0997.居場所なき者
「日記の記述から研究所の位置を割り出し、調査した結果、研究員はそこで星の標に殺害され、腥風樹の種子がアーテル軍に渡った」
この研究室を【鵠しき燭台】で詳細に調べたところ、当初の予定では、星の標が首都クレーヴェルで決起する際、都内の要所に植える計画だったと判明した。
「えっ? そんなコトしたら、誰も住めなくなるじゃないですか!」
「ネモラリス島民は、七割方が湖の民だ。湖水に守られ、腥風樹は島外に出られん」
ネモラリス島民を根絶やしにする計画だったと教えられ、ルベルは呆然とした。
「だが、パジョーモク議員が方便に使った“万が一”が現実のものとなった為、計画を変更し、アーテル軍に渡したのだ」
ラズートチク少尉の重い声が、ランテルナ島の地下街チェルノクニージニクの宿に低く響く。少尉が巡らせた術で、通気孔などから声が漏れる心配はなかった。
「ラクリマリスにも、少数ながら、力なき民が居る」
半世紀の内乱からの和平で国を分けた際、ラクリマリス王国は魔法文明を重視する両輪の国として再出発した。
キルクルス教徒が国内に留まることを許さず、ネモラリス共和国のリストヴァー自治区とアーテル共和国領に追放した。
フラクシヌス教徒であっても、力なき陸の民は、親しい親族に力ある民が居なければ同様に扱い、北ヴィエートフィ大橋の再建後は、それでも残留したキルクルス教徒をアーテル領ランテルナ島に強制移住させた。
現在もラクリマリス領内に住む力なき民は、三親等内に力ある民が居るフラクシヌス教徒のみだ。だが、和平から三十年が経ち、力なき民同志の婚姻や隔世遺伝などもあり、その数を増やしつつあった。
「ラクリマリス王国がインターネットを導入し、国民の一部は全世界の情報に触れられるようになった」
科学文明国は、自国の公用語の他に共通語訳のページを用意することが多い。
湖南地方の国々でも一応、学校で共通語を教えるが、フラクシヌス教諸国は、キルクルス教国のアーテルやラニスタ程には熱心ではない。
湖南語で書かれたサイトのリンクを辿ってゆけば、アーテルやラニスタのキルクルス教団体や信者団体のサイトに行き当たっても、不思議ではなかった。
「ラクリマリス王国政府は、残った力なき民を少数弱者として保護し、差別を禁じた」
「ラクリマリスで魔法が使えないと、こっちより不便でしょうね」
「そうだ。しかも、自力では雑妖さえ避けられない本物の“弱者”だ。一方的に守られることに肩身の狭い思いを抱く者も、少なからず居る」
「そうですね。ネモラリスでも、魔獣討伐の任務で派遣された時、いつも守ってもらってすみませんって言う人、居ますもんね」
陸軍情報部専属のラズートチク少尉は、必要に応じて配置変更される魔装兵のルベルに頷き、食後のお茶を淹れた。
「そんな彼らが、インターネットを介してキルクルス教の教えに触れたら、どうなると思う?」
「あッ……!」
ルベルはこの任務に就いてから、改めてキルクルス教の教義や星の標の主張について調べた。
魔力を持たぬ者は、「悪しき業」に手を染める愚を犯すことのない「無原罪の清き民」だ。魔術を悪しき業と断罪し、力ある民を穢れた力を持つ者と看做し、力なき民の存在を善き者として全肯定する。
ラクリマリス社会で生き難さを抱え、身の置き場がないと感じて日々を鬱々と過ごす者が、密かに改宗してもおかしくなかった。
「パジョーモク議員は力なき陸の民だ。ラクリマリスに出張した際、シストスという男と知り合った。ラクリマリスのとある国会議員の政策秘書で、議員は力ある民だが、秘書は力なき民だ」
「シストスもキルクルス教徒なんですね?」
「恐らく、な。シストスもパジョーモク議員と同時期に姿を消した」
ルベルもお茶を淹れ、一口啜って気持ちを落ち着けた。
「パジョーモク議員が端末を手に入れたり、船で沖に出てディケアの電波を使ったり、毒の研究室を作ったりって、色んな分野に結構な人数の協力者が居るってコトですよね?」
「国内の隠れキルクルス教徒は、別働隊が洗い出しを行う。首都をはじめとしてネモラリス島内の都市で星の標がテロを繰り返すと言うことは、国内でも緊密に連絡を取り合っていると言うことだ」
