1008.動かぬ大聖堂
「これは、私の推測ですが、同様の考察を行う者は、大聖堂内にも一般信者にも多数、居ります」
バンクシア共和国の大聖堂から派遣され、遙々チヌカルクル・ノチウ大陸にあるリストヴァー自治区に赴任した司祭は、そう前置きして、大聖堂が「国際テロ組織に指定された異端者」の星の標対策に動かない理由を幾つも並べた。
「理由は複数あります。まず、第一に、ここが封印の地に近いことが挙げられましょう」
「確かに、聖典にも載っておりますわね。“大いなる涙の湖の北に災厄の種子眠る”と」
クフシーンカは、共通語で聖典の一節を諳んじてみせた。
若手の司祭は老女を「流石、星道の職人さんです」と褒めそやし、大聖堂の上層部を批難する。
「大航海時代にラキュス湖が“再発見”され、聖典の記述が単なる神話ではなく、歴史的事実であると確認されました」
「えぇ、それで、その何百年か後、この地にも信仰が伝わったのでしたね」
市民病院の呪医セプテントリオーは長命人種で、アルトン・ガザ大陸の旧植民地から、民族自決の思想と共に聖者キルクルスの教えが伝来したことを「思い出」として憶えていると言っていた。
……あらっ? 再発見から布教まで、随分のんびりだったのね?
クフシーンカは、数百年の時間差に気付いた。
「嘆かわしいことに、大聖堂は当時も現在も三界の魔物を恐れ、この地に関わろうとしないのですよ」
「あら、この地にこそ、聖者様の教えが必要なのではなくて?」
三十代半ばの司祭は、老女クフシーンカの問いに苦々しく頷いた。
「私もそう思います。しかし、大聖堂は動かないのです」
「どうして偉い人は何もして下さらないんですの?」
「恐らく、この地は無原罪の清き民と穢れた力を持つ民の混血が進み、家族内にも混在するからでしょう」
「あぁ、家庭不和の原因になりますもんねぇ」
翻訳を聞いた菓子屋の妻が頷いて、元・星の標の二人をチラリと見る。
星の標は、ネミュス解放軍がリストヴァー自治区を襲撃し、彼らを異端だと断じるまで、力ある民だとわかった自治区民を大人から子供まで「殺処分」し続けた。
司祭は、元異端者の二人が石のように黙って俯くのを他所に、長椅子に座る四人の前をゆっくり往復しながら熱っぽく語る。
「対応が難しいとは思いますが、決して、それを理由に信仰の歪みを放置してはならなかったのです。その無作為は、ネミュス解放軍と名乗るフラクシヌス教徒の武装集団に『自治区民を虐げるテロ組織を殲滅する為』などと、ここを襲撃する口実を与えてしまいました」
司祭が胸の前で小さく楕円を描いて祈りの詞を呟き、四人も唱和した。
「聖典には、穢れた力を持つ者を殺せなどとは、一行たりとも記されておりません。封印の件を考えれば、すぐにわかることです」
大聖堂から派遣された司祭の言葉を訳すと、元・星の標の一人が蒼白な顔を上げた。
「店長さん、司祭様はホントにそう言ってるんですか?」
「えぇ。東教区の司祭様も、西教区の司祭様も、同じことをおっしゃったでしょう?」
「でも……なぁ?」
クフシーンカが元・異端者のテロリストの疑問を訳すと、司祭は二人の前で足を止めて、共通語で大聖堂に伝わる正当な教えを説いた。
「えぇッ?」
これには、クフシーンカも驚いた。
菓子屋の妻が翻訳をせっつく。
「司祭様、何ておっしゃったんです?」
「確かに、三界の魔物を創造したのは魔法使いですが、あれと戦い、封じ込めたのもまた、魔法使いです。穢れた力を持つ者は、我々、無原罪の清き民以上に悪しき業に手を染めぬよう、気を付けねばなりませんが、聖者様の教えに帰依することを禁じられてはおりません」
そっくりそのまま訳すと、三人は声もなく、司祭と老女を穴のあく程まじまじと見詰めた。司祭が堂々と視線を受け止めて告げる。
「大聖堂には、少数ながら、実際に魔法を使える司祭も居りますよ」
礼拝堂から司祭の声の余韻が消えても、誰も何も言えなかった。
司祭が、自治区民の四人を見回して説明を付け足す。
「混乱を招くとの理由で、一般の信者には伏せられておりますが」
