第四話
今までいた建物(四番隊の隊舎だ)を出てすぐに、リアは大きな溜息を吐いた。それに気づくと慌てて頭を下げる。
「す、すいません! いつまでも嘆いていてはいけませんよね」
「仕方ないよ。僕だって秘境には行きたくないもん」
二人揃って溜息を吐く。裕樹一人だけが取り残されている気持ちであった。
「申し遅れました、研究部のリア・カバリ一等兵です。チームとしてこれからよろしくお願いします」
「キャロット・カロット少尉です。よろしく」
「平裕樹です。えっと、俺も少尉だっけ?」
リアは裕樹の左手をジッと見ている。より正確には手甲を。
「それ、大丈夫ですか?」
「……うん、まだよくわからないけど、良いと思うよ」
なぜリアに聞かれるのかわからなかったが、とりあえず今の印象を答えた。だが、よくわからないという印象の方が強い。
「よかった。それ、私が設計したんですよ」
「設計技師か。すごいね」
「はい。元々デザインの仕事やりたかったんですけど中々うまくいかなくて、そこで趣味でやってた……」
早口でまくし立てる姿を見て、裕樹はしまった、と思ったがそこはキャロがうまくフォローしてくれた。
「はいはいストップストップ。そろそろ任務に向かおう。話は飛行船の中でもできるから」
チケットをひらひら見せる。またリアが頭を下げそうになったのでそれを止め、基地内の鉄道駅に行く。
「ポートデルタから飛行船が出てるからそこに汽車だね」
街と基地の間に位置する駅は人でごった返していた。もうすぐ汽車の出る時間なのだろう。その人混みの中で一人だけ際立つ人物がいた。軍服を着た初老の紳士は、そのまま執事に転職しても通りそうな雰囲気だった。
「お待ちしておりました、カロット少尉」
男の足下には大きなキャリーケースが置かれている。
「まずはこちらにお着替え下さい。服はこちらで預かります」
三人とも上着を変えるだけだったのですぐに終わった。
「向こうではマエリファーナの者だと悟られないよう気をつけてください。こちらが当面の資金となります。どうぞご武運を」
キャロに分厚い封筒を渡すと男は去って行った。封筒を開けると中には紙幣が何枚か入っていた」
「ユーバイ諸島のお金だね。よし汽車に乗ろう」
この中で一番背の低いキャロが指揮を執るのも、事情を知らない人から見たらおかしな光景だろう。
「おー」
陸路を進んで数時間。裕樹は子供のように、飛行船の窓に額をくっつけていた。座席に縛りつけられている飛行機と違って飛行船は、船内の移動は自由だった。売店や自販機まであり、もっと値段の張る物までいくとエステや専用の個室まであるらしい。
「展望台に行けば外に出られるよ。着くまでは自由行動にするから行ってきなよ」
裕樹の知っている飛行船に姿は似ていたが、どちらかと言えば飛行機だ。
「外か、じゃあ行って来るな。リアはどうする?」
「じゃあせっかくですから」
裕樹はリアを連れて階段を上って行く。キャロはソファに身を委ねて目を閉じた。
展望台にはほかに客はいなく、裕樹達の貸し切り状態であった。空を飛んでいるのに風はなく、簡単なロープで仕切られているだけだった。
進行方向には夕日が沈みかけ、キャロの予定では飛行船内で一泊する予定らしかった。
「すごいな……どうやって飛んでいるんだ?」
漠然とだが飛行機の飛ぶ仕組みは知っている。だが、この飛行船はゆっくりと、もし飛行機がこのスピードなら墜落してしまいそうなスピードだ。大きなガス袋を使ってもないのにどうやって浮力を調達しているのだろうか。
「平少尉は異世界の方でしたね」
「そんな堅苦しい呼び方しないでいいよ。俺はついさっき軍に入ったばかりなんだからさ」
「それでは裕樹さんと。飛行船の仕組みでしたね。飛行船の動力は基本的に魔法石を使用しています」
「俺のこれみたいな?」
左手を上げる。こんな小さな物で浮けるのだろうか。
「もっと大きな物ですが同じ魔法石ですね。魔法石で浮力を確保してプロペラで推力を得てます。速さは出ませんが安定性は随一ですよ。」
自分の手にある魔法石をまじまじと見る。同じ物で今飛んでいるとはにわかに信じがたかった。それと同時に、自分の中の常識をことごとく覆すこの世界にどんどん魅了されていた。
「リア、もっとこの世界のことを教えてくれよ。なんだかこの世界が楽しみになってきた」
「えぇ、私の知る限りお教えしますよ」
