走れメロス~王ディオニスの追憶~
――三日で帰って来るだと? 笑わせてくれるわ。どうせ帰って来ないに決まっている。
メロスを帰したディオニスは、自室にこもって一人思い耽っていた。
『私を一度帰してください。必ず戻って参ります』
頭からはあの時のメロスの言葉が離れない。果たして帰って来るのか――否、帰って来るまい。今までもそうだった。妻には徴税率が下がったから倹約してくれと言えば、あれやこれやと反論してきて何度も約束を破る。挙げ句の果てにはディオニスにナイフを突き立て、反逆罪で捕まり処刑された。そこから悪い噂が広まり、ディオニスはいつしか避けられるようになっていった。
時間は刻々と過ぎていく。メロスの友であるというセリヌンティウスは、ただメロスは来ますの一点張りだ。
――こんなこと、あって良いはずがない。こんな人間、いるはずがないのだ。
さらに時間は進んで残す猶予はあと一日になった。今日セリヌンティウスに聞いてみると、少し意思が揺らいでいたような気がする。少し揺らいでいたような気がするだけ。……それだけだが、ディオニスは人間の本性を垣間見たような気分になっていた。
――これだ。……これこそが人間の本性なのだ。自分のことが可愛くてしかたがない。相手も同じことを思っている。だから相手のことが信じられない。
遂にメロスは来なかった。やはり自分が大切だったのだろう。セリヌンティウスは縛られ、皆の前にさらされる。群衆が奮い立ち、歓声をあげる。やはり皆も実は楽しんでいるのだろう。
そんなときだった。何故かディオニスの耳にはメロスの声が聞こえたような気がした。思わず処刑台に目を見やった。――メロスの姿はない。否、次の瞬間群衆の中から現れ、処刑台に寄る人影。メロスだ。メロスは現れた。約束通り友を守るために。
――なんだ……。この体の奥から溢れ出ようとするこの気持ちは。……わしは彼のような人物を欲していたというのか……。
そう考えながら、ディオニスはメロスに歩み寄る。……そして紡ぐ言葉。
「――わしを仲間に入れてくれないか?」
――あれから、一週間が経った。ディオニスは国政を改め、メロスは王を正しき道へと導いたことで大臣へと就任、セリヌンティウスは詫びとしてか、男爵位へと着任し、それぞれの新しい生活が始まろうとしていた。
そしてここはディオニスの自室、扉を叩く音が部屋に響く。
「陛下、失礼致します」
「うむ、メロスか。入りたまえ」
「この間の豪雨による被害の報告を致します。陛下の予想通り川に面した町や村は洪水により、一部の高台を残して全て水没、しかし死者、重傷者は陛下の避難令により先に避難し、ゼロとのことです。……しかし……陛下は何故にその……ニヤニヤしていたのですか?」
「うむ、報告ご苦労。……そんなににやついていたかの? いやなに、一週間前のわしを思い出していてな、お主――メロスもよく戻ってきたものだの。……あの時のメロスがいなければ今のわしはおらず、今回の豪雨でも甚大な被害が出ただろう……」
「今の陛下は心を入れ替え、新しき国作りを始めようとしているのですからそのようなことを今思い出さなくても……。民達も喜んでおりますよ、『王ディオニス陛下万歳』と」
「そ、そうか? わしとしては民を不安にさせていた罪はこんなものでは償えていないつもりなんだが……と、この話はやめだ!! い、いやにしんみりしてしまうわ!!」
「ははは、そうですな。さて、陛下にもそろそろ準備をしていただかないと、今日は国王による演説の日ですからな。新しい王に変わったところを見せていただかないと」
「そうだな、では行くか」
そう言うとメロスとディオニスはディオニスの部屋から出て、演説台へと向かった。
人とは、常に情によって行動し、行動によって情を変化させる生物である。ディオニスもそう、裏切りによって動き、メロスの行動により心を改めた。それは我々も同じである。人間に情と行動は切っても切り離せないものなのである。
ディオニスとメロスの物語。これはまだまだ始まったばかりなのかもしれない……。