1012.信仰エリート
ファーキルが画面を下方に動かし、大聖堂の公式サイトを写したファイルの後半を表示させた。
ラキュス湖南地方の紛争地帯に派遣された司祭の略歴と顔写真、本人の抱負が並ぶ。行き先は、アーテル共和国のルフス光跡教会、ラニスタ共和国最大のジンクム教会、ネモラリス共和国リストヴァー自治区の西教会だ。
一人ずつ派遣される彼らはいずれも、バンクシア共和国出身で、首都にある精光ルテウス大学の神学部卒とあった。
「キルクルス教社会の最高学府、正真正銘の信仰エリートですね」
ファーキル少年の説明に頷き、湖南語訳された各人の抱負に目を通す。
キルクルス教徒なら、常命人種だ。
顔写真を見る限り、二十代半ばから三十代半ばくらいの若い司祭ばかりで、強い使命感に裏打ちされた熱っぽい言葉が並ぶ。
リストヴァー自治区に赴くことをお許し下さり、感謝申し上げます。
異教徒の中で少数弱者として迫害を受ける人々に聖なる星の道を示し、寛容と博愛、正しい知識に基づく知恵ある行いを説く所存です。
私は、傷付いた心を癒すものは、不明の闇で真実を照らし出し、朝に続く道へ導く一条の光だと考えております。
闇の中で道を見失い、迷走する無原罪の清き民に寄り添い、知の灯を掲げて救いの道を示して参ります。
ネモラリス共和国に派遣されたフェレトルム司祭の抱負は、呪医セプテントリオーの目にも危うく映った。
呪医セプテントリオーは、旧ラキュス・ラクリマリス王国時代に生まれた長命人種だ。
キルクルス教徒と共存した時代を経験したが、湖の民で、湖の女神パニセア・ユニ・フローラの血に連なる一族の出でもある為、キルクルス教徒とは一定の距離を置いて来た。
軍医の任務でキルクルス教徒と関わったこともあるが、苦い記憶が多い。
リストヴァー自治区に派遣されたこの司祭が、標準的なキルクルス教聖職者の姿なのか、判断しかねた。
セプテントリオーがつい最近、まともに話したキルクルス教の聖職者は、リストヴァー自治区東教会の司祭と尼僧だ。
ファーキル少年が別のフォルダを開いた。
画像ファイルが表示される。湖南語で書かれた手紙の写真で、流麗な筆跡には見覚えがあった。数日前の日付で、署名はない。
「これは……仕立屋の店長さんが?」
「はい。フィアールカさんから転送されてきました。内容が内容なんで、署名はないんですけど……」
言われてさっと目を走らせる。
前半は、星の標に大切な人を殺された者たちによる復讐がやまず、教会と政府軍の治安部隊が苦慮していること、後半は、大聖堂から派遣された司祭があまりにも急進的で、自治区の信徒に動揺が走り、星の標への報復に拍車が掛かったことなどが切々と綴ってあった。
「火に油を注ぐような……何を……?」
「聖者キルクルスが禁じた術はほんの少しで、聖典には魔法がいっぱい載ってるし、魔法使いの聖職者も居るってぶっちゃけたみたいですよ」
「えッ……?」
呪医セプテントリオーは耳を疑い、言葉を失った。
前半は、仕立屋の店長クフシーンカの説明や、リストヴァー自治区の区長宅で設けられたネミュス解放軍と星の標リストヴァー支部の和平協議の席で知ったが、後半は初耳だ。
「派遣された司祭について調べたんですけど、三人とも超エリートで、こんな感じの熱血なんで、教団の偉い人は持て余してるみたいなんですよね」
「それで、敢えて、危険な紛争地帯に……?」
意に沿わぬ者を死地に追いやるやり口は、あまりにも陰湿だ。
ファーキル少年は苦笑した。
「この人たち、星の標が国際テロ組織に指定されてかなり経つのにずっと野放しだって、教団の偉い人を批難したんですよ。それで、売り言葉に買い言葉で、だったら君たちが何とかして来なさいって、放り出されたんじゃないかなって」
