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1-3

 さすがに隊長の執務室へと直接繋がっているわけはなかったが、それのある司令部の地下までは繋がっていた。エレベーターを降りたあと、何度か階段を上った最上階が隊長の執務室であった。フロアを占有するその執務室は、隊長の威厳を表すようだ。

 そこの応対用ソファに、裕樹、キャロ、ジャスティンは座っている。キャロは何食わぬ顔だが、ジャスティンは自分でもなぜこのソファに座っているのかわからないらしく、表情に余裕がない。裕樹も大差はなかった。

 給湯室からお茶を持って来たマーカスが、三人と向かいに座るウォン、それからそれぞれの前にカップを置いた。

「まずはユウキだが、この書類にサインしてくれ」

 渡されたのは書類が一枚だけだった。入隊するための契約にしては少し心許ない。

「ほかの諸々の書類はこちらで済ませておいた。どうせ人界の学校の名前を書いてもわからないだろうからな」

 書かれている文字に少しの間目を落とす。自分の経歴を偽られたようだが、どんな人物に仕立てられたのか手がかりはなかった。

 スラスラとサインをする。その思い切りの良さを、隣のキャロが苦笑いして見ている。

「さて、階級はどうしたものかな」

「いや、そんな階級だなんて……」

 階級という言葉が重く感じられ、裕樹は辞退しようとしたが、ウォンはそれを許さなかった。

「色違いの軍服を着るのだ。それ相応の地位はないと困る」

 その言葉を聞いて一番喜んでいるのはなぜかジャスティンだった。

「やっぱり! 流石はユウキさんですよ」

 裕樹自身はいきなり色違いの制服と聞かされても呑み込めない上に、そもそも色違いのすごさをそこまで実感していない。

「ジャスティンの分も用意してあるからあとで受け取るように」

 ウォンの言葉に、そこだけ時間の流れが止まってしまったかのようにジャスティンは動かなかった。それだけ衝撃的な人事だという事だ。

「そうだな……ジャスティンが少尉だから、曹長くらいが丁度良いだろう」

「ちなみにキャロは?」

「少佐だよ」

 こうしてキャロの事を知る度に驚かされる。自分とそう変わらない歳のはずなのだが、それ程の実力を持っているとは信じられなかった。

「色違い組の中での階級は普通と違って、戦闘での強さとかで決められてるんだよ。だからそれ相応の強さを持ってる、って事」

 誇らしげに語るキャロを笑うように、マーカスが入って来た。

「あまり真に受けるな。うちの隊長はそこら辺が曖昧なんだ」

 その隊長の前で頷くわけにもいかないが、裕樹の入隊、階級も適当だったので裕樹は頷いていた。しかしそれを表に出すわけにもいかないので、不機嫌なキャロと笑うマーカス。なんとも言えない表情のウォンをただ眺めるくらいしか裕樹にはできなかった。

「さて、すぐにでもユウキの手続きを終えてしまおう」

 一通り笑ったあと、マーカスが書類を封筒に入れて部屋をあとにしようとした。その寸前、執務室に備え付けの電話が、けたたましくベルを鳴らした。一番近くにおり、この部屋の主でもあるウォンがそれを取る。

「私だ」

 一言二言、言葉を交わす。マーカスも部屋を出る前にその様子を見つめている。受話器を置いたウォンがマーカスに向き直る。

「クロムバッハ中佐が来たようだ。その書類はあとでかまわないからお茶を新しく淹れてくれ」

 心底嫌がっているのはあの表情はお茶を淹れる手間にではないだろう。隊長の命令に逆らえるはずもなく、マーカスは渋々従った。

「僕達はもう行きましょうか?」

「いや、ここにいてくれて構わない。なんの用事かわからないからな、すぐに指示を出せた方が都合が良い」

 客人が来るのにソファに座りっぱなしというわけにもいかず、キャロの提案で壁際に並び立っている事にした。

 間もなく、ドアが控えめに叩かれ、件の中佐が訪ねて来た。

「失礼します。三番隊副隊長、アリサ・クロムバッハ中佐です」

 アリサはよく透き通る声で述べる。腰までありそうな金髪をうしろで結わえ、覗いた耳は尖り気味なのが印象的だった。白い軍服と輝く金髪は相性抜群だった。

「何の用事かはわからないが、とりあえずかけなさい。話はそれからだ」

「……失礼します」

 少しの間逡巡したが、好意に甘える事にしたようだ。向かい合って座る二人の前にお茶が置かれる。アリサの前に置かれる時、心なしか乱暴だったように見えたが、気のせいだろう。