笑顔でうなずくリア。少し風が出て来た。
「常識を改めて説明するのは難しいんですが、魔法と魔物について説明しますね。これだけは知っておかないといけませんから」
魔法。その言葉を聞いてからずっと気になっていた。研究所では満足のいく説明はもらえなかった。魔物。ファンタジーにはつき物だ。もう驚く必要は無かった。
「魔法は……空気には魔素という物がありまして、それと肉体の内にある生命力と合わせて魔力を生み出します。俗に魔力を練ると言います。魔物は、動物と違ってその魔素を多量に体内に溜め込んでしまった物を言います。一般的に強力で知能も高い生き物です。魔界に住む魔族とは別種ですね。今回調査するモルコティロ伝説にも魔物が絡んでいると推測されます」
わかりづらかったが、これでも噛み砕いてくれた方だろう。
「魔法に関しては感覚に依るところが大きいですから、言葉にすると難しいんです。そちらの手甲は裕樹さんの持っていた魔法石を利用して、空気中の魔素を吸収し自動で体内の生命力と合成する機構を備えてます」
見た目はただの手甲だったがそんな物だったとは。これ以上説明してもらっても覚えきれないだろう。
随分と長く外にいたのか、すでに日は沈みかけ薄暗くなっていた。冷えてきたので中に戻ろうとすると、こんな時間にもかかわらず二人の男が上がって来た。
軽薄そうな見た目の二人は、できれば関わりたくない相手。そのまま通り過ぎようとしたが、そうは行かなかった。
「あっれー? こんな時間にこんな所で何してんの?」
むしろお前達こそ何をするつもりだったのかと聞き返したいが、めんどうなことになるのは目に見えて明らかなのでこらえる。
「すいません」
脇を通ろうとするが、片方の男が立ちふさがった。
「こんな奴より俺らと遊ばない?」
もう一人がリアの肩に手をかける。
本当にこんなことを言う奴がいるのかと逆に笑えてくる。研究者とはいえリアも軍人だ。こんな男くらいすぐに払うだろうと思っていたが、リアは震えて動けていない。
「放してやってくれないか? 怖がってるだろ」
裕樹の落ち着いた物言いが気に入らなかったのか、今度は裕樹に詰め寄って来る。
「ガキは黙ってろよ」
いきなり殴られた。頬がジリジリと痛んで一瞬何が起こったのかわからなかった。リアが何か叫んでいたが耳に入って来ない。
裕樹に喧嘩の経験はない。だがそんなことは関係なかった。すぐに立ち上がり仕返しとばかりに拳を振るう。人を殴ったのは初めてだったが気持ちの良い物ではなかった。男は吹っ飛びそのまま伸びていた。自分の力が信じられない。
これが手甲の、魔法石の力か。思っていた以上に力を発揮できるようだ。もう一人の男が向かって来る。先程は急だったから見えなかったのか、今度の男の拳はしっかりと目で追えていた。同じように殴るとまた同じように男は吹っ飛んだ。
「すごい! 想定以上の力が出せています」
自由になったリアが裕樹の手甲を観察している。さっきまでの恐怖はすでに無くなっているようだ。
「あいつらが起きない内に早く入ろう」
見られるのが恥ずかしくて手を引く。そこでやっと気がついたのか、リアは顔を真っ赤にしてすぐに離れた。
「す、すいません。夢中になってしまって。助けてくれてありがとうございます」
「行こうか」
気絶している男達を放って置いて中に戻る。少し肌寒かったが、死ぬことはないだろう。
この世界には携帯電話という物はない。通信機の小型化が進んでいないのもあるが、魔法石の存在も大きい。今キャロがしているように魔力を込めるだけで同じ魔法石を持つ相手と通信できるのは手軽である。だが、これも軍で使われることが多く、一般人は未だに手紙が主流の通信手段である。
「……了解。今のところ問題は起きてませんよ。はい、失礼します」
魔法石を持っているだけで自分の声を拾ってもらえ、相手の声は直接頭に響いてくる。手の平で握れるくらいの魔法石を腰の袋に戻す。
「二人共遅いな」
展望台に送り出したあと一眠りをし、目を覚ましたらすでに夜であった。戻って来たら声をかけるはずだし、今日泊まる部屋もまだ教えていない。何かに巻き込まれたのではないか。裕樹はこの世界に来たばかりだし、リアも見た印象だと頼りない。キャロがこう思っても仕方のないことだった。
ソファから体を起こして展望台へ足を向ける。すると、展望台から戻って来る二人の姿が見えた。
