0984.簡単なお仕事
「えっ? 何するんですか?」
「危ないのは、イヤ」
アマナがクルィーロの腕にしがみついてレーフを睨む。
FMクレーヴェルを政府軍に奪われたDJは、兄を案じる小学生の女の子に目尻を下げ、やさしい声で言った。
「大丈夫。恥を忍んで頭を下げに行くだけの簡単なお仕事だから」
「えぇっ?」
クルィーロだけでなく、レノも同時に声を上げた。
レーフは真顔に戻ってみんなを見回し、クルィーロに視線を戻した。
「俺たち二人でクリャートウァに跳んで、カピヨー支部長に頼むんだよ」
「ヤダ! お兄ちゃん捕まったら……」
「大丈夫だよ。こないだだって、珈琲奢ってもらって無事だっただろ?」
レーフがにっこり笑ってみせるが、アマナはクルィーロにしがみついてイヤイヤした。
DJは困った顔で頭を掻いて続ける。
「カピヨー支部長は昔、クリュークウァの領主だった。今もあんなお城みたいなとこに住んで、地元の議員にも影響力がある有力者だ」
「湖水の光党の国会議員に口利きしてもらうんですね?」
湖の民の漁師アビエースが、少しイヤそうに確認する。
レーフは金髪の頭を縦に振って、同じ髪色の兄妹に言った。
「俺とクルィーロ君はカピヨー支部長に気に入られたっぽいから、大丈夫だよ。二人で頼んだら動いてくれるんじゃないかな?」
ロークの情報によると、チェルニーカ市の近隣都市にも、星の標の支部があるらしい。
このまま無理に放送を続ければ、レノは移動販売店プラエテルミッサの代表者として、総合無線通信士の免許を持つアナウンサーのジョールチとDJレーフは、違法電波発信の実行犯として逮捕されるかもしれない。
最悪、大人が全員捕まれば、トラックとワゴン車は没収されて、子供たちだけで放り出されてしまう惧れもあった。
ラクリマリスの放送局が、ネモラリスに干渉するニュースをどこまで引受けてくれるか、全く読めない。
普通に考えれば、自国発の情報を優先するに決まっている。放送の枠には限りがあるのだから、断られても仕方がなかった。
この間、DJレーフ一人で、ネミュス解放軍ペルシーク支部長コンボイールにリストヴァー自治区襲撃作戦の情報を伝えに行った時は、十日以上も行方不明の状態が続き、みんなの心労は大変なものだった。
つい先日も、少年兵モーフが単身、イーヴァ議員の事務所と星の標チェルニーカ支部を兼ねた屋敷に忍び込んで、ソルニャーク隊長たちから大目玉を喰らったばかりだ。
「わかりました。行きます。父さん、アマナをよろしく」
「クルィーロ……強く、なったんだな」
父パドールリクは声を詰まらせたが、頷いてくれた。
クルィーロはアマナの震える背中を軽く叩いてあやしながら、レーフと明日の段取りを打合せした。
朝食後、すぐにレーフが【跳躍】し、北隣のクリュークウァ市へ後戻りした。
門番は用件も聞かずに二人を門内に招じ入れた。
「ささ、こちらへ」
以前とは打って変わって愛想良く控えの間に通される。使用人が来客を告げに退がり、二人きりになった途端、レーフはニヤリと笑った。
「なっ。大歓迎だろ?」
「でも、頼みを聞いてもらえるかどうかとは別ですよね」
「心配性だなぁ」
すぐ呼び出しが掛かり、以前と同じ執務室に案内された。
「こんにちは。これ、店長さんの新作、蔓苔桃入りクッキーです。よかったら、お味見どうぞ」
「おぉ、かたじけない。パン職人の彼だな? 礼を言っておったと伝えてくれ」
カピヨーは満面の笑みで、レーフから小さな紙袋を受け取り、二人を応接スペースに座らせた。珈琲を淹れ終えた使用人が、クッキーを小皿に分けて三人の前に置いて退出する。
「どんな困り事だ? まさか、この試食の為だけに戻ったのではあるまい?」
「ご賢察、恐れ入ります」
