1011.情報の海原へ
「項目別でフォルダ分けして、ファイル作って、情報源のURLと、発信日、更新日、題名と情報源の会社や団体、個人の名前と、本文全部と画像があれば、それもまとめて保存してます」
「長い記事も、必要な所だけでなく、全てなのですか?」
呪医セプテントリオーは非効率な気がして、ファーキルの説明に首を捻った。
祖国を捨てた少年は、幼い頃からインターネットに触れ、齢四百年を越える長命人種の呪医よりずっと情報の海原に詳しい。
知らないことは知らないので、年齢が三十分の一くらいの子供に物を教わることに特段の思いはない。
あるのは、少年の休日を潰してしまう罪悪感だけだ。
今日は休息日だが、マリャーナ宅のパソコンの部屋を開けてもらった。
「今してるのは、フィアールカさんに頼まれた件です」
ファーキルが、慣れた手つきでマウスを操作して「大聖堂」のフォルダを開く。司祭の派遣、リストヴァー自治区への支援、アーテル共和国への支援、星の標への対応などの文書ファイルや画像ファイルがずらりと並ぶ。
「情報の一部だけを切り取ったら、その時点で“恣意的な編集”になっちゃいますから、保存するのは全部です」
「そう言われてみれば、そうですね。新聞記事も字数の都合で、出来事の何もかもは載っていませんし」
インターネット上に開示されたもの自体が、既に誰かの手で編集された情報なのだ。それを更に切り貼りしたのでは、余計な歪が生じてしまう。
「それと、公式発表とかは一定期間経ったら消されちゃうコトが多いんで、こうやってスクリーンショット……画面の表示をそのまんまコピーしたものも、念の為に置いてます」
少年の手がゆっくりキーボードを操作する。呪医は手帳に手順を控え、礼を言った。
「俺は別にいいんですけど、呪医は折角、お休みなんだから、もう少しゆっくりすればいいのに」
「じっとしていられない性分なものですから」
ファーキル少年は苦笑して、文書ファイルと画像ファイルをひとつずつ開いた。
大聖堂のプレスリリースだ。
題名の「紛争地域への司祭の派遣について」との太字の下には、何だかよくわからない記号混じりの文字列。これが情報源のURL……インターネット上の情報の在り処を示す住所的なものだと教わった。
記事の日付は先月末で、現在は既に着任済みだ。
発表の趣旨は、キルクルス教団及び大聖堂が、チヌカルクル・ノチウ大陸西部ラキュス湖南地方で発生した国際紛争を憂慮していること、いかなる思想、信条、信仰を掲げようともテロリズムを容認してはならないとの宣言、戦争と度重なるテロにより傷付き疲れた人々の心の支え、また、真の教えを伝えて平和に導くことを目的に紛争地域へ司祭の派遣を決定した云々……らしい。
セプテントリオーは、共通語の原文を読み解くのを早々に諦め、同志が翻訳した湖南語に目を通した。
ファーキル少年は共通語がそこそこわかる。イチから作文するのは苦手だが、新聞記事程度なら辞書なしでも読め、この訳文の確認もしたと言う。
……そうでなければ、共通語圏で情報収集などできないか。
セプテントリオーは、年端も行かぬ少年に感服した。常命人種はこの世に居られる時間が短い分、長命人種よりも人生の密度が高いのだ、と今更ながら思う。
インターネットと言う新しい情報技術や、溢れる情報の選別、真贋の見極め、取扱い。四百年以上生きても、セプテントリオーにはわからないことだらけだ。
ファーキルは、何でもないことのように易々とこなし、セプテントリオーの遙か高みに居る。自然、ファーキルを“インターネットの師”と仰いだ。
「このくらい、科学文明国ならできて当然で、詐欺広告や罠のリンクを踏んでウィルスに感染したり、フェイクニュースに騙された人は馬鹿にされるんですよ」
「君くらいの子供でも、ですか?」
呪医セプテントリオーは驚いた。
幼い子供であろうと保護を与えられず、大人と同等の能力を求められ、責任を課されるなら、情報空間とやらは想像以上に殺伐とした場所だ。
「一応、ペアレンタル・コントロールって言うフィルタリングがあって、ポジティブリストに載ってるサイト以外、アクセスできないようにはできますけどね」
