0981.できない相談
ジョールチは、市立図書館で調べたその足で、チェルニーカ市内にある逓信省のパドール地方管理局を訪れた。
無論、移動販売店プラエテルミッサの代表者として、レノもついて行く。
国営放送のアナウンサーは、朝からそのつもりだったらしく、放送局から逃れた時の背広姿だ。
レノは、交換品でもらったトレーナーと綿のズボンで、年相応ではあるが、この恰好で上級の公的機関に立入るのは気が引けた。
……持ってないんだから、仕方ないよな。
移動販売店プラエテルミッサの中で、こんな所に来ても場違いではない服を持っているのはジョールチだけだ。
高校を卒業した時、両親が一着だけ背広を誂えてくれたが、出来上がりの確認をしただけで、その後は一度も袖を通さないまま、実家と一緒に燃えてしまった。
ジョールチの背中を見て考える。
……また何かあった時用に、俺も代表者っぽいこれ系の服、用意した方がいいのかな?
世の大人たちは「人を見た目で判断してはいけません」と事あるごとに言うが、世間にはドレスコードなるものが存在し、服装で客を選り好みする店まで存在するらしい。
レノたちの実家「椿屋」は庶民的なパン屋で、客の身形で入店を断ったことなど一度もなかった。
鉄筋コンクリートの立派な庁舎内は、役人も来庁者もジョールチと似たような紺や灰色の背広姿の人ばかりだ。
レノは身の置き場のなさで消えてしまいたくなったが、ジョールチは堂々と案内係に聞いて、担当の窓口に向かう。
……俺、来ない方がよかったんじゃないかな?
だが、ここまで来て引き返すワケにも行かず、はぐれないようについて行く。
「ジョールチさん! ご無事だったんですね」
窓口の中年男性が用件を伝えた声に顔を綻ばせ、聞きつけた他の職員たちも集まってきた。
ざっと見渡して、湖の民が六割。ネミュス解放軍の共鳴者が居るかも知れず、迂闊なことは言えない。レノはどう応じる気なのか、ジョールチを見た。
「あの夜、本局が戦闘に巻き込まれまして、窓から飛び降りて【浮遊落下】で逃れました」
国営放送の本局がネミュス解放軍の襲撃を受けたのは、隠しようがない。あの夜、ラジオを聞いていた人々の耳にこびり付いて、消えることはないだろう。
逓信省の職員が、苦しげな顔でジョールチを見て、レノに視線を移した。
レノは大地の色でジョールチは黒。髪の色が全然違うし、顔立ちも全く似ていない。身内には見えない場違いな組合せがどう思われるか気掛かりだ。心細くなったレノは、ジョールチに半歩近付き、彼の背に半分隠れた。
「まだ、戦闘に巻き込まれていなかったAMカッカブ・ビルに駆け込んで、国民のみなさんに首都で発生した事件をお伝えしましたが、そこも……何とか逃げ果せて、クレーヴェルでしばらく潜伏しつつ情報収集を行いました」
「よく生きて出られましたね。チェルニーカ市にも、クレーヴェルから逃げて来たという人が少しいらっしゃるんですが、どなたも大変な目に遭われて……」
年配の女性職員が恐ろしげに言葉を濁す。
ジョールチは頷いて、カウンターの向こうに集まった職員を見回した。
戦争の影響によるものか、応対中の窓口はひとつだけで、カウンターのこちら側は閑散としている。
「えぇ。私も、家族は……誰も助かりませんでした」
レノはたった今、ジョールチの個人的な事情を一度も聞いたことがなかったと気付いた。
首都クレーヴェルがあんなことになったせいで、誰の身に何があっても不思議ではなく、本人が言わない以上、家族のことなど聞ける筈がない。
レノ自身も、爆弾テロに遭ったことには触れて欲しくなかった。
役人たちも掛ける言葉がみつからないらしく、誰もが強張った顔で、一個人としての事情を語った国営放送のアナウンサーを見詰める。
「情報収集中にFMクレーヴェルの方と知り合いました。現在は、国営放送のイベントトラックとFMクレーヴェルの機材を使って、移動放送をしています」
「クレーヴェルを出てからここに来るまで、色んな街で放送してきました。他所では何も言われなかったんですけど、ここのお巡りさんに手続きをするように言われて……」
レノが言うと、職員の数名が小さく息を呑んで顔を見合わせた。
「現在はFM放送の帯域を使用し、電波伝搬範囲内の地方ニュースや、物価などの生活情報、音楽などをお届けしています。改めて、コミュニティFMか戦災・災害FMとして放送許可の申請をしたいので、しょる」
「すみません。お引き取り下さい。代表者の住民登録がチェルニーカ市ではない場合、同市内でのコミュニティFM開局の手続はできないんですよ」
「そんな馬鹿な! 総合無線通信士の免許有効範囲は全国ですよ? 政令にも、住民登録による制約なんて一行も」
「今は戦時特別態勢なので、そのー……大変申し訳ありませんが、ジョールチさんのお願いでも、これだけは……」
アナウンサーを繰り返し遮る職員が、申し訳なさそうに何度も何度も頭を下げ、泣きそうな目でジョールチを見る。他の職員たちは苦しげに目を逸らし、自分の持ち場へ戻った。
手順を控えた手帳を持つジョールチの手が震える。
レノは勇気を振り絞って質問した。
「あのー、それって、いつ頃から何ですか?」
「今月に入ってからです。それから、臨時戦災・災害FM局の開設許可申請の方は元々、地方自治体の首長にしかできません。非常時には口頭でも免許を出せるんですが、一般の方には申請自体ができないんですよ」
役人はこんな恰好のレノにもきちんと答えてくれた。
ホッとして質問を重ねる。
「あー……じゃあ、他の免許はどうですか?」
「アマチュア無線の免許も、住民登録のあるところでしか、申請できなくなりました」
職員は何度も同じ質問をされるのか、すらすら答えた。
「えっ? でも、焼け出されて、住民登録、ネーニア島に残したまま避難してる人っていっぱい居ますよね?」
「我々の裁量でどうにかできることではありませんので、大変申し訳ないんですが……」
開戦から一年以上経ち、避難先に落ち着いた者も少なくはないが、仮設住宅に入居できた人々は飽くまでも仮住まいで、子供の転校手続きなどで必要に迫られない限り、大半が住民登録を元の居住地に残したままでいる。
住所不定のレノたちは勿論、新規の住民登録などできなかった。
首都クレーヴェルでクーデターが起きた時、放送局に取り残されたDJレーフは、FM放送でアマチュア無線家に情報提供を呼び掛けていた。
……他所者に許可出さないのって、何か関係あんのかな?
