1013.噴き出す不満
「ラニスタは、アーテルよりは検閲がゆるいみたいなんですけど、迂闊なコト書き込んだら、星の標に何されるかわかんないから、自主規制が凄くて、これまでネットで信仰について深い話する人って、少なかったんですよ」
「それでは、大聖堂から来た司祭が、テロの標的になるのではありませんか?」
呪医セプテントリオーが懸念を口にすると、ファーキルは少し首を傾げた。
「どうかな? 何せ、精光ルテウス大卒で、大聖堂から派遣された超エライ司祭サマですからね」
「手を出せば、自らを異端と認めるに等しい、と?」
「星の標の本部はわかりませんけど、一般人はそう思うでしょうね」
アーテル出身の少年は、世界各地のキルクルス教徒が掲示板に書き込んだ不満の声を一瞥して、フラクシヌス教徒のセプテントリオーに視線を移した。
少年の目には何の感情もない。
「だから、ラニスタの司祭は、すぐには手出しされないんじゃないかな」
「他所は……アーテルでは、ネモラリス憂撃隊に罪をなすりつけるかも知れないのですね?」
「それもありますけど、他のセンもあるんですよね」
ファーキルはニュースサイトを表示させた。
アーテル共和国の首都ルフスで発生した連続殺人事件を報じる特集コーナーだ。
ルフス光跡教会の大司教と複数の司祭、大統領補佐官や、大統領選への出馬を表明した大物政治家らが相次いで惨殺され、犯人は不明とある。
直前に現場を訪れた若い女性が、何らかの事情を知っていそうだが、警察は未だ身元も行方も掴めずにいた。
「この犯人のせいにされる可能性もあるのですね」
「えぇ。多分、魔法使いの仕業なんじゃないかと思いますけど、ルフス光跡教会は二回も現場になって、被害者も多いですからね」
呪医セプテントリオーは、遺体の状態を説明する記述に背筋が凍った。
暗殺者なら、なるべく一撃で仕留めて速やかに現場を離脱する。
だが、この犯人は浅い傷を無数に付け、なるべく被害者の苦しみを長引かせることが目的に見えた。
苦痛と憎悪によって、遺体を魔物を呼ぶ扉にしたかったのかもしれないが、今のところ、現場で魔物が発生したとの報道はないらしい。
特集ページの関連記事一覧には、それらしい見出しがなかった。
「バンクシア人の司祭は何故、わざわざこの教会に……?」
ファーキルが新たなタブを開き、ルフス光跡教会の公式サイトを表示させた。
大聖堂からレフレクシオ司祭が派遣されたとの告知、連続殺人事件の被害者への祈りと、レフレクシオ司祭の着任挨拶が並ぶ。
顔写真と略歴は大聖堂の使い回し。三人の中では最も若く、二十代半ばだ。ルフス神学校爆破テロと、連続殺人の犠牲者を悼む決まり文句と祈りの詞に、残虐非道な犯人を詰る言葉が続く。
犯人は必ず捕えられ、裁かれねばなりません。
そして、知の灯の許で全てを詳らかにし、博愛と寛容の精神で贖罪の機会を与えましょう。
私は恐れません。
まだまだ若輩者で、大司教様や司祭様方の代わりを完全には果たせませんが、皆様の信仰の灯を守る為、精一杯、努力致します。
聖者キルクルス・ラクテウス様。
闇に呑まれ塞がれた目に知の灯点し、一条の光により闇を拓き、我らと彼らを聖き星の道へお導き下さい。
……これではまるで、犯人への挑戦状だ。これも、彼の若さ故なのか。
呪医セプテントリオーは、若き司祭の着任挨拶に軽い目眩がした。
ファーキルが、アーテルの若者に人気だと言うSNSを表示する。
「この司祭が煽ったから、またルフス光跡教会が狙われるんじゃないかって、話題になってますよ」
「それなのに、彼の言葉をそのまま載せたのですか?」
セプテントリオーは呆れた。
「囮かもしれませんけどね。殺された大司教と司祭たちは、裏で色々汚いコトしてたんで、その被害者が何人も協力して、魔法使いの仕業に見せ掛けた可能性もあるし」
「教会内に手引きした者が居る可能性があるのですか」
最早、どこにどう驚けばいいかわからない程、どうしようもない事件だ。
「それと、都市伝説っぽいのが出回ってて……」
「この事件に関してですか?」
「この事件のせいで生まれた噂話なんですけどね」
少年がSNSの検索欄に「人面犬」と入力する。
一瞬で膨大な量が表示され、セプテントリオーが書き込みをひとつ読む間にも数百件の新着が溜まった。
――こないだの夜、車で光跡教会の近くを通ったら人面犬が居た。
――俺が見たのと同じかな? 狼っぽい形で尻尾細くてバイク並の大型犬。
――そうそう! それ! 顔は美女だけど、スゲー怒ってて、超怖かった!
