0977.贈られた聖典
「そろそろ届く頃ですよね」
今朝、アミトスチグマに【跳躍】して来たスニェーグが、ファーキルのタブレット端末に視線を向ける。少年は画面に指を走らせて頷いた。
「昨日、デルガーチ株式会社のブログに記事が出ました」
リャビーナ市民楽団の老ピアニストは、画面に触れぬよう慎重に受取り、隣のラクエウス議員に向ける。
二人は老眼鏡を掛け直し、手帳程の小さな画面を見詰めた。
この建材メーカーは、湖東地方のディケア共和国にあり、社長が熱心なキルクルス教徒だ。
大聖堂が、遙々アルトン・ガザ大陸のバンクシア共和国から聖典を届けてくれたと感激するコメントと共に、大量の分厚い聖典を会議机に並べた写真もあった。
全て、取引先のオースト倉庫株式会社のディケア支社に引き渡すとある。
写真で数えたところ、丁度百冊あった。
文章内に総数の記載がなく、全部を画面に収めたのか、他にもあるのか不明だ。
ディケア港から、オースト倉庫株式会社があるネモラリス島のリャビーナ市までは、高速船ならほんの数時間。
記事の日付は昨日だが、聖典が届いたのは先週だと書いてある。
報道機関ではないから、記事の発表が遅れがちなのだろう、とラクエウス議員は了解した。参考にはなるが速報性がなく、現在の状況はわからない。
魔法の使えないラクエウス議員は、高齢なこともあり、アミトスチグマの支援者宅から付き添いなしでは外出もままならなかった。
家の内と外、どこを見ても白壁なのは、アミトスチグマの建築文化だとわかっているが、病室に閉じ込められたような気分だ。
「スニェーグ君、リャビーナの様子はどうだね?」
「オースト倉庫の従業員には、目立った動きや変化はありません。聖典が届いたかどうか、外部からはわかりませんね」
「政府軍と解放軍にバレたら大変だから、他の荷物に紛れ込ませて運んで、下っ端には内緒にしてるのかも?」
ファーキル少年が質問や推測と言うより、確認するような目をスニェーグに向ける。老ピアニストは雪のような白髪を小さく揺らした。
「十中八九、そうでしょう。営業中の店は減りましたが、他の手段でも情報収集できますからね。同志と手分けしてネモラリス島北部の支部を探ります」
スニェーグはリャビーナ市民楽団のピアノ奏者だが、開戦後は、ネモラリス島内各地の生演奏付き飲食店で、ミニライブや店内BGMの仕事をしながら、情報収集の協力を続ける。
物価の高騰で、一回当たりの演奏料は下がったが、仕事自体は以前よりも増えたと言う。
ラジオが戦時特別態勢で放送時間が短くなり、ニュースや政府・地方自治体や警察の発表が増えた。その分、音楽番組などがしわ寄せを受け、人々は娯楽に飢えている。
「くれぐれも、無理はせんでくれよ」
「了解です。まだ、確証がもてないのですが、聖典の配布とは別口で気になる件がありまして、その調査も一緒にする予定です」
「何だね?」
奥歯に物が挟まったような物言いだ。ラクエウス議員は苛立ちを辛うじて抑えて聞いた。ファーキル少年も、スニェーグを難しい顔で見る。
老ピアニストは少年に端末を返して答えた。
「パジョーモク議員が所在不明かもしれないのです」
「行方不明ではなく、居るか居ないかハッキリせんのかね?」
「はい。リャビーナ市内の事務所は通常通り開いていますし、陳情も受付けますが、ここしばらく、本人の姿が見えません」
「レーチカの臨時政府に出たのではないのかね?」
それなら、事務所の者が陳情者にそう言うだろうとは思いつつ、確認の為に聞いてみた。
「同志が陳情のフリで探ってくれたのですが、『パジョーモク先生は、お忙しいので今日は面談できません。陳情は必ず先生にお伝えします』と書類だけ書かされて帰らされました。他の同志数人が、レーチカとリャビーナで、それぞれ日と時間をずらして調べましたが、結果は同じでした」
パジョーモク議員は秦皮の枝党の幹部だ。怪我や病気は、党員や支持者が経営する病院が優先的に看て、魔法ですぐに癒すだろう。
「入院ではないのだな?」
「はい。レーチカとリャビーナの病院を全て当たりましたが、それらしい入院患者はみつかりませんでした」
「いつから居なくて、そんななんですか? 支持者の人たちって何か噂とかしてませんか?」
スニェーグは、ファーキル少年に申し訳なさそうに答えた。
「姿が見えなくなった時期もはっきりしないのですよ。リャビーナの支持者……陳情に来るような一般の人は、特にレーチカと情報交換するようなコトがありませんから、それぞれが、地元か臨時政府に居るのだろうと思っているようですね」
「あー……そっか。ネットがないし、電話もあんまり使えないんでしたっけ?」
ファーキル少年は固く目を閉じて俯いた。
「パジョーモク議員は開戦後、支援要請などで、他の議員と一緒に何度かラクリマリスを訪問しましたが、その時は、事務所の者が『ラクリマリスに出張中です』と、はっきり答えましたからね」
「ネミュス解放軍が以前より大きくなったから、あっちに邪魔されないように、どこに出張したか内緒にしてるのかな?」
ファーキル少年が顔を上げて言う。
老人二人が顔を向けると、少年は続けた。
「下手に嘘の居場所を言って、有権者がそっちに【跳躍】したら、居ないのバレちゃうから、どこに居るかぼかしてるとか?」
「あぁ、それはあり得るかもしれませんね。少なくとも、ネミュス解放軍がリストヴァー自治区を襲撃した翌日までは、リャビーナの事務所に居るのを見ましたから」
スニェーグが納得し、ラクエウス議員も合点がいった。
「成程な。儂も正直なところ、解放軍があんな思い切った軍事行動に出たのは驚いた。党幹部なら、報道されておらん情報でも、政府軍を通じて掴んでおっても不思議はない」
「ウヌク・エルハイア将軍が、ネミュス解放軍を制御しきれてないって、わかりましたもんね」
ファーキル少年が頷いた。
パジョーモク議員は、力なき民のフラクシヌス教徒で、秦皮の枝党の幹部だ。ネミュス解放軍内の過激派に狙われる理由は、充分ある。
身の危険を感じて雲隠れしても仕方がない程にネミュス解放軍は力を増し、つい先日も、支部が新設されたとの情報が寄せられたばかりだ。
「では、スニェーグ君、すまんが、聖典の配布状況とパジョーモク議員の件、頼んだよ」
「はい。同志と手分けして、無理のない範囲で頑張ります」
「じゃあ、俺もフィアールカさんとラゾールニクさんに自治区の様子を詳しく見て下さいってメールしますね」
「うむ。頼むよ。確か、定期便はクブルム街道だけで、自治区には降りんと言う話だったからな」
三人はすぐ、それぞれの用件で腰を上げた。




