1-2
どれくらい眠っていたのか、裕樹が目を閉じている間に車は目的地に到着したようだ。キャロの説明によれば四番隊の基地は海のそばにあるらしい。この場所に研究施設とやらもあるのだろうか。
「隊長にはすでに話を伝えてあるからな。入隊を喜んでいたぞ」
「そうなんですか?」
「四番隊には研究畑の人間が多いからな。隊長もその一人だ」
その言い方をされると素直に喜べない。やはりモルモット扱いは変わらないようだ。
「そんな副隊長も研究人間」
「そう言うキャロさんも同じですね」
思っていた以上に多かったようだ。このメンバーでいると軍基地の雰囲気にも呑まれずにすむ。お陰で周りを見渡す余裕もできた。
海の近くだということは、小さく聞こえる波音でわかる。視界にないということは、幾らか内地の場所で降りたのだろう。なぜわざわざ車を降りてこうして歩いているのかというと、軍の空気に早く慣れさせたいためだという。たしかに、忙しそうに走る軍人を見ていると、戦争を仕掛けられたという事も改めて感じられる。その軍人達を見ていると、ふと一つの疑問が湧いてきた。
「そういえば、ジャスティンや周りの人達は灰色の軍服だけど……なんで副隊長のは黒色なんですか? もしかして副隊長だから?」
「いや、僕のも黒色だよ」
余計に謎が深まる。役職での色分けではないとしたら何を基準に分けているのか。
「色違いの軍服は隊長直々の部下って事だ。言ってしまえば隊長のお気に入りって奴だな」
「一つの目標みたいなものです。隊長に認められるって事はそれだけで名誉ですからね」
それを聞くとキャロの印象が変わる。専用の武器を持ち、さらにそれを自ら封印するところを見ると、只者ではないと思っていたが、普段の飄々とした動きのせいかまったくすごさは感じさせなかった。
「きっとユウキも色違いだろう」
軍への入隊も未だにうまく飲み込めていないのにそんな事を言われては、開いた口が塞がらないどころではない。
「なんで……俺が?」
「人界から来たってだけで隊長のお気に入りだ。それに戦闘もそこそここなせる」
「そんな……」
反論しようとした裕樹の言葉を、すぐにジャスティンが遮る。
「そんな事ありますよ。あの量のグルフ・ロウ、キャロさんがいたとはいえ、自分なら倒せませんでしたよ」
ジャスティンの声には尊敬の色が多分に含まれており、むず痒くなった裕樹は必死に話題を逸らす。
「それより、いつまで歩くんですか? もう結構歩いたと思うんですけど」
「隊員達が寝泊まりする宿舎はアレだ」
思い出したかのようにマーカスが指す。それは十分程前に通り過ぎた建物だった。
「案内する気ゼロじゃん……」
裕樹の心の中をキャロが代弁していた。
「今は基地の空気を感じてもらいたい。案内は後からちゃんとやろう」
「僕がね」
苦笑いするマーカスと笑うキャロ。ジャスティンと裕樹は、声を上げて笑うわけにもいかず、軽く口角を上げるに留まった。
「それはともかくだ、着いたぞ」
一行が足を止めたのは、先程見た宿舎よりも小さいの建物だった。入り口の看板には実験棟と刻まれている。
「実験棟……ですか?」
「そうだ。ここで身体検査をしてもらう」
呆気に取られて裕樹は入るのが一歩遅れた。一階建てに見えるこの建物で実験が行われているとは思えなかったからだ。中に入ると、受付カウンターのような物が一つと両脇にエレベーターが二つあるだけだった。
「ここは入り口みたいな物だよ」
裕樹の疑問がわかっているのかキャロが先んじて教えてくれる。中の施設は地下にあると言う事か。
「三階で準備しているみたいですよ」
一人受付に向かっていたジャスティンが戻って来る。
「アレ? 五階って意外と少ないんだな」
中に入った裕樹は言う。
「エレベーター二つで全部の階を担当していたら大変だからな、五階毎に分けている」
「横にも動きますからそれだけ数が必要なんですよ」
続いて乗り込んできたマーカスとジャスティンが答える。
説明を聞いて、改めて軍という場所の規模の大きさに驚く。気軽に入ると言うべきでなかったと後悔してももう遅い。
「そういえば、ジャスティンはもう戻ってもいいぞ。今日の仕事は運転だけだったろう」
