0976.議員への陳情
パジョーモク議員の屋敷は門が解放され、人の出入りがそこそこあった。
「私が話しましょう」
「お願いします」
薬師アウェッラーナは、ソルニャーク隊長の後に続いて敷地に入った。
少年兵モーフの姿がないか素早く視線を走らせたが、子供は一人も居ない。
決意と緊張を漲らせた赤毛のおばさん、悲愴な顔でメモを読み返しながらゆっくり進む黒髪のおじさん、救われたような顔で足取り軽く出て行く金髪の若者、無表情で足音荒く立ち去る茶髪の男性。
イーヴァ議員が陸の民だからか、陳情者らしき人々も陸の民ばかりで、緑髪のアウェッラーナは酷く場違いな気がした。
玄関を入ってすぐに受付がある。
呼称と住所、来意を書類に書くらしい。二人は書き物台の順番を待つ間、視線を交わし、アウェッラーナが書くことになった。
取敢えず、呼称は正直に書き、住所はアガート病院の所在地を書いて誤魔化す。
係員がアウェッラーナの手許を覗いて言った。
「ゼルノー市の方ですか。現在のお住まいは?」
「家が焼けちゃって、もうないんですけど……」
「大変でしたね。でも、命が助かっただけでもよかったですよ。ご記入は身分証の住所ではなく、今お住まいの仮設住宅でご記入下さいね」
係員は気の毒そうに言って、赤いボールペンで呼称を囲み、ひとつ下の行の住所欄に矢印を引いた。
「公園の住所、まだちゃんと憶えてなくて……」
「公園の名称だけで大丈夫ですよ」
やさしい声で言われたが、正直に書いたものか、と手が止まる。
ソルニャーク隊長に公園の名称を囁かれ、少しホッとして記入した。
来る途中で見た港の近くの公園だ。移動販売店のトラックを停めた所からは、かなり遠い。
「そちらの方もお願いします」
「手が塞がってるから、代わりに書きますね」
係員は一瞬、渋い顔をしたが、何も言わなかった。
扉のない待合室に通され、ソファに腰を降ろす。
ソルニャーク隊長は鎮花茶の大袋を代わりに座らせた。
「ちょっと手洗いに行って来る」
待合室のソファは半分以上埋まり、入口脇に係員が二人、直立不動で待機する。
「お手洗いですね。ご案内します」
待合室を出た直後に係員の一人が声を掛け、隊長に付き添った。
……案内兼、勝手にうろうろされないようにって言う監視か。
トイレを口実に少年兵モーフを捜しに行ってくれたのだろうが、予想通り、その作戦には無理があった。
しかも、塀の長さから察するに、かなり大きな屋敷だ。監視がなくても、迷子のフリでは流石に隅々までは捜せないだろう。
……まぁ、場所がわかっただけでもいいのかな?
モーフが確実にここに居る保証はないが、何かひとつでも手掛かりを持って帰りたかった。
壁の掲示板には、外と同じポスターや臨時政府の広報紙、秦皮の枝党からのお知らせに加え、これまでに寄せられた陳情やその進捗の一覧表も貼られていた。
ソファで備え付けの新聞や雑誌を読む者も居るが、立って掲示物を熱心に読む者も居た。
アウェッラーナはなんとか自分を落ち着かせ、他の陳情者と肩を並べて掲示物を読んだ。
仮設住宅入居者への医療費の補助、就職の斡旋、学費の補助、民間アパートに避難した罹災者の家賃補助……経済的な陳情が九割を占め、残りは早期停戦を臨む要望と、ネミュス解放軍や星の標、魔獣対策などに対する治安部隊の増員要請だ。
開戦から一年と少し。
空襲から逃れられても、日々の暮らしが成り立たなければ、生きてゆけない。
力ある民は、【魔力の水晶】に魔力を充填するなど、働き口は色々ある。その他の仕事でも、建物に掛けられた【巣懸ける懸巣】学派の護りの術を発動させる為、優先的に採用する企業は多い。
その分、力なき民は仕事がなかなか決まらなかった。
人種や民族を問わず、貯金が潤沢にある者ばかりではない。
口座にそこそこの残高があった者でも、湖上封鎖と戦災による物資不足の煽りで高騰した物価に喘ぐ。
ネモラリス島でもこうなら、空襲の被害が甚大なネーニア島の各都市はどれだけ酷いのか。
東部はまだしも、西部は小さな農村や漁村まで徹底的に焼き尽くされた。漁村は船で沖合に避難できたかもしれないが、他は想像するのも恐ろしい。
アウェッラーナは、だんだん本気で陳情したくなってきた。
……でも、本来の目的じゃないし、迂闊なコト言えないし。
