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 ただただ戸惑っていた。今、目の前にいるのは一体何者、何なのだろうか。

「よいしょっと……」

 おじさんのように声を出しながら、ネズミにも似た容姿を持つ少年は立ち上がった。ネズミに似ているとは言っても人との中間くらいで、どちらかと言えば人に近いように思える。背丈から少年と思ったが、ネズミの血がもしも入っているのだとしたら実年齢は上かもしれない。

 荷物をまとめて歩き出した少年はすぐに立ち止まる。

「そろそろ出てきたらどう?」

 こちらを振り返らずに言う。しばらく待ったが何の動きも見られないので、平裕樹は諦めて姿を現した。

「人族の子だね……さっきから僕のことをつけていたようだけど、何か用かな?」

「用っていうかなんていうか……最初に会った人に聞こうかなって思ってたら、どうやら人じゃないらしいし……一体どうしたものかと悩んでいまして……」

 少年は思いっきり溜息を吐く。呆れているのが手に取るようにわかる。

「で、何の用?」

「ここはどこでしょうか?」

 裕樹もこのままウジウジしていても仕方ないと思ったのか、はっきりと口にする。だが、その質問が滑稽な物だと自分でもわかっているのか、その目は泳いでいる。

「マエリファーナ領ジーン大陸、ミネア半島のアーヌの西側にあるマクスの森。わかった?」

 目が点になっている。裕樹が理解できていないのは一目瞭然だ。

「日本、じゃないのかな? でも言葉通じてるし……」

「ニホン?」

「聞いたことない地名だけど地球ではあるんだよな……?」

「チキュウ?」

「え?」

「え?」

 二人の間に沈黙の時が訪れる。ここでやっとお互いにどこかおかしいことに気づく。

「もしかして……密入国者? だとしたら見逃せないんだけど、そんなようには見えないし」

「俺の事を眠らせてる間にテーマパークに連れて来られたとか? あいつのドッキリにしては手が込みすぎだし、テレビとかでもないだろ」

 二人共が相手の出方を窺う。だが最初に動いたのはネズミの少年だった。

「とにかく、捕まえて色々聞かないとね」

 裕樹が気づいた時にはすでに、四肢が土の塊によって拘束されていた。見た目の柔らかさに反して中々解くことができない。

「な、なんだよこれ!」

 ひどく興奮している裕樹と比べて、少年の反応は冷めていた。というよりも驚いているといった様子だ。

「何って……魔法だけど、そんなこともわからないなんてことは、ないよね?」

 信じられないようで、念を押すようにゆっくりと問う。それに対して裕樹は、激しく首を振った。

「……魔法だって? そんなバカみたいなことはいいから早くこれをどうにかしろ。イタズラじゃ済まないぞ」

 理解不能な言葉でむしろ落ち着いたと見える。子供を諭すように語りかける。だが、相手も子供ではないのか、裕樹の言葉を受けて一人考え込んでいる。

「魔法を知らない? そんな人いるわけないでしょ……でも、まさか……そんなことがあれば」

 言葉と違ってその表情は少し笑っているようにも見える。

「キミ、名前は?」

「平裕樹」

「タイラユウキ……あまり聞かない名前だね。僕の名前はキャロット・カロット。よろしくね」

「よろしくはいいが、とにかくこれを解いてくれないか?」

 言われてやっと思い出したのか、キャロットは慌てて片手を振る。すると、さっきまで裕樹の手足をがっちりと固めていた土塊がスッと消える。

「まったく、わけがわからないな……」

 手首を回しながら訝しげな視線をキャロットに送る。それには全然堪えていないようで、笑いながら腰を下ろす。

「まぁまぁ、ユウキも座りなよ。聞きたい事がたくさんあるんだ」

 急に馴れ馴れしく怪しいが、とりあえず腰を下ろす。

「そうだな。俺もだよ」

 不機嫌そうだが、その中に期待と不安が混じっているのに、キャロットは気づいていた。

「ユウキはどこからここに来たの?」

「日本の東京。気がついたらここにいたんだ。寝る前はちゃんと家にいたんだけどな」

「それで、魔法も知らないと……」

「そう。まるでゲームの世界にでも迷い込んだみたいだ」

 困っているように言っているが、喜びは隠し切れていない。

「そのわりには随分と嬉しそうだけど?」

「そりゃあ、誰だってゲームみたいに冒険とかしてみたい、って願望はあるだろ? それが叶ったわけだ。むしろこれからが楽しみだね」

 キラキラと輝く瞳で不敵に語る裕樹を、キャロットはまぶしそうに目を細める。

「俺からも質問だ。キャロットは……」

「キャロでいいよ。めんどうでしょ」

 きっと、このキャロというのがキャロットの愛称なのだろう。

「キャロは何者なんだ? どうみても人間じゃないよな」

 思わずといったようにキャロから笑いが溢れた。

「やっぱり……僕はね、ラッタ族っていう種族なんだ。僕達はユウキみたいな人はヒト族っていう種族で括ってるけど、どうやらそのニンゲン? っていうのがユウキの中でのヒト族の呼び方なんだね」

「俺の中っていうか、それが常識だったんだけどな。それよりも、やっぱりってどういう事だ?」

 裕樹の表情に少し真剣味が増す。

「さっきユウキが自分自身で言ってたけどさ、ユウキは多分、別の世界からこっちの世界に迷い込んで来たんだろうね。にわかには信じがたいけど……」

 信じがたいとは言いつつ、キャロの表情から読み取るにこの予測には確信を持っているようだ。

「そう言える根拠は?」

「ユウキが魔法を知らないってこと。あとヒト族以外の種族を見たことないんでしょ? それもあるかな」

「それだけじゃ言い切れないだろう」

 裕樹自身も、自分が元いた世界から別の世界に迷い込んだ実感はなかったが、なんとなくそのような気はしていた。だがそれはなんとなくであって、キャロの言う納得のできる根拠を裕樹も求めていた。

「専門じゃないから詳しくはないんだけど、この世には四つの世界があるんだって。神々の住む天界。僕達の住む現界。魔の物が住む魔界。そして、ヒト族だけが住む人界。かつて現界はヒト族で溢れていて、それを快く思わない神の手により新たな世界が創られ、人族の大半はその世界に転移させられた。こういう話があるんだ」

