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09◆9月-1

「おっはよーございまーす!」

 能天気に神南は出社した。約2ヶ月ぶりの出社だった。

「お、もういいのか?」

「大怪我だと聞いてたけど?」

「俺は再起不能だと聞いたぞ」

 久方ぶりの神南の出社を、大概の同僚は喜んで迎え入れた。

「化けもんだよな、やっぱ」

 胡散臭げにぽつりと呟くのは小鳥遊たかなし。相棒の千鳥ちどりも胡乱げに神南を見る。

 そんな二人には頓着せず、神南は後ろ手に持っていた秋桜コスモスの束を差し出す。

「ご迷惑をおかけしたお詫びに、秋を連れてきてみましたぁ」

 花束というには少々大きすぎるそれを、抱えるように受け取った綾女は大きく溜息をついた。

「あなたねぇ、何を考えてるのよ。これだけの秋桜、どうしろっていうの?」

「殺伐とした職場に花をと思ったんですけどね。やっぱり花束の王道、薔薇にしたほうがよかったですか?」

「あのねぇ、そういう問題じゃなくて。大量の花瓶を常備しているオフィスってのはあまりないと思うわよ?」

「ご心配なく。程なく花瓶が到着しますんで」

 別配送で手配済らしい。綾女はもう一度溜息をつくと秋桜の束を庶務担当の部下に渡す。

「バケツにでもつっこんでおいて」

「これも」

 神南の影から抱えきれないほどの秋桜を手にしたアインが現れる。どうやら無理やり持たされたらしく、少々仏頂面だった。

 綾女はおやと思った。だいぶ人形めいたところがなくなってきていると思った。どうやら2週間の休暇はアインにそれなりの効果をもたらしたようだ。

「あらあら。久しぶりに相棒と一緒の出社だというのに、いきなり私用にこき使われてるわね、アイン」

「……別に」

 綾女のからかうような色合いを帯びた言葉に、アインはそっけなく返した。

「心外ですね、その物言い。まるっきりの私用というわけでもないでしょうが。アインだって俺のいない間、みんなに世話になったわけだし」

 神南が抗議の声を上げる。

「そ・れ・を、どの口が言うのかしらぁ?」

 にっこりと微笑む綾女には凄みが感じられる。頬をつねり上げられなかっただけましという迫力だ。

 神南は思わず2歩ほどあとずさっていた。

「そもそもね、あなたの怪我が原因なんですからね。まったく、今回の件で私の寿命がどれだけすり減ったと思ってるのよ」

 そのまま小言に突入する気配に、神南は慌てて口を挟む。

「以後気をつけます! ではでは、久方ぶりの外回り、いってきまーす」

 既に職場復帰を果たしていたことはおくびにも出さず、神南はアインを伴って逃げるように出ていく。

「どうしてこう、私は貧乏くじ引きまくりなのかしら」

その後ろ姿を見ながら、綾女はぼやく。

「神南さんのおかげで、部内が明るいんですから、差し引きゼロってところじゃないですか?」

「そうそう。あいつがいるといないとでは、全然雰囲気が違うもんな」

「あれで仕事はできるしな」

 慰めているのかいないのかすら判らないような部下の台詞を聞きながら、綾女は大きく溜息をついた。


「あ、しまった」

 外回りの車の中で、神南は思い出したように言った。

「なにが?」

 夏休みの間中、ずっと深森と一緒にいただけの成果はでている。アインは反射的に聞き返していた。

「俺がいない間、アインが世話になったところに挨拶するのを忘れた」

 秋桜を綾女に渡した後、予定では挨拶回りをするつもりだった。そのための菓子折りすら用意したというのに、小言の気配に逃げ出してきてしまったのだ。

「……世話になったつもりはない」

「そう言うなって。報告書は読んでるし、綾女さんからも聞いてる。却ってアインの足を引っ張った奴もいたようだけどな、そういうのに限って世話したつもりだったりするんだな、これが。そんでもって挨拶ひとつで関係がこじれたりするわけだ」