ソルニャーク隊長が、係員とすっかり打ち解けた様子で、世間話をしながら戻ってきた。鎮花茶の大袋を膝に置いて座り直すのを待って、アウェッラーナもソファに戻り、声を掛ける。
「陳情、もうひとつ思いつきました」
「どんな件ですか?」
「輸入を増やして欲しい物品の件です」
「あれですか。わかりました」
ソルニャーク隊長は、わかったフリで皆まで言わせなかった。
……さっきの世間話で何か掴めたのね。
恐らく、ここが星の標の支部だと確認できたのだろうと了解し、薬師アウェッラーナはそれ以上言わず、順番を待った。
「ゼルノー市からお越しのソルニャークさん、アウェッラーナさん、どうぞ」
待合室の人が次々入れ替わり、やっと二人が呼ばれた。
廊下の突き当りの部屋へ丁重に案内される。
「どうぞ」
イーヴァ議員に掌で促され、二人も革張りの立派なソファに浅く腰掛けた。
ローテーブルを挟んで向かい合うイーヴァ議員は、湖の民を見ても顔色ひとつ変えず、二人に同じ微笑を向ける。
「生きてお目に掛かれまして幸いです。お忙しいでしょうから、単刀直入に陳情だけで失礼します」
「私も、こんな遠い場所で、地元の方のご無事なお姿を拝見できて、嬉しいですわ。できる限り、ご期待に添えますよう、微力ながら精いっぱい努力致します」
「恐れ入ります。お願いしたいことは二点です。まず一点目は、既に他の方が陳情なさったかもしれませんが、ゼルノー市を含むネーニア島東部の立入制限解除の早期実現です」
「私も、早く帰れる日を願っております」
イーヴァ議員が頷いた。
ソルニャーク隊長は表情を変えず、陳情の理由を並べる。
「心情的なものだけでなく、経済的な効果も見込めるのではないかと思っています。最近は空襲が止んでいます。湖上封鎖を強行突破してまで、ネーニア島東岸には来ないでしょう。ネモラリス島の人口過密の解消と、雇用の創出が同時に実現できるのではないかと思いますが、如何でしょう?」
「以前、空襲が止んだ時、ガルデーニヤ市の復旧を進めましたところ、激しい攻撃に晒されましたからね。臨時政府に設置された復興準備委員会の方でも、慎重な意見が多いのですよ」
イーヴァ議員が常識的な言葉で、やんわりと実現可能性の低さを伝える。
二人は無言で肩を落とし、ソルニャーク隊長がもう一件を陳情した。
「先程の演説を拝聴して思いついたのですが、医薬品の原材料や、ワクチンの輸入量を増やしていただくことは可能ですか? 幸い、ネモラリス島の北部は無事です。葡萄や蔓苔桃など換金率の高い農産物を全て輸出すれば、可能なのではないかと思います」
「この冬は随分、病気が流行りましたからね。クルブニーカ市が空襲で壊滅して立入制限区域に指定されましたし、他の製薬工場はクレーヴェルとレーチカ、それにリャビーナくらいしか残っておりません」
「首都圏の工場は今……」
クーデターでどうなったのか、移動販売店の一行が首都クレーヴェルを脱出した後の情報は、殆どわからない。
「首都に留まった議員とは細々と連絡を取り合っておりますが、クーデターから逃れた都民が多く、全業種……先月のお話ですけれど、半数程度の稼働率だそうです」
二人は同時に息を呑んだ。
「原材料だけでなく、お薬とワクチンの輸入も合わせて努力致します。本日は貴重なご意見をお寄せいただき、ありがとうございました」
イーヴァ議員が視線で係員に合図し、二人は応接室を後にした。
☆アガート病院……「0005.通勤の上り坂」参照
☆立入制限……「128.地下の探索へ」「168.図書館で勉強」「181.調査団の派遣」「190.南部領の惨状」「304.都市部の荒廃」「527.あの街の現在」参照
☆力ある民は、(中略)優先的に採用する企業は多い。……「107.市の中心街で」参照
☆西部は小さな農村や漁村まで徹底的に焼き尽くされた……「757.防空網の突破」~「759.外からの報道」参照
☆以前、空襲が止んだ時、ガルデーニヤ市の復旧を進めました……「304.都市部の荒廃」参照
☆(ガルデーニヤ市と周辺地域が)激しい攻撃に晒されました……「757.防空網の突破」~「759.外からの報道」参照
☆葡萄や蔓苔桃など換金率の高い農産物……葡萄「825.たった一人で」、蔓苔桃「0970.チェルニーカ」参照
☆クルブニーカ市が空襲で壊滅して立入制限区域に指定されました……「192.医療産業都市」参照