 宗教は専門外だが、この手の設定ならゲームやマンガでよく目にする。

「で、俺はその人界から来たと……」

「うん。人界には魔法もないと言われてる。だからユウキは魔法も知らなかったし、僕みたいな獣人も知らなかった」

「なるほど。たしかにその説明なら納得はいく、か……」

「不服そうだね?」

「今まで自分の住む世界だけだと思ってたからな。まさかほかにも世界があったとは……」

 興奮が冷めて、まともに思考する能力が戻って来たのか、裕樹の表情は多少不安なものに変わる。

「俺の元いた世界、人界とやらに戻る手段はあるのか?」

「……わからない」

 宗教でよくあるような話が根拠なのだからこの返しはある程度予想できた。だが改めて言われると気は落ちる。

「でも僕達だって、別世界があったらいいなで終わってたわけじゃないよ。ちゃんとした研究機関もあるんだ。その人界から来たユウキがいれば、今まで停滞していた研究も進むかもしれない」

「そうすれば俺は帰れるかもしれない、か……随分詳しいんだな」

「だって僕、そこで働いてるからね。こう見えてインテリなんだよ?」

 大きく丸くなった目から、裕樹の考えていることはわかる。自分よりも年下に見えるこの少年がそんな研究機関に勤めているとは、思ってもいなかった

「その顔は失礼だね。僕はこう見えて十九歳。ラッタ族は背は低いの」

 それでも裕樹より一つ上。むしろ一つしか違わないことで余計にコンプレックスは感じる。

「なら、キャロに付いて行ってもいいかな? さすがにこの世界を楽しむにしても戻る方法はわかっておきたいし……」

「もちろん。こっちからお願いしたいくらいなんだけど……楽しむ余裕はないかもよ?」

 わざと言葉を切って、裕樹の反応を窺っているように見える。

「今ね、うちの国は戦争してるんだよ」

「……それがどうかしたのか?」

 戦争がどう研究に関わっているのかあまり予想はつかない。もしかして国から支援を受けていてそれが途絶えるということでもあるのか。

「僕の勤める所は軍の研究施設なの。それに僕も軍人だし」

「つまり、戦争とあまり関係のない人界に関する研究に、あまり資金は回って来ないと?」

「それもあるんだけど、軍の施設だから敵に狙われる可能性もあるよ?」

 裕樹は黙る。このままキャロに付いて行くべきか行かざるべきか。行けば元の世界に帰れる可能性はあるが、戦争に巻き込まれる。残れば安全だが自分で帰る手段を見つけなければならない。考えてみれば答えは案外簡単だった。

「いいよ。初めて来る場所だ。一人になるよりは良い。どうせだったら軍人にだってなってやるよ。ただのモルモットになるよりよっぽどマシだしな」

「簡単に言うけど、軍人になるってことは誰かを殺すことになるかもしれないよ?」

 再び裕樹の口が閉じる。さっきの威勢の良さは強がりだったのか、あるいはただ無知なだけだったのかもしれない。キャロもこの反応を予想してわざわざ口に出したのかもしれない。なんの覚悟もない人物が軍に来ても迷惑なのかもしれない。加えて、

「って、なんでわざわざ怖がらせるような事言ってるんだろうね」

 こう笑ってはいるが、本人もこの若さで軍属となるのには相当な覚悟をしたのかもしれない。それを裕樹が簡単に言うので、そこに思うところがあったのだろう。

「軍人になるかはすぐに答えを出さなくていいよ。少なくとも僕達の研究所には来るんだよね?」

 弱々しいが裕樹は頷く。

「それならいいよ。とりあえずは危険な場所だって事をわかってればいいから」

 立ち上がって伸びをするキャロ。釣られて裕樹も立ち上がる。

「じゃあ、行こうか」

 キャロのあとに付いて行く。裕樹が考え込むせいか二人の間の空気は重い。だが、突如として裕樹は自分の頬を叩く。それに驚いたキャロは足を止める。

「ど、どうしたの?」

「考えるのは止めだ! どうせ俺がいくら考えても答えなんて出ないしな。為るように為るさ」「いいね。その思い切りの良さは嫌いじゃないよ」

「軍人になるかはわからない。それはこれから決める。でも俺に協力できる事ならなんだってやろう」

「ありがたいよ。じゃあ、とりあえずこれを渡しとくね」

 キャロが手渡したのは、革の鞘に入ったナイフだった。手頃な大きさで片手でも扱いやすそうである。

「これは? 研究所に行くんじゃなかったのか?」

「……あぁ、その前に寄りたい所があるんだよ。そこに魔物が出るから一応ね」

「魔物ってあれか……魔界に住んでるとか」

「そうだね。言っても、現界にだって現れるからさ。特に人気の少ない所とかは特に、ね」

 明らかに裕樹の表情は暗くなる。

「じゃあこれから、人気のない所に行くんだな」

「そ。だから研究所はそのあとね」

 ナイフを出して確認してみるが、刃物の善し悪しなんてわかるはずもない。鞘に付いてたヒモをベルト通しに括り付ける。そういえば上着はないが今の格好は学校の制服だった。

「ほんと……いつの間に……」

「気づいたらここにいたんでしょ?」

 ちょっとしたつぶやきが聞こえていたのか、歩きながら前のキャロが聞く。

「うん。そんで歩いていたらキャロが見えて、しばらくつけてみたんだ」

「バレバレの尾行だったね」

「当たり前だ」

 二人の間に笑いが起こる。最初出会った時から比べると、幾分打ち解けているようだ。

 だが、裕樹の心の内には何かが燻っていた。なぜ自分がこの世界に飛ばされたのか。

「目覚める前の記憶がないんだよな。多分学校に行ってたんだと思うけど」

 今着ている制服からはそう判断するしかない。それにしても上着や鞄がないのは不自然である。上着に関しては、少し暖かいので荷物にならずむしろ良かったと言えるかもしれないが。

