0982.番組の準備中
ラクエウス議員が、キルクルス教の大まかな教義を口述する。
ファーキル少年は凄い速さで打鍵し、パソコンの画面上に文字がどんどん表示された。
でき上がった文章を読み合わせ、抜けがないことを確認する。
メールの送り先は、ラクリマリス王国の詩人ルチー・ルヌィだ。
フラクシヌス教徒の彼が、これをどんな詩に仕立てるか不安はある。だが、信じて待つ他なかった。
彼が敲き台を作った詩には、ラクエウス議員が曲を付ける。
演奏の経験なら豊富で譜面は読めるが、作曲は全く別の技能だ。九十年以上生きて来て、一曲も作ったことがない。
ピアノ奏者のスニェーグは、リャビーナ市民楽団のオリジナル曲を幾つか手掛けたが、彼もまたフラクシヌス教徒だ。
この曲は、キルクルス教徒が完成させなければならない。
わからない所を教えてもらうだけに留め、キルクルス教の教えを捨てたと言う平和の花束の四人と共に作ることに決まった。
彼女らは今、別室で聖典に記された【歌う鷦鷯】学派の呪歌を練習中だ。
聖典にあるのは共通語訳された「歌詞」だが、【歌う鷦鷯】学派を修めたソプラノ歌手オラトリックスの指導で、力ある言葉の「呪文」を猛特訓すると言う。
「私、難民キャンプで【道守り】を手伝ってわかったんです」
リーダーのアルキオーネは、何がどうわかったのか、ラクエウス議員には教えてくれなかった。
他のメンバーをどう説得したのかも不明だが、一昨日から、平和の花束の四人は揃って呪歌の練習を始めた。
今日メールを送っても、いつ詩の敲き台が上がってくるかわからない。「ラキュス湖周辺地域に平和を取り戻したい」との願いは同じだが、詩人のルチー・ルヌィは信仰が異なる。
キルクルス教の信仰を謳う歌詞には、かなり苦戦するだろう。無理を承知で引受けてくれた詩人には、どれだけ感謝しても足りるものではなかった。
「今、改めて検索したら、星道の職人用の聖典、全文をネットに上げたの、色々出て来ました」
「そうかね」
ファーキル少年に示された画面を覗く。
すっかり見慣れた動画共有サイト「ユアキャスト」だ。
一般信者向けの聖典と星道の職人向けの分厚い聖典が並べて置かれ、表紙を映したカメラが視点をずらして両者の厚みの違いを示した。
星道の職人用が大映しになり、誰かの手が革の表紙を捲る。人差し指が目次を辿り、星道記の項目で止まった。
その手が星道記の箇所を開いて扉絵を示す。
共通語の飾り文字で書かれた「星道記 建築分野」の題字の上下を鳩と懸巣の細密画が飛ぶ。
「これって、【霊性の鳩】学派と【巣懸ける懸巣】学派ってコトですよね?」
ファーキル少年の指摘に思わず唸った。
ラクエウス議員の姉クフシーンカも星道の職人だ。
縫製分野の扉絵には、雀と種類のわからない小鳥の細密画があったが、改めて思い返すと、あれは【踊る雀】学派と【編む葦切】学派を示すものだったのだろう。
画面の中では、ゆっくりとページが捲られ、時折、教会の設計図や装飾を大きく映して数秒止まった。
BGMは、聖典に共通語の歌詞と楽譜が記された聖歌のインストゥルメンタルだが、この曲は、平和の花束が練習中の呪歌【空の守り謳】だ。
この投稿者のものはこれ一本のみ。
解説などは一切なく、ただ、聖歌と共に聖典を示すだけの動画は、公開から三年余りの間に十数万のアクセスを稼いでいた。
画面右側にある関連動画の一覧には、星道の職人用の聖典を見せるものがずらりと並ぶ。投稿者、専門分野、公開の日付や画質、動画の長さなど、すべてバラバラだった。
ファーキル少年がメールを起動し、この動画のURLをルチー・ルヌィに送る。
「ラジオの番組構成も考えないといけませんよね」
「うむ。音楽番組の体裁にするから、曲順なども考えねばな」
次に葬儀屋アゴーニが訪れた際、FMクレーヴェルのDJレーフに協力の依頼を伝言してもらうことになった。彼の人となりがわからず、多少の不安はあるが、まずは言ってみなければ始まらない。
二人は取敢えず、放送予定の曲名を並べた。
「新曲は番組の最後に流すのがよかろう」
「どうしてですか?」
「最初に流すと、聞きそびれる者が出るだろう?」
「あぁ、途中から聞く人が困りますね」
ファーキル少年が、画面上で「新曲」の行を一番下に移動する。
半世紀の内乱時代に生まれ、当時既に物心ついていた者は現在、三十代後半以上で現役世代が多い。
