1000.廃病院の探索
二人は十階に上がり、映画館のチケット売り場に並んだ。
年齢は高校生でも、ルフス神学校の学生証を置いて来たので、学割は使えない。あったところで、「行方不明者」のロークが使えば足が着く。しかも今は、【化粧】の首飾りで顔を変えてあり、証明写真とは似ても似つかない姿だ。
クラウストラがクーポン券を提示した。
「このペア割って学割と一緒に使えますか?」
「ごめんねー。他の割引とは併用できないのよー」
「えぇっ? どうする?」
クラウストラに話を振られ、ロークは慌ててみせた。
「ゴメン! 学生証、忘れて来た」
「もーッ! じゃあ、これでお願いしまーす」
係員は苦笑してペア割料金を受け取り、当日券を寄越した。
世界的に有名なバルバツム連邦の会社が手掛けた「微妙な映画」だ。
一作目で人気が爆発し、シリーズ化が決まったが、回を重ねる毎にマンネリ化が進み、直近の三作はいずれもシリーズ興行収入最下位を更新した。
コアなファンや派手なアクションシーンを好む層に支えられ、前作までは辛うじて製作費を回収できたらしいが、赤字転落は時間の問題だと囁かれる。
アーテル共和国への配信は、本国から二年遅れ。
加えて戦争と湖上封鎖の影響で失業者が溢れ、たった一年で映画どころではない世帯が増えた。
二人はガラガラの館内で最後列中央に座り、上映を待つ。他の客は前方に偏り、中列にもちらほら居るが、それより後ろはロークとクラウストラだけだ。
照明が消え、上映が始まる。二人は映写室から死角になる位置だ。
銀幕では、主人公が事件に巻き込まれ、派手なカーチェイスが始まった。
シリーズの設定がわからないロークには、主人公が何者なのかもわからない。説明不足でご新規さん置いてけぼりだが、迫力のあるカーチェイスシーンには、男心をくすぐられた。
車に突っ込まれた店が大破し、銃撃戦が始まる。
ロークは武闘派ゲリラの訓練を思い出し、主人公と悪役の素人丸出しの戦い方に苦笑した。
クラウストラが、肘掛けに置いたロークの手に掌を重ねる。ロークは身を固くした。車が盛大に爆発する音に紛れ、彼女が呪文を唱える。
一呼吸もしない内に、ロークは見知らぬ部屋で尻餅をついた。服の埃を払って立ち上がる。
……そっか。椅子なくなるんだから、身構えてなきゃいけなかったんだ。
転ばなかったクラウストラが、表情のない声で言う。
「彼氏のフリ、お疲れ様」
「いえ、こちらこそ、彼女のフリで色々誤魔化して下さって、ありがとうございました」
ペコリと頭を下げる。
黒髪の少女は事務的に応じた。
「お互い様だ。あれ系の場所は、一人では何かとやり難い。今日の用件は放送告知のポスター貼りと、ブローチの回収だったな?」
「はい。でも、中に貼っても誰も入れ……アーテルの力なき民じゃ入れないんですけど、どうしましょう?」
薄暗い室内には、剥がれ落ちた内装材の破片や、不法侵入した浮浪者やカクタケアファンが残したらしきゴミが散らばる。
午後四時前。
雑妖は汚い靄のように薄く、二人の周囲を避けて通り、ここだけ明るく見えた。
「それは問題ない。先程【索敵】で確認した際に考えた。それより、日がある内にブローチを探そう」
「その【索敵】の術で探せないんですか?」
クラウストラは、魔術に疎い力なき民にイヤな顔ひとつせず、教えてくれた。
「あれは本来、遠くの魔物や魔獣を発見する術だ。望遠鏡で菌やウィルスを探すようなものだと言えば、わかるか?」
「はい。無理ですね。すみません」
「構わん。念の為、私の傍を離れるな」
「了解」
ロークは鞄から【守りの手袋】を出し、【魔力の水晶】を握って【不可視の盾】を唱えた。合言葉を設定しただけで、今は盾を展開しない。
クラウストラが深い藍色の目を瞠った。
