0975.ふたつの支部
「もう一回、お店で」
「聞くのはイーヴァ議員の事務所です」
「えっ?」
薬師アウェッラーナは、ソルニャーク隊長に遮られ、足が止まった。
昼食時が終わり、少ない船が出たチェルニーカ港の広場に人の姿はない。
アウェッラーナは目を凝らして視たが、【魔除け】の敷石で守られた広場には、魔物どころか雑妖一匹見当たらなかった。
「モーフも、恐らくあなたと同じコトを考えて、イーヴァ議員の事務所へ行ったのでしょう」
「でも、相手は車でしたよ?」
「荷台に紛れこむなり何なり、モーフならやりかねません」
隊長の声は申し訳なさそうだが、顔は自信満々だ。
……そうよね。さっき居なかったのに、今居るワケないのよね。
アウェッラーナは頷いてソルニャーク隊長について行った。
「はい、いらっしゃい。今日のランチ、まだありますよ」
「いえ、ひとつお尋ねしたいことがありまして」
「何だい?」
ソルニャーク隊長が客でないとわかった途端、ホール係のおばさんから愛想笑いが消えた。
「すみません、イーヴァ議員の事務所をご存知ありませんか?」
「知らないねぇ。演説なら、そこでちょくちょくやってるけど」
隊長が紳士的な態度を崩さずに聞くと、おばさんは少し申し訳なさそうな顔をして、空いた食器を回収した。
「イーヴァ先生に何の用だ?」
客の一人に聞かれ、ソルニャーク隊長はすらすら答えた。
「先程の演説で陳情を思いつきまして、直接お会いしてお願いしたいのです」
「ふぅん。イーヴァ先生はパジョーモク先生の別荘に間借りしてるよ」
「南地区の高台で一番大きい家だから、あの辺でもう一回聞けばすぐわかるだろう」
連れが答えると、質問した男性客も表情を緩めて教えてくれた。
「ありがとうございます」
「助かります」
二人は客専用の船着場で地図を確認し、南地区へ足を向けた。ソルニャーク隊長がふと思い出したように聞く。
「パジョーモク先生とやらがどんな人物か、ご存知ありませんか?」
「私もよく知らないんですけど、確か、国会議員にそんなカンジの名前の人が居たような……?」
「一旦戻って、ジョールチさんに確認しましょう」
アウェッラーナは急いでモーフを捜しに行きたかったが、仕方なく歩道脇に設けられた休憩所の【跳躍】許可地点から、トラックが待つ公園に跳んだ。
「はい。パジョーモク氏はベテランの国会議員です。半世紀の内乱時代も含めれば、当選回数は七回。全てリャビーナ選挙区からの出馬です」
国営放送アナウンサーのジョールチは、ニュースの原稿を読み上げるような調子で教えてくれた。ソルニャーク隊長が質問を重ねる。
「この街に別荘があると言うのは?」
「ネモラリス島内に何カ所か、会合用の物件を所有しています。私も、正確な場所までは存じませんが……」
「何党の人ですか?」
アウェッラーナが聞くと、ジョールチは遠くを見詰め、そこに原稿が貼ってあるように答えた。
「半世紀の内乱中は無所属の立場から、信仰によって国を三分割する和平案を推進しました。内乱後は秦皮の枝党に入り、現在はパドスニェージニク議員と並ぶ党幹部の一人です」
「魔力は?」
ジョールチは、ソルニャーク隊長の短い問いに小さく息を呑んだ。
「……力なき民です」
「わかった。ありがとう」
アウェッラーナは念の為、傷薬三つと【真水の壁】の呪符を一枚だけ持って、ソルニャーク隊長と二人で南地区へ向かった。
チェルニーカ市はネモラリス島内では比較的、陸の民が多く、外壁に秦皮の枝党のポスターを貼った個人商店がちょくちょく目に入る。
ソルニャーク隊長が、丁度客が居なくなった茶屋に声を掛けた。
「こんにちは。少々道をお尋ねしたいのですが、国会議員のイーヴァ先生の事務所は」
「イーヴァ? 知らないねぇ」
一人で店番する老婆が面倒臭そうに遮って横を向く。
アウェッラーナは薬師の証【思考する梟】学派の徽章を襟の中から引っ張り出し、鞄から傷薬のプラ容器をひとつ渡して言った。
