるさかったらゴメンよ」
「何の番組ですか?」
スキーヌムは、呪符屋の客が持ち込む話と、獅子屋で漏れ聞こえる噂話くらいしか情報源がなく、硬い筋の情報に飢えているようだ。
呪符屋のゲンティウス店長は、ヒマな時は新聞でも読んでろと言ってくれたが、スキーヌムにはわからないことや、できないことが多過ぎて、そんな余裕はなかった。
古新聞をもらって宿で読めばよさそうなものだが、余程疲れているのか、夕飯後は宿の部屋に戻るとすぐに寝てしまう。
「AMシェリアクって言うラクリマリスの民放局の特別番組。夜十一時半から十二時までの三十分」
「ラクリマリスの放送って聞こえるんですか?」
「フナリス群島の西島にあるから、ここでも届くんじゃないかな?」
適当に誤魔化し、フィアールカがくれた旧式ラジオのダイヤルを回して、頭に叩き込んだ周波数に合わせる。ノイズの中から人の声を拾い、ダイヤルを微調節するとアナウンサーの声がはっきり聞こえた。
「以上、ラクリマリス建設業協会の提供でお送りしました。AMシェリアク、夜のニュースの時間を終わります」
「あ、ニュース終わっちゃったね」
「特番って重要な放送なんですよね?」
まだ二十時十五分。開始まで三時間以上ある。
「歌番組ですよ」
「……好きな歌手が出るんですか?」
「フィアールカさんたちの平和を目指すグループが、アーテル領でも聞こえる局から、平和を呼び掛ける歌を流すそうです」
「僕も聞かせてもらっていいですか?」
「イヤでも聞こえるから、別にそんな許可なんて……それより、元・瞬く星っ娘が出るの、大丈夫かなって」
スキーヌムは一瞬、顔を顰めたが、すぐに表情を消した。
「瞬く星っ娘が、ラクリマリスに居るんですか?」
「フィアールカさんに聞いたんだけど……」
ロークは、瞬く星っ娘の脱退メンバーがアーテルを脱出し、アミトスチグマを拠点に「平和の花束」として活動していることを掻い摘んで説明した。
スキーヌムが黙り込んだので、話題を変える。
「このラジオ、共有にしましょう。好きな時に聞いていいですよ」
「えっ? いいんですか?」
「二人とも居る時だったら、イヤでも聞こえるし、ニュースとか知ってた方がお客さんの話題にもついて行けるし」
「そうですね。ありがとうございます」
スキーヌムの顔が明るくなり、ロークは最近話題のニュースについて語った。
放送開始の少し前にラジオを点け、ベッドに腰掛けて耳を傾ける。
スキーヌムは眠い目をこすりながら起きていた。
短いジングルに続いて、若い男性の声が明るく告げる。
「こんばんは。二十三時三十分、特別番組『花の約束』の時間が参りました。お相手はDJレーフと」
「平和の花束のアルキオーネです」
「タイゲタです。こんばんはー!」
「エレクトラです。初めましてのリスナーさんが多いかな?」
「そうかもねー。アステローペです。今夜はよろしくお願いしまーす」
DJに続いて、少女たちの弾んだ声が元気いっぱいに芸名を名乗り、スキーヌムの顔が引き攣る。
平和を目指す有志による特別番組「花の約束」は、普通の番組と同じ調子で始まった。




