0010.病室の負傷者
アウェッラーナは父のベッドの上に出た。
ベッドの足元、布団の上にふわりと着地する。
父はいつものように外を見ていた。
灯を点けていない病室が、窓から入る火災の光に照らされて明るい。
【跳躍】を使える怪我人は自力でどこかへ避難したのか、病室に逃げ込んだのは陸の民と傷が酷い湖の民だった。
カーテンが開いている。
窓の外では、黒煙が闇の中で炎に炙られ、うねる。予想通り、火の手は公園の手前で止まった。街を呑む炎は全く衰えていない。
アウェッラーナはベッドから降り、窓際で蹲る湖の民を診た。
内戦中にイヤという程、目にした傷だ。左腕三カ所と腹部に一カ所、貫通銃創がある。出血が酷く、顔色は蒼白だ。術で水を起ち上げ、傷を洗う。
腹の傷にだけ傷薬を塗り、アウェッラーナは【薬即】の呪文を唱えた。
「星々巡り時刻む天 時流る空
音なく翔ける智の翼 羽ばたきに立つ風受けて 時早め
薬の力 身の内巡り 疾く顕れん」
術の力で薬の効果を加速させた。緑の軟膏が傷口に浸み込む。同時に肉が盛り上がり、拭ったように傷が消えた。
脂汗を浮かべる湖の民がうっすら目を開けた。
徽章を着けていないこの男性が、どの系統の学派を修めたのか不明だが、少なくとも、湖の民なら何かの魔法を使える筈だ。
ここから逃げるにせよ、戦うにせよ、生存率の高そうな人を優先的に助けることにした。
「あ、あんた、医者なのか?」
入口付近に座った陸の民の男性が聞く。衣服が焼け焦げ、火傷が酷い。
アウェッラーナは首を横に振った。
「お医者さんじゃなくって、薬師なんです。ごめんなさい。ベッドの下に水瓶があります。水を循環させながら、火傷を冷やして下さい」
数人が頷いて姿勢を正す。
目線で対象の分担を決め、力ある言葉で水に命令した。火傷した陸の民も自力で水を操る。
アウェッラーナは冷蔵庫から飲料水の瓶を出した。蓋を開けて水を起ち上げ、瓶を床に置く。
傷薬を指にとって、宙に浮かせた水に混ぜた。うっすら緑に染まった水を薄く広げ、戸口に居る男の患部を包む。
部屋を見回し、傷の洗浄と冷却を終えた患者に薄めた傷薬を分け与えた。宙に浮いた緑の水塊から少しずつ分離させ、膜状にして患部に貼り付けて染み込ませる。
薬の量も濃度も、全く足りない。
それでも、何もしないより遥かにマシだ。
寝たきりの老人がしきりに食事の催促をする。
アウェッラーナは、鞄から携帯用の裁縫道具を取り出した。小さな鋏で父のベッドのシーツを細く切り、窓辺で蹲る男に止血帯を施す。
「ありがとう。……ここも、いつまでもつかわからん。あんたは、薬がなくなったら、さっさと逃げた方がいい」
「でも、父さんが……」
アウェッラーナはベッドの父を見上げた。
父はいつになく険しい表情で、窓の外を見ている。先の内戦を思い出してしまったのかもしれない。
男も薬師の老父を見上げ、すぐ、若い薬師に視線を戻した。
「俺は、スカラー区から逃げて来たんだ。デマかホントかわからんが、道々、みんなが色んなこと言ってんのも聞いた」
「……何が、あったんですか?」
「自治区の奴らが武装蜂起したんだ。グリャージ区の検問所を襲って、こっちに入って来た」
それは、ラジオで聞いた。
アナウンサーは繰り返し、鎮圧の為に治安部隊が派遣されたと言っていた。
……軍隊はどうしたの? どうしてこんな酷いことになってるの?