「記憶喪失ね……」

「そんな大層なもんじゃないよ」

 ここに来る前のほんの少しだけが抜けているだけ。だが、それ以外は覚えているだけに不安であった。

「まぁそれは後回しにしよう。この奥が目的地だよ」

 案外早く着いたと顔を上げると、目の前に奥深くまで続いていそうな洞窟が口を開けている。ちょっと覗いただけではその奥は見えない。

 キャロは鞄から筒状の物を取り出す。一見するとスイッチはないように思えるが、なぜか明かりが灯り、洞窟を照らす。

「どうやって電気つけてんだ?」

「魔力を流して中の魔法石を光らせてるの」

 明かりを消して筒を渡す。裕樹の知る懐中電灯と違うのは、電球である部分が石のような物である所だけだ。

「ちゃんと電球式の懐中電灯もあるんだけどね、こっちの方が僕は使いやすいから」

 懐中電灯でも照らしきれない洞窟に二人は足を踏み入れる。

「こっちの世界にも懐中電灯はあるんだな」

 中は真っ暗。この明かりがなかったら前後もわからなくなりそうだ。うしろを振り返ると、入り口はすでに小さな点になっている。

「人界とどれだけ文明が違うのか気になるね。魔法がない分、科学技術が発達してるのかな?」

「どうだろうな。少なくとも俺の暮らしてた所には、こんな洞窟や森はなかったな。田舎の方に行けばわからないけど」

 こういう場所に来ると、自然破壊の問題も身近に感じる。少しだけインテリ気分を味わうも、時折挟まれるキャロの質問に頭の違いを突きつけられた。


 しばらく進むと、時折頭の上を何か小動物が通り、その度に裕樹は頭を下げていた。

「今のも魔物か?」

「ただのコウモリじゃないかな。言っても、動物と魔物の違いなんてあってないような物だけど」

「ほー……そんなもんなのか」

 ただのコウモリと聞いても、動物園以外で大して動物と触れ合わない裕樹にとっては気持ちの悪いものだ。

「ところで、この洞窟の奥に何があるんだ?」

 明かりがなければ右も左もわからなくなるような奥深い場所に、誰か人が住んでいるとは思えない。とすれば、何か隠してあると考えるのが普通だ。

「杖、をね」

「杖?」

「そう、杖。僕のために作られた物なんだけどね、結構強力だからここに封印したの」

「封印……お前ってそんなにすごい奴なのか……」

「そうだよ。なんせ僕の両親は軍人だったからね。こう見えてエリートなんだ」

 戦闘力も知力も、小さな頃からの英才教育による賜物か。キャロのセリフには言い慣れた感じがあった。きっと昔から何度もこうして自慢してきたのだろう。

「今ご両親は何をしてるんだ?」

「前の戦争でね、二人共死んじゃったんだ」

 裕樹は黙る。だが、この感じにも馴れているのか、キャロは明るく続けた。

「気にしなくていいよ。昔の話だし。それにね、今回戦争を仕掛けてきたのって、その時の相手なんだよね」

 短い時間だが明るそうなキャロから出たとは思えない声。やはり親の仇というわけか。

「だから、その杖を使うのか」

「そういう事。あの頃はまだ子供だったけど、今はもう一人前になったと思う。仇討ちってわけじゃないけど……やっぱり、そういう気持ちは出ちゃうよね」

 キャロ程の人生を歩んできたわけではないが、裕樹も十八年は生きてきた。多少の空気は読める気でいた。

「はい、止め止め。まったくこの話するといつもこうなるんだから」

 そういう声音は心底うんざりしているようだ。

「本当に昔の話だからね。立ち直れない程子供じゃないからさ。ほら、もうすぐ見えてくるよ」

 無理矢理に空気を変えようとするのに逆らう程、裕樹も子供ではないし、キャロも本当に気にしていないようだ。

 言われるがままキャロの照らす前方を見ると、まだ少し先だが洞窟にピッタリとはめられた扉が立っていた。

「一本道だったけど、誰かに盗られないのか?」

「こんな所に来る人なんてそうそういないしね。それに、来たとしても僕以外にこの扉は開けられないよ」

 キャロから懐中電灯を渡される。が、キャロの手が離れた瞬間明かりが消えてしまった。

「魔力込めて魔力」

「……どうやったらいいんだよ」

 不機嫌そうな裕樹の声音に、キャロは申し訳なさそうに答えた。

「あー……ゴメンゴメン。手の先に力を込めるような感じでさ、こう、体中のオーラを集める感じ?」

「……そんな言われても……」

 言われた通りに試してみると、キャロ程ではないが弱々しく明かりが点いた。

「おぉ! やったぞ」

「ちょっと弱いけど上出来だよね……」

 扉の表面をさすっていく。

「今まではこんなんできなかったけどな」

「多分人界には魔力の元になる魔素がないんじゃないかな。生きていれば誰にでも使えるはずだから……っと、あったあった」

 扉の中にあった蓋を開け、そこにキャロは手の平を押しつける。扉全体が青白く光ったと思うと、カチリと小さく音がした。

「なるほど、キャロの魔力が鍵なのか」

「そうゆうこと」

 すぐにこういう言葉が出て来る辺り、裕樹も意外と順応しているのかもしれない。

 キャロに懐中電灯を渡す。すぐに辺りは明るくなった。

「今みたいなのを魔力を練るって言うんだけど、簡単に仕組みとしては空気中の魔素を自分の体に取り込んでそれを練り上げて、魔法を発動させるの。だから向こうでできなかった裕樹もここならできたって事」

 扉を開けて中に入ると、通路よりはマシ程度の広さの小部屋だった。部屋の中心の台座に一本の杖が刺さっている。それだけなので、電灯とかいう気の利いた物はない。

「これだよこれ。じゃあ外に戻ろうか」

 目的の物を手に入れた分、帰りは行きよりも気楽に進んだ。それ程長い時間いたわけではなかったが、やはり日光は気持ちが良く、裕樹とキャロは大きく伸びをする。洞窟内の圧迫感も、この開放感に一役買っているのだろう。

