0999.目標地点捕捉
南ヴィエートフィ大橋の袂を出発した路線バスが、イグニカーンス市の中心部に人を置いて行く。
祝日の商業地区は、戦争中とは思えないくらい賑い、ロークは複雑な気持ちで見回した。
所々シャッターが降り、閉店の貼り紙はあるが、住宅街付近の個人商店が軒を連ねる商店街のような悲愴感や辛気臭さはない。物資不足と物価高騰による困窮の影は見えず、人も店も明るかった。
バス停で流し読みした新聞には、キルクルス教団と世界中の信徒から、アーテル共和国に寄付金が送られたとの記事があった。
……分配が偏ってるんだろうなぁ。
新たな聖地巡礼スポットとなった商業ビルはガラス張りで、物販店と飲食店、映画館が入居する。廃病院がよく見えるのは、七階から九階の飲食店フロアにある通路の窓だ。
ロークとクラウストラは、エレベーター内で「昼食を何にするか」など他愛ない会話を軽やかに転がし、高校生カップルを装う。
七階で降りると、エレベーターホール右手に人集りがあった。
少年と若い男性が大半で、女性はほんの一握り。全員が大きな窓に貼り付いて、タブレット端末を外に向ける。
窓を背に自分たちを撮るグループや、エレベーターホールのあちこちで撮れた写真を見せ合うグループができ、ちょっとしたお祭だ。
家族連れや大人の客たちは、怪訝な顔で彼らを避けて通るが、何も言わない。
若者たちは大声で騒ぐワケではなく、窓辺で写真を撮るだけだ。通行の妨げにならないよう、人が来れば仲間内で声を掛け合って通路を開ける。
店舗へ続く通路脇に立つ警備員は眠そうだ。特に他の客とトラブルになったことはないらしい。
「すっごい混んでるね。どうする?」
「うーん……おなか空いてる?」
ロークは腕時計をチラリと見た。昼食にはまだまだ早い。
クラウストラが首を横に振り、二人は撮影の順番を待つ行列に加わった。
「ねぇ、カクタケアのシリーズどこまで読めた?」
「えっ? いや、あの、まだ、五巻までしか……」
「もー。全部読んでって言ったじゃない」
二人は冒険者カクタケアのファンを装う会話をしながら、目は油断なく他の客と警備員を窺う。
ここに集まる若者たちには、戦争の影が見えなかった。
ロークはルフス神学校に居た頃、インターネットで無料公開部分と、ウルサ・マヨルたちがくれた四巻と五巻までは読んだ。
設定資料集は買ったが、ウルサ・マヨルの見舞い品として渡し、全く目を通さなかった。
……戦争のせいで倒産や閉店が増えて、失業者が溢れても、ハラの足しになんない娯楽系の本、出すんだな?
「じっくり考察しながら読みたいんだ」
「後の巻で新事実がわかったりするし、最新刊までばーっと読んじゃってから考察した方がよくない? まだ買ってないんなら、あげよっか?」
「えっ? 貸すじゃなくて?」
「自分で読む用と布教用と寄付用。フツー三冊ずつ買うでしょ? ダウンロード版は一端末一回で貸せないし」
常識のように言われ、ロークは驚くと同時に、以前、ショッピングモールの無料送迎バスや教室で、神学生たちにも言われたのを思い出した。
クラウストラが、いつから平和を目指す活動に加わったのか知らないが、「ガチ勢の擬態」は完璧で、付け焼刃には見えない。
傍目には、彼氏をこっちの世界に引き込んだ彼女に見えるだろう。
「じゃあ、次会う時に六巻だけ貸してもらっていいかな?」
「え? 何で? 六巻から最新刊まで全部一冊ずつあげるよ?」
キョトンとされ、ロークは困惑した。
まさか、本当に三冊ずつ所持して、潜伏場所で置き場に困っているのだろうか。
「いいよいいよ。六巻一冊だけで。重いだろ? 配達は送料掛かるし、続きはじぶ」
「愛の前には重量などないも同然なのだー!」
クラウストラが、ネタにされ続ける五巻の台詞を口にすると、周囲のファンたちがニヤけた笑いを向けた。
