0996.議員捕縛命令
「パジョーモク議員の捕縛命令が下った」
「殺さないように捕まえるんですよね?」
ラズートチク少尉は、魔装兵ルベルの問いに頷いた。
「アーテル領内に高飛びしたとの情報を掴み、ある程度、土地勘ができた我々に命令が下った。力なき民のラクリマリス人も一緒に居る筈だ」
六月半ばの今、トレンチコート姿では、力なき民しか居ないアーテル本土では目立ってしまう。
二人は、開襟シャツに麻のジャケットを羽織った軽装になったが、どちらも外から見えない部分に呪文や呪印を仕込んであった。ネモラリス軍の被服廠から支給されたものだ。
ラズートチク少尉は三日前、ネモラリス軍司令部へ報告に行き、今朝、カルダフストヴォー市の開門直後に屋台でサンドイッチを買って、地下街の宿へ戻った。
二人で朝食を摂りながら話す。
「それは、つまり、その議員とラクリマリス人がキルクルス教徒で、アーテルと繋がっていた、と看做したと言うことですか?」
その判断が、クリペウス政権の政治家なのか、高官なのか、軍司令本部なのか、ルベルにはわからない。
ラズートチク少尉は肯定した。
「なかなか勘が鋭くなってきたな。パジョーモク議員について、どの程度知っている?」
「リャビーナ選挙区の国会議員としか……」
ルベルの故郷アサエート村の麓にある「都会」の国会議員だ。
家族と買出しに行った時、演説を耳にする機会はあったが、所属政党などは憶えていない。
アサエート村もリャビーナ選挙区に含まれるが、ルベルはいつも投票所についてから一覧を見て候補者を決め、注意を向けるのはその場限りだ。
パジョーモク議員に投票したことがあるかもしれないが、憶えていなかった。
「秦皮の枝党の幹部だ」
「えっ……与党の内部にキルクルス教徒の間諜が」
「そうだ。インターネットを使い、アーテルと緊密に連絡を取り合っていた」
「でも、我が国には設備がありませんよ。一体、どうやって」
「沖合に出れば、ディケアの電波を使える。ラクリマリスに出張した時などにも使える。端末さえ手に入れば、子供にでもできる」
ラズートチク少尉は、手中でタブレット端末を弄び、唇を歪めた。
「アル・ジャディ将軍と我々、陸軍情報部は、ラクリマリスがインターネットを導入した十年前から、再三に亘って我が国でも整備するよう求めたが、議会の承認が下りず、予算が組まれなかった」
ルベルは、アル・ジャディ将軍が「我が国は既に情報戦で敗北している」と語ったのを思い出した。
……パジョーモク議員は一体、いつから……?
少尉が説明を続ける。
「アル・ジャディ将軍は、ずっとこの状況を憂いておられた」
ネモラリス共和国政府がインターネットを導入しない理由を「国を動かす者たちが、情報の重要性を理解できないからだ」と語ったという。
だが、秦皮の枝党の幹部にアーテル共和国と内通するキルクルス教徒が居たなら、話は別だ。
情報の重要性を理解し、自分たちの通信が知られぬよう、故意に予算配分せず、必要な法整備も行わなかったのだ。
クリペウス政権内部にどれ程の獅子身中の虫が居れば、こんなことになるのか。
ルベルは身震いした。
「アル・ジャディ将軍は三年前、私費でタブレット端末を調達した。陸軍情報部の一部をラクリマリスやアミトスチグマなど、インターネットが整備された友好国へ大使館の駐在武官として派遣し、研修させて下さった」
「将軍の自腹だったんですか?」
ルベルは思わず、手許の端末を見た。
「露見すれば、将軍が責に問われる。以前も言ったが、報告などで本国へ帰還する際は必ず電源を切り、人目に触れぬよう留意せよ」
「は、はい!」
魔装兵ルベルは背筋を伸ばした。
ラズートチク少尉がサンドイッチを平らげて続ける。
「昨年、アーテル軍がラクリマリス領に植えた腥風樹だが、種子の出所がわかった」
「どこだったんですか?」
「チャール研究所だ」
