1005.初めての樫祭
今日は夏至。
昨日から明日までは樫祭で、王都ラクリマリスは、主神フラクシヌスの偉業を讃え、その守護に感謝を捧げ、永遠の安寧を祈る善男善女で溢れる。
アミエーラにとっては、リストヴァー自治区を出て初めて迎えるフラクシヌス教の大祭だ。
朝から忙しく、祭の出店を楽しむどころか、信仰の中心地で行われる儀式の全体像も把握できなかった。
外国からも参拝者が集まり、王都どころかグロム市など周辺のホテルまでいっぱいだ。
今月半ばから月末までは、王都周辺への【跳躍】が制限され、増便された魔道機船の利用が推奨される。
アミトスチグマの夏の都から、王都ラクリマリスに向かう船で、大伯母カリンドゥラが教えてくれた。
「跳んで、出た先に誰か居たら、ぶつかって危ないでしょ」
規制範囲には【跳躍】避けの結界が巡らされ、王国軍や警察など、治安維持で働く者にのみ【跳躍許可】の呪符が支給される。【跳躍許可符】は結界毎に個別に必要で、同じ【跳躍】避けでも、別に掛けられた結界には、それに対応する別の【跳躍許可符】を作らなければならない。
「職人さんにとっては、書き入れ時なんだけどね」
「コピーできないのに大変……」
アミエーラは膨大な作業量を想像して、気が遠くなりそうになった。
二人が船室でそんな話をする間、生まれて初めて魔道機船に乗った平和の花束の四人は、全く揺れない船に驚き、甲板で風景を眺めてはしゃいでいた。
今、アミエーラと歌手ニプトラ・ネウマエこと大伯母カリンドゥラ、歌手オラトリックス、平和の花束は、王都の第二神殿に用意された控室で、衣裳の着付けに大忙しだ。
「私のリボンどこー?」
「こんなコトなら、ムリにでもサロートカちゃん連れてくればよかった!」
そんな声が飛び交うのは、衣裳をひとつの箱に詰めて別送した為だ。
戦争中のネモラリスとアーテルの間に位置するラクリマリスが湖上封鎖を実施。ラキュス湖周辺各国は、船舶や航空機で輸送できなくなった。輸送を【跳躍】に切り替えた為、【無尽袋】が品薄になり、価格が高騰した。
支援者のマリャーナは、それでも、いつも何かと気前よく、様々な物や資金を用意してくれる。
「だからって、あんまり厚意に甘えるのもねぇ」
アルキオーネが、衣裳は当日間に合いさえすればいいから、なるべく安く送ってマリャーナの負担を減らそう、と提案した。
みんなも、平和の花束のリーダーの意見を尤もだと思い、賛成した。
梱包したのは、衣裳を作った針子のサロートカだ。
「私は、キルクルス教徒なんで……」
アミエーラの後輩は、困った顔に淡く微笑を混ぜて、フラクシヌス教の聖地への同行を断った。
……私は成り行きで国を出て、大伯母さんと会って、力ある民として生きるって決めたけど、あのコは違うものね。
自分の意志で呪医セプテントリオーに同行し、何が正しいのか確める為にリストヴァー自治区から出て来た。
外の世界に触れても聖者キルクルスへの信仰を失わず、クフシーンカ店長から預かった星道の職人用の聖典を読み進めているらしい。
サロートカはラクエウス議員同様、飽くまでもキルクルス教徒として、武力に依らず平和を目指す活動に参加しているのだ。
湖の民の呪医と共にラクリマリス領を通過する間、彼女が何を見てどう思ったのか、アミエーラは聞いていない。
すっかり仲良しになったアステローペには、打ち明けたかもしれないが、仕立屋の先輩として立ち入ったことを詮索するのはどうかと思い、何も言わなかった。
どうにか着付けを終えると、待ち構えていた女性たちの手で化粧を施され、髪を整えられる。
鏡の中で別人のように華やかになった姿をじっくり見る暇はなく、本番直前の舞台練習に走った。
第二神殿の舞台にギリギリで駆け込むと、ギームン神官がホッとした顔で七人を迎えた。楽団の前で、男性パートとアルトが整列して待つ。
