0983.この国の現状
クルィーロは、あまりのことに言葉も出なかった。
……それってもう、この国、星の標に乗っ取られたってコト?
トラックの荷台は、レノとジョールチが持ち帰った情報で、時が停まったように空気が凝った。
ネモラリス共和国会には、人種別の議席枠がある。
湖の民が圧倒的多数を占めるので、調整しなければ陸の民が不利になる為だ。
信仰や魔力の有無、長命常命の区別なく、湖の民と陸の民で半数ずつになるように割り当てられる。
陸の民枠のひとつは、リストヴァー自治区のキルクルス教徒で埋まる。自治区外には、様々な思想を持つ政党があり、票がバラけた。
湖の民に支持者が多い「湖水の光党」ではなく、陸の民の支持者が多い「秦皮の枝党」が第一の与党だ。ネモラリス共和国の分離独立以来、三十年余りの長きに亘り、湖水の光党と共に連立政権の片翼を担う。
以前、ロークが「レーチカ市選出のパドスニェージニク議員が隠れキルクルス教徒だ」との情報を掴んだ時も、ジョールチが「パドスニェージニク議員は秦皮の枝党の幹部だ」と教えてくれた時も、クルィーロはそれが何を意味するのか、ピンとこなかった。
……法律も政令もまだないのに、与党の議員が捻じ込んだだけで役所が動くのかよ。
平時なら、そんなことはないと思いたい。
今は戦争中だ。しかも、魔哮砲の使用に反対した国会議員は捕えられ、議員宿舎に軟禁された。
脱出できたのは、キルクルス教徒のラクエウス議員や、両輪の軸党のアサコール党首らほんの一握りだ。彼らはラクリマリス王国やアミトスチグマ王国など近隣諸国に亡命し、ネモラリス共和国の政策決定に携われない。
脱出時に政府軍の手で殺害された議員や、脱出後にネモラリス共和国内の潜伏先で捕えられた議員も居た。
事件当時、脱出に関与せず、与えられた部屋で大人しくしていた議員がどうなったのか、全く情報がない。
あの時、殺されなかったとしても、クーデターを起こしたネミュス解放軍は、放送局だけでなく、国会議事堂や議員宿舎も占領した。
政府軍が生かしておいても、解放軍に殺されたかも知れない。
両軍にその気がなくとも、宿舎が戦場になったなら、戦闘の巻き添えで命を落とした可能性もあった。
それ以前に、地元で活動中だった国会議員は、アーテル・ラニスタ連合軍の空襲で街と共に灰になったかもしれない。
湖の民の議員は、星の標の爆弾テロで殺害されたかもしれないが、その情報収集もままならなかった。
昨年二月の開戦以来、選挙が行われず、死亡、行方不明、亡命で主が不在となった議席は空白のままだ。
……えっ? あれっ? 今、生きてこの国で仕事できてる議員って……どんだけ残ってるんだ?
欠員が多く、レーチカに置かれた臨時政府の決定は、国民の総意とは言い難い状況だ。
選挙をしようにも、ネーニア島の西部と東部の諸都市は焼き払われ、首都クレーヴェルからはクーデターで身の危険を感じた都民が多数、脱出した。ネーニア島民を中心に、近隣諸国に流出した戦争難民は数十万人に上り、住み慣れた地域を離れた国内難民も多い。
星の道義勇軍のテロ、アーテル・ラニスタ連合軍の空襲、星の標の爆弾テロ、ネミュス解放軍のクーデター、医薬品や食糧不足などによる死者や、それらに伴う魔物や魔獣による捕食もあり、「有権者不在の選挙区」が多数発生した。
到底、選挙を実施できる状況ではない。
それどころか、国会の運営すら危ぶまれる。
クルィーロは遅蒔きながら、やっとこの国の状況を理解した。
……そっか。それで、秦皮の枝党の議員にちょっと言われただけで、役所が動いちゃったのか。
「ジョールチさん、それって、この先ずっと、俺たちが仮設住宅かどこかに住所決めない限り、放送できないってコトですよね?」
クルィーロが確認すると、国営放送のアナウンサーは苦しげに頷いた。
「情報収集は続けられる」
「しかし」
「上手く行けば、ラクリマリス王国のAM放送局から情報を伝達できるかもしれん」
ソルニャーク隊長は、力なく反論しようとしたジョールチを遮って続けた。