「それがキャロの必殺の武器か……」

 明るい所で改めて見ると、杖は存外シンプルな形状だった。先に拳大の石が三本の爪で固定されている。その石は淡い茶色をしていてガラス並に透き通っていた。

「この石ってもしかして……」

「そう、魔法石。これ位の大きさのってめずらしいんだよ」

「だから売ると金になるんだよな!」

 思わぬ声に二人が声の方を向くと、三人の男が剣を持って襲いかかって来るところだった。裕樹は怯んで数歩下がる。キャロは杖を素早く振る。

「うお!」

「なんだこりゃ!」

 威勢の良さはすぐに素っ頓狂な声に変わる。見ると、二人はさっきの裕樹みたく体の自由を奪われていた。裕樹と違うのは頭を残して土に覆われている事だ。

 キャロの腕前に感心しながら立ち上がると、なんとかキャロの魔法を避けたのであろう最後の一人が、後ろに立っていた。首元には刃が当てられる。

「チッ、獲物が見つからずにいた所をガキ二人。それもでけぇ魔法石を持っていると来たもんだから絶好の獲物だと思ったんだがな。とんだ計算違いだ」

 裕樹から男の表情は見えなかったが、きっとキャロに拘束されている二人と同じような顔をしているのだろう。

 それにしても失態だ。いくらなんでも自分で足を引っかけた挙げ句に大人しく人質になってしまうとは。悔やむ裕樹の右手にナイフの柄が触れた。

「大人しく二人を解放しろ! そんでその杖も貰おうか」

 どうすべきかキャロも悩んでいるようだ。だが、ナイフを持っている事に裕樹が気づいた事を、キャロは気づいたようだ。逡巡はそのためか。

「おら、どうした! こいつの首が飛んでもしらねぇぞ!」

「もう止めなよ。今そいつを放したら罪は軽く済むからさ」

「うるせぇな。その魔法石を売り飛ばせば俺ら一生遊べる程の金が手に入るんだ。こんなチャンス見す見す逃すかよ」

 男に悟られないように裕樹はゆっくりとナイフを抜く。キャロは説得するフリをして男の注意を自分に向けさせる。さっきから動きが荒々しくなっていた男が、キャロに剣を向けて叫んだ瞬間、裕樹は覚悟を決めた。男の無防備な脇腹にナイフを思い切り突き立てる。

「てめっ……」

 その隙に裕樹は男の手を振り払う。男は剣を振り下ろすがその傷は深く、簡単に避けられる軌道だった。しかしそれを避けるのに裕樹は全身の力を必要とした。

 右手は血だらけで、ナイフを離そうとしても痺れて手は開かない。初めて人を傷つけた。子供や不良の喧嘩とは違う、命を奪える力。

 すでに体力の限界なのか、男は膝をついて肩で息をしている。キャロは再び杖を一振りし、残った二人を解放する。血だらけの男を両側から支え、裕樹とキャロに恨みがましい目を向けながら去って行く。よくある悪役のセリフは聞こえなかった。

「大丈夫?」

 へたり込む裕樹の側にキャロは寄る。男と同じように裕樹も肩で息をしていた。

「とりあえず手を洗おうか。近くに小川があるからさ」

 キャロの提案に裕樹は力なく頷いた。


 冷たいせせらぎに右手をさらしてよく擦る。見た目の汚れはすぐに落ちたが、それでも裕樹は擦るのを止めなかった。

「これ、どうする?」

 隣でナイフの血を落としていたキャロが聞く。裕樹が初めて人を傷つけた凶器だ。

「持っておくよ……」

 力なく言う。キャロから受け取ったナイフ、腰の鞘にしっかりと収める。側の気に背中を預け、裕樹はドッと息を吐く。疲れ切った裕樹を気遣って、キャロは鞄からチョコレートを一欠片取り出した。

「食べな。しばらく休憩しようか」

 チョコレートをかじると少しだが元気が湧くように感じた。一息置いて口を開く。

「俺……今まで戦争とか、どこか対岸の火事みたいな感じだったんだよ。でもさ、誰かを傷つけるってああいう事なんだな……」

 突如語り出した裕樹の言葉に、キャロは少し驚いたようだったが、その表情は優しくなる。

「そうだね。僕も人を傷つけた経験は少ないけど、そう思うよ」

 裕樹が何も言わないと見ると、キャロはその後に少し続けた。

「昔の……何回目だったかな。第八次世界大戦の時だね。僕の両親が死んだのは」

 その数字に裕樹は驚く。元いた世界ですら二回だというのにこっちではすでに八回も大戦が起こっているとは。

「十年間おじいちゃんの元で育てられて十六歳の時に入隊。十年経ってもまだ大戦の名残は残っててさ……小さな紛争を鎮めに行ったり、戦争で人がいなくなった場所に湧いた魔物退治に駆り出されたり、意外と大変だったよ」

「三年前……もっと若い時だったんだな」

「状況が状況だった。小さな民族紛争だったかな。大戦に乗じて独立しようとしてたみたい。移動中に敵に襲われてさ、無我夢中だった。魔法なら楽だと思うでしょ?」

「……直接触らないしな。銃とかみたいな感じじゃないのか?」

 命を奪ったわけではないが、肉を裂くあの感触はしばらく忘れられそうにない。

「銃が一番気楽だと思うよ……でも魔法ってさ、明確にイメージしなきゃいけないからさ。今でこそさっきみたいに動きを止められるようになってるけど……ちょっと間違ったら……」

 その先は言われないでも想像できた。頭より下を拘束していた先程の状況。あそこで少し圧力を加えるだけで簡単だ。

 少しの沈黙。

「俺さ……最初は魔物とか動物とか相手にすると思ってた。それだって結構な覚悟が必要だよ。起きる前までは普通に高校生やってたんだから」

 高校生という言葉の意味をキャロはよくわからなかったが、それでも裕樹の言わんとしている事はわかるつもりだった。

「それがいきなりだもんな……」

「どうする? 研究所から離れた所に安全な宿取ろうか?」

 今後の事を言っているのだろう。裕樹を少しでも血から遠ざけようと。しかし裕樹は首を横に振った。

「大丈夫。いや大丈夫じゃないけどさ。少なくとも俺とキャロはもう友達になったんだから、キャロにだけ危ない事はさせたくない。それに、安全な所から通って……自分の事なのに他人だけに任せるのは嫌だ……」