「それで、わざわざ副隊長が来たんだ……ただ事ではないだろうね」

 マーカスがうしろに控えたのを感じ取り、ウォンが口を開く。アリサは沈痛な面持ちだ。

「現在我らが三番隊はエルブリオ大陸のナッシュ周辺に配備されています。以前は小さな戦闘が起きる程度だったのですが、ここ最近相手の動きが派手になっているように感じます。下手に部隊を動かす事もできず、増援のお願いにきました」

「そういう事なら上を通すのが筋では?」

「そうした場合、恐らく増援に来るのは一番近くの五番隊です。ち……隊長はそれを望んでいないようです」

 ただ耳を傾けていただけの裕樹にはよくわからなかった。ただ、同じ軍隊内でも大変そうだなと、他人事に考えているだけである。

「なぜわざわざここへ?」

「シーリング隊長なら信用できるとの事です」

「ふむ……」

 ウォンはしばらく考え込む。そう簡単に決断を下せる問題でもないだろう。

「わかった。そこまで信用されているなら応えなければ。それにそちらの隊長にもお世話になっているからな」

 この答えを聞いて、アリサの顔は目に見えて明るくなった。

「ありがとうございます」

 深々と下げるアリサの頭を、ウォンは上げさせる。

「だが、非公式な援軍だ。こちらも大した量は送れない」

「心得ています」

「では、そこの三人をお供させるので自由に使うといい」

 急な指名に思わず声を出しそうになったが、場を弁えなんとか抑える。隣のキャロを見ると、なんとも苦々しい顔をしている。ジャスティンは期待されてる受け取ったのか表情は明るい。

「シーリング隊長の指名ならば信頼できる実力者なのでしょう。ご協力、感謝します」

「くれぐれも父上によろしく」

「伝えておきます」

 ここでやっとウォンは三人に向き直った。

「と、いうわけだ。急で申し訳ないが三番隊の手伝いに向かってくれ。ジャスティンとユウキは新しい軍服を下で受け取っておくように」

 敬礼でそれに答える。ちゃんと習ってはいないが、何度も見様見真似でやったお陰が、それ程違和感のない敬礼ができたように思える。

「それでは早速向かいましょう。私が乗って来た車がまだ待っているはずです」

 アリサが部屋から出る直前、マーカスと目が合ったが、数秒にらみ合うだけで終わった。傍から見ている裕樹は、二人の間に流れるピリついた空気に一人震えていた。


 四番隊の司令部だというのに、アリサが先頭に立って歩いていた。途中でジャスティンと裕樹の軍服を受け取り、アリサが乗って来たという車に全員で乗り込む。

「軍服が新しく変わったのね。おめでとう」

「ありがとうございます。四番隊所属、ジャスティン・グルノーブル少尉です」

「四番隊所属、キャロット・カロット少佐」

 キャロに目で促される。

「えっと……四番隊所属、平裕樹、曹長? です」

「三番隊副隊長、アリサ・クロムバッハ中佐よ」

 辿々しい裕樹の自己紹介もアリサに気にした様子はない。

「よろしくね、ジャスティン、ユウキ。キャロは久しぶり」

 各々、アリサと握手を交わす。

「キャロはアリサ副隊長とは知り合いなの?」

「前に作戦で一緒だった事があるのよ。だからキャロの実力はよく知っているわ」

 キャロへ向けた質問のつもりだったのだが、正面のアリサから答えは返って来た。こうして普通に話していると、先程マーカスとの間にあった張り詰めた空気との違いに驚きを隠せない。

「副隊長の軍服は白色なんですね。俺らは黒なんで隊によって違うんですか?」

「そうね、奇数隊は白、偶数隊は黒って決まっているわ。そんな事も知らないの?」

 アリサ自身にそのつもりはないのだろうが、責められているようでバツが悪い。

「いや、俺今日入隊したばっかりなんで……」

 控えめに言った裕樹の言葉に、アリサは今日一番の驚きの声を上げた。

「まぁ! 入った初日に色違いだなんて、ユウキは相当期待されているのね」

「自分ともほとんど互角の戦いだったんですよ」

 予想通りジャスティンから言葉が飛んで来る。裕樹に対する態度は、グルフ・ロウを倒した時から変わらず、むしろ互角に戦ってからはより好意的になっている気がする。好意的な分には裕樹も構わないのだが、軍人としての年月も階級もジャスティンの方が上なので敬語だけはいつまで経っても馴れない。

