1007.大聖堂の司祭
クフシーンカは、久し振りに西教区の教会に顔を出した。
ネミュス解放軍のリストヴァー自治区襲撃で、西教区の団地地区が戦場になり、クフシーンカの仕立屋など、商業区域と団地の建物などが被害を蒙った。
幸い、教会は無事で、住む所を失った人々は身を寄せ合って急場を凌げた。
現在は、仮設住宅への入居が済み、教会の運営は平常通りだ。
あの冬以来、大火の罹災者支援事業で東教区の教会に通い、こちらの教会からはすっかり足が遠のいていた。
クフシーンカが、約一年半ぶりに西教会に来たのは、菓子屋の妻に呼ばれたからだ。
菓子屋の妻は、仕立屋のどうにか無事だった住居部分に上がると、声を潜めた。
「大聖堂が今月頭に自治区の信仰の支えにって、司祭様を一人寄越して下さったでしょ。あの司祭様がちょっとねぇ」
「イヤな人だったの?」
大聖堂はキルクルス教の中心地、リストヴァー自治区は、異教徒に囲まれた辺境の地だ。
相当高い志のある人物か、何かやらかして失脚し、左遷で嫌々来た人物か。クフシーンカには、両極端な想像しかできなかった。
彼が着任した時は、まだ教会で住民が寝泊まりしており、歓迎会と着任式はリストヴァー大学の講堂で行われた。
クフシーンカも、星道の職人の一人として出席した。
人混みに疲れて早々に引き揚げ、一言二言挨拶を交わしただけで、彼の人となりは確めていない。
寄越された司祭はバンクシア人だ。
共通語しか話せないので、お互いに何かと苦労は多いだろう。
菓子屋の妻は、首を横に振り、小さく溜め息を吐いた。
「悪い人じゃないとは思うんですけどねぇ」
「言葉がわからなくて、色々大変なの?」
「その辺は、私も共通語が堪能ってワケじゃないからお互い様だし、いいんですけどね。……まぁ、見ればわかりますよ」
道々、菓子屋の妻は何か言いたそうな顔だったが、結局、何も言わない内に着いた。
礼拝堂の前で足を止め、クフシーンカに耳打ちする。
「店長さんは共通語が達者だから、新しい司祭様が何ておっしゃってるか、後で教えて下さいな」
「西教区の司祭様は、通訳して下さらないの?」
「あの感じじゃ、かなり意訳なさってるんじゃないかと思うんですよ」
菓子屋の妻は、クフシーンカの手を引いて礼拝堂に入った。
日曜だが、朝の礼拝は終わり、説教壇の辺り以外に人の姿はない。
……前は一人でお祈りしたい人が結構残っていたのに。
団地地区の住民も、事業や暮らしの再建で忙しく、祈る暇さえなくなってしまったのか、と胸が痛んだ。
今、礼拝堂に居るのは、例の司祭と元・星の標団員が二人、銀行員の妻が司祭の斜め後ろに通訳として付き添う。
帰りたそうな銀行員の妻は、クフシーンカたちに気付いて、パッと顔を明るくした。二人に小さく手を振るが、額が後退した司祭は全く気付かず、共通語で元・星の標の二人に熱弁を揮う。
「店長さん、こんにちは。今日はお加減よろしいんですのね」
銀行員の妻が通訳をやめて声を掛けると、司祭と元・星の標の二人もやっと気付いた。男性二人が、助かったと言いたげな目を向ける。
「今日は少し涼しいですからね。お陰様で、こうして出て来られましたよ」
「ずっと家に籠ってちゃ、却ってよくないと思いましてね。ちょっとお呼びしたんですよ」
銀行員の妻が訳すと、バンクシア人の司祭は満面に笑みを広げて二人を迎えた。
「あなたは確か、星道の職人の……お元気なお顔を拝見できて嬉しいです」
「礼拝にも顔を出さずに、恐れ入ります」
クフシーンカが流暢な共通語で返すと、司祭は笑顔に安堵を混ぜた。
「奥さん、お忙しいでしょうから、後は私がお話を伺いがてら、通訳しますよ」
「あら、よろしいんですの? ありがとうございます。お言葉に甘えて」
銀行員の妻は司祭に交代の旨を伝え、返事も待たずにそそくさ出て行った。元・星の標が羨ましそうに見送り、菓子屋の妻が苦笑する。
「歳なものですから、ちょっと座らせて下さいね」
クフシーンカが、菓子屋の妻に支えられて最前列の長椅子に腰を降ろすと、司祭は元・星の標の二人にも座るよう促した。二人は、まだ話が続くのかと青くなったが、逆らわずに浅く腰掛けた。
三十代半ばだと言う司祭は、立ったままクフシーンカたちに笑顔を向ける。
「生憎、こんな有り様ですし、言葉もアレで、司祭様は何かと大変でしょう」