――メス? 俺が見たの、目が赤く光ってるおっさんだったんだけど?
――多分、この後ろ姿、そうだと思うんだけど、頭が二個あったっぽく見えたような気がしなくもない。尻尾は鱗? 何か蛇っぽかった。
複数の人物がてんで勝手に書き込み、要領を得ない。
ファーキル少年が画面を下方に動かすと、写真付きの投稿が幾つも表示された。
いずれも夜間で、街灯から離れた位置を走る写真だ。
言われてみれば、尾が蛇に見えなくもないが、単にブレただけだと言われれば、そうだろうとも思う。微妙な写真が並ぶ。
頭部は不鮮明だが、少なくとも犬ではなかった。長い髪か黒っぽい布が纏わりついて、顔の形は判然としない。
よくよく目を凝らせば、角度によっては前方を睨む横顔と、俯いた頭部のふたつがあるような気がするが、暗い場所で撮影された写真は不鮮明で、頭を上下に動かした際に生じた残像だと言われれば、納得しそうだ。
「呪医って昔、軍隊に居たんですよね?」
「えぇ。軍医で後方支援でしたから、魔物や魔獣と直接戦った経験はありませんが……」
「人間の頭が二個あって、胴体が犬か狼で、尻尾が蛇って言う魔獣、居るんですか? ネットの魔獣図鑑で調べてみたんですけど、それっぽいのみつからなくて」
「もう少し、写真を見せていただいていいですか?」
ファーキル少年が、SNSの画面を切替え、画像付きの投稿だけを表示させる。
呪医セプテントリオーは、十分ばかりの間に数百件の写真を見たが、画面はまだまだ下に続き、全部でどれだけあるかさえわからなかった。
マリャーナ宅の使用人がお茶を持って来てくれた。薄気味悪い画像の群が視界に入ったのか、カップを机に置こうとした手が止まる。
「アーテルの首都でこんな魔獣がウロついてるそうなんです」
「あぁ……あっちは、やっつけられる人が居ないんでしたね」
使用人は引き攣った顔でファーキルに頷き、そそくさ引き揚げた。
二人は無言で紅茶を啜り、何となく窓に目を遣る。
夏至を過ぎ、かなり夏に近付いた。庭木が落とす影が濃い。
「あッ……!」
呪医セプテントリオーは、木陰からの連想でイヤなモノを思い出した。ファーキル少年がカップを置き、視線で問う。
「この魔獣は恐らく、双頭狼です」
「えッ? でも、図鑑じゃ頭は狼が二個でしたよ?」
「捕食された人の苦痛や無念、憎悪など、負の感情が強い場合、食べた魔獣の身体にその人の一部が現れる場合があります」
ファーキルが声もなく、画面に目を向ける。
「ネミュス解放軍がリストヴァー自治区を襲撃した際、クブルム山脈を使って住民を避難させました。その途中、小型の地蟲と遭遇しました」
「芋虫みたいな魔獣ですよね?」
「はい。遭遇したのは、人間より一回り大きいくらいの幼生でしたが、頭部に老人の上半身、胴に老婆の顔と腕が浮き出ていました」
ファーキルが息を呑む。
「じゃあ、これも、男の人と女の人が生きたまま食べられて……」
「恐らく、そうでしょう。或いは、男女どちらかの遺体を苗床に出現し、もう一方を捕食したか」
軍医だった頃、直接戦ったことはないが、そんな魔獣の死骸は何度も目にした。
犠牲者は既に食い殺され、助ける方法がないとわかっていても、人間の姿を持つ魔獣相手では騎士たちの剣が鈍り、いつも以上に負傷者が増えた。
頭部が完全に人間では、より一層やり難いだろう。
アーテル軍の特殊部隊やランテルナ島の駆除業者が、なかなか仕留められないのも無理からぬことだった。
☆アーテル共和国の首都ルフスで発生した連続殺人事件……報道「870.要人暗殺事件」「908.生存した級友」「0953.怪しい黒い影」「0957.緊急ニュース」「0967.市役所の地下」「0998.デートのフリ」、手掛かり「924.後ろ暗い同士」「925.薄汚れた教団」「0952.復讐に歩く涙」参照
☆ルフス光跡教会は二回も現場になって、被害者も多い……一回目「870.要人暗殺事件」、二回目「0998.デートのフリ」参照
☆木陰からの連想でイヤなモノを思い出した……「906.魔獣の犠牲者」参照
☆ネミュス解放軍がリストヴァー自治区を襲撃/クブルム山脈を使って住民を避難……「893.動きだす作戦」~「906.魔獣の犠牲者」参照