「さっきも言ったけど俺に対して敬語は止めてよ。同い年なんだし先輩なんだから」

「そうね、四番隊は隊員間の礼儀にそこまで厳しくないけど、入ったばかりの子に敬語は直した方が良いわね。ほかの隊員に示しがつかないわ」

 先程も同じ事をお願いして断られたのだが、今回は意外にもアリサからの援護があった。

「アリサ副隊長はうちの隊と関係が深いんですか? キャロと同じ作戦に参加したり、マーカス副隊長ともただならぬ仲って感じでしたし……」

 それを聞いてアリサの表情が強ばる。主にマーカスの部分で。

「色々とね。それよりも、あなたがどうしてジャスティンと互角に戦えたのか、その理由が知りたいわ」

 話を逸らそうとしているが、キャロがおもしろがってそれを許さなかった。

「それより、うちの副隊長との話を聞きたいな。僕も噂でしか知らないし」

 今まで黙っていたキャロの発言に面食らったようだ。そのまま裕樹とジャスティンの顔を見て、二人が興味津々といった様子なのを確認すると大きく溜息を吐く。

「いいわ。特に隠すような事でもないし、道中も長いし……」

 別れ際のあの視線のぶつかりようは、恋愛関係のいざこざではないだろう。

「彼、マーカスとは士官学校時代からの知り合いでね、お互いにライバルみたいなものよ」

 アリサ以外の三人が、続きを促すように無言で待っていたが、アリサの口からそれ以上は語られない。

「……それだけ?」

「えぇ、そうよ。テストでは彼の方が上だけど、実技では負けなかったわ」

 失礼な話ではあるが、一気に場が白けるのを感じる。かく言う裕樹も、それ程おもしろい話でもなく気分は冷めた。

「そんなに隠す話でもなかったんじゃないですか?」

「ちょっと恥ずかしいじゃない」

「道中も長いし……とか言うから何か因縁とかると思ってたんだけど……」

 やれやれといった様子でジャスティンとキャロが言った。

「ただライバル意識が強いだけなの。それをまわりが変に噂を立てるんだから……で、私の事を話したのだから、ユウキの力の秘密も教えてくれるのよね?」

 と、裕樹に向けて言ってくるが、当の本人もこの左手の手甲についてはよく知らない。戦いの中で機能の推測はしていたが、ちゃんと説明するのは無理だろう。

「そういやユウキにもちゃんと説明してなかったね」

「どういう事?」

 疑問の目をアリサが向ける。

「ユウキが左手にしてる手甲、それうちの試作品なんだ。ちゃんとした説明はジャスティンの方がわかるんじゃないの?」

「そうですね。じゃあ俺の方から……」

 キャロからジャスティンへとバトンタッチする。

「簡単に言ってしまえば、肉体強化魔法を自動で発動する魔道具です。装備している人の魔力を自動で吸い取り、待機状態を保持し、その状態なら少し意識するだけで思った通りの肉体強化が行えます。燃費も劣悪という程ではないようですし、使える魔法が肉体強化に限定される点に目を瞑ればそれ程悪くはないと思いますよ」

「ふーん……またおもしろい物を作ったわね……」

 しげしげと裕樹の手甲を見つめる。裕樹も改めて眺めるが、何の飾り気のない普通の手甲だ。今、ジャスティンが説明していた機能があるとは到底思えないが、自身で体感しているので何とも言えない。

「魔道具っていうのは?」

「魔法的機構を持った道具の事です……道具の事だよ。使うのに魔力が必要なんだ」

 裕樹は何気なく質問したつもりだったが、向かいのアリサは信じられないといった様子で見ている。

「魔道具も知らないって……それでよく入隊できたわね。どんな田舎から出て来たの? そんなんでよくそれを扱えたわね」

 しまった、という表情を浮かべたジャスティンは、助けを求めるようにキャロを見る。苦笑いをしながら、

「多分隠していた方がいいんだろうけど……まぁ、仕方ないよね」

 アリサは顔に疑問符を浮かべている。この口振りからすると、裕樹の処遇についてはまだよく決まっていないようだが、異世界から人間がやって来たなんて事を誰彼構わず話していては、余計な混乱を招く。