「私は早くネタバレ気にしないで語りたいの!」
「じゃあ、君んちに行ってもいい?」
「お父さん居る時に来たら、その場で結婚しろって言われちゃうよ?」
「それはまだ、ちょっと早いって言うか……」
クラウストラはかなり詳細に「アーテル人の女子高生」の人物像を作り込んでいた。
……まだ、俺を信用できないから、潜伏先は教えられないってことだよな。
ロークを信じるに足ると判断しても、「ランテルナ自治区から来る力なき民」の彼が何度も出入りしたのでは、そこから足が着くかもしれない。
「お父さんの予定、調べて送るね」
「うん、ありがとう」
そんなことを言う間に順番が回ってきた。
二人で大きな窓に貼り付き、ファンフォーラムで見た廃病院を探す。
ごちゃごちゃ建て込んだ街並だが、イグニカーンス市は段丘地形だ。中心街より高い位置にある目標地点はすぐにみつかった。
ロークはタブレット端末の望遠を最大にして何枚も撮る。遠過ぎて上手くピントを合わせられず、もどかしい。
大音量のチャイムに続いて店内BGMが切れ、迷子を知らせる館内放送が響く。
「本日もご来店いただきまして誠にありがとうございます。ご来店中のお客様に迷子のお知らせを申し上げます」
クラウストラが早口に何か囁くが、放送に紛れて聞き取れない。
「今、何て?」
彼女は無視して囁き続ける。抑揚で力ある言葉だと気付き、ロークはギョッとした。思わず警備員を見る。
業務用のタブレット端末を食い入るように見詰め、窓際の若者たちには全く注意を払わなかった。若者たちも宙を睨んで放送に耳を傾け、彼女の囁きに気付いた者は居ないようだ。
BGMを止めた迷子の放送は、大音量で三度繰り返された。
クラウストラや数人の若者は迷子騒ぎに無関心だ。窓に貼り付いて動かない。警備員は端末を見ながら、店舗が並ぶ区画へ大股に歩いて行った。
肘を指先でつつかれて振り向くと、クラウストラがにっこり笑って言う。
「じゃ、見れたし、お昼にしよっか」
「そ、そうだね。イイ天気でホントよかった」
七階から九階までの全飲食店を回り、九階のピザ屋でやっと空席をみつけた。
ここにも、小麦価格の高騰による値上げを詫びる貼り紙がある。
一枚の値段は据え置きで、大きさを元の三分の一にした実質値上げだ。実物大の見本が厚紙に印刷され、注文カウンターに貼ってある。
ルフス神学校で見たCD-Rより一回り大きいくらいだ。二人でサラダとスープ付きのセットを頼み、並んで座る。
卓上にタブレット端末を並べ、それぞれテキストエディタを起動した。
――上手く撮れませんでした。すみません。
――問題ない。【索敵】で内部まで確認した。現在、魔物や魔獣は居ない。
ロークは思わず、左隣のクラウストラを見た。
「ピザ、早く焼けないかなー」
可愛く言いながらつつく端末に文字が次々現れる。
――雑妖は多い。【魔除け】はあるか?
ロークは頷き、たどたどしく文字を打った。
――護符と呪符があります。
――食後、映画館の闇に紛れて現地へ跳ぶ。
二人はカップルのフリで、今日の上映時間と作品の前評判を調べた。
☆インターネットで無料公開部分と、ウルサ・マヨルたちがくれた四巻と五巻までは読んだ……無料公開部分「794.異端の冒険者」「795.謎の覆面作家」、四巻と五巻「796.共通の話題で」参照
☆設定資料集は買ったが、ウルサ・マヨルの見舞い品として渡し……「908.生存した級友」参照
☆自分で読む用と布教用と寄付用/無料送迎バスや教室で神学生たちにも言われた……「764.ルフスの街並」「795.謎の覆面作家」「796.共通の話題で」参照
☆ごちゃごちゃ建て込んだ街並/イグニカーンス市は段丘地形……「809.変質した信仰」参照
☆値上げを詫びる貼り紙……「0966.中心街で調査」参照