 特に誰かを想定しているわけではなかったが、どうしても言ったほうも言われたほうも特定の固有名詞が頭に浮かぶ。

「あー、挨拶したからって心証が良くなるってわけでもないけどな」

 苦笑して神南は言う。

「それは無駄なことではない?」

 効果を得られないことに労力を割くのは、アインの基準からすれば無駄以外のなにものでもない。深森との夏休みを経て、無駄を排除することが一概に良いとも言いきれないことは判った。それでもいま神南が言ったことは、排除すべき無駄であると思われた。

「そうだなぁ、気分の問題、かな。相手がどう思うかもそりゃ当然大切なんだが、基本は俺がどうしたいかだな。アインが本当に世話になったかとか、迷惑をかけたとか、そんなことは実は関係ないんだ。俺のいない間、俺の代わりをしてくれてありがとうってな礼だな」

 アインは助手席で首をかしげる。誰も神南の代わりなどしていなかったように思う。強いてあげれば綾女だろうが、それも彼女の職務のひとつと言える。

「綾女さんには別個に礼をしなくちゃな。っとに、俺なんかに構ってるから心労がたまるってことにいつになったら気付くやら」

 後半は完全にぼやきである。

 秋津島から帰った翌日が休み明けの出社だった。ゆっくりと話をする時間もとれないままだったが、神南は極秘事項を自分の口からはっきりと告げたことで、アインの前で取り繕う必要を感じなくなっていた。それはまた、自分自身に対しても同じだった。枷が解かれたように心が軽くなっている。

「でもそれは課長の仕事のうちだと思う」

「そぉかぁ? 業務外の、しなくていい気苦労まで背負い込んでるように見えるけどな」

「……そう思うなら、課長に気苦労をかけるようなことはしなければいいのに」

 神南は運転中にも関わらず、驚きに目を見開いて助手席のアインを見た。

「運転中のよそ見は厳禁」

 無表情のまま、神南と視線を合わせることなくアインは言う。

「……判ってる。びっくりしただけだよ。アインにそれを言われるとは思ってもいなかったから」

 視線を前方に戻し、神南は答えた。

 アインはそれに対しては黙ったままだった。

 秋津島で感じた不安が再びアインをむしばむ。深森と一緒にいなければ、今までと同じ生活に戻れると思った。感情など任務には邪魔になるだけという認識は変わっていない。それなのに他人の心情をおもんぱかるような言葉が口をついて出たことに、アインの方こそ驚いていた。

 どこか壊れたのかも知れないと思う。そのことがアインを嫌な気分にする。それが『不安』というものだとはまだ理解していない。ますますもって壊れたのだろうかと思う。不良品は廃棄処分になる。それが怖い。怖いと感じることにまた驚く。

 多くのものを切り捨ててきた。多くの者が廃棄処分となるのを実際に見てきた。いつかは自分も廃棄されることは判っていた。しかし恐怖は感じなかった。命令書という紙切れ1枚に左右される命だということにも屈託はなかった。けれど今は廃棄されたくないと思う。不要とされたくないと思う。

 アインは考える。壊れたのならば、それを他人に気付かせないうちに故障箇所を直せばいい。だが、どこが悪いのか、何が壊れたのか、アインには判らなかった。

「……イン。……アイン!」

 どこか緊迫した神南の声に、アインは我に返る。

「なに?」

「聞いてなかったのか? 特殊課から協力要請が来た。例の時空融合した箇所、あれをどう始末するか結論が出たらしい。これから打ち合わせだ。一旦戻るぞ」

「了解」

 任務中によそ事に気を取られることなど今までなかった。アインはちらりと神南を見る。今の反応の鈍さがどれほどの減点になるのかが気になった。しかし、神南の横顔からは何も読み取れなかった。