「えぇっ! そういう事はもっと早く言ってくださいよ。ここまで来たら最後まで着いて行きますよ」
エレベーターが三階で止まる。
「てっきり病院とかでやると思ってましたけどね、身体検査」
「ここにも設備はあるからな。ここでやった方が都合がいいんだ」
裕樹達はエレベーターを降りたが、マーカスは一人中に残った。
「俺は少し用事があるから行くが、お前らだけでもできるよな?」
当たり前だと頷くキャロに、満足そうにドアを閉めるマーカス。用事が何かわからないが、副隊長だ。色々やることがあるのだろう。
「じゃあ僕達も行こうか」
身体検査は今まで学校のものしか受けた事はなく、なにをされるのか少し不安な裕樹だった。
「はい、以上で検査は終了です。結果は隊長に送っておきますのでこのままお帰り頂いて結構ですよ」
裕樹の対面に座る白衣の女性が言う。
「ありがとうございました」
検査自体は部屋に入って数分で終わった。目の前の先生の向かいに座りいくつかの問診。次に裕樹の全身に手をかざしただけで終了。
部屋を出た裕樹はキャロに問い詰めた。
「身体検査って……もっとなんか、機械的なのじゃないの?」
「ね。あんまきっちりとはやらなかったみたいだね」
キャロも思っていたようだ。それでいいのかと思わないでもなかったが、口には出さない。
「副隊長から修練場に来いとの事です」
「なんだ、もうアレ試すんだ」
アレがなんなのかは気になったが、続くキャロのセリフが裕樹を不安にさせた。
「ユウキ……今日は大変だね」
背中を濡らす冷や汗がバレないように表情を作るのに必死で、それに答える余裕は裕樹にはなかった。
降りて来たエレベーターに再び乗り今度は五階で降りる。五階はホールのような場所になっており、いくつかのエレベーターが見える。その内の今降りた物を含めた二つは一階へ通じる物。それを除いても多い数に、再びこの場所の規模を思い知らされる。
その内の一つに乗り込む。今度は体が横に引かれる感じがする。
「修練場ってここからでも行けるのか? 実験とは関係なさそうだけど……」
「基本的にこの基地の地下はエレベーターで繋がってるんだよ。だからほとんどの場所はこれで行けるかな」
「なるほど……」
という会話をしている間にもエレベーターは静かに止まり、扉が開いた。
「すごいな」
裕樹の感想はそれ一言に尽きた。
学校の体育館がいくつも入りそうな広々とした空間。足下は修練場らしく板張りの床が綺麗に磨かれている。一面ガラスの天井の向こうでは星が夜空に瞬いている。
「三フロアくらい抜いて作ってあるからね。魔法とか使うとこれくらいは大きくないといけないんだよ」
エレベーターがあったのはすり鉢状になった観客席のような所の一番上。そこから見下ろすと中心の辺りで手を振る人影が見える。人間もこの距離からだと小指程の大きさだ。
「検査は無事終わったようだな」
マーカスの横には仰々しい箱が置かれている。これがキャロの言っていたアレだろう。
「これはお前に試してもらいたい試作品だ」
裕樹の視線を辿ったマーカスが答える。そのまま箱を開けると、中から出て来たのは一つの手甲だった。普通は両手に一つだろうが、今あるのは一つだけ。
「一体……なんですか?」
「装備してみればわかる」
そう言って手甲を渡すマーカス。どうやら左手用らしく、裕樹はそれをはめる。何も変化がないと思った次の瞬間、全身から力が抜けて膝から崩れる。
「直に馴れるだろう」
いつもの声音だが状況が状況だけに、ひどく冷たく聞こえた。キャロとジャスティンも手を貸す様子はない。だが、マーカスの言葉通りすぐに脱力感にも慣れ、立ち上がれるまでには回復した。
「気分はどうだ?」
「まぁ、なんとか……で、これはなんなんです?」
不機嫌そうに答える裕樹。それもいきなりこんな物を装備させられては当然であった。
「一種類の魔法だけに特化させた装備品ってところか……体に変化はないか?」
言われて、肩を回したりしてみるが、装備する前よりも幾らか体が軽くなったような、そんな気がした。
「装備する前よりも、なんだか元気になったような……そんな気がしますね」
「あれ? 普段は待機状態なんじゃなかったっけ?」