旧ラキュス・ラクリマリス共和国時代の国営放送で使われた曲は、内乱時代の悲しみと懐かしさを呼び覚ますだろう。
それが次にどんな行動へと繋がるかは人による。
リスナーの心がいい方へ動くと信じるしかない。
天気予報のBGM「この大空をみつめて」をニプトラ・ネウマエの歌唱、同じ曲に移動販売店のFMの詩をつけた「パンを届けよう」は平和の花束が改めて歌って収録する。
国民健康体操の曲に平和を願う詩をつけた「みんなで歌おう」は、移動販売店プラエテルミッサの音源を使う。
まだ歌詞が決まらず、未完成の「すべて ひとしい ひとつの花」は、アミトスチグマの神殿で行った新年コンサートの音源を使用することになった。
「ラクエウス先生、この『すべて ひとしい ひとつの花』は、最後から二番目くらいがよさそうですけど、どうでしょう?」
「そうだな。そうしてくれるかね」
聖典に聖歌として共通語の歌詞が記された【歌う鷦鷯】学派の呪歌【道守り】と【空の守り謳】は、平和の花束と針子のアミエーラが一緒に歌う。
「これ、番組の最初に共通語版で、平和の花束だけで歌ってもらって、真ん中辺でアミエーラさんと一緒に呪歌でってどうです?」
「ふむ。だが、あのコらは、例の動画でキルクルス教の信仰を捨てると宣言しておったろう」
「あぁ……そう言えば、見ましたね」
「その動画を憶えておるリスナーが反発して、途中で聞くのをやめてしまったりはせんかね?」
アルキオーネたち「平和の花束」の四人は、昨年までアーテル共和国でアイドル歌手「瞬く星っ娘」として活動し、デビュー以来、国民的な人気を誇る象徴的な存在だった。
コンサートでの唐突な引退宣言と信仰の放棄は、世代を問わずアーテル国民に少なからぬ衝撃を与え、物議を醸した。
動画共有サイト「ユアキャスト」で新ユニット「平和の花束」として活動を再開したが、アーテル共和国内ではアクセスが遮断され、公式発表では未だに行方不明扱いだ。
バルバツム連邦やバンクシア共和国など、検閲のない外国に滞在するアーテル人が、彼女らの活動再開を知ってメールやSNSなどで故郷の者に知らせようとしたようだが、アーテル共和国内からは彼女らの動画を視聴できない。
活動再開当初は嘘吐き呼ばわりされ、ファン同士で諍いになった。最近はそれも沈静化して話題にすら上らない。
「うーん、じゃあ、聖歌の次にどうしてこれを歌ったか、アルキオーネさんたちに語ってもらって、そのすぐ後、呪歌にしましょうか?」
「それがよかろう。まぁ後で本職のDJに見直してもらうとして、今は仮決めでよしとしようではないか」
「そうですね」
二人は、使用する音源の候補を動画で確認する作業を進めた。
☆ラクリマリス王国の詩人ルチー・ルヌィ……「774.詩人が加わる」参照
☆聖典に記された【歌う鷦鷯】学派の呪歌……呪歌【空の守り謳】「786.束の間の幸せ」参照
☆私、難民キャンプで【道守り】を手伝って……「927.捨てた故郷が」~「929.慕われた人物」参照
☆天気予報のBGM「この大空をみつめて」……「170.天気予報の歌」参照
☆同じ曲に移動販売店のFMの詩をつけた「パンを届けよう」……「210.パン屋合唱団」「280.目印となる歌」参照
☆国民健康体操の曲に平和を願う詩をつけた「みんなで歌おう」……「275.みつかった歌」参照
☆まだ歌詞が決まらず、未完成の「すべて ひとしい ひとつの花」……「774.詩人が加わる」「900.謳えこの歌を」参照
☆アミトスチグマの神殿で行った新年コンサート……「813.新しい年の光」参照
☆【歌う鷦鷯】学派の呪歌【道守り】と【空の守り謳】……「804.歌う心の準備」参照
※ 野茨の環シリーズの別の話「飛翔する燕(https://ncode.syosetu.com/n7641cz/)」の「37.道守りの歌」「42.空の守り謳」参照
☆あのコらは、例の動画でキルクルス教の信仰を捨てると宣言しておった……例の動画「429.諜報員に託す」「430.大混乱の動画」「431.統計が示す姿」、そのニュース「424.旧知との再会」参照
☆動画共有サイト「ユアキャスト」で新ユニット「平和の花束」として活動を再開した……「515.アイドルたち」~「517.PV案を出す」参照
☆アーテル共和国内ではアクセスが遮断され、公式発表では未だに行方不明扱い……「567.体操着の調達」参照
▼バルバツム連邦とバンクシア共和国は、アルトン・ガザ大陸にある。




