1001.蠍のブローチ
廊下はロークの周囲以外、薄汚い靄が漂う。
カクタケアの聖地巡礼をするファンたちは、【魔除け】の呪符や護符も持たずにこんな所まで侵入したのだ。
……行方不明の原因って何だろう?
この病院が廃業したのは、中庭が異界と繋がり、魔物が涌いた為、安全上の理由で封鎖が決定したからだ。
ランテルナ島の魔獣駆除業者に依頼せず、ただ封鎖して移転した。キルクルス教徒としては「正しい対応」なのだろうが、勿体ない話だ。
アーテル軍でさえ、アクイロー基地襲撃作戦で、警備員オリョールたちが【召喚符】で放った魔獣の処理をランテルナ島民に頼った。
病院はそんな業者に伝手がなかったのだろうか。
……あれっ? でも、今、その魔物だか魔獣だかって居ないよな?
いつの時点で居なくなったのか。
……行方不明の原因、魔物じゃないなら、ゲリラ?
もしかすると、行方不明者がここに来たこと自体が、嘘かもしれない。
スキーヌムのように魔力があると気付いた若者たちが、フィアールカのような運び屋に依頼して、魔法文明国に家出した可能性もある。業者が真っ当に働いたか、カネを巻き上げて依頼人を湖に沈めたか、神のみぞ知る。
……あー、でも、それだとフィアールカさんの仲間が行方不明になった理由は、わかんないのか。
「あった」
少女の声で振り向いた。
クラウストラが水塊に混ぜた物を一気に排出し、【無尽の瓶】に清水を戻して会心の笑みを浮かべる。
ロークは、【化粧】の首飾りが作り出した仮初めの顔だとわかっていても、可愛いと思ってしまったことにうっすら罪悪感のような物を覚えた。
「警察、見落としてたんですね」
「行方不明者の端末……GPSと言って、わかるか?」
「えっと、位置情報でしたっけ?」
「そうだ。警察は、GPSで中央階段まではログを追跡でき、侵入口から記録にあった移動経路だけを捜索して、踊り場で行方不明者の指紋付きの鉄パイプを回収した」
「クラウストラさん、そんなコトまで知ってたんですか」
それにしては、この廃病院を知らなかった風なのが腑に落ちない。
「チケット購入の順番を待つ間、他の同志にここで発生した事件について調べてもらった。アーテルの警察には魔装警官が居ない。最低限の場所だけ調べ、一カ月程度で捜索を打ち切った」
「このブローチを持ってた人って、どうなったんですか?」
警察の捜査資料を見られる立場、或いは警察のパソコンをネットワークのどこかから覗ける人物が仲間にいるらしい。
ラゾールニクに紹介されたからか、クラウストラは初対面にも関わらず、随分詳しく教えてくれた。
「わからん。……君も、これから関係するだろうから、教えておこう」
ロークが、一体何を言われるのかと身を固くすると、彼女は灰色の蠍をふたつに割った。ロークは息を呑んだ。
蠍の下半身の断面から、端子のような物が突き出る。
上半身は蓋らしい。
クラウストラは悪趣味な蓋を付け直し、灰色の蠍をポシェットに仕舞った。
「そちらは単なる装飾品だ。今後、待ち合わせする際の目印に使って欲しい」
「わかりました」
クラウストラは、ロークが赤い蠍のブローチを鞄に片付けるのを見届け、説明を再開した。
「中身はウィルスだ」
「えっ? 病気になる……あの、ウィルスですか?」
「コンピュータやタブレット端末などにUSB……こう言う着脱式のメモリや、インターネットの回線を経由して、使用者や管理者の許可なく密かに送り込み、無断で実行する不正プログラム……理解できるか?」
「うーん……パソコンや端末が故障して、病気みたいになるってコトですか?」
運び屋フィアールカが、端末をくれた時に色々教えてくれたが、一度にたくさん言われた為、覚え切れなかった。