「実は……このユウキは、異世界から来たかもしれないんだ」

 アリサの顔は大して驚いてないようにも思えるが、理解が追いついていないと言う方が正しいだろう。

「異世界って、あの異世界?」

 頷くキャロ。

 しばらく間を置いてから、アリサは疲れたように背もたれに体を預けた。

「ホントに、この新しい魔道具といい、異世界人といい、その実力といい……驚かされてばかりね」

「一応これでお願いね」

 唇に指を当てる動作。アリサもそれは心得ているようで、同じ動作を繰り返しながら頷いた。

「向こうに着いたら隊長か副隊長に連絡取ってみるよ。ユウキの事もちゃんとしておかないとだし」

「そうね。まさか異世界人だなんて……あまり大事にはしたくないのでしょう?」

 最後の言葉は裕樹に向けての質問であった。対して裕樹は真剣に頷く。

「キャロ達と離れるのは不安ですし、元の世界に戻る手助けをしてもらうわけですから、少しでも手伝いたいんです」

「頼もしいわね。生半可な覚悟じゃないのはわかるわ」

 優しく微笑み、改めて右手を差し出す。裕樹が握り返すと、より一層強く握られた。

「私に協力できる事があればできる限りの助力はさせてもらうわ。何でも言って」

「ありがとうございます」

 女性ながら副隊長の座に就くだけあって、非常に心強く、頼もしかった。


 いつの間にか車は街に入っていたようで、停車した事で裕樹達はそれに気づいた。

「さぁ、降りて。乗り換えるわよ」

 アリサはスタスタと歩いて行く。それに着いて行きながら裕樹は街の様子を窺う。空は真っ暗だというのに、街自体は未だに昼間のように明るい。それも数々のネオンや電光看板のせいだろう。

「ここは?」

「セヴァキっていう街。エルブリオ大陸に一番近くて、最も賑やかな街」

 言葉だけで説明されてもうまく呑み込む事はできなかった。

「ちょっと待ってて」

 その様子を見かねたのかジャスティンが近くの書店へ走る。すぐに戻って来たジャスティンの手には簡単な地図があった。

「ここが今いるセヴァキ。で、ここが四番隊の基地があるファウガーラ」

 次のページをめくると、今度はエルブリオ大陸のようだ。

「ここが私達の基地のあるナッシュよ」

 アリサの細い指が地図の一点を指す。近くには国境が描かれている。

「さ、勉強もそこまでにして急ぐわよ」

 そう言うアリサの表情には焦りの色が窺えた。今の状況はそれ程切迫しているのか。

「心配なのもわかるけど焦りすぎだよ?」

「そうね。私がこんなんでどうするのって話だわ」

 深呼吸を一回したアリサは、キャロの言葉のお陰で落ち着きを取り戻したようだ。だが、この時間もそれ程重要ではないのもわかっているので、裕樹は地図を閉じた。ジャスティンの好意でこの地図は後学のために持っておく事にした。

「ありがとうね、キャロ。それでも急ぎましょう。何が起こるかわからないんだから」

 早足で向かった先には一台の車が停められていた。装甲車程ゴツくはないが、それでも普通の車よりは大きかった。

 アリサが颯爽と運転席に乗り込む。

「さっき運転してた人はどこに行ったんですか?」

 運転手はいつの間にかいなくなっていた。アリサが車を運転するのもその代わりだろうか。

「彼は別にやることがあるのよ。さ、急ぐわよ」

 三人は急かされて乗り込む。後部座席に裕樹とジャスティン。助手席にキャロだ。

 座席についてすぐにジャスティンはシートベルトを締め、天井の手すりを持つ。裕樹もそれに習うがジャスティンから注意が飛ぶ。

「もっとしっかり掴まった方がいいよ」

 運転席でアリサは、腕になにかをはめている。シフトレバーを操作するのを見て、ジャスティンの言う通りに急いで手すりを握りしめる。

 次の瞬間、タイヤが物凄い勢いで空回りを始め、車はトップスピードで走り出した。シートに押しつけられた裕樹には、意識を飛ばさぬよう踏ん張るので、隣のジャスティンを見る余裕はなかった。


 遠くで響く爆発音を耳にしながら、三番隊隊長、オルゲルト・クロムバッハは手に持つ葉巻を灰皿に押しつける。場所は、基地のあるナッシュからいくらか離れた森の中にある臨時の作戦室。直近で反撃に出るためにできるだけ国境に近付いた場所だ。隊から人間を選び出しここへと移った。基地の様子が心配なのか、落ち着きがない。

 科学の発達はそれ程著しくなく、未だに個々人の魔法の強さに頼るマエリファーナ軍だが、それでもここ数年は最強の世代だという自負がオルゲルトにはあった。十年前に終わった第八次世界大戦を経験した将校も数多く残り、それだけでなくアリサを始めとする次世代も着々と育っている。

 それだというのに、ほんの十年でかつての敵ヴェイン公国は戦争を仕掛けてきた。こちらですらまだ完全に傷が癒えていないというのだから、相手はまだまだこれからだろう。それでも勝つ算段がついているのか。

