1004.敵の敵は味方
魔法使いの少女が病院の廃墟に残したのは、ラジオ番組の放送予告だった。
魔装兵ルベルは、遠くラキュス湖を隔てたランテルナ島から、対岸のイグニカーンス市に【索敵】の目を凝らす。椅子と植木に貼られたポスターを何度も読み返したが、どんな暗号が隠されているのかわからなかった。
行方不明事件の現場を訪れる物好きは、少ない。もし、本当にラジオ番組の告知をしたいなら、もっと人目につく市の中心街に貼るだろう。
ルベルは、廃病院前の道を徒歩で通るのが何者か考えた。
まずは周辺住民。この先の自宅へ帰るには、必ず通らなければならない。
一部の警察官。捜査打切り後も使命感の強さから諦めきれず、再訪する可能性は否定しきれない。だが、ネモラリス憂撃隊の対応や、彼らが脱獄させた囚人などの対応があり、暇ではなさそうだ。
行方不明者の身内や友人知人の方が、訪問頻度は高そうだが、遮音壁に穿たれた小さな穴に気付き、覗いて、放送の周波数を控えて帰って、深夜にラジオを聞く可能性がどのくらいあるだろう。
ポスターの存在に気付いたなら、藁にも縋る思いで深夜放送に耳を傾けるかもしれないが、生憎、彼らはもうこの世には居ない。
……悪戯にしては、手が込み過ぎなんだよな。
ルベルは行方不明者からの連想で、人捜しの少年を思い出した。
あれ以来、一度も顔を合わせていない。纏わりつかれるのが煩わしく、在室か、宿の近くに居ないのを【索敵】で確めてから行動するようになったからだ。
相当な金持ちなのか、どこかで稼いで来るのか不明だが、黒髪の少年はまだこの宿に居た。
……あの美人も、どこかで何かマズい物を見て、誰かに消されたかも知れないんだよな。
ラズートチク少尉は予定通り、アーテル共和国の首都ルフスから、地下街チェルノクニージニクの宿に戻った。
ルベルの報告に数秒で決断を下す。
「明るい内に現地を確認し、魔哮砲への給餌は現地で判断しよう。夕飯は店で食べる予定だったが、屋台で調達して持参する」
明朝には戻るので、部屋は引き払わない。
二人で通路へ出ると、久し振りに例の少年と鉢合わせした。
ルベルは深緑色の瞳と視線を合わさぬよう、隣を歩く少尉に顔を向けて世間話を振った。上官と一言二言交わす間にすれ違う。食事を終えて戻るところらしく、微かにスパイスの香がした。
背後で扉の開閉音がして、ルベルは数歩進んでから肩越しに振り向く。少年はルベルに関心を示すことなく、部屋に引き揚げた。
「知り合いか?」
「いえ、実は……」
ルベルが手短に事情を語ると、ラズートチク少尉は苦笑した。
「その対応で問題ないが、今後は、そのようなことがあれば、必ず報告するようにな」
「申し訳ありません」
地下街で軽食を調達し、イグニカーンス市の廃病院に跳躍した。
ラズートチク少尉は、ルベルに買物袋を持たせ、椅子に貼られたポスターをタブレット端末で撮った。木に貼られた分も確認し、遮音壁に穿たれた穴に目の高さを合わせて振り向く。
少尉は唇を笑みの形に歪め、ルベルから夕飯入りの買物袋を受け取った。
「面白いことになってきたな。中で話そう」
少尉は部下の肩を掴んで【跳躍】した。
「まずは、腹拵えだ。魔哮砲も出してやれ」
「了解」
小瓶の底面に記された合言葉を唱えると、闇の塊が解放され、【従魔の檻】が砕けた。
ラズートチク少尉が【操水】で茶色い破片を回収し、廃病院に残された見舞い用の椅子二脚もついでに洗う。【無尽の瓶】に水を片付け、ルベルにも座るよう促した。
「この部屋の雑妖を食え」
魔装兵ルベルが食事の許可を与えると、飢えた魔哮砲は病室を這い、まだ薄い雑妖を瞬く間に平らげた。
日は傾いたが、夜には間がある。
ルベルは、まだ食べ足りない使い魔を足下で待機させ、自分の夕飯に取り掛かった。
「あの周波数は、AMシェリアクだ。知っているか?」
「いえ」
「ラクリマリスの民放で、本局はフナリス群島の西島にある」
説明する少尉は嬉しそうだが、ルベルには何がそんなに楽しいのかわからない。
足下の闇が小さく波打ち、廊下に凝り始めた雑妖を見詰める。
ラズートチク少尉は、サンドイッチをひとつ食べ終えると、首を傾げる部下に説明を続けた。
「ラクリマリス領内で最もアーテル領に近い局だ。我々が本土の基地を破壊した為、受信妨害できん」
「では、本当にラクリマリスの放送を聞かせる為に? でも、それならもっと人目につく場所に貼った方がよくありませんか?」
思い切って疑問をぶつけると、上官は苦笑した。
「放送まで、まだ日数がある。大っぴらに知らせたのでは、受信妨害の復旧を急がせてしまう」
「しかし、こんな所で……誰も見なければ、意味ないと思うんですけど……」
ルベルの声が次第に小さくなり、語尾が消える。
魔哮砲の一部がぬるりと伸び上がり、ルベルの膝の上に乗った。あたたかくやわらかな塊を撫で、上官の答えを待つ。
「ここを訪れる者だけに知らせたいなら、これで充分だ」
「行方不明者の関係者ですか?」
「カクタケアのファンだ」
「かく……なんですか?」
少尉は二個目のサンドイッチを頬張り、タブレット端末に指を走らせた。向けられた画面には、「冒険者カクタケア聖地巡礼地図」とある。
……キルクルス教の聖人か何かなのか?