「概ねそのようなものだ。故障だけでなく、情報の抜き取りや書き換え、データへのアクセスを遮断して身代金を要求するもの、遠隔操作でタダ働きさせるものなど、色々な種類がある。ここで行方不明になったのは、アーテル人の同志だ。不正プログラムの開発に協力してくれていた」
「裏切って逃げちゃったとか?」
「彼らは自分に魔力があることで悩み、三カ国の統合を夢見て我らの仲間になった」
「キルクルス教徒……だったんですか」
「そうだ。我々は彼らに開発拠点を用意し、そこを“工場”と呼んでいた。彼らとバルバツムの同志を繋ぐ連絡役は、私とは別の同志だ。ここで定期的に会い、データと情報の遣り取りを行っていた」
ロークは首を傾げた。
「インターネットで連絡するんじゃなくて、直接なんですか?」
「彼らに魔術の手解きも行うからだ。それに、万が一、アーテル軍のサイバー部隊や警察の電脳課にみつかっては厄介だ。大事な用件は直接会って話した方が、漏洩の危険性が下がる」
ロークは肝が冷えた。
これまで何度も、アーテル軍に知られてはマズい情報をフィアールカたちとインターネットで遣り取りしてしまった。
「我々の端末は、国外で契約した架空の人物名義のヤミ端末だ。活動時には【化粧】の首飾りで顔も変える。アーテルの警察が捕えるのは難しかろう」
「あれっ? その人たちのは違うんですか?」
一瞬、安心しそうになった自分に「油断するな」と言い聞かせて問う。
「彼らは自分名義の端末に違法アプリを入れて検閲を突破していた。我々との遣り取りは一応、通信データに暗号化と偽装を多重に施していたが、念には念を入れてな」
「その人たちの行方、警察は」
「現在も追跡中だ」
「えっ?」
クラウストラは顔色ひとつ変えずに続ける。
「どこで嗅ぎつけたのか、工場に家宅捜索が入った。情報を掴んだ連絡役がパソコンなどを完全に破壊して証拠を湮滅し、彼らに別の者を寄越すと連絡して、逃れた」
「代理の人はどうなったんですか?」
「約束の時間から一時間ほど遅れてここに到着したが、彼らは既に居なかったそうだ。まさか【灯】を点けるワケにもゆかず、その夜は引き揚げたが、翌日から警察が行方不明者の捜索を始めた為、ほとぼりが冷めるのを待つことになった」
淡々と語られる説明に幾つも疑問が浮かぶ。
「連絡役と代理人は、クラウストラさんじゃないんですね」
「私はずっと別件で動き、この件はかなり後になってラゾールニクさんから聞いた。二人は無事に逃げ果せ、時機を待つ間に別件が入り、今はそちらが忙しい。それで私にお鉢が回ってきた」
「ラゾールニクさんたちも、プログラム作る人たちがどこ行ったか、わからないんですね?」
「立ち寄りそうな場所は全て当たってみたそうだが……これを【鵠しき燭台】にでも掛けられればよいのだが」
クラウストラは、ポシェットを片手で押さえて歩きだした。
☆行方不明の原因……「799.廃墟の侵入者」「800.第二の隠れ家」参照
☆病院が廃業したのは、中庭が異界と繋がり、魔物が涌いた為……「803.行方不明事件」参照
☆アクイロー基地襲撃作戦で、警備員オリョールたちが【召喚符】で放った魔獣……「460.魔獣と陽動隊」参照
☆魔獣の処理をランテルナ島民に頼った……「519.呪符屋の来客」「520.事情通の情報」参照
※GPSについてのロークの理解度……「763.出掛ける前に」参照
☆運び屋フィアールカが、端末をくれた時に色々教えてくれた……「0965.ネットで連絡」参照
☆バルバツムの同志……大勢居る。
口座の名義貸し……「440.経済的な攻撃」参照
聖典の調達者……「0958.聖典を届ける」参照
不正アプリ開発者……「589.自分の意志で」「0993.会話を組込む」参照




