0978.食前のお祈り
少年兵モーフの前に地下街のメシ屋と同じくらいのご馳走が並ぶ。
オムレツ、チキンフリッター、何かの肉と野菜の塊がゴロゴロ入ったスープ、ふかふかのパン、蔓苔桃のジュースと焼菓子まである。
「これ、ホントに俺一人で全部食っていいのか?」
「えぇ。但し、お菓子は最後よ。食べ切れなかった分は、持って帰れるように包んであげますからね」
「ありがとう! ピ……と、友達に全部持って帰る!」
「そう? じゃあ、お友達の分は別に用意してあげましょうね」
イーヴァ議員はやさしく微笑んで、後援会のおばさんに用意を頼んだ。
廊下で鉢合わせしたおっさんが、大人たちにモーフの事情を話すと、イーヴァ議員と仲間はすっかり絆されたらしく、モーフを昼メシに誘った。
今朝、レノ店長とピナが久し振りにパンを焼いてくれたのを思い出したが、こんな機会は二度とないだろう。情報収集を優先した。
他にも何か忘れているような気がしたが、食卓に案内された途端、そんなことは吹っ飛んだ。
「聖典を読むのは、ごはんの後にしましょうね。今朝届いたばかりで、まだ誰も読んでいないから」
「うん。聖典ってどんな?」
少年兵モーフは嬉しくて仕方ないと言いたげな顔を作って、イーヴァ議員に聞いた。議員のババアと仲間たち十二人は、似たような微笑を浮かべてモーフを見る。
「分厚くて大きい、聖職者用の聖典よ」
「聖職者? ここ、司祭様も居んの?」
モーフが本気で驚いて、大人たちを見回す。
彼らは笑顔を少し雲らせてイーヴァ議員を見た。
「今は、居ないわ」
「前は居たんだ?」
イーヴァ議員は悲しげな目を遠くに向けた。
「前……そうね。ずーっと前、半世紀の内乱中は、いらっしゃったわ」
「今は居ねぇから、司祭様用の聖典、読んじゃダメなんだ?」
少年兵モーフは、ご馳走を前にして鳴り止まない腹を無視して、今しかできない質問をどんどん繰り出す。
最初に鉢合わせしたおっさんが苦笑した。
「先にごはんにしよう。お話は、食べながらでもできるからね」
「こんなにはしゃいで……」
「近くに信仰のお話をできる人が居ないのね」
おばさんたちが「可哀想に」と勝手な想像で憐れむ。
「天と地の恵みを遍く照らす日月星のご加護に感謝します」
少年兵モーフが、食前のお祈りの文句を唱えてみせると、大人たちはお喋りをやめ、不法侵入した少年にあり得ないものを見る目を向けた。
……あれっ? こっち、食い終わった時のヤツだっけ?
急に自信がなくなり、正面のイーヴァ議員を見詰め返す。
国会議員のババアは手で口許を覆って言った。
「まぁあ……正式なお祈りの詞まで教えてもらってたのね」
「坊や、ウチのコになる?」
その隣のおばさんが、ハンカチで目頭を押さえて聞く。
モーフは全力で首を横に振った。
「ピ……と、友達居るから、公園、帰るよ」
「お友達のご家族は?」
「父ちゃんはダメだったけど、はぐれた母ちゃんは、知り合いの兄貴がトポリで見たっつってたから、戦争終わったら……ネーニア島に帰れるんだよな?」
言いながら心配になって、イーヴァ議員に本心からの疑問をぶつける。
国会議員のババアはそれに答えず、表情を改めてモーフに聞いた。
「お友達は、陸の民? それとも湖の民?」
「陸の民。母ちゃんを見たって人は湖の民」
「そう。坊やには難しくてまだわからないかもしれないけれど、今、この国は戦争以外にも大変なことになっているのよ」
小柄なモーフは、年齢よりずっと幼く見えるらしく、メドヴェージのおっさんや行く先々の大人たちからコドモ扱いされた。時々お菓子をもらえるから、悪いコトばかりでもないが、嬉しくはない。
だが今は、情報収集の為にその気持ちを脇に退け、頭を全力で働かせて、国会議員の難しい話に食らいついた。
「ラジオでやってたクーデターって奴?」
「そうよ。よく知ってたわね」
「俺もラジオ聞いたし、大人がみんなワーワー言ってたから」
イーヴァ議員が頷き、モーフにもわかる簡単な言葉で説明する。
「クーデターを起こしたのは、ネミュス解放軍って言う人たちよ。民主主義……みんなで国の大事なことを決めるのをやめて、湖の民のラキュス・ネーニア家が支配する国に戻したいって言ってるの」
「うん。ナントカ将軍が、湖の民の偉い奴の親戚なんだろ」
「えぇ。そうよ。その人たちが悪しき業を使って首都を占領して、私たち、国民に選ばれて国の大事なことを決める代表者は、追い出されてしまったの」
誰も食事に手をつけず、重苦しい空気が食卓に載る。
「でも、偉い人ってみんなレーチカに引越したから、大丈夫だよな? ……あれっ? 何でこんなトコ居んの?」
イーヴァ議員はフォークを手に取って頬を緩めた。
「冷めてしまわない内に食べましょう。……ずっと一箇所に居たら、解放軍がレーチカも占領するかもしれないでしょう? だから、交代で地方回りをするのよ」
「ふーん」
モーフは、それで解放軍がレーチカを攻撃しないのか、と思った。
スプーンでオムレツを食べ進める。
大人たちの皿には、オムレツの代わりに焼魚があるが、誰も薬師のねーちゃんみたいに緑色の汁はつけていなかった。
護送車の焼魚を思い出しかけたが、イーヴァの声で「今」に意識が戻る。
「解放軍に賛成する人がどんどん増えて、もしかしたら、この国がネーニア島とネモラリス島に分かれてしまうかもしれないの」
「えぇッ?」
大人たちは知っているのか、遅くなった昼食を黙々と食べ進める。
手振りで促され、モーフもすっかり冷めてしまったチキンフリッターを口に放り込む。
「まだ、そうと決まったワケじゃないし、あちこちの新聞が、全然別の予想をした内のひとつの説でしかないけれど……」
イーヴァ議員は言葉を濁し、モーフに微笑んだ。
「ごめんなさいね。大人でも難しい話ばかり。早く食べて、お友達がお母さんと一日も早く再会できますよう、聖者様にお祈りしましょうね」
モーフは、口いっぱいに頬張ったまま頷いた。
☆廊下で鉢合わせしたおっさんがモーフの事情を話す……「0972.聖典を見たい」参照
☆食前のお祈りの文句……「308.祈りの言葉を」参照
☆護送車でのコト……「0045.美味しい焼魚」参照