「チケットは完売しましたよ。立ち見もできるだけ入れる予定です。さぁ、こちらへ」
「遅くなりまして恐れ入ります」
ニプトラ・ネウマエが深々と頭を下げ、アミエーラたちもそれに倣った。ギームンがテノールの列に加わる。
ソプラノの七人が揃ったところで調律が止んだ。
照明や音響の係員も加わり、本番と同じ通し練習が始まった。
薄暗い客席で、運び屋フィアールカと数人の神官が何かの機械を操作する。
舞台からはよく見えないが、アミトスチグマでの新年コンサートと同じで、舞台練習を保険に撮り、本番をユアキャストに載せるのだろう。
通し練習が終わり、一旦、幕が下りる。
先程の女性たちが舞台袖から駆け寄り、舞台に立つ者たちの髪と衣裳を整えて、慌ただしく化粧を直した。
幕の向こうから、足音と人のざわめきがくぐもって聞こえる。足音が次第に少なくなり、人々の囁きが引いてゆく。
やがて、咳ひとつ聞こえなくなり、幕の向こうに五千人以上も居るとは思えない静寂が訪れた。
幕の向こうで、司会者がお決まりの口上を述べるのが、右から左へ抜けてゆく。
プロの六人は元より、素人のアミエーラも、慈善コンサートや難民キャンプでの呪歌を何度もこなし、人前で歌うことに抵抗がなくなった。
大勢の中の一人としてなら、堂々と歌える。
開戦前には、自治区から出ることも、魔法の服を着ることも、大勢を前に歌うことも、魔法の国の都で舞台に立つことも、何もかもが、夢にも思わなかった。
前奏と同時に幕が上がり、拍手に迎えられたニプトラ・ネウマエが、アミエーラの隣から舞台の中央へ歩み出る。
大伯母のソロが響き渡ると、席を埋めた観客たちは、魅入られたように手を止めて聞き入った。
アミエーラが何故、フラクシヌス教の大祭で歌うのか。
キルクルス教を捨てた「改宗」の証としてではない。
……一歩でも、平和に近付けたいからよ。
あのトラックに乗り、移動販売店プラエテルミッサの一員として活動するようになってから芽生えた大きな望み。トラックを降りた今も抱き続け、大勢と出会い、共に活動して大きく育った願いだ。
ひとりひとりの力は小さくとも、みんなの願いがひとつになれば、叶う筈だ。
この歌のように。
アミエーラは、大勢のバックコーラスの一人として、一曲目を歌い上げた。
☆衣裳を作った針子のサロートカ……「804.歌う心の準備」参照
☆成り行きで国を出て、大伯母さんと会って、力ある民として生きるって決めた
国を出て……トラックに拾われ「186.河越しの応答」「191.針子への疑念」、ファーキルの情報で「201.巻き添えの人」「202.ネットの環境」、ラクリマリス領へ「203.外国の報道は」参照
大伯母さんと会って……「540.そっくりさん」「548.薄く遠い血縁」「549.定まらない心」参照
力ある民として生きるって決めた……「592.これからの事」「593.収録の打合せ」参照
☆あのコは違う/自分の意志で(中略)自治区から出て来た/湖の民の呪医と共にラクリマリス領を通過……「583.二人の旅立ち」~「585.峠道の訪問者」「604.失われた神話」「605.祈りのことば」「631.刺さった小骨」~「633.生き残りたち」「676.旅人と観光客」~「683.王都の大神殿」参照
☆すっかり仲良しになったアステローペ……「0959.敵国で広める」参照
☆ギームン神官……「593.収録の打合せ」「594.希望を示す者」参照
☆アミトスチグマでの新年コンサート/慈善コンサート……「813.新しい年の光」参照
☆難民キャンプでの呪歌……「927.捨てた故郷が」~「929.慕われた人物」参照
☆大勢の中の一人として……ファーキルも「421.顔のない一人」参照
▼ラキュス湖南地方 湖上封鎖の範囲