「ネミュス解放軍がリストヴァー自治区を攻撃しましたけど、彼らはネモラリス島内にある星の標の拠点を把握していないんでしょうか?」
確か、あのラジオの音声では、ネモラリス島内にも支部があるようなことを言っていた。解放軍は和平交渉の席で、自治区の星の標から他の支部の所在地までは教えてもらえなかったのか。
「ウヌク・エルハイア将軍が知っていたとして、魔哮砲の使用を強行した我らに情報提供すると思うか? あれの封印を命じた御仁だぞ?」
ルベルは唇を噛んだ。
「情報を寄越されても、ハイそうですかと鵜呑みにはできん。精査する時間が必要だ」
「アミトスチグマに亡命したラクエウス議員はどうですか? 自治区の議員だから、何か知ってるかもしれませんよ」
「昨年までは何度か、駐アミトスチグマ大使館に足を運んでいたが、今年に入ってからは外出自体が減り、難民キャンプの視察にも殆ど行かなくなった」
「どうしてです?」
ラズートチク少尉は、微かにやさしい笑みを浮かべて、若い魔装兵を見た。
「ラクエウス議員は半世紀の内乱前の生まれだ。常命人種としては、いつ寿命が尽きてもおかしくない」
「あっ……」
ルベルは己の迂闊さに言葉もなかった。
「我々が与えられた任務は、アーテル領内に高飛びしたパジョーモク議員の捕縛だ」
「シストスが一緒に居た場合はどうしましょう?」
魔装兵ルベルは、本国の心配から気持ちを切り替え、目の前の任務に意識を集中させた。
「泳がせてもいいが、状況によってはラクリマリスとの交渉材料になり得る。捕縛するかどうかは、もう少し情報を集めてから決定するが、決して死なせるな」
「了解」
少尉は表情を和らげて頷いた。
「ところで、我々は腹拵えできたが、魔哮砲の腹具合はどうだ? まだ何日か絶食に耐えられそうか?」
「かなり空腹です。そろそろ給餌させたいのですが、どこに行きましょう?」
地下街チェルノクニージニクと地上のカルダフストヴォー市は、魔法で多重防護され、雑妖は滅多に居ない。発生してもすぐ浄化され、食べさせられなかった。
「そうだな……もう一度、イグニカーンス市の廃病院に行こう」
「しかし、あそこは行方不明事件で警察が出入りして……」
「捜索は一カ月で打ち切られた。現在は厳重に封鎖され、一般人は立ち入りできん」
ルベルはインターネットで続報をみつけられなかったが、少尉は何らかの手段で情報を入手したらしい。
……どうやって調べればいいんだろうな?
「私はこれからルフスに行く。夕方、閉門の一時間前には戻る予定だ。廃病院への移動は日没後。夕方、念の為に侵入者が居ないか見ておいてくれ」
「了解」
ルベルは少尉を送り出し、ポケットから魔哮砲を詰めた【従魔の檻】を取り出してベッドに浅く腰掛けた。
魔法の小瓶を握り、【使い魔の契約】で結ばれた中身に意識を向ける。空腹を訴える叫びのような意識がどっと押し寄せた。
☆北ヴィエートフィ大橋の再建……「299.道を塞ぐ魔獣」参照
☆フラクシヌス教徒でも力なき陸の民は、親しい親族に力ある民が居ない者は同様に扱い……ネモラリス難民も同じ扱い「675.見えてくる姿」「753.生贄か英雄か」参照
☆ラクリマリス王国がインターネットを導入し、国民の一部は全世界の情報に触れられる……「270.歌を記録する」参照
※ 王国全土には普及しておらず、端末も高価なので富裕層や業務で必要な者が中心。
☆自力では雑妖さえ避けられない本物の“弱者”……「0024.断片的な情報」「0031.自治区民の朝」「0047.公園での一夜」「394.ツマーンの森」参照
☆ネミュス解放軍がリストヴァー自治区を攻撃
自治区襲撃作戦……「893.動きだす作戦」~「906.魔獣の犠牲者」参照
ラズートチク少尉が得た情報……「0955.ラジオの録音」参照
自治区側と解放軍側の交渉……「919.区長との対面」~「921.一致する利害」参照
☆昨年までは何度か、駐アミトスチグマ大使館に足を運んでいた……「627.大使との面談」「628.獅子身中の虫」参照
☆行方不明事件……「803.行方不明事件」参照