アマナが首を傾げる。
「どうして?」
「アミトスチグマでも、AMカッカブ・ビルの放送を拾えたと言っていたな?」
ソルニャーク隊長が、葬儀屋アゴーニに確認する。
これまで、難民キャンプや夏の都の支援者宅へ何度も跳んだ彼は、何かわかったような顔で頷いて、みんなに言った。
「昔の電波塔がまだ残ってて、AMだったら、隣近所の国まで届くんだ。逆もまた然りって奴だな?」
「引受けてもらえたならば、我々は放送の日時と帯域を周知するだけだ。ラクリマリス王国の放送局にまでは手出しできまい」
「引受けてもらえればいいんですけどね」
父パドールリクが難しい顔をする。
「って言うかさ、クーデターで首都の放送局が乗っ取られた時点で、ラジオ持ってるお年寄りとか、ラクリマリスの放送、受信してたりしない?」
DJレーフがみんなを見回す。
帰還難民センターに居る間、首都クレーヴェルがどうなっているのか、そればかりに気を取られて、クルィーロたちも他の帰還難民も、全く思いつかなかった。
ラクリマリス政府は、紙の新聞だけでなく、インターネットの動画やニュースでも、魔哮砲の正体や、ネモラリス共和国内で発生した重大事件について、度々情報発信した。ラジオだけを除外する理由はない。
ラジオの電波も、その気になれば受信妨害できなくはないが、現在のネモラリス共和国の科学力では難しいだろう。
ネモラリス共和国、ラクリマリス王国、アーテル共和国は元々ひとつの国だ。
旧ラキュス・ラクリマリス共和国時代の国営放送や民放局の周波数をそのまま引き継いだ局が多く、それぞれの帯域はかなり近い。
ネモラリス共和国は中途半端な両輪の国で、科学文明の発展は周辺国に比べてかなり遅れている。特定の帯域ひとつだけを狙い撃ちにして妨害できず、自国の放送も聞こえなくなる可能性が高い。広範囲を対象にするのも、設備面で難しそうだ。
「ま、それは最後の手段って言うか、ダメ元で並行して頼んでもいいけど、保険くらいのつもりで、俺らは俺らができる抵抗をしよう。なっ、クルィーロ君」
DJレーフにニヤリと話を振られ、クルィーロはイヤな予感がした。
☆レノとジョールチが持ち帰った情報……「0980.申請方法調査」「0981.できない相談」参照
☆ロークがレーチカ市選出のパドスニェージニク議員が隠れキルクルス教徒だとの情報を掴んだ時……「637.俺の最終目標」「654.父からの情報」「655.仲間との別れ」参照
☆ジョールチがパドスニェージニク議員は秦皮の枝党の幹部だと教えてくれた時……「793.信仰を明かす」参照
☆魔哮砲の使用に反対した国会議員は捕えられ、議員宿舎に軟禁された……魔哮砲の使用に反対「247.紛糾する議論」「248.継続か廃止か」、軟禁「253.中庭の独奏会」参照
☆脱出できたのは、キルクルス教徒のラクエウス議員や、両輪の軸党のアサコール党首らほんの一握り……脱出「277.深夜の脱出行」、その後「278.支援者の家へ」「378.この歌を作る」「400.党首らの消息」参照
☆脱出後にネモラリス共和国内の潜伏先で捕えられた……「284.現況確認の日」「378.この歌を作る」「402.情報インフラ」参照
☆ネミュス解放軍は、放送局だけでなく、国会議事堂や議員宿舎も占領……「600.放送局の占拠」参照
☆アミトスチグマでも、AMカッカブ・ビルの放送を拾えた……「0959.敵国で広める」参照
☆昔の電波塔がまだ残ってて、AMだったら、隣近所の国まで届く……「666.街道の続きを」「0959.敵国で広める」参照
☆帰還難民センターに居る間……「596.安否を確める」~「601.解放軍の声明」「610.FM局を包囲」~「612.国外情報到達」~「617.政府軍の保護」、「619.心からの祈り」~「623.水鏡への問い」「642.夕方のラジオ」参照
☆ラクリマリス政府は(中略)重大事件について情報発信……動画「499.動画ニュース」~「501.宿屋での休息」、新聞「580.王国側の報道」「581.清めの闇の姿」参照