「隊長、副隊長がもうじき到着するようです」

「わかった」

 そばの制帽を手に取り、髭を撫でつける。大きなブレーキ音が響く。いつの間にか爆発音は止んでいた。

 相手も今夜はここまでか。どこか遠くにいるような感覚でそう考える。

「ただいま到着しました」

 キッチリと筋の通った敬礼をする信頼できる副隊長に、オルゲルトは敬礼を返す。そのうしろでは、以前見かけたラッタ族の少年と、もう一人の少年に肩を貸す少年。計三人だ。

「四番隊シーリング隊長より、こちらの三人の派遣を頂きました」

「うむ。ウォン隊長の推薦ならば安心だろう」

 それぞれ敬礼をする三人の制服は黒色。それが三人の実力を示していた。

「三番隊隊長のオルゲルト・クロムバッハだ。今回はご助力に感謝する」

「四番隊所属、キャロット・カロット少佐です」

「同じくジャスティン・グルノーブル少尉です」

「平裕樹曹長です」

 三人とそれぞれ握手を交わす。最後のユウキという少年の顔色はすごく悪い。オルゲルトは頭を抱えた。

「アリサよ……あまりスピードは出しすぎるなと言っただろう」

「ごめんなさい」

 口では謝っていたが、反省している様子はほとんどない。いつもの事である。本当に抱えたくなるのをなんとか堪える。

「疲れているところ悪いが、四人には早速動いてもらおう」

 テントの中に招き入れる。ほかのテントよりも随分と大きいその中には、詳細な地図の貼られたホワイトボードと、簡素な机と椅子。すぐに建てられ、すぐに撤収できそうだ。

 ジャスティンが裕樹を椅子に座らせる。四人がそれぞれ席につくのを確認すると、オルゲルトは口を開いた。

「先程もヴェインからの攻撃を基地が受けていたようだ。すぐに止んだのでいつもの奴だろう。今までは守勢だったが、これより攻勢に出る。そのためにここに臨時に基地を建て、君達を呼んだ。カロット少佐、グルノーブル少佐、ユウキ曹長の三人でチームを組んで相手を陽動して欲しい」

 青いマグネットから赤いマグネットへと指を動かす。恐らく赤いマグネットの位置に敵の基地か何かがあるのだろう。国境を越えて離れた場所にある。

「ここは偵察部隊からの情報だ。敵部隊の前線基地はここの周辺にあると思われる。この間で派手に動いてくれ。その間にアリサを隊長とする本隊は、このルートで敵基地を叩いてくれ」

「了解しました」

「本隊の方はすでに編成済みだ。お前はすぐに向かってくれ」

 敬礼を残してアリサはテントを出る。オルゲルトは近くの椅子に腰を下ろすと、制帽を取って大きな溜息を吐いた。

「三人には危険な役割を持たせて済まないな」

 これは隊長としてではなく、一人の人間としての言葉だった。

「いえいえ、クロムバッハ隊長こそお疲れの様子で」

 キャロの返しにオルゲルトは力なく微笑む。

「弾やいくつかの装備は用意してある。ここを出て右のテントだ。好きに準備していいが、できるだけ早くな」

「ありがとうございます」

 三人は敬礼をして作戦室を出る。残ったオルゲルトはゆっくりと葉巻に火を点ける。立ち上る煙に、しばし目を閉じるオルゲルトだった。


 武器庫代わりのテントには、前線基地とはいえ十分な量の装備が整っていた。キャロとジャスティンは迷わずそれらに取りかかるが、裕樹はただただ物量に圧倒されているだけだった。

「ユウキはとりあえずこれ持っておいて」

 と、キャロに渡されたのは小ぶりの拳銃だ。ホルスターと一緒ですぐに持ち運べる。

「反動が小さいからユウキも使いやすいと思うよ」

「これとかもどうかな?」

 ジャスティンが持って来たのはプロテクターだった。関節用の物からすね当てまで様々ある。肉体強化によって、格闘戦がメインになるであろう裕樹にはピッタリの装備だ。

 肘や膝、そしてむき出しの右手にグローブをはめ、腰にホルスターを装着している間に、キャロとジャスティンの準備も終わったようだ。とは言っても魔法をメインに戦う二人は、弾薬の補充だけだが。

