0986.失業した難民
木の香りが漂う真新しい診療所の窓に夕日が差し込む。陸の民の薬師が在庫を確認しながら薬棚を整理し、薬草園の管理者がそれを手伝う。
ラクリマリス王国軍が冬に腥風樹の駆除完了宣言を出して以降、アミトスチグマ王国の難民キャンプに逃れるネモラリス難民が急増した。
五月になった現在も流入が続く。
開設間もない診療所には、まだ入院患者が居ない。呪医セプテントリオーは、今日最後に癒した骨折患者に聞いてみた。
「安全になったのではなかったのですか?」
来て一週間足らずで伐採木の下敷きになった青年は、緑の頭を掻いて座り直し、同族の呪医に小声で答えた。
「安全になったから、ですよ」
「えっ? どうしてそんな?」
湖の民の患者は、年齢の割に色が薄い頭を小さく振ってぼやいた。
「早く平和になりますようにって、聖地へ直接お祈りしに来る人が増えたからですよ」
「それなら、観光関係の働き口が増えるのではありませんか?」
「逆ですよ。湖上封鎖と腥風樹の件で弱って、他の事業で細々食い繋いでた業者が息を吹き返して、元々働いてた従業員を呼び戻して、宿代が値上がりしたり、厚意で泊めてくれてたとこも通常営業に戻って」
「避難所に入れなかった人たちが、居場所を失くしたのですか?」
あっちを立てればこっちが立たず、呪医セプテントリオーは遣る瀬なさに溜め息がこぼれた。
「それだけじゃありません。腥風樹絡みの公共事業がなくなって、一気に失業者が増えたんです」
「あっ……」
ラクリマリス王国は、紛争当事国ではない。
ネモラリス共和国とアーテル共和国の中間に位置する為、巻き込まれた。
魔哮砲が【使い魔の契約】を結んだ操手を失ってツマーンの森に迷い込み、それに対抗する為か、アーテル陸軍がネーニア島南部に侵入してモースト市付近の森に腥風樹の種子を多数蒔いた。
モースト市周辺の農村や漁村は避難生活を強いられ、駆除後も農地を除染しなければ、仕事を再開できない。巻き込まれたせいで余計な出費が嵩み、主要産業の観光業も大打撃を受けた。
……ネモラリス難民への風当たりが強くなるのも不思議ではないな。
「身内にラクリマリス人が居なきゃ定住できないし、平和になったら地元に帰りたいし、でも、就職厳しくて……」
湖の民でさえ働き口がないと言うのだ。
力なき民はとっくに居場所を失い、この地に流れて来た。
これまで神殿に寄せられていた難民支援の義捐金の何割かは、腥風樹で経済的な被害を受けた自国民の支援に流れただろう。
ファーキル少年の調査では、ネモラリスの戦争難民だけでなく、クーデターから逃れたクレーヴェル都民も、一時はそれに加えて腥風樹の件でネーニア島のラクリマリス人も神殿に身を寄せたと言う。
急激に人が増えた上、食糧生産の手が止まり、湖上封鎖の影響もある。
緑青飴さえ満足に行き渡らないのが、青年の髪色の淡さから見て取れた。
「呪医、ここって、頑張ったらその分、生活ラクになるんですよね?」
空襲で一人だけ死に損なったという青年が、セプテントリオーに目で縋る。
呪医は、最近ここに来たばかりの彼が、ボランティアの説明をあまりきちんと聞いていなかったのかと思い、改めて説明した。
「キャンプ全体の用事を手伝えば、日当として配給を増やしてもらえますよ。建設作業だけでなく、呪符作りや裁縫、畑仕事や狩り、【道守り】の歌い手、自警団など仕事は色々あります」
「うん。大工さんの真似事はちょっとキツいけど、日当たくさんもらえるから申し込んだんです」
確認したかったのだと思い到り、少し話を変える。
「アミトスチグマだけでなく、国連や他の国からの支援もあって、この冬は餓死者や凍死者を出さずに済みました。あまりご無理なさらず」
「うん。死なない程度に頑張るよ。あっちじゃ頑張れるコトが何もなくて、寄付もらうばっかりで、肩身狭かったけど、ここは頑張れるコトがそんなにいっぱいあるってだけで、気がラクです」
青年が瞳を輝かせ、呪医は言葉に詰まった。
……こちらの方が危険で、暮らしが厳しいと知った上で、敢えて来たのか。
「あんた、大工の真似事向いてないんなら、薬草園を手伝ってくれないか?」
薬棚の整理を手伝いを終えたサフロールが、手を止めて声を掛けた。薬師が在庫の点検を終え、棚に物体の鍵と術の【鍵】を掛ける。
「薬草園?」
「俺は、クルブニーカの製薬会社で薬草園の管理者してて、ここでも薬草園作ってるんだ。力ある民は大体、大工か呪符作りか自警団に行って、俺たちだけじゃ水遣りが大変なんだよ」
力なき民の彼は、井戸から水を汲み上げるだけでも大変な重労働だ。
パテンス市のボランティアが水遣りを手伝ってくれるが、他に何かあれば、優先順位が下がってしまう、としょっちゅうぼやいていた。
「最近、私ら……魔法使いの薬師だけじゃなくて、科学のお医者さんや薬剤師さんも、難民キャンプの中で居場所が決まって、腰を据えてお薬作れるようになったんですけどね」