「……そっか」

 日本では戦争は非現実だった。だが、今はこっちが現実。まだまだ無知なだけかもしれないが、今はこれが裕樹の答えだった。

「今日はもう休もうか。明日、アーヌの街まで行ってそこから船に乗ろう」

「わかった」

 気づけば辺りはもう薄暗くなっていた。随分と長い間塞いでたらしい。

「顔洗ってくるよ」

「じゃあ僕はちょっと薪でも探してくるね」

 ひとしきり顔を洗い水面を見ると、映った自分の顔は少し男らしいと思ってしまった。


 朝。目を覚ました裕樹は、まず自分の状況がわからなかった。

「そうか……異世界だったな」

 昨日の事を思い出すと少し気分は落ち込むが、苦しいと言う程ではない。キャロに気持ちを吐き出したからなのか、一眠りしたからなのか。

 覚醒した頭で隣を見ると、昨日隣で寝ていたはずのキャロの姿がない。荷物はそのままだったので焦りはしなかったが、多少は不安になる。

「もう起きたの? もう少し寝ててもよかったのに」

 川の方からやって来たキャロの手には魚が二尾あった。

「朝ご飯捕って来たよ。今朝は少ないけどお昼までには街に着くと思うから」

「その、アーヌだっけ? どんな街なんだ?」

 朝ご飯の準備を進めながら話に花を咲かす。脳内の眠気を払うにはこうした話が丁度良い。

「賑やかな街だよ。ミネア半島唯一の街だから定期便もそこにしか来ないし」

 こんがりとした匂いが周囲に漂う。

「いただきます」

 焼き魚一匹は、すぐに食べ終わる。二人で協力しながら火の始末をする。

「ここからそう遠くない場所だからすぐに着くと思うよ」

 キャロが先頭に立って歩き出す。裕樹の腰にはしっかりと昨日のナイフが括り付けられている。

「着いたら連絡して迎えに来てもらおうかな。ユウキもいるし」

「どこに向かうんだ?」

「僕が所属する隊の基地。そっか……軍の事も色々説明しなきゃだね」

「……あとでいいよ」

 面倒臭がっているのが声だけでわかる。キャロも同じ気持ちのようだ。

「そうだね。歩きながら説明するのも大変だし」

 話ながらではあるがしばらく歩いた。裕樹の息はすでに上がり始めているが、キャロの歩くペースに変化は見られない。

「もうすぐだね」

 嬉しそうなキャロの声で耳を澄ますと、さっきまではなかった人々の喧噪がうっすらと聞こえる。すぐにこの森を抜けるとわかって、裕樹のペースも一気に回復した。

「おぉ……!」

 森を抜けるとすぐに多くの人が見える。森から段々と街並みに変わっていくと思っていた分裕樹の驚きも大きい。

 数多くの建物が並び、その奥には輝く海が見える。この森から海へと続くであろう大きな道には、屋台が多く並び、それ以上に人が溢れていた。

「ここが港町アーヌだよ」

 人混みの中をキャロから離れないよう気を付けて歩く。昼近い時刻で、漁港のピークは過ぎているのだろうが、それでも多くの人だ。

「すっげぇな」

 子供のように目を輝かす裕樹を、キャロは笑って見つめる。

「こういう所初めてなの?」

「そうだな、人の多さだけならこの位は見た事あるけど……なんていうか活気が違う」

 そして何よりも裕樹が驚いているのが、キャロのような獣人の存在だ。少し見渡すだけでもファンタジー色の強い人物が目立つ。

「獣人見るのも初めてなんだね……あそこにいるのが僕と同じラッタ族」

 キャロが指差す方向では、簡素な屋根の下で色とりどりの果物を売っている人物がいた。キャロと同じように背は低くネズミと人間のハーフみたいで、かろうじて顔に刻まれたしわから年齢を推測できる。

「で、あっちで色んな道具を売ってるのがガルグ族でその隣でアクセサリーを売ってるのがキャラサ族」

 地面に布を敷いただけの簡単な売り場に、鍬や何かわからないような道具等様々な物が並べられている。そこの店主である端正な顔立ちの青年の頭からはイヌのような耳が生えている。

 その隣でアクセサリーを並べている女性の頭にはネコのような耳。二人共ゲームやマンガに出て来そうだ。

「あそこのミルク売りはモーノート族」

 屋台ではなく箱を担ぎミルクを売っている女性。一見すると普通の人だが、よく見ると髪の隙間から角が見え隠れしていた。

「人間と獣人の違いは頭に出るのか……キャロの耳も大きいしな」

「まぁ、ヒト族と比べたらね。でもそういうわけでもないよ。あそこで魚を売ってるのがバッシャ族でそのお客さんはドグマ族」

 魚屋の主人は正に魚人で、その客はトカゲのように肌が鱗で覆われている。この二人が今までで一番衝撃が強かった。

「ほかにも種族はいるけど……獣人族はこれくらいだね。港の方に行こうか」

 しっかりと紹介された分余計に目が引かれる。危うくキャロからはぐれるところであった。屋台の並ぶ両脇から威勢の良い声が響いている。

 一転して港の付近は静かだった。漁が終わった船は繋ぎ留められ、日陰の下で数人の男性が休んでいるほかに、人影はない。

 その中で、キャロは簡素な小屋に入る。

「二人分。あと電話貸して」

 受付にいた女性はすぐに奥へ行き、何か機械を持って戻って来た。裕樹の知っている電話機とは違う形だ。

「長くなるから外見てていいよ」

 機械の一端を耳に当ててキャロは言う。ただ待つのもつまらないので、裕樹は小屋から外に出た。潮風が顔に心地よい。悩みや不安等、嫌な物は全て流してくれるような、そんな感じがする。

「ん?」

 波止場の先に小さな人影が見える。気になった裕樹はそちらへ向かう事にした。この前までなら気にしなかったろうが、軍に入ると決意してから数時間でその自覚ができたとでも言うのか、なぜか放っておけなかった。

 近くまで行ったが普通の少女のように見える。spれがなぜ一人でここにいるのか。水平線をじっと見つめたまま微動だにしない。

「どうかしたの?」

 後ろから優しく声をかける。だが少女は振り返る事なく答えた。

「どうもしてないよ」

 どうもしてないわけはないだろうが子供相手にこれ以上厳しく追求もできない。よく見ると少女の耳は、裕樹の耳と比べて多少尖っている。先程キャロが教えてくれた獣人族の中には同じ特徴を持つ種族はいなかった。

