0987.作詞作曲の日
卓上のタブレット端末が、誰も手を触れないのにカタカタ音を立てて震える。
ファーキルが手に取ると端末はすぐに大人しくなった。
今日はこれで何度目になるだろう。
詩人のルチー・ルヌィが、平和の花束の新曲用の歌詞を書き、ラクリマリス王国からファーキルの端末に送ってくれる。
ファーキルは、アミトスチグマ王国在住の支援者マリャーナの邸宅に居候中で、自治区民のアミエーラとラクエウス議員、アーテル出身の歌手グループ「平和の花束」の四人も、同じ身の上だ。
戦災、政治的な対立、信仰上の理由で祖国を離れ、魔法文明国寄りの両輪の国アミトスチグマに亡命したキルクルス教徒――
七人は、手帳大の端末に額を寄せ合い、改稿版の歌詞を吟味する。
ピアノの前に座って見守るスニェーグは、ネモラリス島の東端リャビーナ市から作曲の手伝いに来てくれた。リャビーナ市民楽団のピアノ奏者は、詩人のルチー・ルヌィと同じフラクシヌス教徒だからか、作詞には口を挟まない。
ラクエウス議員が、プロに手を加えられて戻ってきた歌詞を呟きながら、竪琴を爪弾いた。
「そこは、半音下げた方が耳に馴染みやすい流れになりますよ」
「そうかね?」
スニェーグは、顔を向けた竪琴奏者の老議員に頷き、たった今聴いたばかりの旋律を鍵盤でなぞって、次に半音下げて奏でてみせた。
「どうだね?」
ラクエウス議員に声を掛けられ、アルキオーネが少し首を傾けた。宙に楽譜が浮いているかのような目で、同じ箇所を小声で口ずさむ。
「そう……ですね。私は半音下げた方が歌いやすいです。みんなはどう?」
タイゲタ、エレクトラ、アステローペもそれぞれ小声で二度歌い、頷いたり首を捻ったりと反応は様々だ。
素人のアミエーラはついてゆけず、小さな画面に表示された歌詞の案をコピー用紙に書き写した。
真っ白な部屋には、グランドピアノと円卓だけがある。
八人は朝から、詩人のルチー・ルヌィとメールで遣り取りして作詞作曲に知恵を出し合い、昼食で食堂に行った他は、ずっとこの部屋に居た。
ファーキルが端末から顔を上げた。
「俺は、歌詞のこの辺もちょっと引っ掛かります」
「どうして?」
アミエーラは、紙に書き写した一行を指差されて読み返した。
「これ、この辺って、何て言うか……“聖典を全部読んだコトない人が悪い”みたいな、咎めるカンジになってるんで」
「そう言われてみれば……何か、カンジ悪いですね」
「じゃあ、“私と一緒に見てね”的なニュアンスにするのはどう?」
エレクトラが二人の手許を覗いて提案すると、タイゲタが眼鏡の縁を押さえてさらに改善する。
「歌うの私たちだし、全体を私たちからファンのみんなにお願いする雰囲気にすればいいんじゃない?」
「かわいく、ね?」
アステローペが頷くと、豊満な胸が揺れた。
リーダーのアルキオーネが、別の紙に書き出してファーキルに見せる。ファーキルが端末をつついて入力し、ルチー・ルヌィに送信した。
「そこをそうするなら、主旋律はこうかね?」
ラクエウス議員が書き換えられた歌詞を覗き込み、手探りで弦を鳴らした。スニェーグが歌いやすい旋律に修正し、平和の花束が首を傾げながら音を辿る。
ルチー・ルヌィは、発音しやすく聞き取りやすい言葉の並びに整え、すぐに送り返してくれた。
そんな遣り取りを幾度も重ね、新曲が完成したのは夜更けだった。
完成の余韻のせいか、寝不足の頭は妙に冴え、アミエーラは今ならどんな難しい歌でも楽に歌えそうな気がした。
三日後、再びピアノの部屋に集まった。
挨拶もそこそこに早速、収録に取り掛かる。
ラゾールニクとファーキル、ネモラリス建設業協会のボランティアが、それぞれ異なる録音機材を準備する。
今日はリャビーナ市民楽団のソプラノ歌手オラトリックスも、この後で歌う呪歌の指導に来てくれた。
「ユアキャストでも配信するから、そのつもりでよろしく」
「えぇっ? 聞いてないんですけど?」
ラゾールニクの軽い声にアルキオーネが鋭く抗議した。
「今回は、歌詞の背景に聖典のページを捲る映像を被せるから、普段着でもいいんだ」
「そうですか?」
タイゲタが眼鏡を外して拭きながら、ラゾールニクに厳しい目を向ける。
「後で改めて、テコ入れに君らのプロモーション動画も撮るけど、まずはラジオと聖典の動画で反応見るから」
四人はやっと納得し、ピアノの横に並んだ。
少し離れた椅子にラクエウス議員が座り、譜面台に先日書き上げたばかりの楽譜を広げる。
「では、そろそろ始めよう」
ラクエウス議員がひとつ和音を掻き鳴らす。それを合図にスニェーグの手が鍵盤を走り、軽快な前奏が純白の壁に響いた。
平和の花束の四人が声を揃えて歌う。
「闇 拓いて飛ぶ 鳥たち 翼を輝かせ
鳩 懸巣 踊る雀 鷦鷯の歌声……」
たった三日の練習で、全く音程を外さず、竪琴の主旋律に遅れることなく歌えるのは、流石としか言いようがない。
呪歌の出番を待つアミエーラは、傍らのオラトリックスと視線を交わし、何となくわかり合って頷いた。
タイゲタが可愛らしく独唱する。
「知の灯点し 月と星の導き信じ
夜明けを待つ わたしの手に聖典があるの……」
アルキオーネが交代し、眼前のファンに語り掛けるかのように甘く呼び掛ける。
「見て 聖典のすべて 秘密の教えも
祈りの詞の意味を誰か深く教えてよ……」
斉唱はそうでもないが、それぞれの独唱はよく一緒に練習して聞き慣れたアミエーラでもドキリとした。
「新たな魔を生む 深淵の雲雀は絶えて
もう 悪しき業 伝える者はなく 過たないと誓う」
……ラジオで初めて聞く人は、どんな反応するかな?
チラリと録音係たちを見たが、彼らは機材の操作に集中して、顔色ひとつ変えない。
「今 改めて読む 知識 キルクルスの教え
聖典 捲る手を進めれば そこには知の光……」
二番が始まった。
斉唱に続いてエレクトラがリスナーにお願いする。
「護る力を記す 星道記の図面を見せて
悪しき業ではなく 護る力 それもまた魔術……」
練習通り、アステローペの独唱に代わる。
「見て 大聖堂の壁 司祭の衣
祈りの詞は訳された力ある言葉……」
不安に怯えるようなアステローペの声に、他のメンバーの声が寄り添い重なって四人で最後まで歌い上げた。
「人の手になる三界の魔物の厄 二度と
ただ それだけが 精光記に残された 真の教え」
みんなで決めた曲名は「真の教えを」だ。
ピアノと竪琴の余韻が消えるまで、誰も動けなかった。
☆詩人のルチー・ルヌィ……「774.詩人が加わる」「0959.敵国で広める」参照