「どうして内緒なんです? 最初から言ってれば、こんな……ねぇ?」
菓子屋の妻が元・星の標に批難の目を向ける。
西教区の司祭は、この部分を伏せて訳したのか、とクフシーンカは気付き、臍を噛んだ。
お喋りな奥さんと衝撃を受けた元・異端者の口に戸を建てるのは不可能だろう。
「恐らく、アルトン・ガザの南大陸を植民地化する際、教えを悪用したのでしょう」
「悪用?」
「魔法使いと我々、無原罪の清き民。南大陸にも混在していますから、現地人の対立を煽り、分断させ、地元政府の力を弱めた方が支配しやすかったのでしょう」
酷いことをと思ったが、これは何百年も昔のことだ。常命人種である力なき民の司祭に文句を言っても仕方がない。
「植民地時代が終わっても、責任や贖罪から逃れる為か、かつての悪事を明かさないまま現在に到ります。私は、これも広く一般の信者に明かし、共に贖罪すべきだと思うのですが、大聖堂は何百年もこの問題を放置してきました」
「まぁ、その辺は昔のことですし……」
菓子屋の妻が取り成すように言ったが、司祭の顔は晴れるどころかますます曇った。
「聖典が“悪しき業”とする術は、三界の魔物の再来や、大陸を穿った大破壊をもたらす極一部の術だけなのです。他の大部分の術は認められていますが、大聖堂はそれも、一般の信者に伏せているのです」
「隠すも何も、星道記にはずっと呪文や呪印が載っておりますのに?」
クフシーンカが星道の職人として言うと、司祭は悲しげに頭を振った。
「あなたはそれを、いつ、どこで、どのように知りましたか?」
「女学生の頃、実家で、力ある民の幼馴染が来た時に教えてくれましたが……」
「大聖堂があるアルトン・ガザ大陸北部には、魔法使いが殆ど居ません。つまり、それを教えてくれる人が身近に居ないのですよ」
それは、このリストヴァー自治区も、魔法使いを排除したアーテル共和国でも同じだ。
……この司祭様は、とても高い志を持って、自分の意志でここに来た人ではあるけれど、大聖堂の偉い人から煙たがられて、左遷された人でもあるのね。
急激な意識改革には反発がつきものだ。
現に元・星の標は、報復攻撃に晒されている。
厄介なことになりそうだ、とクフシーンカは先が思いやられ、こっそり溜め息を吐いた。
☆ここが封印の地に近い……「359.歴史の教科書」「542.ふたつの宗教」「557.仕立屋の客人」「860.記された呪文」参照
☆大航海時代/その何百年か後、この地にも信仰が伝わった……「370.時代の空気が」「629.自治区の号外」「858.正しい教えを」参照
☆呪医セプテントリオーは長命人種で(中略)「思い出」として憶えている……「370.時代の空気が」「585.峠道の訪問者」参照
☆この地は無原罪の清き民と穢れた力を持つ民の混血が進み、家族内にも混在……「0035.隠れ一神教徒」「070.宵闇に一悶着」「137.国会議員の姉」「325.情報を集める」「374.四人のお針子」「559.自治区の秘密」「431.統計が示す姿」「432.人集めの仕組」「590.プロパガンダ」「753.生贄か英雄か」「812.SNSの反響」「860.記された呪文」参照
※ そんな訳で、魔法使いの線引きは難しい……「545.確認と信用と」参照
☆聖典には、穢れた力を持つ者を殺せなどとは、一行たりとも記されておりません……「325.情報を集める」「542.ふたつの宗教」「557.仕立屋の客人」「629.自治区の号外」「861.動かぬ証拠群」「0944.聖典の取寄せ」「0959.敵国で広める」参照
☆アルトン・ガザの南大陸を植民地化……「369.歴史の教え方」~「370.時代の空気が」「542.ふたつの宗教」「557.仕立屋の客人」「585.峠道の訪問者」「629.自治区の号外」「858.正しい教えを」参照
☆大陸を穿った……地図参照
☆女学生の頃、実家で、力ある民の幼馴染が来た時に教えてくれました……「554.信仰への疑問」「555.壊れない友情」参照
▼不自然に丸い穴は、三界の魔物群との戦いの際、術で空いた。