 隣にしゃがみ込み同じ方向を見やる。特に変わった様子はない穏やかな海だ。

「嫌な風……」

 不意に少女が言葉を発し、裕樹は驚く。嫌な風。一体何の事か。

「戦争が起こってるらしいよ。戦争は嫌い?」

 案の定答えは返って来なかった。マイペースもここまで来ると暴力となんら変わりはない。

「お兄ちゃんは良い風だよ」

 褒められたのだろうか。よくわからないが褒められているのだとしたら嬉しい。

 もう少しこの不思議な少女と居たかったが、遠くからキャロの声が聞こえる。どうやら電話が終わり裕樹を探しているらしい。

「じゃあ俺はもう行くね」

 やはりと言うか、返事はなかったが今回はそれ程気にならなかった。少女に別れを告げて裕樹はキャロの元へと走る。

「気持ちの良い風……」

 少女が呟いて微笑んだ事に、背を向けて走る裕樹が気づくはずもなかった。


 定期便はそのイメージ通り普通の遊覧船のようであった。普通ならこんな船に軍人が乗っているとは思いもしないだろう。

「迎えを寄越してくれるってさ。裕樹の事も話しておいたから」

「なんて言ってた?」

 どれだけの位の人間に話をしたのかはわからないが、これから入る場所の評価は気になる。

「特には何も……あぁでも、人界から来たかもしれないって言ったらすごく興味持ってた」

 何かあると期待していたわけではないが、それだけを聞くとモルモットとしてしか見られていないように感じる。それをキャロも感じたのか、

「そんなもんだよ」

「そうだろうな……」

 しかしガッカリするのは否めないだろう。

「軍隊ってどんな事するんだろうな」

「ユウキはまず身体検査かな……人界のデータ集めしなきゃだし。あとは戦闘訓練も必要なのかな」

 盗賊に襲われたがあれは人質になっただけで、一撃を加えたと言っても戦闘経験の内に入らないだろう。

「研究所に籠もりきりっていうのもあるけどそれじゃ嫌でしょ?」

「それはつまらないもんな」

 つまるつまらないで命をかけるのも馬鹿げているが、キャロもそれには同意のようだ。

「戦闘訓練もあるけどやっぱり実戦が一番だよね」

 裕樹も盗賊に襲われたからすぐに覚悟ができたようなもの。訓練だけではいつまでも戦うか悩んでいただろう。

「今度はシージャックでも起きたらおもしろいんだけどね」

 経験を積ませるためか、キャロは笑いながら言うが、

「冗談じゃない。おもしろくて襲われちゃたまらないよ」

 裕樹の言う通り、一日に二度も襲われては身が持たない。この船は無事目的地へ着いて欲しいと願う。

「大丈夫大丈夫。あんな事はそうそう起こらないから。模擬戦闘のメニュー多くしようか」

「今俺の特訓内容考えてんの?」

「どうせ世話係になるの僕だろうしね……」

 軍隊の元で働き、一刻も早く戦争を終わらせる。そうすれば元の世界に戻る方法も早くわかる。自分一人でどう貢献できるかはわからないが、できる限りの努力はすると、裕樹は心の中で決意した。


 船は何事もなく港へ到着した。起きた事件といえば、船に馴れていない裕樹がトイレに何度も駆け込んだくらいだろう。

「大丈夫? もうすぐ迎えが来るから」

 心配そうにキャロが声をかけてくるが、それに答えるだけの気力が裕樹には残っていない。

「それが電話で言っていた奴か?」

「迎えを頂戴とは言ったけどまさか副隊長が来るなんて……」

 裕樹が振り返ると、キャロが一人の男性に敬礼をしている。

「船酔いか……心配だな」

 キャロの言葉を受けるのであればこの男性は副隊長なのだろうが、キャロにはあまり気負った様子はなかった。

「わざわざ副隊長が来る事はなかったのに」

「なに、人界から来た少年がどういう者か見ておきたかったからな」

 じっと裕樹を見つめる。見つめられる裕樹は緊張しながらも、見様見真似で敬礼をする。

「無理をするな。それはこれから習っていけばいい」

 男性に鼻で笑われて裕樹の顔は赤くなる。そのうしろで声を殺しているキャロのお陰で余計に真っ赤に。

「そろそろ行くか」

 腕時計を確認して男性は歩き出す。その隙に裕樹はキャロの元へと走った。

「あの人は?」

「うちの隊の副隊長。あとでちゃんと自己紹介してくれるよ」

 その副隊長に付いて行くと港から離れた場所に、およそ軍人が乗るとは思えないクラシックカーが一台停まっていた。

「さぁ、急ぐぞ」

 急かされて乗ると中は対面式になっており、副隊長は進行方向側。裕樹とキャロはその対面に腰を下ろした。運転席とを仕切るガラスを叩くと、車は静かに走り出した。

「遅れたな。四番隊で副隊長をしているマーカス・アシラだ」

「四番隊所属、キャロット・カロット」

「いや、キャロはもう知ってるけど」

 マーカスに乗じてキャロも自己紹介をする。そしてそれにツッコむ裕樹。

「それで、君は?」

「平裕樹といいます」

「なるほどなるほど……たしかにめずらしい名だ。人界から来たらしいな?」

 キャロも言っていたが、そんなにめずらしいのか。

「みたいですね。その事はよくわからないですけど」

「そう固くなるな。まだ君の上司になったわけではない」

 副隊長という肩書きの割りには若く見えるが、やはり相応の威厳が窺える。それでなくとも明らかに裕樹よりは年上。緊張するのも仕方ないだろう。

「でもすぐになるよ。どうせ裕樹は四番隊に配属されるでしょ?」

「まだ軍に入れると決まったわけじゃない」

 上司であるはずのマーカスと砕けて話せるキャロは一体何者なのだろうか。長く在籍しているだけの間柄ではないだろう。が、単純にキャロの地位が高いのか、失礼なだけなのかはわからないが。

「何かダメなんでしょうか?」

「そういうわけではない。ただ人界から来たらしい人物だからな、身体検査や人体実験で済むならこちらとしても楽で良いのだが、前線で戦いのだろう?」

「まぁ……そうですけど」

 その時、静かに車が停まった。ドアを開けてマーカスが外に出る。

「試験も兼ねた任務だ」

 キャロが降り、続いて裕樹。

 目の前には石造りの家並みが広がっていた。どこかの町のようだが、人の気配はあまり感じられない。

「ユウキ。これを持て」

 裕樹が手渡されたのは、一振りの剣だった。無骨だがその分信頼できるような剣であった。

「これは?」

「それはマエリファーナ軍から支給されるサーベルだよ」

 マーカスの代わりにキャロが答える。裕樹にだけ渡されたという事は、やはり裕樹一人でこの任務をやり遂げろ、という事か。

「ここはセルビスという町でな、のどかな町だがここ最近は凶暴化した魔物のせいでこの有様だ。今回はキャロットと協力してその魔物を倒すように」

「えぇ! 僕もやるの……?」

「当たり前だ。いくらなんでも初心者一人にやらせるか。出て来るのはグルフ・ロウ。すぐに終わる」

 キャロはげんなりとした顔でやる気が出ないようだ。対照的に裕樹は、この試験をクリアすれば軍に入れるという事で俄然、やる気に満ち溢れている。加えて、自分でも言っていた通り、ファンタジーの世界に憧れはあった。