「これで、鎮花茶を買えるだけ下さい。それと、イーヴァ先生はゼルノー市の国会議員なんですけど、空襲で焼け出されて、今はパジョーモク先生の別荘に間借りして、この街に居らっしゃるってお伺いしました」
「あんたら、その議員に会ってどうすんの?」
老婆は秤の前に移動し、傷薬の蓋を開けて嗅ぐと、いそいそ大袋に茶葉を詰めながら聞いた。
「私もゼルノー市民なんです。もう空襲が止んだみたいですし、先生のお力で立入制限を解除していただけないか、陳情したいんです」
「大変だねぇ。パジョーモク先生のお屋敷なら、何回も納品したからね。この通りの一本東の筋をずーっと南に上がって、最初のポストの角を右に曲がってしばらく行ったとこだよ」
「ありがとうございます」
情報料をどれだけ引かれたか不明だが、移動販売店のみんなが毎日飲んでも、一カ月分になりそうな大きな包みを寄越された。
ソルニャーク隊長が受取り、二人は言われた道へ急いだ。
アウェッラーナは徽章を襟の中に隠し、モーフの姿を捜しながら早足で歩く。
こちらの筋は住宅街で、人通りが少ない。
袋から漏れる鎮花茶の香で少し気の焦りは落ち着いたが、心配事そのものが消えてなくなるワケではなかった。
一軒の民家から湖の民の一団がぞろぞろ出て来た。
十数人の年齢や性別、身形は様々だが、全員が揃いの腕章を着けている。
「じゃあ、日没前にここに集合。呪符泥棒をみつけても自分で捕まえようとしないで、警察に通報すること」
リーダーらしき中年男性が言うと、お手本のようなイイ返事に続いて数人ずつに分かれ、あちこちに散った。
ソルニャーク隊長が、坂を下る三人組に声を掛けた。
「今、呪符泥棒と聞こえたのですが、チェルニーカにも出るのですか?」
「えっ? 他所でも出るんですか?」
「はい、クリュークウァでも仮設住宅で【灯】など安い呪符まで根こそぎ」
「ちょっと待って下さい。支部長、支部長ー!」
若い女性が手を振って駆け戻り、先程の中年男性を呼んだ。
年配の女性が大きな袋を抱えたソルニャーク隊長を気遣う。
「すみませんねぇ。お時間、大丈夫ですか?」
「お引き留めしたのはこちらですし、少しでしたら構いませんよ」
支部長と呼ばれた中年男性が坂を小走りに駆け下りて来た。
「お忙しい所、恐縮です。他の街にも呪符泥棒が出るとのことですが」
「クリュークウァ市でカピヨーさんから伺いました。仮設住宅の力なき民が困ってるけど、なかなか捕まらないって」
アウェッラーナが応えると、支部長は緑の目を丸くして同族の少女を見た。
「そのカピヨーとは、ネミュス解放軍クリュークウァ支部長の?」
「はい。ちょっとご縁があって珈琲をご馳走になっただけですけど、呪符泥棒が出るから気を付けるようにって……パドール湾の街で支部があるのは、クリュークウァとカイラーだけだって言われたんですけど?」
アウェッラーナが上目遣いに疑問を向けると、支部長は姿勢を正した。
「申し遅れました。本日発足したネミュス解放軍チェルニーカ支部を預かるペデスと申します。情報提供にご協力いただき、ありがとうございました」
ソルニャーク隊長が坂の上に目を向けたのに気付き、支部長ペデスは「また何かありましたら、この家にお知らせ下さい」と二人を解放した。
教えられた通り、ポストの角を曲がってしばらく行くと、パジョーモク議員の屋敷はすぐわかった。
塀に大きな掲示板と、臨時事務所の表札がある。
秦皮の枝党からのお知らせやレーチカ臨時政府の広報紙などと共に、イーヴァ議員のポスターなども掲出されていた。
☆イーヴァ先生はパジョーモク先生の別荘に間借り……「880.得られた消息」参照
☆パドスニェージニク議員……「654.父からの情報」「655.仲間との別れ」「691.議員のお屋敷」「695.別世界の人々」「696.情報を集める」参照
☆ちょっとご縁があって珈琲をご馳走になった……レーフとクルィーロが「0960.支部長の自宅」参照