「あとは・・・・・・あったこれこれ」

 振り返ったキャロの手の中にはフックのついたオレンジ色の石があった。恐らくこの石も魔法石か何かだろう。

「はい。そんでこうやってそれぞれを合わせて、魔力を流す」

 一人一つそれを持ち、キャロの言う通りに石の部分をくっつける。ジャスティンはすでに心得ていたようですぐに済ませたが、裕樹は四苦八苦しながらなんとか魔力を流す。

 キャロが石を離すと、それぞれの石から細い光の線が繋がっていた。裕樹が離すとジャスティンの石とも繋がっている。その線はまばたきをする間に消えて見えなくなる。

 キャロとジャスティンが耳にはめるのを見てそれに習う。このフックは耳にはめるための物か。

「これは魔線機って言って、離れた所でも声が届くようになる魔線機だよ」

 目の前にいるキャロの声が二重に聞こえる。元の世界で言う所の無線機みたいな物だろう。

「どれくらいの範囲まで聞こえる?」

「魔力の量とかにもよるけど……二、三十キロは大丈夫なんじゃないかな」

 いまいちピンとはこないが、それ程の距離なら十分かもしれない。

「これで準備を終わりですね。どれくらいに出発しますか?」

「ん? あー……」

 少しの間考えキャロは、

「今すぐに」

 そう言ったキャロの顔は、驚く二人と対照的に明るかった。


 所変わって再び司令室。手を組み、目を閉じているオルゲルトはほとんど動かず、胸が小さく上下しているだけだった。

「アリサ隊始め、全部隊準備完了しました」

 入り口で敬礼をしているアリサ。その声を聞いて、オルゲルトはゆっくりとまぶたを開ける。

「お休みでしたか?」

「いや、少し考え事をしていただけだ」

「考え事……ですか」

 二人の間に流れるしばしの沈黙。先に口を開いたのはオルゲルトだった。

「アリサよ……気を付けるんだぞ」

 その言葉には、言葉以上の気遣いが感じられた。

「……父さん」

 意図せずした漏れた声。それは、隊長、というよりも、自分の父親の普段と違った弱々しい姿を見たからか。

「この戦争、よくない事が起こる気がする」

「めずらしいですね、父さんがそんな事を言うなんて」

 長年の経験に裏付けされた冷静な判断と行動。父としてだけではなく、上司としても尊敬していた。そんな父親の弱気な言葉。感じていなかった不安が胸に広がる。

 そしてそれは、オルゲルトもまた同じであった。不安は、口に出してしまえば胸の内でたしかな形となって残る。前々から考えていたヴェイン公国の怪しい動き。気になりだしては止まらない。

「とにかく、小さな戦いだからといって気を抜くんじゃないぞ」

「心得ていますよ、父さん」

「今は……隊長だ」

 娘に、副隊長に不安を与えぬよう、遅ればせながら表情を引き締めて敬礼で送り出す。娘もそれを受け取ったのか、表情を変えて去って行った。

 一人になったオルゲルトは、ホワイトボードの一点を見つめる。裕樹達が今いるであろうその場所を。


 地面はぬかるみ、視界一杯には霧が立ちこめている。不快なこの環境も、今回の作戦にはおあつらえ向きだ。辺りを確認しながらジャスティンは歩いているが、この視界ではその確認も意味があるのかわからない。

 今回ジャスティン達に与えられたのは陽動。三人でやるには難しい作戦だが、キャロが立てた作戦はいたって簡単な物だった。魔法による攪乱。魔法の使えない裕樹を除いた二人で敵部隊を引きずり出すには、広範囲の魔法を連発しこちらが大人数であると錯覚させなければならない。

 ジャスティンが一人で歩いているのは、その準備のためだった。離れた場所ではキャロも同じ事をしているはずだ。

「ふぅ……」

 大きな木に寄りかかり水を飲む。間隔を空けながらとはいえ、魔力を多量に放出するのは並大抵の仕事じゃない。

『来たかもよ』

 耳に響くのは先行していた裕樹の声。この短時間で手甲の力を使いこなし始めている裕樹は、自ら偵察役を買って出た。耳と目に魔力を集中させる事でより広範囲の音を聞き、この最悪の視界でも遠くを見通しているらしい。手甲の開発に多少なりとも携わった自分にもこの使いこなしようは驚きだ。

 出しかけた携行食をしまい、来たるべき敵に備える。今回の目的は陽動。より多くの敵を引き出すためにも、生かさず殺さず。援護を要請する程度には襲い、要請する前には殺さない。難しいが、だからこそやり甲斐がある。

 両の頬をはたき気合いを入れる。辺りにの地面に魔力を流し込み、場所を変える。裕樹の合図が来るよりも先に、敵を向かえるに丁度良い場所に向かわねば。


 足下で発生した魔力のうねりを感じ、とっさに右に転がり避ける。ついさっきまで自分のいた所に、巨大な水柱が上がる。しばらく前より自分の部隊は、この水の柱と土の柱に襲われていた。