「青少年に人気の娯楽小説だ。ファンの層は瞬く星っ娘と重なる」
「小説、ですか?」
「ファンの間で、小説の舞台となった場所を訪れることを“聖地巡礼”と称するらしい。瞬く星っ娘は、アーテルで国民的人気を博し、キルクルス教圏でそれなりに知名度のある歌手だ。昨年、キルクルス教の信仰を捨てると宣言して行方を晦ませたが、“平和の花束”を名乗り、アミトスチグマで活動を再開した」
ルベルは、敵国の娯楽情報にまで精通する陸軍情報部の少尉をまじまじと見詰めた。
「その二人の所属は不明だが、力ある民ならばキルクルス教徒ではない。信仰を捨てた大物歌手の歌と呼掛けをアーテルの若者に聞かせようと言うのだ。少なくとも、キルクルス教団にとっては敵だろう」
「フラクシヌス教団か、ラクリマリス王国が動いたんですか?」
「何故、そう思う?」
ルベルは問い返され、ぐっと詰まったが、なんとか考えを述べた。
「ラクリマリスの放送局ですし……【索敵】で見てる時は、ネモラリス憂撃隊かもしれないと思ったんですけど……」
「お前も早く食べて魔哮砲にも食わせてやれ」
「は、はい!」
ルベルがチキンフリッターに齧り付くと、少尉はドライフルーツをつまみながら言った。
「戦争で不景気だからな。民放局の放送枠は、カネさえ出せば買える。王国政府が何かするなら、もっとわかり難い形を取る」
「どうしてですか?」
「新たな火種を作れば、平和を取り戻すどころか、ラキュス地方全土を巻き込みかねん」
ルベルは二個目を頬張ったまま頷いた。
「憂撃隊は、最初の声明文以降、マスコミを利用しておらん。多くは焼け出されて、全てを喪った者たちだ。放送枠を買える程のカネがあれば、暮らしの立て直しに使いたいだろう」
「では、何者が?」
「さぁなぁ? 報告は上げておこう。明日は基地へ行き、受信妨害装置の復旧を阻止する。今夜中にしっかり食べさせておけ」
「了解」
「何者か知らんが、敵の敵は味方のようなものだ」
ラズートチク少尉は上機嫌で、紙コップに食後のお茶を淹れた。
☆魔法使いの少女が病院の廃墟に残したのは、ラジオ番組の放送予告……「0995.貼り紙の依頼」参照
☆ネモラリス憂撃隊の対応や、彼らが脱獄させた囚人など……「265.伝えない政策」「344.ひとつの願い」「801.優等生の帰郷」参照
☆彼らはもうこの世には居ない……「799.廃墟の侵入者」「800.第二の隠れ家」参照
☆人捜しの少年/纏わりつかれる……「923.人捜しの少年」~「925.薄汚れた教団」、纏わりつかれる「0945.食下がる少年」参照
☆我々が基地を破壊した
イグニカーンス基地「814.憂撃隊の略奪」~「816.魔哮砲の威力」参照
ベラーンス基地/テールム基地「838.ゲリラの離反」~「840.本拠地の移転」参照
フリグス基地「0956.フリグス基地」「0965.ネットで連絡」参照
☆冒険者カクタケア聖地巡礼地図……「795.謎の覆面作家」参照
☆最初の声明文……「618.捕獲任務失敗」参照