 難しい顔で、神南はアインを伴い会議室を出た。

 特殊課との合同会議は、あまり実の無いものだった。

 結論から言えば、融合してしまった時空を分離するのではなく定着させて安定を図るというのが、特殊課の提案だった。

 時空の持つ流動性が幸いし、融合されなかった部位は既にこの時空から離れている。それでも不安定箇所が熾火のように残っている。その空間を圧縮し、通常の固定(ホール)にすることが、特殊課と協力して行う今回の任務となる。ただし、特殊課の主張する空間を圧縮する方法というのは、あくまで理論上のものでしかなかった。実績のないまま本番を迎えるのは、神南としては避けたいところだったが、かといってテストできる環境を作るわけにもいかないことは判っている。だから特殊課の意見を概ね了解したのだ。

 それ以降の話し合いは、縄張り争いというか、責任の所在とか、実に馬鹿馬鹿しいことに終始した。問題の箇所が神南の担当区域だということで特別に参加させてやるという恩着せがましい態度が、これまた神経を逆撫でてくれた。よくもまあ途中で席を立たなかったものだと、神南は自分を褒めてやりたい気分だった。

「あれで本当にうまくいくと思いますか?」

 一緒に会議室から出てきた綾女に、神南はこっそりと尋ねた。

「理論上はうまくいく筈よ。こればっかりは、実際にやってみないと判らないわね。頼むわよ、神南くん」

 答える綾女もやはり難しい顔をしている。

 最終的には現場の判断を優先せざるを得ない状況になるだろうことは簡単に予想がつく。その状況でどれだけの権限が神南に与えられるのか。それが今回の任務の最大のポイントとなるだろうと綾女は思っている。

 どれほど特殊課が権限を振りかざそうと、現場の判断となるとやはりそこは経験がものを言う。数値化できない微妙な力加減というのは、一朝一夕に身に付くものではないのだ。そして経験ならば神南に勝るものは誰一人としていない。

「さっさと現場の実権を握れということですか」

 綾女の懸念していることくらい、神南にも良く判っていた。己を過信すべしているわけではない。それでも不測の事態に対処する術ならば、他の誰よりも身に付けていると自負している。

「角が立たないようにチームを掌握するってのは、結構骨が折れるんですけどね」

「現場に関しては、流石さすがの私も口出しするわけにはいかないのよ。神南くんにならできると思っているのだけれど?」

「やってみましょ」

 特に気負うことなく神南は答えた。そして傍らを歩くアインに目をやる。

 アインも合同会議に出席していた。いつもの彼らしくなく、作戦遂行上の欠点を指摘することもなく黙っていたのが、神南には妙に気に障っていた。ゆっくりと話す時間がとれないままでいることも気にかかっている。だがこの大仕事が終わるまでは、神南は良くてもアインが何かを話す気になれないだろうことは理解している。

 綾女も何かを感じているらしい。神南に何か言いたげに目線を送る。

 それを受けて、神南はアインに言った。

「アイン。悪いんだけど、合同調査に関する申請書、書いといてくれないか? 今回は上意下達できてるんで、必要ないといえば必要ないんだが、一応規則だからな」

「了解」

 心ここにあらずというようなアインだったが、答えはすぐに返ってきた。

「書き方は判るか?」

「大丈夫」

「そっか。じゃ、先に行っててくれ」

「了解」

 神南はアインと分れて綾女と角を曲がる。あまり人通りのないその廊下で、綾女は声を潜めて神南に尋ねた。

「何があったの?」

 前ふりもなくいきなり本題に入る。

 壁に背を預け腕組みしている綾女は、その身長差からどうしても神南を見上げる形となる。それでも強い視線が誤魔化ごまかしを許さない。

「俺もそれが知りたいと思ってますよ。夏休みに深森と何かあったのは間違いないんだ。だけど、深森はそれを意識していない。てことは、アインの内面の問題だろうと見当はつけてるんですけどね」