「どうやら軽くではあるが、発動しているようだな。よし、ジャスティンと手合わせしてみろ」
急な申し出に驚く二人を尻目に、どこから出したのか刃のないサーベルを二振り渡してくる。一応受け取りはするが、裕樹の気持ちは乗り気ではない。
「手合わせって言ったって……」
「グルフ・ロウと戦っただろう。あの調子でやればいい」
「お手柔らかにお願いします」
戸惑う裕樹を置いて話がどんどん進んでいく。そもそもこの手甲について説明もまだ聞いていないのだが、マーカスもキャロも教えてくれそうにない。
渋々とだが、裕樹はジャスティンと反対方向に歩いて行く。
「ルールは簡単だ。相手を戦闘不能にするだけ。他には俺が止める場合もあるから気を付けるように。無理だとは思うが相手を殺さないこと」
客席からマーカスが叫ぶ。
五メートル程開けて、裕樹とジャスティンは向かい合っている。お互いにサーベルを構えて準備万端だ。
先程の会話でジャスティンは、グルフ・ロウと戦った裕樹を褒めていたが、この戦いは裕樹が圧倒的に不利である。裕樹は、ジャスティンの能力を知らないだけでなく、そもそも今自分が装備している手甲の仕様すら知らないのだ。対してジャスティンは、自分の能力は当たり前だが知っており、裕樹の手甲についても能力はあらかじめ聞いている。戦闘における経験値もジャスティンが上だろう。
そんな状況でも裕樹はそれ程慌てていない。そもそもこれは模擬戦だと割り切っている節もある。
「それでは、始め!」
興味深そうにキャロが見つめる中、戦いは始まった。
まずは先手必勝とばかりに裕樹が跳び出す。驚くべきはそのスピード。通常ではありえないスピードに本人が一番驚いている。一気に詰めた五メートルの間に足をもつれさせなかったのは、手甲の力で脚力と共に運動神経も強化されているのだろう。だがそれを知っているのは相対するジャスティンと、客席で見ているキャロとマーカス。裕樹は知らない。
だが、そのスピードにジャスティンも驚いていた。
「なんで、こんな……」
自分のスピードに戸惑いながらも裕樹はサーベルを振り下ろす。ジャスティンもすぐに反応して自分のサーベルで受ける。
これまた強化されていた腕力によって、眼前まで刃が迫る。それを右に流してジャスティンはうしろへ距離を取る。未だに強化された感覚に慣れていない裕樹は、それを追うことはなかった。
サーベルを様々な方向に動かす裕樹。どうにか自分の体に慣らそうとしているようだ。
「どうやら、身体能力が上がってるみたいだな……」
離れた場所で構えるジャスティンを見据える。このまま勝てるとは思えないが、できる限りは戦いたい。そう裕樹は心に思っていた。
二人の攻防を観察しているマーカスと、どこか他人事のように眺めているキャロ。
「どっちが勝つと思う?」
だからこそこういった気の抜けた質問ができるのだろう。
「ジャスティンだな」
目を離す事なく答える。その答えにキャロは意外そうな顔を見せた。
「今はユウキが優勢だと思うんだけどねぇ……」
キャロの言う通り、手甲の力を自覚し始めた裕樹が攻め、ジャスティンはなんとかそれを受けているといった様子だ。
「やっぱり期待の新人にご執心かな?」
「バカ言え」
冷やかしにも冷静に対処する。
だが、マーカスがジャスティンの事を気にかけているのも確かだ。今日一日、運転手としてだが選ばれたジャスティンは、まだ配属されて一年も経たない新人である。去年の今頃はまだ士官学校だ。マーカス自身はこれからの成長に期待しているといった様子だ。肩入れするのも仕方ない。
「ジャスティンはまだ魔法を出していないだろう」
「たしかに、手甲のお陰で身体能力は上をいっても、今のユウキじゃ魔法と戦うのに経験値が足りてないからね」
裕樹とジャスティンは未だサーベルで打ち合うのみで、ジャスティンは余力を残していると言ってもいいだろう。
マーカスの判断もあながち贔屓目はないと言ってもよかった。
二人の予想通り、ジャスティンがまだ力を隠しているのはたしかだが、それを容易に使えない程の状況という事もまた、たしかなのである。
(どうにかして……距離を取ろうにもこのプレッシャー……素人とは思えない!)