年配の女性薬師が言うと、湖の民の青年は何も言わずに頷いて先を促した。
「材料がないことには、作れないんですけどね」
「畑仕事はどうしても野菜とか芋とか、すぐ食べられるモンに人が流れて」
サフロールが言い添えると、青年は合点がいったらしい。
「病気になんなきゃ関係ないやって思われてるんですね」
「そうなんだよ。イザとなりゃ森へ採りに行きゃいいってよく言われるけど、それじゃ、間に合わんだろ?」
「そうですよねぇ」
サフロールが我が意を得たりとばかりに頷くと、青年もしみじみ頷いた。
呪医セプテントリオーはやっと、この第二十七区画にサフロールが居る理由がわかった。開拓の最前線で、まだ他の畑がない。先に薬草園を作りたいのだろう。
薬師が嬉しそうに笑う。
「湖の民のコが手伝ってくれるんなら、大助かりだわぁ。薬草園、あっちこっちに分散してるのよ」
「あぁ、それは水遣り大変そうですね」
「虫がつかないように、病気にならないように、薬草を枯らさないように管理すんのは、なかなか大変なんだよ」
サフロールが、パテンス市のボランティア本部から出る日当を説明すると、青年は少し難しい顔をした。
支払われる食糧は、建築作業の半分以下だ。【操水】と【跳躍】ができる魔法使いなら、片手間にできる簡単な作業で、その分、日当が安い。
……それで、誰かがするだろうとみんなに忘れ去られて、彼が毎日、呼掛け続けなければならんのだがな。
「骨折、痛かったでしょう」
「あ、はい。治して下さってありがとうございました」
セプテントリオーが帰り支度を終えて声を掛けると、青年は改めて礼を言った。
「今日はここに居たのですぐ治せましたが、私たち呪医は巡回なので、居ない日の方が多いんですよ」
「えっ? そうだったんですか?」
「えぇ。あなたは銅が不足して身体が弱っていますから、怪我をしやすい危険な作業は避けた方がよさそうですよ」
青年は呪医の警告に俯いた。
一日一回の僅かな配給と、薬草園の管理でもらえる分だけでは、食べ盛りの青年には到底足りないだろう。
「脅かすようですみませんが、私たち湖の民は、銅が不足すると病気への抵抗力も落ちて、傷が化膿しやすくなるんですよ」
「えぇッ?」
青年が顔を上げ、呪医と薬師を見た。
医療者二人が同時に頷くと、先程まで折れていた右足をさすった。
「化膿や蛇の毒は私のお薬でもなんとかなりますけど、今は材料の薬草が足りないので……」
「切断するような状態になってしまえば、【青き片翼】の私では治せなくなってしまいます」
「ホントにダメなんですか?」
呪医セプテントリオーは、蛇や魔獣の毒で手脚の組織が壊死し、切断せざるを得なくなった患者たちを思い出し、胃が痛んだ。
「……【白き片翼】の呪医は、ある程度までなら壊死が進行してもなんとかならなくはありませんが、人数が少ないので……」
失われた手足を再生できる【有翼の蜥蜴】学派の呪医は世界的に少なく、当然、難民キャンプには常駐していない。それでも数カ月に一度はNGOから派遣されるので、一生そのままにはならないが、大変なことには変わりなかった。
「掛け持ちでもいいんですよね? 例えば朝、【操水】で水遣りしてその後、呪符作りとか」
「それはもう、体力と相談して……」
サフロールが気を揉んで青年の返事を待つ。
「じゃあ、俺、掛け持ちで忘れずにやります」
青年の宣言に三人は一瞬、顔を見合わせて頬を緩めた。
☆ラクリマリス王国軍が、腥風樹の駆除完了宣言……春になる前に終わった「862.今冬の出来事」「864.隠された勝利」参照
☆魔哮砲が【使い魔の契約】を結んだ操手を失って……「274.失われた兵器」「340.魔哮砲の確認」参照
☆ツマーンの森に迷い込み……「394.ツマーンの森」~「396.橋と森の様子」「404.森を切裂く道」「438.特命の魔装兵」「439.森林に舞う闇」、「486.急造の捕獲隊」~「488.敵軍との交戦」「523.夜の森の捕物」参照
☆アーテル陸軍がネーニア島南部に侵入……「449.アーテル陸軍」「489.歌い方の違い」「490.避難の呼掛け」参照
☆腥風樹の種子を蒔いた……「498.災厄の種蒔き」「499.動画ニュース」「500.過去を映す鏡」参照
☆モースト市周辺の農村や漁村は避難生活を強いられ……「490.避難の呼掛け」「544.懐かしい友人」参照
☆身内にラクリマリス人が居なきゃ定住できない……「222.通過するだけ」「271.長期的な計画」参照
☆クーデターから逃れたクレーヴェル都民……「651.避難民の一家」「652.動画に接する」「675.見えてくる姿」参照
☆最近、私ら(中略)居場所が決まって、腰を据えてお薬作れるようになった……「863.武器を手放す」参照
※サフロールの住まいは第十五区画……「738.前線の診療所」「739.医薬品もなく」参照
☆失われた手足を再生できる【有翼の蜥蜴】学派の呪医……「717.傲慢と身勝手」「736.治療の始まり」参照