セプテントリオーは改めて、彼らの抱負を読み返した。
……ならば、意味がかなり変わるな。
異端者の星の標を「正しい信仰の道」に引きずり上げるのが目的なら、アーテルとラニスタはともかく、リストヴァー自治区で星の標への報復を煽ったのは、意図した結果なのか、フェレトルム司祭にとって“不慮の事故”なのか。
「しかし、そんな急に……上から押し付けたのでは、星の標だけでなく、自治区民からも反発が出ませんか?」
呪医セプテントリオーは、東教会の救護所で武装解除された星の標を治療した時のことを思い出した。
頭では理解できても、気持ちの整理がつかない限り、正しい教えであっても受け容れられるものではない。
「まぁ、それで自治区の司祭たちと、店長さんたち星道の職人さんたちは、困ってるらしいんですよ。アーテルとラニスタはネットに繋がってるから、派遣された司祭が『魔法使いの司祭が居る』ってバラした件が拡散しちゃって、これからどうなるのかなって」
「えッ……?」
「キルクルス教団は、一般信者の混乱を避ける為にその辺のコト全部、内緒にしてたんですけどね。そう言うのもよくないって、全部バラしちゃった」
ファーキルが苦い顔をする。
セプテントリオーは驚きに思考がついて行かなかった。
少年がパソコンを操作し、画面を切替える。
「それでフィアールカさんが、この際だからこっちもその件を拡散しようって言って、俺がSNSで広めてるとこなんです」
「大丈夫……なんですか?」
何がどう心配で、どんな状態を「大丈夫」とするのかわからないまま、言葉だけが唇を滑り落ちる。
ファーキルが、インターネット上の呼称「真実を探す旅人」名義で運営するアカウントは、一個人としてはかなり影響力を持っていた。
彼が開設したウェブサイト「旅の記録」を開き、共通語圏の掲示板サイトをまとめたページを表示させる。
「両輪の国とか検閲がない科学文明国じゃ、教団の矛盾は昔から散々指摘されてたんで、『知ってた』『ふーん、それで?』みたいな感じで、反応薄いですよ」
意外と冷静な反応にセプテントリオーは胸を撫で下ろした。
☆キルクルス教徒と共存した時代を経験……「369.歴史の教え方」~「371.真の敵を探す」参照
☆湖の女神パニセア・ユニ・フローラの血に連なる一族の出……「684.ラキュスの核」「685.分家の端くれ」参照
☆キルクルス教徒とは一定の距離を置いて来た……「369.歴史の教え方」「561.命を擲つ覚悟」参照
☆軍医の任務でキルクルス教徒と関わったこともあるが、苦い記憶が多い……「561.命を擲つ覚悟」「0942.異端者の教育」参照
☆つい最近、まともに話したキルクルス教の聖職者は、リストヴァー自治区東教会の司祭と尼僧……司祭「896.聖者のご加護」「897.ふたつの道へ」、「919.区長との対面」~「921.一致する利害」、尼僧「0942.異端者の教育」参照
☆仕立屋の店長クフシーンカの説明……「558.自治区での朝」~「560.分断の皺寄せ」参照
☆ネミュス解放軍と星の標リストヴァー支部の和平協議の席……「919.区長との対面」~「921.一致する利害」参照
☆東教会の救護所で武装解除された星の標を治療した時……「0943.これから大変」参照
☆フィアールカさんが、この際だからこっちもその件を拡散しようって言って……「0994.共通の知合い」参照
☆「真実を探す旅人」名義で運営するアカウント……「215.外部に伝える」「219.動画を載せる」「229.待つ身の辛さ」「324.助けを求める」参照
☆ウェブサイト「旅の記録」/共通語圏の掲示板サイトをまとめたページ……旅の記録「448.サイトの構築」「426.歴史を伝える」、まとめ「448.サイトの構築」参照