心の中では焦りつつもそれを顔に出さない所、さすがは軍人といったところか。そのポーかフェイスのお陰で、攻めているはずに裕樹に焦りが見え始める。
恐らくこの手甲の力で身体能力が大幅に上がっているのだろう。そしてこの状態であればジャスティンと対等以上に戦える。魔法を使えない以上、それを使わせる前にこの戦いを終わらすべきだ。
裕樹はその事をよくわかっていた。だからなのか次の一撃は大振りのものとなった。裕樹が振るったサーベルを反対に弾き、体勢を立て直している間にうしろへ跳ぶ。
すぐに追おうとした裕樹だったが、その足は寸前で止まった。ジャスティンの胸元でバスケットボール程の大きさの水球が渦を巻いている。それはどんどんと勢いを増し、それに連れて大きくなっていく。
「キャロのとはまた違うな……」
「足下にも及びませんけどね」
短く言葉を交わした次の瞬間、ジャスティンの水球からいくつもの水の鞭が裕樹に襲いかかる。裕樹はそれをサーベルで斬りつける。液体の水をただ斬っても意味もないのは、少し考えればわかる事だが、裕樹も焦っていたのだろう。だが今回はそれが功を奏した。
切り落とされた鞭の先は、ただの水となり、床を濡らしていく。とりあえず防御できる事がわかった裕樹は、とにかくサーベルを振り回す。
このまましばらく続くと思われた攻防も唐突に終わった。水の鞭はジャスティンの元に戻り、思わず裕樹も動きを止めてしまった。だが、それがいけなかった。
「そろそろ終わりですよ!」
かけ声と共に水球の動きが激しくなり、巨大な水竜へと姿を変える。
これこそ、ジャスティンがマーカスに見出された理由。魔力の錬成する事の巧さ。これだけの魔力を操るのは容易ではなく、加えて単純な錬成比率だけで言えばキャロと肩を並べる。魔力の錬成比率が高ければ高い程、少ない魔素で多くの魔力を生み出す事ができる。同じ量の魔力を練るにしても、その早さまでも変わってくる。魔力の錬成の技術は、センスによる所も大きく、実力を決定づける要因にもなる。
「なんだそれ……魔法っぽいじゃねぇか……」
しかしその規模の通り辛いのか、ジャスティンの表情は険しくしゃべる余裕もないようだ。
向かってくる竜を横に転がって避ける。見た目の大きさの割りに動きが速い。だが、ジャスティンのあの様子なら少し小突いただけで集中が途切れ、終わるだろう。そう意気込んで駆け出そうとしたが、目の前に竜の胴が見える。つまり囲まれているという事。
キャロは言っていた。魔法は強くイメージする物だと。初め焦りこそしたもののすぐに冷静さを取り戻し、高く跳ぶ自分をイメージする。そして跳ぶ。次の瞬間に竜は胴を締める。
もしも空中へ逃げてなかったらそのまま捕らわれていただろう。しかし、どちらにしろ結果は変わらなかった。
一つにまとまった水竜は、視線を上に変えて、すぐさま裕樹へと迫る。空中で避ける術を持たない裕樹は大人しく捕まり、床に下ろされて解放された。
「俺の……負けだよ」
大の字に寝転がって宣言する。ジャスティンも似たようなもので、膝に手を置き呼吸を整えている。
客席からキャロとマーカスが文字通り跳んで来る。
「二人共ナイスファイト」
「ユウキの戦い振りも見事だったし、ジャスティンもまた腕を上げたな」
副隊長にこうして褒められると気恥ずかしい。
「いえいえ、今日戦い始めたばかりなのに、さすがはユウキさんですよ」
裕樹も謙遜の言葉を述べ、終わらない遠慮合戦になるかと思われたが、よく響く拍手に遮られた。
見ると、マーカス達がいた客席の反対側に、いつの間にか人が立っていた。その人物もすぐにそばへと寄って来る。
二メートルを越えそうな身長に圧倒されたが、敬礼をする三人を見て慌てて倣う。マーカスも敬礼しているという事は、この人物こそが噂の隊長か。
「いい。まだ正式に入隊したわけではないだろう」
と、裕樹の右手を下ろさせる。子供のような扱いにムッとするが、逆らえない雰囲気と腕力があった。
「隊長、どこから見てらしたんですか?」
「二人が戦い始めるところからだな」
「言ってくれればよかったのに……」
隊長にすら砕けて話すキャロは、この調子が染みついているのだろう。
「私に気を取られて試合に集中できなかったら困るからな」
その隊長にも、それを気にした様子はない。裕樹に改めて向き直り、
「四番隊隊長のウォン・シーリングだ。早速だが、本当に入隊する気はあるのだな?」
「はい。もう決めました」
「そうか、それはよかった。これからよろしく」
差し出された右手を握り返す、優しくも力強い握手を交わした。その右手は用にゴツゴツしていた。今度はジャスティンへと向き直り、
「見ていたが、また腕を上げたな」
「それ、俺がさっき言いました」
「……とにかく、良い戦いだったぞ」
「あ、ありがとうございます!」
隊長から直々にお褒めの言葉を授かり、ジャスティンはすでに泣きそうだった。
「さて、立ち話もなんだ、私の部屋に移るか。
ウォンのかけ声で、一行はまたエレベーターに乗り込んだ。