「そんな物まで持っていたのか」
「色々あって……でも、武器はないんで……」
「万が一、事が起こった場合、無理せず私の指示に従え」
「はい。よろしくお願いします」
ロークは、クラウストラの物言いがソルニャーク隊長と重なった。
彼女は力ある民で、長命人種だ。
祖国を憂う元軍人で、ネモラリス憂撃隊やネミュス解放軍ではなく、ラゾールニクたちの武力に寄らず平和を目指すボランティアに加わったのだとしても、何の不思議もない。
二人は廊下に出た。
「彼の待合わせ場所は別の部屋だった」
クラウストラが力ある言葉を唱えたが、特に何も起こらない。何をしたのかと隣を見ると、彼女はどこか遠くを見るような眼差しを周囲に巡らせていた。
……魔法で何か見てるのか。
話し掛けず、廊下の先を見る。
雑妖は居るが存在が薄い。思ったより場の空気は暗くなく、閑かだ。
「今、ここには我々だけだ。囲いの内部に魔物や魔獣、他の侵入者は居ない。外部で五人組が写真を撮っているが、すぐ移動するだろう」
「あぁ、【索敵】でしたっけ?」
「そうだ。跳ぶ前に見られればよかったのだが、余裕がなかったのでな」
確かに、発砲音や爆発音に紛れてでなければ、詠唱の声を誤魔化せなかっただろう。迷子の館内放送がなければ、【跳躍】先の状況も調べられないところだった。
ロークが思わず冷や汗を拭うと、クラウストラは口角を上げた。
「あれは、同志が虚偽の届けをしたのだ」
心を読まれたような気がしてうっすら怖くなったが、表情を消してついて行く。
「当時の待合わせ場所はこの医局。捜し物はこれの色違い。灰色のブローチだ」
クラウストラが、ポシェットから真紅の蠍型ブローチを取り出した。妙にリアルで、大きさは大人の中指くらい。あまり趣味のいいデザインとは言えない。
「私が捜そう。君は念の為、廊下で見張りを頼む」
「了解」
ロークは、灰色の事務机とキャビネットが残る部屋に入らず、渡されたブローチを掌で弄びながらクラウストラを見守る。
彼女はポシェットから小瓶を取り出し、聴き慣れた【操水】の呪文を唱えた。盥一杯分くらいの水が流れ、ゴミや石膏ボードの破片などが散らばる床を這い回る。
……俺、別に居なくていいんじゃないかな?
見張りと言われても、つい先程、彼女自身が【索敵】で院内を隈なく調べ、他の侵入者や魔物などが居ないと確認したばかりだ。
力なき民のロークが居たのでは、却って足手纏いだ。【跳躍】先さえ確認できれば、彼女一人で来た方が余程捗るだろう。
水がゴミや細かな瓦礫、ガラス片などを掬い取り、床を空にした。濁った水塊が部屋の中央で渦を巻き、窓の下に少しずつ内容物を排出する。
……あ、そっか。ネモラリス憂撃隊だ。
今のクラウストラは【操水】に集中して無防備だ。
万が一、武闘派ゲリラが【跳躍】して来て鉢合わせすれば、戦うどころか逃げるのも無理かもしれない。
院内は窓ガラスが全て割れて風通しはいいが、ロークは背中がじっとり汗ばむのを感じた。
☆「行方不明者」のローク
冬休みにスキーヌムの実家からランテルナ島に渡った……「843.優等生の家出」~「847.引受けた依頼」参照
同級生に嘘の身の上話を吹き込む……「908.生存した級友」「910.身を以て知る」参照
☆ロークは武闘派ゲリラの訓練……「366.覚悟はあるか」~「368.装備の仕分け」、「388.銃火器の講習」~「390.部隊の再編成」、「407.森の歩行訓練」「408.魔獣の消し炭」「416.ゲリラの錬度」「428.訓練から脱走」「436.図上での訓練」「437.別の調達経路」「441.脱走者の帰還」参照
☆当時の待合わせ場所はこの医局/灰色のブローチ……「799.廃墟の侵入者」参照