「じゃあ俺はここで待っているから、早く終わらせてこい」

「行こっか……」

 トボトボとキャロは歩き出す。何もわからない裕樹はそれに付いて行くしかなかった。マーカスはすぐに車の中に戻り、完全に手伝う気はないようだ」

「グルフ・ロウってどんな魔物?」

「群れで行動する狼みたいな魔物で、その群れのボスを殺せば安心なんだけど……」

「それが大変なんだな?」

「そうゆう事。とりあえず一番体の大きい奴がボスだよ」

 町は静かで、ほかに人はいないようだ。恐らく魔物が出て早々に避難したのだろう。

「どうやってグルフ・ロウを探す? 狼みたいなって事は山とかにいるのかな?」

「普通に荒野とかにもいるよ。町まで来るって事は多分。相当食料がなかったんだろうね。つまり……」

 キャロが足を止める。周りは、建物は残っているがほとんどがその残骸で、獣が隠れるにはもってこいだろう。荒い息遣いが聞こえてくる。

「俺らは格好の獲物って事だな」

「そうゆう事。気を付けてね」

「大丈夫こんなところで死んでられないから」

 二人の会話が終わるのを待っていたかのようなタイミングで、建物の影から一体のグルフ・ロウが飛び出す。幸いキャロの近くだったので、杖の一振りで地面に魔法陣が現れる。そこから生えた石柱が腹部に刺さり、グルフ・ロウは息絶えた。

 裕樹の目の前にも現れたので、鞘からサーベルを引き抜く。

「油断しないでよね」

 キャロの言葉に無言で頷く。見えてないだろうが、裕樹はそんな事を考える余裕はなかった。死んでられないと軽く言っても、やはり命のかかった場面。緊張するのは当たり前だ。

 正面から飛び込んで来たグルフ・ロウを、サーベルを横に薙いで倒す。相手が魔物であるためか、それ程迷いはなかった。それとも命がかかっているからか。

「これじゃキリがないね……」

 次々と現れるグルフ・ロウと、背中合わせで戦いながらキャロが苦しそうに言う。自分の分を始末しながら、裕樹が対応しきれないものまで倒しているのだから当たり前だ。反対に裕樹は、気分がハイになっているのか、肩で息をしているがそれ程苦しそうではない。

「ボスを倒せばいいんだろ? でもそのボスが……」

「そうだね。どこにいるのかわからない」

「まったく、これだけやってもまだ俺らを食おうとするなんて」

 気づけば辺りはグルフ・ロウの死骸や血でまみれている。話の途中で飛び込んで来た一体を剣を横に引き抜いて斬り飛ばす。

「もう血で切れ味どころじゃないよ」

「数が減ってきているのがありがたいけど……」

 大量の仲間が殺され、グルフ・ロウ達も様子を見ている感じだ。数は確実に減っているが、まだまだ建物の影に隠れているかもしれない。

「ちょっと無茶な方法思いついたんだけど」

 自身無さげにキャロが言う。無茶とは言うが、この状況を変えられるならと、裕樹はその方法に飛びついた。

「えっとね、まず……」


「二人の様子はどうですか?」

 車の運転手をしていた男性が話しかける。目を閉じてじっとしていたマーカスは片目だけを開けて応えた。

「そうだな……動きは良いと思うが、まぁ、グルフ・ロウだからな。これくらいはやってもらわないとな……」

 離れた場所にいるのに、マーカスにはキャロと裕樹二人の動きがわかっているようだ。

「それよりもジャスティン、お前から見てユウキはどうかな?」

 ジャスティンと呼ばれた軍人は少し考えてから、

「案外普通ですね。人界の人間って言うんでもっとすごいの想像してたんですけど……」

「そういう事じゃない」

 溜息を吐くマーカスに、ジャスティンはよくわかっていないように首を傾げる。

「軍人としてどうなんだ、と聞いている」

「あぁそういう事ですか。そうですね……よくわかんないですけど、人界って魔法がないんですよね?」

「そういう話だな」

「だとしたら、魔法が使えないってのは大変じゃないですか?」

 同じ事をマーカスも考えていたのか、頭を掻いている。

「戦闘はできるようなんだがな……」

 マーカスは再び目を閉じる。しばらくの間マーカスを見ていたジャスティンも、大人しく運転席に戻った。


「……っていう感じだけど、どうかな?」

 思いついた作戦をキャロは説明し終わる。裕樹はなんとも言えない表情を浮かべている。

「うまく、いくのか?」

「それはユウキ次第だよ」

 不安そうな裕樹の問いにキャロは笑って答える。それもそうだと裕樹は思い直すが、やはりこの作戦には不安が残る。

「じゃあいくよ!」

「いつでも来い!」

 二人が声を合わせた時、一体が裕樹へと飛びかかる。サーベルで裂くでもなく裕樹は、地面に膝を着く。グルフ・ロウが間近へ迫った瞬間、裕樹の足下に魔法陣が浮かび、勢いよく柱が迫り上がる。グルフ・ロウは驚いたように足を止める。

「急いでよ!」

「了解」

 柱の動きが止まり、勢いそのままに裕樹は目の前の建物の屋根へと飛び移る。ここならばグルフ・ロウに襲われる事もない。

 着地の時に足が痺れたが、無理矢理屋根の上を裕樹は移動しながら、グルフ・ロウの群れをよく観察する。戦っている時は目の前ばかりで気づかなかったが、全体を見るとその数に目を見張る。

「こりゃ本当にキリがない……」

 恐らくここまで群れが大きくなったからエサに困ったのだろう。だがゆっくりしている暇はない。裕樹が別行動を取っているので、キャロが裕樹の分も戦っているのだ。

「あれかな?」

 周りを多くの個体に囲まれた一体が離れた所にいた。体長もその他の個体と比べるといくらか大きいように見え、さらにほかの仲間に守られている。

「確定だな。キャロの為にも急ぐか」

 屋根から飛び降り、集団の前に降り立つ。今度は前に転がって痺れを回避する。集団も襲撃に備えて身構える。サーベルを構えて走り出す。グルフ・ロウ達もボスの一声で一斉に襲いかかって来る。しばらく戦ったお陰で裕樹にも度胸がついたのか、臆する事なくサーベルを薙ぐ。