「こんな時間まで上にいたなんて、見る物もなかったでしょ」
航路によっては綺麗な景色を望める場所もあるが、この飛行船のコースは特にそういった物はなかったはずだ。
「変な奴らに絡まれてさ。それより聞いてよ、思った以上にこの手甲の力すごいぞ」
上気した顔で手甲を見せてくる。変な奴らとその様子で上で起こったことが容易に想像できて頭が痛かった。だが、実践を前に効力を試せたのはよかった。
「あまり問題起こさないでよ。じゃあ部屋に案内するから」
元々一泊する予定の航路。部屋代はチケットに含まれていた。ツインとシングルの部屋。リアに配慮した結果だろう。
「いいんですか、私が一人部屋で」
「女性なんだから当たり前だよ。裕樹も構わないでしょ?」
うなずく。ここで一人がいい、なんて言い出す男じゃないことは短い間でもわかっていた。
「だから遠慮しないで。これが部屋の鍵だから」
鍵を渡す。リアは頭を下げて向かいの部屋に消えて行った。
「じゃあ僕らも休もうか。手甲のこと、もう少し聞かせて」
「おう。聞かせてやろう俺の武勇伝を」
話が長くなりそうだ。予定外だったがさっき一眠りしたのは正解だったかもしれない。
「そっか、じゃあ使いやすいんだね。安心したよ」
部屋に用意されていた食事をキャロと平らげ、一通り話して聞かせた。あの手甲は使っている感覚がないのが少し不安だった。
「普段から力が強いって感じなのかな? まぁ、不意打ちに強くなるんじゃない」
適切な使用タイミングを計れない裕樹にはこの仕様の方が向いているのかもしれない。
その時、船内に大きくサイレンの音が鳴り響いた。キャロは素早くドアを開ける。向かいのドアからは同じようにリアが顔を出していた。こういうところは軍人だろう。
「何があったんでしょうか……」
リアの問いに答えるかのように、天井のスピーカーから男の声が聞こえる。
『お客様にお伝えします。現在船に魔物が接近しています。迎撃のため激しい揺れが予想されます。個室にお戻りください」
放送を聞いてキャロとリアは安心したようだ。ほかの緊急事態を心配していたらしい。
「魔物なら僕らの出る幕はないね」
「でも……」
「よくあることです。だから飛行船にも迎撃装置は標準搭載です。大抵は展望台にも辿り着けずに迎撃されますよ。船内に入って来ることはまずありません。むしろその時の揺れで怪我をする方が多いくらいで」
二人にとっては日常茶飯事でも裕樹には初めての経験だった。それに、何か嫌な予感がする。
「展望台……そうだ! あの男達」
当事者だったリアはすぐに思い出したようだが、キャロは少々時間がかかった。食事をして話したとはいえまだ一時間も経ってはいない。気絶したままの可能性は高いだろう。
「あいつら、助けにいかないと」
「でもどうする? 魔物は近づけないだろうから大丈夫だろうけど、そもそも展望台に上がれないよ」
「軍の者と言えば……」
「こんな所で軍属としてあまり目立つことはしたくないな」
リアの提案をすぐに却下する。裕樹が隣で拳を手の平に打ち付けている。それを見たキャロは大きく溜息を吐くと、
「仕方ない。それしかないよね」
「そうこなくっちゃ」
あの男達を助けたいというのもあるにはあったが、正直なところ裕樹は、この魔法石の効果をもっと確かめたいだけだった。
その時、ガクンと船が揺れ、警報が止まった。と思うと廊下の明かりも全て消えて真っ暗になる。廊下に並ぶ部屋から次々と悲鳴があがる。
「追い払ったわけじゃ……ないですよね」
「急がないとかも」
キャロが走り出し裕樹とリアも続く。途中リアがポケットから何かを取り出し、走る先を照らした。見ると石が輝いている。懐中電灯の代わりのような物だろう。船が段々と傾いていくのを感じる。
「ラッキー。さっきので気絶してるみたいだ」
展望台へ続く階段の前では屈強な男が二人倒れている。
「はい裕樹、これ使いな」
キャロが何かを投げて寄こす。伸縮式の警棒のようだ。続けてリアに拳銃を投げ、もう一人の男から自分の拳銃を手に入れる。さあ行こうという時に、キャロが前に立った。
「リアはわかってると思うけど裕樹、気をつけてね。多分一年に一度あるかないかの不運だと思うよ。覚悟しといてね」
うなずく暇もなくキャロが駆けだしリアも続いた。階段を駆け上がる間裕樹は、心臓が強く脈打っていた。