何を言われたかわからず、どこからどう質問すればいいのか見当もつかない。ファーキル少年は、沈黙から困惑を読み取り、説明してくれた。
「インターネットのセキュリティ会社とその子の親が、大丈夫だと思ったサイト以外、表示させない機能を使って小さい子を守ります」
「せきゅ……警備会社のようなものがあるのですね?」
「うーん……ちょっと違う気がしますけど、気分的にはそんな感じなのかな?」
「子供は守られているのですね」
セプテントリオーはホッとしたが、ファーキル少年は苦笑した。
「それを子供が勝手に外して、ゲームやポルノのサイトにアクセスして料金を請求されて、親のクレジットカードをこっそり持ち出して払って、月末に親が法外な請求書を見てびっくりするって言うのも、よくあるハナシですよ」
「それは……どうなるのですか?」
「裁判沙汰になってますね」
……親にとっては頭の痛い問題だな。
監督不行き届きで我が子がとんでもないことをしでかしたのだ。子のないセプテントリオーにも、親の後悔や悲しみ、憤りは想像がついた。
「親は、子供がしでかしたことだからって言いますけど、業者側は年齢制限を掛けたサイトにアクセスしたのが大人か子供かわかんないし、自分のじゃないクレカを勝手に持ち出したとかもわかんないワケですから。それと、クレカって家族も含めて他人のカードを使うのってフツーに犯罪ですからね。身内に許可を出した『家族カード』って言うのが別にあるんで、それをもらってない子供が、親のを勝手に持ち出したら、泥棒と同じなんです」
「あっ……!」
呪医セプテントリオーは、自分の監督不行き届きを棚に上げ、業者に責任転嫁する親が居るとは思わず、絶句した。
インターネットを介するのでピンとこなかったが、親の財布から現金をくすねて、いかがわしい雑誌の通信販売で買物をするのと同じ行為なのだ。
「親の言い分を認めたら、ホントは大人の家族がやったのに、子供のせいにして支払いをバックれる人とか出て来て、商売あがったりですよ」
「それは双方、大変ですね。科学文明国の政府は、何もしないのですか?」
「その辺の法整備がまだちゃんとしてないから、裁判で揉めるんじゃないかなって。だから、今はあちこちの国で判例を積み重ねてて、どこかの国で新しい法律ができたら、それがちゃんと機能するか、様子見してるみたいですよ」
「そんなことまで詳しいのですね」
セプテントリオーは、隣に座る少年を見た。驚きの目を向けられ、ファーキルが苦笑する。
「んー……インターネット専門のニュースサイトで、そう言う特集やってたの読んだだけで、外国の法律とか詳しいコトはわかりませんよ。法律関係の仕事の人とか法学部生とかは、このニュースをきっかけに問題の存在を知って、色々掘り下げて調べるんでしょうけど、俺はそこまでしないから浅いですよ」
謙遜ではなく、事実を述べたのだとわかったが、情報空間に不慣れなセプテントリオーは、当たり前のこととして語られて不安になった。
……だが、やると決めたのだ。
アーテル人は実際に顔を合わせて話すより、情報空間で大勢を相手に言葉を交わし、影響を与えあうことが多いらしいとわかった。
アーテル政府や軍の実際の動きだけを見たのでは、国民の真意を見誤まる。
検閲があり、国民の多様な意見が全て見られるワケではないのは承知だが、何もしないよりはずっといい。
……アーテルの音楽家団体が平和を呼び掛けたくらいだ。平和を望むアーテル人となんとかして手を取り合えないものか。
傷付いた人々の身体だけを癒しても、平和にならない限り死傷者は絶え間なく発生し、傷付いた心は癒えない。
呪医セプテントリオーは、情報の海原で人々を心身ともに癒せる希望をみつけたかった。
☆呪医は折角、お休み……「871.魔法の修行中」参照
☆アーテルの音楽家団体が平和を呼び掛けた……「328.あちらの様子」「347.武力に依らず」「371.真の敵を探す」、抗議声明「353.いいニュース」、平和を望むアーテル人「693.各勢力の情報」「703.同じ光を宿す」「803.行方不明事件」「856.情報交換の席」、平和を望む政治家「868.廃屋で留守番」参照