流石にそれを聞いてはいけない気がする。
レノは、蒼白な顔で肩を震わせるジョールチを促し、逓信省パドール地方管理局を出た。
何と言っていいかわからず、無言でとぼとぼ歩く。
官庁街から商業区域に差し掛かった辺りで、背後からバタバタ走る鈍臭そうな足音が聞こえた。レノが振り向くと、さっきの職員が革靴でドタバタ駆けて来るのが見えた。
「ジョールチさん、あの人……」
アナウンサーは、心ここに在らずでレノの声に反応せず、機械的に歩いてゆく。追い掛けて肩を叩くとやっと止まった。
「何か、さっきの係の人が……」
レノが言うと、ゆっくり振り返ったが、相変わらず表情はない。やっと追いついた職員は、顔を真っ赤にして息を切らせ、ロクに喋れなかった。
「大丈夫ですか?」
「ちょ、ちょっと、そこの、喫茶店で……話を……」
「いいんですか? 仕事中ですよね?」
レノが驚くと、職員はニヤリと笑った。
「いいんです。俺……どうせ、出世する気、ないし」
何だかよくわからないが、路地裏の見落としてしまいそうな喫茶店に連れて行かれた。
「あら、こんな時間に珍しい」
「珍しいお客さん連れて来たけど、みんなには内緒な。……ここは奢ります。好きなの頼んで下さい」
五人掛けのカウンターしかない小さな店で、他に客の姿はなかった。
おかみさんは馴染みの客に頷いて、初めての客に値踏みする目を向ける。
「ありがとうございます。じゃあ、鎮花茶ふたつお願いします」
レノは、ジョールチにいつもの落ち着きを取り戻して欲しくて、勝手に注文した。ジョールチは無言で座り、カウンターに肘を突いて頭を抱える。
おかみさんは職員には注文を聞かず、さっさと仕度に取り掛かった。小さな店にアーモンド粉を牛乳で煮る香ばしい風味が満ちる。
鎮花茶とアーモンド茶がカウンターに並ぶまで、誰も喋らなかった。
「ママさん、今日、俺たちが来たのも、今から喋るコトも、絶対、内緒にしてくれよな」
「私が口固いの知ってるクセに。クリャートウァ様に誓って誰にも言ったりゃしないわ」
おかみさんが悪戯っぽい笑みを返すと、職員はレノとジョールチに椅子ごと向き直った。
「先月、国会議員の先生が急に来て、出所不明のデマ情報が拡散しないように免許関係の受付を停止しろって言われたんです」
「どこの、何と言う議員ですか?」
おかみさんが、ジョールチの声に瞳を輝かせた。
職員は少し躊躇う素振りを見せたが、お茶を一口啜って答える。
「秦皮の枝党のパジョーモク先生とイーヴァ先生です」
レノは思わず、ジョールチと顔を見合わせた。
ジョールチが重ねて聞く。
「根拠は何です?」
「戦時の特異な状況下に於いて、政府の確認を経ない情報や、人心を惑わす情報が流布すると、国内に混乱と分断をもたらすからだそうです。まだ、法整備は追い付いていないそうですが、近い内に政令を出す、と……多分、ネミュス解放軍が増えたから、アマチュア無線や乗っ取った放送局でプロパガンダを出させない為だと思うんですけど、今更感があって……」
職員は一気に言って、悔しそうに俯いた。
「わかりました。教えて下さってありがとうございます」
ジョールチがいつもの落ち着いた声を掛ける。
職員が肩の力を抜いて上げた顔は、晴れやかだった。
☆あの夜、本局が戦闘に巻き込まれ/国営放送の本局がネミュス解放軍の襲撃を受けた……「600.放送局の占拠」参照
☆レノ自身も、爆弾テロに遭った……「710.西地区の轟音」~「719.治療と小休止」参照
☆情報収集中にFMクレーヴェルの方と知り合いました……「660.ワゴンを移動」~「663.ない智恵絞る」参照
☆ここのお巡りさんに手続きをするように言われて……「0970.チェルニーカ」「0971.放送への妨害」参照
☆DJレーフは、FM放送でアマチュア無線家に情報提供を呼び掛けていた……「611.報道最後の砦」参照
☆クリャートウァ様に誓って……フラクシヌス教の誓いの女神「555.壊れない友情」参照