ルベルは記憶を手繰ったが、サカリーハ付近の研究所は、そんな名称ではなかったような気がした。
質問を発する前に答えが与えられる。
「ネモラリス島北西部の離島にある【空に舞う鱗】学派の研究所だ」
「毒の研究所ですか」
「そうだ。一口に毒と言っても、兵器だけでなく、農薬や家庭用の殺鼠剤など、日常よく使う物まで様々だ」
「そこから盗まれたんですね」
ラズートチク少尉は表情を変えずに頷いた。
「旧王国時代からずっと、研究所への出入りだけでなく、チャール島への上陸自体が厳しく制限されてきた。だが、研究員が買収されたのでは、お手上げだ」
「その研究員は今……?」
「用済みになって始末された」
「えっ?」
少尉は淡々と語る。
その研究員は開戦後、行方不明になった。
陸軍情報部が先月、ガルデーニヤ市の実家跡から耐火金庫を発掘して【解錠】したところ、研究員の日記が出て来た。
パジョーモク議員の依頼と報酬、後ろめたさと「万が一の事態に備えねば」との使命感の狭間で揺れる心や、カイラー市南方の山中に用意された研究室でのことなどが詳細に綴られたものだ。
研究員は六年前、パジョーモク議員に「万が一、魔哮砲が制御を離れて暴走した場合に備え、殺処分する為の薬の開発」を持ちかけられた。
ネモラリス軍や秦皮の枝党の総意ではない。
彼らは、魔哮砲の制御方法の研究に血道を上げ、到底、殺処分の話を出せる状態ではなかった。
「そこで、君に頼みたいんだ。研究室を用意して君を室長に据え、身の安全も保障しよう」
研究室は古い別荘を改装したもので、研究員は休日をここで過ごした。
毒の素材は、開戦直前までパジョーモク議員が用意したが、開戦直後に魔哮砲の実戦投入が決定すると、魔法生物に有効な毒が完成しなかったことを暗に批難された。
日記には、もっと強力な毒の素材をチャール島の研究所から盗み出すよう唆された、とある。
研究員は大いに悩んだが、魔哮砲の戦果を知って「最悪の事態」を想定し直し、決心した。
犯行前日に日記をガルデーニヤ市北部の実家に持ち帰り、金庫に預けた。
あれが暴走すれば大変なことになる。
三界の魔物の再来だけは、何としてでも止めなければ。
異界の毒、例えば、腥風樹なら効くかもしれない。
あれを殺処分できるなら、責任を問われ、軍に殺されても構わない。
日記はそう締め括ってあった。
その翌日、ガルデーニヤ市も空襲に晒された。
「それでアーテル軍が種子を持っていたんですね」
「魔哮砲が腥風樹の毒に晒されたか、不明だがな」
ルベルは何とも言えない気持ちになった。
研究員はカネの為でなく、魔哮砲の危険性を認識し、国を……いや、世界を守る為に孤独な戦いに身を投じたのだ。
党幹部の一人であるパジョーモク議員に「クリペウス政権と軍の魔哮砲推進派を止められない」と言われれば、一介の研究員は、身の危険を感じて誰にも相談できなかっただろう。
騙されて踊らされた被害者ではあるが、結果的にラクリマリス王国に対する侵略行為に加担し、加害者になってしまった。
☆我が国には設備がありません/アル・ジャディ将軍が「我が国は既に情報戦で敗北している」と語った……「410.ネットの普及」「411.情報戦の敗北」参照
☆沖合に出れば、ディケアの電波を使える……「0938.彼らの目論見」参照
☆昨年、アーテル軍がラクリマリス領に植えた腥風樹……「488.敵軍との交戦」、「498.災厄の種蒔き」~「500.過去を映す鏡」参照
☆サカリーハ付近の研究所……「704.特殊部隊捕縛」~「707.奪われたもの」参照
☆チャール研究所/【空に舞う鱗】学派の研究所……「649.口止めの魔法」参照
☆ガルデーニヤ市も空襲に晒された……「199.嘘と本当の話」参照
☆ラクリマリス王国に対する侵略行為……「449.アーテル陸軍」、「488.敵軍との交戦」~「490.避難の呼掛け」参照
▲996話目にしてやっと、国名表示の下にあった小島の出番が!




