1003.廃病院の二人
……何で居るんだよ?
魔装兵ルベルは、【索敵】の術で拡大した視界で、廊下に佇む少年少女の姿を捉えた。
ラズートチク少尉が、アーテルの首都ルフスからランテルナ島の宿に戻るまで、まだ二時間程ある。
ルベルは、地下街チェルノクニージニクの宿から【索敵】で、対岸にあるイグニカーンス市の廃病院を偵察中だ。
いつからそこに居るのか、無人の廃墟で高校生くらいの少年少女が見詰め合う。【索敵】では音を拾えず、会話の内容まではわからなかった。
以前、ラズートチク少尉が始末した若者たちよりずっと軽装で、少女に到ってはワンピースだ。季節柄、薄着なのは仕方がないが、デートにでも行くような恰好なのは、流石にどうかと思う。
……まさか、本当にこんな所でデートなのか?
冬の「行方不明事件」以来、厳重に囲いが巡らされ、立ち入れなくなった。
人目を忍ぶにはイイかも知れないが、普通に考えれば、危険な場所だ。
別れ話なのか、ここに来てから揉めたのか、二人の表情は険しい。
……そもそも、どこから入り込んだんだ?
工事用の遮音壁には二カ所だけ扉が設けてあるが、どちらも鍵が掛かっている。扉の傍に細い隙間はあるが、人間が通れる幅ではなく、せいぜい、小型の蛇や蜥蜴くらいなものだろう。
早く立ち去らなければ、また「行方不明事件」が発生してしまう。だが、ルベルには、二人が早く帰るのを祈りながら、見守ることしかできなかった。
願いが届いたのか、二人が歩きだす。廊下に満ちる薄汚い靄のような雑妖が道を譲り、二人の周囲だけが明るく視えた。
……何だ。ちゃんと【魔除け】を……いや、そんな、まさか!
アーテル人なら、キルクルス教徒だ。【魔除け】の護符は魔力の供給がなければ発動せず、呪符は力ある言葉で呪文を唱えなければならない。
ランテルナ島ならいざ知らず、アーテル本土では、どちらも禁制品だ。本土の住民は、そんな物を手に入れること自体、難しいだろう。
二人は他の部屋には目もくれず、まっすぐ医局に入った。まるで、最初からそこが目的地で、この廃病院を熟知しているかのように足取りには迷いがない。
少女がポケットから何か取り出し、冴えない少年に渡した。少年は数歩退がって廊下に戻る。
……廃業前に入院したコトがある? いや、患者は、医局になんて入れてもらえないよな?
少女がポシェットから小瓶を取り出す。蓋を開けると、小瓶の容量を遙かに上回る水が流れ出た。盥一杯分程の水が、生き物のように床を這い回り、ゴミや細かい瓦礫、ガラス片を集める。
ルベルは目を疑った。
……何でアーテル人が【無尽の瓶】を?
しかも、あの水の動きは明らかに【霊性の鳩】学派の【操水】――魔法使いなら常識として誰でも知っていて、小学生でも使える初歩的な術だ。
少なくとも、少女は力ある民で【魔除け】を唱えたか、護符を持っているのだろう。もしかすると、あのワンピースはルベルたち同様、外から見えない部分に呪文や呪印を仕込んであるのかもしれない。
廊下に出た少年は、六月だと言うのに左手にだけ革手袋を着けていた。
……じゃあ、あれは【守りの手袋】?
ならば、軽装なのも頷ける。侵入経路はなく、院内に直接【跳躍】したのだ。
……封鎖前から出入りしてたのか?
長命人種の力ある民で、ネモラリス憂撃隊の一員である可能性に思い至り、ルベルは掌に汗が滲んだ。
水が部屋の中央で渦巻き、掻き集めたゴミなどを窓際に少しずつ排出する。少女が、宙に浮く水塊から何かを摘まみ取り、残りのゴミを一気に排出させた。
清水を【無尽の瓶】に戻し、嬉しそうに微笑んで少年に振り向く。
二人で何事か話し、少女が手の中の物をふたつに割って、元に戻してみせた。探し物をみつけたようだが、少女の手に握り込まれ、【索敵】の視界では捉えられない。
……あれっ? この部屋って、確か……?
あの夜みつけた「もう一組の侵入者」の一人が居た部屋だ。もう一人が上の階で見張りをし、魔哮砲を目撃してしまった。この部屋に居た男は、タブレット端末で誰かと連絡を取り合っていた。
……何だっけ? ……工場にガサ入れが入って、一時間後に代理を寄越す、だったかな?
ラズートチク少尉が、若者グループと中年男性二人を始末し、直ちに現場を離脱したので、後で代理人とやらが訪れたかどうか、確認しなかった。
何らかの事情で当日に行けず、翌日以降に行ったなら、行方不明事件の捜査で警官が出入りし、立ち入り難かっただろう。ほとぼりが冷めるのを待って、あの男が残した何かを回収に来たのだとすれば、辻褄が合う。
話が終わったらしく、二人はしっかりした足取りで廊下を進んで待合室に出た。玄関扉は板が打ち付けられ、行止まりだ。
少年が、受付の事務室から椅子を持って来て、少女と手を繋ぐ。
数呼吸後、二人の姿が消えた。
……やっぱり【跳躍】だ。
どちらが唱えたのか不明だが、最低一人は魔法使いなのは間違いない。
術で移動されたのでは、追跡できなかった。ルベルは少しホッとして、【索敵】の視線を廃病院に巡らせる。
今夜にも、あの二人や仲間が再訪するかも知れず、魔哮砲の餌場は変更した方がよさそうだが、判断するのは魔装兵ルベルではなく、ラズートチク少尉だ。
院内には今のところ他に侵入者はなく、魔物や魔獣も居ない。日が沈めば、雑妖の存在が濃度を増し、いい餌場になりそうだが、恐らく、変更になるだろう。
ルベルは小さく溜め息を吐いて、前庭に視線を移した。
……まだ居る!
二人は持ち出した椅子に何かを貼り付けた。花壇から煉瓦を外し、事務椅子の車輪を囲んで固定する。
少女が植え込みに入り、木の幹にも何かを貼り付けた。どうやら、ポスターらしい。
遮音壁を指差した少女の唇が動く。白いパネルに小さな穴が穿たれた。
……【鳥撃ち】か? 何でそんな穴……ポスターを見せる為?
それなら、遮音壁の外側、歩道に面した場所に貼った方が、宣伝効果は高い。
魔法使いの仲間への伝言なら、穴を穿つ必要はない。
……誰に何を伝えたいんだ?
再び手を繋いだ二人の姿が消える。【索敵】で敷地内を隈なく捜したが、みつからなかった。今度はどこかへ引き揚げたらしい。
魔装兵ルベルは、二人が残したポスターに目を凝らした。
☆廊下に佇む少年少女……「1000.廃病院の探索」参照
☆ラズートチク少尉が始末した若者たち/あの夜みつけた「もう一組の侵入者」……「799.廃墟の侵入者」「800.第二の隠れ家」参照
☆行方不明事件……「803.行方不明事件」参照
☆少年は、六月だと言うのに左手にだけ革手袋を着けていた……「742.ルフス神学校」「1000.廃病院の探索」参照