「救援の要請はどうした?」

「すぐに送ってくれるそうです!」

 これまで通りにマエリファーナの基地を襲おうと思っていたら手痛い反撃だ。敵もただ待つだけではないという事か。

「援軍が来るまで持ち堪えるぞ!」

 あちこちから聞こえる返事は、明らかに最初に出た時よりも数が少ない。何人もやられたのだろう。

 腰元の使い慣れたナイフを抜き敵の位置を探る。集中すれば今なお続く魔法攻撃も避けるのは容易い。恐らく、散漫なこの攻撃は目的はこちらの分断。その次は各個撃破。ならば自分を倒しに来た敵を返り討ちにし、部隊長として一矢報いなければならない。

 そう決めて覚悟したヴェイン公国兵の意識は、腹へのパンチ一発で簡単に刈り取られた。


「粗方片付けたぞ」

 手首を回しながら言葉を発す。

『援軍は?』

「すぐに送ってくれるとか言ってたから大丈夫だと思う」

『そっか……じゃあ少し休憩かな』

 特に身を屈める事もなく高く跳躍し、裕樹は側の大木の枝に乗る。ここならば今倒した兵士がもし起き上がったとしてもすぐには気づかれないだろう。

 裕樹の心は、自分でも驚く程に落ち着いていた。始まる前はキャロから心配される程に緊張していたが、始まってみれば自分のやるべき事に集中する事ができた。それも、武器としてこの拳を使っているからか。

 左側にまとめて下げてある、サーベルと拳銃に手を触れる。この拳と違って命を奪う武器だ。いつかはこれも使わねばならない時が来るだろう。その時までにはもう少し、軍人としての覚悟ができているといい。

 落ち込むとは自分らしくもない、と勢いよく立ち上がる。枝の上だという事を忘れて落ちかけるが、しがみついてなんとかこらえる事ができた。そのまま枝の上で耳を澄ます。

 常人ならその効果はたかが知れている。だが、手甲の力を扱う裕樹には木の葉の擦り合いすらもすぐ耳元で聞こえる。

 最初はその音の奔流に頭がおかしくなりそうだったが慣れである。短時間に何度も繰り返している内に実用可能なまでにはなんとか漕ぎ着けることができた。

 そんな裕樹の研ぎ澄まされた聴覚が捉えた、規則正しく並ぶ足音。敵の救援部隊だろう。

「来たよ。援軍」

 魔線機越しに準備する音が聞こえる。

『早いね』

「今のと同じ感じ?」

『同じ手はさすがに通じないよ』

『俺らの魔法も見破られているでしょうし……』

 この間にも敵部隊は近付いて来る。それでもまだ距離はあるのだが。

『何人くらいの部隊?』

「たくさん」

 意識して聞けばほかの足音も聞こえて来る。こちらへ向かって来る、明らかに部隊とは速さの違う足音。

「それと……多分三人」

 二人が息を呑むのがわかる。言った裕樹の声も緊張で震えていた。

『三人って……作戦がバレたのか?』

『その三人には注意しておいて。うしろとの距離は?』

「結構離れてる。別の部隊かな」

 二人も裕樹の言葉を静かに待っている。もしもこちらが少人数だと敵がわかっていたら、別働隊のアリサ達が苦しくなる。

 うしろの部隊も改めて確認すべくそちらに意識を向ける。変わらない動きを確認したあと再び戻すと、三人の敵は三つに分かれて進んでいた。しかもその内の一人はこちらへと向かっているではないか。

「三人が分かれた。一人はこっちに来てる!」

『ほか二人はわかる?』

「わからない。でも一人がまっすぐこっちに来てるから、二人の位置も知られているかも」

 話している内にもどんどん敵は近付いて来る。戦闘に備えてグローブをはめ直し深呼吸。もしも敵が地上を走っていれば、枝の上から奇襲できるはずだ。

 聴覚から目に集中する。そうすれば手甲の力で魔力も目に動く。濃い霧の中でも見通す事のできる視力が捉えたのは、一瞬にして地面を横切った人影だった。

 小さい振動のあとに裕樹の足下、つまり枝が細かく揺れ動く。異変を感じた裕樹は地面へと降り立つ。見ると今の今まで裕樹のいた巨木が、大きな音を立てて崩れ去る場面だった。あのまま枝の上に居たらどうなっていたかわからない。

「冗談だろ……」

 巨木の幹は、裕樹が何人いても抱え切れそうにない程に太かった。それを一太刀で切り倒すとはどんな武器を使ったのか。

 一瞬の気の緩みか、裕樹は自分を狙う殺気に寸前まで気づく事ができなかった。咄嗟に身を屈めと、さっきまで自分の首があった高さを大きな刃が通過する。空振りした相手は少したたらを踏んだが、すぐに体勢を立て直して裕樹を振り返る。