DJレーフは表情を改め、アナウンサーのジョールチのような口調で放送免許の件を説明した。
……レーフさんって、こんな喋り方もできるんだ。
クルィーロは、やや失礼な感想を抱きながら、余計な口を挟まずに成り行きを見守る。
「誰ぞ、無線通信士の免許証は持っておるのか?」
「はい。俺とジョールチさんは、総合無線通信士、今は漁船がないんですけど、アビエースさんが湖上無線通信士を持ってます」
「俺も一応……機材がないんでアレなんですけど、アマチュア無線の免許持ってます」
「それでちょっとの説明だけで、放送の手伝いできるようになったのか」
レーフに感心され、クルィーロは複雑な気持ちで頷いた。
あの日の放送は、クルィーロが放送機材を操作して、どうにかこなせた。
ジョールチも操作できるとは知らず、必死だったが、どうしてプロの二人はそれを言ってくれなかったのか、と何とも言い表しようのないもやもやしたものが腹の底に澱んだ。
「成程な。機材の操作に関しては、違法ではないのだな」
「放送免許……FMクレーヴェルの機材と帯域使ってるから、免許の範囲外なんですよね」
「あまりに堂々としておるから、てっきり国営放送のFMだとばかり思ったが、そうか。そなたら、地下放送であったか」
ネミュス解放軍クリュークウァ支部長のカピヨーが、肩を揺すっていかにも愉快そうに笑う。
首都クレーヴェルの国営放送本局は、クーデター発生時に解放軍が支配下に置き、プロパガンダを放送した。
程なく、レーチカ市に臨時政府が樹てられ、国営放送の本局機能もレーチカ市局に移転した。
ウーガリ山脈以北では、支局が独自番組を流すが、クレーヴェルからの放送を完全に遮断できるワケではない。長距離トラックの運転手や、ネモラリス島を周回する客船や貨物船の乗組員なら、各地の情報を聞き比べられるだろう。
自国の国営放送を受信妨害すれば、政府の広報もできなくなってしまう。
臨時政府とネミュス解放軍のラジオを使った情報戦は、膠着状態だった。
☆FMクレーヴェルを政府軍に奪われた……「617.政府軍の保護」「620.ふたつの情報」、「660.ワゴンを移動」~「662.首都の被害は」参照
☆こないだだって、珈琲奢ってもらって無事……「0960.支部長の自宅」参照
☆DJレーフ一人で(中略)情報を伝えに行った時……「「916.解放軍の将軍」~「921.一致する利害」、「0937.帰れない理由」~「0939.諜報員の報告」参照
☆つい先日も、少年兵モーフが単身(中略)屋敷に忍び込んで……「0973.聖典を見たい」「0974.行方不明の子」「0978.食前のお祈り」「0979.聖職者用聖典」参照
☆ソルニャーク隊長たちから大目玉を喰らった……「0980.申請方法調査」参照
☆以前と同じ執務室……「0960.支部長の自宅」参照
☆放送免許の件……「0981.できない相談」参照
☆アビエースさんが湖上無線通信士……「196.森を駆ける道」「826.あれからの道」参照
☆ちょっと説明しただけで、放送の手伝いできるようになった……「883.機材の取扱い」参照
☆あの日の放送は、クルィーロが放送機材を操作……「884.レーフの不在」「885.公開生放送中」「886.歌のコーナー」参照
☆首都クレーヴェルの国営放送本局は、クーデター発生時に解放軍が支配下に置き、プロパガンダを放送……「600.放送局の占拠」「601.解放軍の声明」参照
☆レーチカ市に臨時政府が樹てられ……「636.予期せぬ再会」参照
☆ウーガリ山脈以北では、支局が独自番組を流す……「724.利用するもの」「727.ディケアの港」「0971.放送への妨害」参照
☆ネモラリス島を周回する客船……「817.浮かばない案」参照




