1002.ポスター設置
ロークは二歩後ろをついて行きながら聞く。
「どんなプログラムだったか、教えてもらっても大丈夫ですか?」
「特定サイトのブロッキングを解除するアプリだ」
クラウストラはあっさり教えてくれたが、ロークには全く理解できず、どう質問していいかさえわからなかった。
二人が歩みを進めると、廊下に充満する雑妖の薄汚い靄が、左右に分かれて道を開ける。
「アーテル政府は、国内から外国の特定のウェブサイトへのアクセスを遮断している。そのひとつを解除する小さな不正プログラムだ」
「ひとつだけでいいんですか?」
「あまり大掛かりなものでは、ウィルス対策ソフトに引っ掛かるし、端末の使用者にも存在を気付かれてしまう。時が来るまで気付かれずに潜伏できる小さなモノだ」
……なんだかよくわかんないけど、小さな不幸を呼び寄せる呪いみたいなもんなのかな?
だが、偶然や気のせいで片付けられるイヤがらせのようなものなら、わざわざ探しに来ないだろう。
「ユアキャストを閲覧できるようになる不正プログラムだ」
「えっ?」
クラウストラはロークの驚きに振り返らず、廃病院の外来待合室に出た。
この向こうは玄関だが、窓と扉は板で塞がれている。廊下の窓から射し込む午後の光で、辛うじて視界を確保できた。
クラウストラが呪文を唱える。さっき耳にした【索敵】だ。
邪魔しないように黙って考える。
ユアキャストには、虚実入り混じった無数の動画が、世界中から集まる。
どこかの政府や行政機関の公式発表や、報道機関の動画ニュースなどのお硬いモノから、瞬く星っ娘のようなプロの音楽家のプロモーション動画、アマチュアの音楽や演劇もあれば、企業の公式やコマーシャル、映画の予告編、動物の可愛い仕草や、何かを作る工程、良い子が真似してはいけないおフザケ……
動画の種類も数え切れないくらいあり、とても一言では言い表せない。
毎日たくさんの動画が投稿され、長命人種でも全て見られないだろう。
そこには、自由と混沌があった。
……アーテル人にそんなの見せてどうする気なんだろう?
「正門付近には誰も居ない。手袋を着用し、事務所の椅子を一脚、失敬しよう」
「どうするんです?」
「そろそろ日が傾く。作業後に説明しよう」
ロークはラテックスの手袋を着け、鞄をクラウストラに預けた。受付の事務室に入り、キャスター付きの椅子を一脚、待合室に押して行く。
クラウストラも手袋を着け、小瓶を出して待ち構えていた。【操水】で椅子を洗ってロークの鞄を乗せる。
「手を繋いで【跳躍】で玄関前に出る」
片方の手袋を脱いで彼女の手を握る。
喋り方はソルニャーク隊長に似ているが、白い手は少女の外見通り、やわらかく温かかった。
玄関前に出ると、雲がほんのり夕日に染まり、暑さも和らいでいた。
クラウストラが耳慣れない呪文を唱え、工事用の白い遮音壁を指差す。パンッと乾いた音に続いて一枚が僅かに揺れた。
「捜索依頼のポスターの横に覗き穴を開けた」
「あ、わかりました。穴から見えるとこに椅子を置いて固定して、ポスターを貼るんですね」
「そうだ」
クラウストラが鞄を持ち、ロークは事務椅子を抱えて移動する。車輪にブレーキを掛けて固定し、座面も留め具を降ろして回らないようにする。念の為、花壇の煉瓦を車輪の周囲に並べた。
彼女が背もたれにテープでガッチリ貼り付け、覗き穴の隣に立って見え方を確認する。遮音壁に近い植木の幹にもポスターを貼り、同様に覗き穴を穿った。
「節穴があれば、覗いてみたくなるのが人情と言うものだ」
「一人でも、写真撮ってファンフォーラムに公開する人が居れば、あとはスゴイ勢いで広まりそうですね」
「カルダフストヴォー市まで送ろう」
「ありがとうございます」
今から自力で帰ろうとしても、南ヴィエートフィ大橋を渡る最終バスに間に合わない。ロークは素直にクラウストラと手を繋いだ。
跳んだ先は西門で、釣り人たちが釣果を語り合いながら、夕日を浴びる防壁に吸い込まれる。
「今日は色々ありがとうございました」
「なかなか見所はあるが、力なき民の身であまり無理せぬようにな。では、また会おう」
クラウストラは再び【跳躍】を唱え、何処かへ姿を消した。
一人になったロークは門の脇に立ち、今日の首尾を手短にフィアールカとラゾールニクに報告した。
待ち合わせして、観光スポットに行って、お昼を食べて、映画を観て、肝試しスポットに行って、街に戻って解散――と言えば、まるでデートだが、彼女が淡々と用をこなす姿は、アクイロー基地でのソルニャーク隊長に似ていた。
流行のかわいい服に身を包み、人目のある場所では「デート中の女子高生」を完璧に演じたが、廃病院に着いた瞬間からガラリと態度を変え、甘い空気は吹き飛んだ。
……そうだ。隊長さんだけじゃなくって、フィアールカさんにも、雰囲気似てるんだ。
もしかすると、ロークが思った以上に年季の入った魔女なのかもしれない。
ポケットに戻したばかりの端末が震えた。
――お疲れ様。蠍はどうしたの?
運び屋フィアールカだ。
心を読まれたようなタイミングに冷や汗をかいて返信する。
――クラウストラさんが持って帰りました。
代わりに目印用の赤い蠍をもらいました。
――そう。じゃ、蠍を郭公に預けて帰ってちょうだい。
詳しい話は明後日、聞きに行くわ。
――了解。
タブレット端末の電源を切り、夕日に背中を押されるように門を潜った。
「クラウストラが、これを、私に?」
「預かって欲しいって言ったのは、フィアールカさんです。明後日来るって言ってました」
魔法の道具屋“郭公の巣”の店主クロエーニィエは、事情がよく飲み込めないのか微妙な顔をしたが、蠍型の真紅のブローチを戸棚の抽斗に片付けた。
「久し振りに、晩ごはん一緒にどう?」
「じゃ、鞄置いてまた来ます」
ロークは【化粧】の首飾りを外してゲンティウスの呪符屋に戻った。
☆アクイロー基地でのソルニャーク隊長……「459.基地襲撃開始」~「466.ゲリラの帰還」参照
☆人目のある場所では「デート中の女子高生」を完璧に演じた……「0996.デートのフリ」「0997.目標地点捕捉」参照