 その人物は裕樹にとって信じられない相手だった。

「お前……なんでここに?」

 それは相手も同じだったようで、動揺を隠すように眼鏡を直す動作は見慣れたものだった。

「それはこっちの台詞だな。お前こそ、なんでここにいる……裕樹」

「奏汰」

 倉敷奏汰。元の世界での裕樹の友人だ。それがこんな所で会おうとは考えてもいなかった。

「お前を探していて、気づいたらこの世界だったからな。まぁ、多少は予想していたがまさかそれが当たるとは」

「俺を探してた?」

「そうだ。お前が学校を休むなんてめずらしいからな。それも三日だ」

「三日?」

 色々な事が起こって忘れかけているが、裕樹がこの世界で目を覚ましてからまだ二日目だ。その事を奏汰に伝えると、手に持つ大剣を下ろしてしばらく考え込む。

「俺がここに来てからは一月くらい経つぞ……異世界だからな。時空が歪んでいるとかそんな所だろう」

「つまり、わからないんだな」

 奏汰は軽く笑う。

 少なくとも自分よりも勉強ができる奏汰がわからないのであれば、自分にわかるはずもない。そもそも、魔法の蔓延るこの異世界で目覚めた事自体がが非常識なのだから、これまでの常識が通用するとも思えなかった。

「元の世界に戻る方法はいずれ見付かるだろう」

 下げていた大剣を、奏汰は再び構える。

「そんな事よりも、お前がそっちいる事の方が俺にとってはショックだな」

 殺気とまでは行かなくとも明確な敵意。だがそれを発する奏汰の目は心底悲しげだった。身を守るように裕樹も思わず両手を構えていた。

「そうか……忘れてたな。今は敵同士か」

 裕樹が言い終わると同時に奏汰が動く。明らかに急所を狙ったその動きに愕然とし、攻撃をかわした後もしばらく動けなかった。

「そうだ。今はお互い敵だ」

「お前、俺を殺す気か?」

 敵同士とはいえかつての友人だ。殺されないと思ってもそれは油断と言えないだろう。

「悪いが俺にはここでやらなきゃいけない事ができた。だから、いくらお前とはいえマエリファーナの者は切り伏せる」

 奏汰に何があってマエリファーナを恨むのかわからないが、裕樹もここで死ぬわけには行かなかった。しか、だからと言って友人を殺す覚悟をする気はない。

「腰の剣は抜かないのか?」

「お前を殺す気はない。何があったかは知らないが、その剣を収めてくれ。頼む」

 裕樹が構えを解いても、奏汰はなお剣先を向けている。

「軍に入ったのなら敵は殺すべきじゃないか?」

「甘いのは自分でもわかってる。でもお前と殺し合いはしたくない」

 その言葉を聞いて奏汰は声を上げて大きく笑う。

「相変わらずだな……いや、元々殺す気はないよ。マエリファーナの人間とはいえ友達だしな。それにお前にはなんの罪もない」

 大剣を持つ腕から力を抜く。

「マエリファーナが……お前に何かしたのか?」

「そうだな……」

 そこで奏汰は一息置く。ついさっきまでの笑い顔とは変わって暗い表情になる。

「いつか話す時が来たらいいな」

 それ以上は聞くなと言外に言っている。

 裕樹が重くなった口を開こうとした時、耳を澄ませなくてもわかる程に大きな足音が響いた。

「どうやら時間切れだな」

 裕樹はハッとして拳を構える。奏汰に戦う気がなくとも、ほかの兵士が裕樹に襲いかかるかもしれない。しかし、衝撃の形で杞憂となった。

「クラシキ殿、大丈夫で――――」

 奏汰の様子を気遣ったのであろう兵士が、その奏汰の剣で切り裂かれる。その剣を今度は真横に振るうと、多数の悲鳴が辺りから上がる。

「お前とは手合わせしてみたかったが、多分また会えるだろう。俺が言うのもあれだが、軍人としての覚悟もしておいた方がいいんじゃないか?」

 奏汰が腰元についていた筒を放ると、小さな赤い火花と共に大きな音が響く。そして奏汰は裕樹に背を向け霧の向こうへと去って行った。

 あとに残された裕樹はただただ呆然としていた。一撃で多数の人間を殺すその実力もだが、何の気なしに人を殺めた事の方が裕樹にとってはショックだった。

 たった一ヶ月でここまで距離が開くとは。かつて語り合い笑い合っていた共が、自分の知らぬ内に遠くへ行ってしまった気がする。

 そのショックから、裕樹は側にキャロとジャスティンが来るまでその場にへたり込んで動けなかった。

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