「いえいえ、これしきのこと。リストヴァー自治区のみなさんが耐えてこられた試練の数々に比べれば、物の数にも入りませんよ」
「まぁ、バンクシアの大聖堂にまで伝わっておりますの?」
クフシーンカが驚いてみせると、バンクシア人の司祭は深く頷いた。
「ここの区長さんが教団に出した救援依頼だけでなく、“真実を探す旅人”と名乗るフリージャーナリストの手記や、アーテルの聖光新聞の記事などで知りました」
「先にアーテルに行ってらしたんですの?」
「いえ、全てインターネット上に公開されていたものです。まさか自治区にネットの設備がないとは知らず、着任して大変驚きましたよ」
クフシーンカは、市民病院の呪医セプテントリオーと湖の民の運び屋フィアールカから、“真実を探す旅人”が彼らの仲間で、どんな情報を流しているか聞いたが、知らぬフリで司祭の驚きを湖南語に訳した。
「不埒にも“星の標”と名乗る異端者の存在は、以前から知られていましたが、大聖堂の上層部は、世俗の事件は現地の軍や警察、司法当局に任せるとの姿勢を崩さず、事実上、見て見ぬフリをしておりました」
「でも、バンクシア政府は、星の標を国際テロ組織に指定して、アーテルとラニスタもテロ支援国家だと……」
「ご存知でしたか! 流石は星道の職人ですね」
何だかよくわからない褒め方をされ、クフシーンカは曖昧な微笑を返す。褒め言葉を省略して訳すと、元・星の標の中年男性二人が身を縮めた。
彼らは、農業地区と団地地区を区切る門の警備を担当した下っ端構成員だった。
この二人の雇い主は酒屋の店主だ。星の標に家族を殺された者たちの報復で、家と店を焼かれた。辛うじて一命を取り留めたものの、まだ入院中だ。
「異教徒に囲まれているとは言え、この地に聖者様の教えが伝わってほんの数百年で、ここまで信仰が歪められてしまうとは、実に嘆かわしいことです」
「そうですわね。私も半世紀の内乱中に星の標が結成されてから、ずっと心を痛めておりました」
「そうでしょうとも。信仰を深く理解すればする程、彼らの視野の狭さや独自解釈の異端ぶりがよくおわかりでしょう。何としてでも、彼らを正しい聖なる星の道に引き戻さねばなりません」
クフシーンカは頷いて、司祭の熱弁をそのまま訳した。
菓子屋の妻が驚いた目を元・星の標に向ける。
「しかし、大聖堂の上層部はそれを知りつつ、彼らの間違った信仰を正そうとはしませんでした」
「何でほったらかしたんです?」
菓子屋の妻の質問を訳すと、バンクシア人の司祭は、よくぞ聞いてくれたと勢い込んだ。
☆ネミュス解放軍のリストヴァー自治区襲撃……「893.動きだす作戦」~「906.魔獣の犠牲者」参照
☆クフシーンカの仕立屋など、商業区域と団地の建物などが被害……「918.主戦場の被害」「0940.事後処理開始」参照
☆あの冬以来、大火の罹災者支援事業……「294.弱者救済事業」「372.前を向く人々」「373.行方不明の娘」「406.工場の向こう」「418.退院した少女」「419.次の救済事業」「420.道を清めよう」「442.未来に続く道」「453.役割それぞれ」「480.最終日の豪雨」「550.山道の出会い」参照
※“真実を探す旅人”と名乗るフリージャーナリスト
ファーキルがSNSで使う名。真相を知らない人々には子供だと思われてない……「188.真実を伝える」「215.外部に伝える」「290.平和を謳う声」「421.顔のない一人」「435.排除すべき敵」「499.動画ニュース」「865.強力な助っ人」参照
☆リストヴァー自治区にネットの設備がない……「276.区画整理事業」「505.三十年の隔絶」「630.外部との連絡」参照
☆バンクシア政府は、星の標を国際テロ組織に指定……「338.遙か遠い一歩」「369.歴史の教え方」「492.後悔と復讐と」、バンクシア政府「560.分断の皺寄せ」「625.自治区の内情」「629.自治区の号外」「811.教団と星の標」「858.正しい教えを」参照
☆アーテルとラニスタもテロ支援国家……「687.都の疑心暗鬼」「0993.会話を組込む」参照
☆星の標に家族を殺された者たちの報復……「0991.古く新しい道」参照
☆半世紀の内乱中に星の標が結成……「858.正しい教えを」参照
▼大聖堂は、バンクシア共和国にある。