「クソッ!」

 だが、戦い続けたお陰で切れ味は落ち、一切りでは大したダメージは与えられない。相手も流石はボスを守っているだけあって、これまでのグルフ・ロウとは違う。中々目的へと辿り着けず、裕樹にイラ立ちが募る。ナックルガードも利用してはじき飛ばして道を作る。だが、一体飛ばせばそこを埋めるように一体が入って来る。

「盾でもあれば無理矢理行けるんだけどな……」

 サーベルを振り続けた結果、段々と腕が重くなっていく。それを実感した時から裕樹に焦りが見え始める。戦闘慣れしているキャロがどうにかなるとは思えないが、それよりも自分自身がこのまま力尽きないかと心配になる。

「ユウキ遅いよ!」

 もうダメかと思った時、空から声が響き、目の前のグルフ・ロウ達が石の槍に貫かれる。

「キャロ! どうして?」

 裕樹の横に降り立つキャロ。息は多少上がっているが裕樹程ではない。

「遅いから心配になって見に来たの。それよりも前見て。アレ一匹くらいは一人でやれるよね」

 返事も聞かずにキャロは屋根の上に跳び乗る。裕樹を飛ばした時のように石柱の勢いを利用していないのになぜあれだけ跳べるのか不思議だが、今はそれを気にかける余裕はない。

「ほかの奴は僕が抑えとくから」

 キャロが来たお陰でボスとの一対一に持ち込めた。普通なら逃げ出すだろうが、目の前のボスは挑戦的な目で裕樹を見据えている。

「早く決着をつけてやらないとな」

 裕樹は腕を回す。まだ多少なら無理は利きそうだ。終わりが見えた事で気持ち的にも楽になる。

 裕樹とグルフ・ロウは同時に走り出す。飛びかかって来た相手をサーベルを横にして受け止める。前足と口でサーベルを押さえられ、うしろに倒される。咄嗟に裕樹は足で腹を蹴る。計らずも巴投げのような形になり、グルフ・ロウを後方へ投げる。キャロがほかのグルフ・ロウを抑えるために作ったのであろう石壁に当たり地に落ちる。すぐに起き上がった裕樹は勢いよく駆け出す。サーベルを持ち直して、立ち上がったグルフ・ロウへ向けてサーベルを勢いよく突く。

「やったか?」

 石壁の手応えはあった。だが問題はグルフ・ロウに刺さっているかで、よく見るとサーベルは左目に刺さっていた。驚くべきはこの状態でもグルフ・ロウの右目には闘志が宿っている事だ。動物故、勝ち負けよりも生き死にでの問題なのだろう。裕樹を殺さなければ自分が殺されると理解している。

 刺さったサーベルを抜こうと暴れる。対して裕樹は両手でしっかりと握り、抜けないように力を入れる。しばらく暴れていたがやはり傷は深かったのか、最後にか弱い声を上げて力尽きる。

 同時にキャロの作った壁も崩れる。影がいくつか散るのが見えたが、最後の方をチラリと捉えただけでしっかりと姿は見えなかった。きっと、ほかのグルフ・ロウ達が逃げ出したのだろう。

 力なくへたり込む裕樹のすぐ横に、キャロが降りる。

「お疲れ様」

「うん」

 伸ばされたキャロの手を取り立ち上がる。全身から力が抜けてるのは疲れからだけではないだろう。

「気が抜けたみたいだな。車に乗せてやれ」

 いつの間にかマーカスと車が近くに来ていた。キャロと運転手の手を借りて車に乗り込む。走り出してすぐに裕樹は眠りについた。

「近くで見ていてどうだった?」

「まぁいいんじゃない? 素人にしてはって事だけど」

「そうか。話に聞いていた通りなら戦闘なぞは初めてのことだろうからな……お前にそう言わせただけでも上出来だろう」

 キャロは肩をすくめる。

「それに魔力を練ることが苦手ならアレの実験体にピッタリじゃないか」

「アレ?」

 顔に疑問符を浮かべるキャロに答えたのは、マーカスではなくジャスティンだった。

「アレのことですよね? 魔力を増幅させる機構を持った武器」

「あー……」

 納得したようにキャロは頷く。

 ジャスティンの言う、魔力を増幅させる機構を持った武器。それは現在四番隊で開発している武器であった。今回キャロが使用した杖とは似て非なる物である。

 魔法とは、魔法陣を持ってして魔力を制御して形にするもの。魔法陣の伴わない魔法はただの魔力の暴走で、魔力が火薬なら魔法陣は弾、術者は銃といったところだろう。

 キャロの杖についている魔法石の役割は、その魔法を発動するために必要な魔法陣を格納すること。魔法陣を格納できるということは、魔法陣を描く手間が省けてそれだけ早く魔法の発動が可能になるのだ。

 反対に魔力を増幅させる機構とは、単純に火薬の量が増えるということ。魔法陣を描く手間はあるものの、その能力しだいでは強大な魔法の発動も可能になる。

「発動する魔法を肉体強化に限定したからな、ほかと遜色ない早さになるはずだ」

 基本的に武器に使われるのは前者。一瞬の差が生死の差に繋がる戦場において、相手より早く魔法が発動できるということは、そのまま生き残る可能性が上がる。だがそれは一般的な魔法での話。肉体強化はまた別だ。

「装備している間は魔素を勝手に吸収し、自動的に待機状態を保ってくれる。あとは発動するだけだが……」

「肉体強化自体が元々早い魔法。それに限定することで発動スピードも変わらず、か……」

「そういうこと」

 説明を全て聞くまでもなく理解したキャロ。その後何事かを考え込む様子を眺めて、マーカスは満足そうに頷いている。

「馴れればほぼ無意識に発動できるかもね。ただ問題は……」

「持久力だな。自動的に吸収していくから精神力が保つか心配だな。使う人間によっては問題ないのだがな」

「量産できなきゃ武器として失敗だね」

「ユウキに試して終わりだろうな。うまく使いこなしてくれればいいのだが」

 期待の眼差しを向けられていることに寝息を立てている裕樹が気づくはずもなかった。そんな姿に期待するやら不安を抱くやら頭を痛めるマーカスはすでに、情が移ってしまっているのかもしれない。

何度目かの書き直しですがもう次はないと思います。多分きっと恐らく絶対。遅々として進まない筆ですが、どうぞ首を長くしていてください。

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