0998.デートのフリ
今日、アーテル共和国では何かの祝日らしい。
バス停の行列は短く、仕事着ではない人が大半だ。
ロークは腕時計を見た。
廃病院方面へ向かうバスが来るまで、まだ十分くらいある。
……迷ってる時間なんてないな。
タブレット端末に指を走らせた。
――もう、イグニカーンス市に居るんだ?
今、どんな顔? 写真送ってくれる?
ラゾールニクからすぐに返信が来た。端末のカメラで自分を撮って返信する。
ローク自身、今日の自分が【化粧】の首飾りでどんな顔になったのか、見ていなかった。どこか抜けていそうな冴えない顔立ちで、すれ違った次の瞬間には忘れ去られそうな雰囲気だ。
――わかった。今から市内の同志に行ってもらう。
黒髪の女性で、女子高生くらいに見えるけど、長命人種だ。
今日はどんな顔かわかんない。目印に薔薇の髪飾りを着けてってもらう。
三十分くらいそこで待っててくれ。
了解の旨を返信し、売店で紙の新聞を買った。
首都ルフスの連続殺人事件の続報が一面の大部分を占め、残虐な犯行と、犯人の手掛かりや、関係するらしい女性の行方を未だ掴めずにいる警察を批難する記事が並ぶ。
第一の事件はルフス教区の大司教、第二の事件はレプス大統領補佐官、第三、第四の事件は次の大統領予備選に出馬表明したばかりの大物政治家、第五の事件は大司教の部下だったルフス光跡教会の司祭が一晩に三人も殺され、第六の事件では国家議長が殺害された。
九人はいずれも、夜間に自宅や宿舎で殺され、家人らは誰も不審な物音などを聞かなかったと言う。
遺体の損傷は激しいが、内臓に達する深い傷はなく、兇器の特定もまだだ。
政治家と聖職者は、なるべく一人にならないよう自衛するが、第六の事件は入浴中の僅かな時間を突いた浴室での犯行だった。
……これ全部、ポーチカさんとゲリラの【涙】が?
あれ以来、ヂオリートとは顔を合わせていない。
まだ地下街チェルノクニージニクに居るのか、実家に帰ったのか、ルフス神学校へ戻ったのか、シルヴァの勧誘に応じてネモラリス憂撃隊の拠点に行ったのか。
お互いの宿や連絡先を交換しなかったので、居所も全くわからなかった。
どこでどうしているか気にはなるが、ロークにはどうすることもできない。
フィアールカの依頼すら、一人では満足にこなせないのだ。
……他人の心配なんてしてる場合じゃないよなぁ。
溜め息混じりに目を通した新聞を鞄に片付ける。
通りの向こうからバスターミナルに歩いて来る少女の姿が見えた。
ポケットで端末が震える。ラゾールニクだ。
――そろそろ着くと思う。青い薔薇の髪飾りの女の子。
――来ました。
――呼称はクラウストラ。じゃ、後はヨロシク。
ロークが了解と返して顔を上げると、黒髪をふたつに分けて括り、結び目に青い薔薇の髪飾りを着けた少女と目が合った。
外見は確かにロークと同年代くらいだが、ラゾールニク曰く、同志クラウストラは長命人種だ。今日は【化粧】の首飾りで若く見える顔立ちになっただけで、本当はもっと大人っぽい顔立ちかもしれない。
……アウェッラーナさんよりちょっと年上に見えるってコトは、少なくとも百歳くらいは行ってる魔法使いってコトだよな。
クラウストラはにっこり微笑んで小さく手を振り、ロークに駆け寄った。
ふんわりした膝下丈のロングワンピースに幅広のベルトを締め、やや丈の短いオリーブ色の薄手のカーデガンを羽織る。肩にカーデガンと同色のポシェットを掛けた恰好は、アーテルの女子高生の間で流行のありふれた組合せだ。
「ローク君、お待たせ。遅くなってゴメンね」
「あっ、いえ、今、来たとこなんで……」
クラウストラが横に並んでするりと腕を組み、ポシェットから出した端末をロークに向ける。ラゾールニクから彼女に宛てたメールで、ロークが先程送った顔写真もあった。
少女の手が画面を走り、テキストエディタを起動する。
クラウストラ。力ある民よ。
今日はデートする高校生のフリで通して。
ロークは端末から目を上げ、ぎこちなく頷いた。
「ね、今日行くカクタケアの聖地ってどんなトコ?」
「廃病院なんだけど、冬に行方不明事件があったせいで入れなくなっちゃって」
「えぇー? つまんなーい。って言うか、その人たち、まだみつかんないの?」
実年齢は不明だが、【化粧】の首飾りが作ったあどけなさの残る顔立ちもあり、どこからどう見てもミーハーな女子高生だ。
ロークは本物の男子高校生として、彼氏を演じた。
「うん。一度に四人? あれっ? 五人だったかな? 何せ結構な人数が行方不明になって、神学生も混じってたし、警察や身内が大勢で頑張ったけど結局みつからなくて、一カ月くらいで捜索を打ち切って、今は誰も入れないように厳重に囲われて……もうムリだよ」
「思い出した! そこって、中庭に魔物が涌いて廃業したトコでしょ?」
「うん。だから、食べられたとか、ネモラリス人のゲリラに攫われて悪しき業の生贄にされたとか、生きてない系の噂が多いんだ」
「やだー、怖ーい! ね、ホントに行くの?」
不安げに見上げ、ロークの腕にふっくらした胸を押し当てる。
何学派の使い手か不明だが、クラウストラは確実に力なき民のロークより強い。なかなかの演技力だ。ロークは腕の感触から意識を引き剥がし、動揺を押し殺して答えた。
「行かないって言うか、行けないからね。行ったってどうせ入れないし、きっとあの辺、防犯カメラ増やしただろうし、塀を乗り越えたら、お巡りさんすっ飛んで来るんじゃないかな?」
「どうするの? どっか別のとこ行く? 聖アストルム教会とか、光の導き教会とか?」
クラウストラは、冒険者カクタケアのファンフォーラムを確認済みらしい。
すらすら出て来るカップルらしい会話に合わせ、ロークは微笑んだ。
「最近は、廃病院がよく見えるとこが人気スポットなんだ」
商業ビルの名称を告げると、彼女は深い藍色の瞳を輝かせた。
「じゃ、そこから見て、お昼食べて、それから映画観よう」
廃病院方面のバス停から、イグニカーンス市の中心部へ向かう路線のバス停へ移動する。
「映画? 何観たい?」
「んーっとね、行ってから二人で決めよっか? ……私、ゆっくり観れるのがいいなぁ」
「うん。二人で決めよう」
バスの最後部の席に並んで座り、端末をつついて軽く打合せをした。
☆首都ルフスの連続殺人事件……大司教「870.要人暗殺事件」「908.生存した級友」「924.後ろ暗い同士」、レプス大統領補佐官「0957.緊急ニュース」「0967.市役所の地下」参照
☆あれ以来、ヂオリート……「923.人捜しの少年」~「925.薄汚れた教団」、待合せ場所に来なかった「0952.復讐に歩く涙」参照
☆カクタケアの聖地/聖アストルム教会とか、光の導き教会……ファンが作った聖地巡礼地図「795.謎の覆面作家」、聖アストルム教会は武闘派ゲリラに焼かれた「313.南の門番たち」「801.優等生の帰郷」、光の導き教会「841.あの島に渡る」「843.優等生の家出」「846.その道を探す」参照
☆冬に行方不明事件があった……「803.行方不明事件」参照