「それ以上は判らないってことね。いいわ。何か内面に抱え込んでいるものがあるということを、神南くんが承知してるなら大丈夫ね?」

 全幅の信頼を置いた目で、綾女は神南を見上げる。

「あいつが何を気にしているのか判らないんで、なんとも言えないってのが本音なんですけど。それについてはゆっくり話そうとは思ってるんですが、この大仕事が入ってきましたからね、おそらくこれが終わるまでは、あいつと話している時間はとれそうにないですね」

 困ったような表情で神南は答えた。綾女の信頼に応えたいとは思う。だが出来ないことも確かに存在するのだ。

「一緒に住んでるんだもの、時間ならいくらでもとれるでしょう?」

「綾女さんなら、あいつの性格、把握してるでしょうが。仕事と私用の時間の区別なんてありませんよ。特に今回の任務は不確定要素が多いですからね、家に帰ってからも気を抜いたりしないでしょうよ」

 綾女は大きく溜息をついた。

「あなたと組んでいるというのに、少しも気を抜くことを覚えないのね。もちろん、全面的にあなたを見習われては困るけど? それとも、あなたと組んでいるから気を抜けないのかしら」

 含みを持たせた綾女の言葉に、神南は思わず苦笑してしまう。

 神南の反論など期待していなかったのか、綾女は言葉を続ける。

「張りつめてばかりではどこかで切れてしまうわ。……もしかして、切れかけてるのかしら?」

 神南は何か判りかけたような気がした。だがそれを意識する前に、『何か』は手の届かぬところへ去っていった。

「神南くん?」

「え? ああ。アインのことは、俺に任せといてください。最初からそういう話だったでしょう?」

 綾女の重荷を減らそうと、神南は安心させるような笑みを浮かべて言った。だが、それに惑わされるような綾女ではない。

「任せっきりにするような、そんな無能な上司ではないつもりよ。何かあったらすぐこっちに回しなさい。課長だから出来ることというのもいろいろあるのよ」

「言っちゃなんですけど、俺の手に余るような状況ってのは、かなり酷いもんだと判って言ってます?」

 綾女ほどにないにしろ、神南の持つ人脈というのも侮れないものがある。それに加えて、いざとなれは賢人会議ウィザーズの手を借りることも神南には出来る。出来れば使いたくない手でも、あるのとないのとでは雲泥の差がある。

「あのね、神南くん。その程度のことも出来ないで、あなたの上司が務まると思っているの? それも課長の仕事のうちよ」

「それじゃ俺は、そんな綾女さんに心労をかけないように努力しましょう」

 神南は車の中でアインに言われたことを思い出して言った。

「あら、殊勝な心がけね。どうしたの? まだまだ残暑の厳しいこの時期に、雪でも降るのかしら」

「アインにも言われましたからね」

「アインに?」

「ええ。課長に気苦労をかけるようなことはするなってね」

 綾女の目が驚きに見開かれる。おそらく自分もあの時こんな表情でアインを見たのだろうと、神南は思った。

「……驚いたわ。あの子がそんなことを言うなんてね」

「そういうわけなんで、ここらで俺もひとつ心を入れ替えようかと思いまして」

 どこまで本気なのか判らない口調で神南は言う。

「早め早めにそちらに回すことにしますから、今後ともよろしくお願いします」

 神妙な面持ちでぺこりと頭を下げる神南に、綾女は本当に信用していいのだろうかと一瞬悩んだ。


 綾女にはああ言ったものの、神南はなんとかアインとの時間を作ろうと思っていた。

 普段ならば何を抱え込んでいようと、アインはそれを仕事に影響させはしない。しかし今回ばかりは、かなり引きずっているように神南には思える。

 通常の業務であれば、アインが話す気になるまで待っていても害はない。しかし今回のような不確定要素の多い任務では、何が起きるか判らないのだ。極力不安要素は取り除いておきたいと思うのが普通だろう。

 だが神南がいくら水を向けようとも、アインがそれにのってくることはなかった。

 アインの中で何か結論のでない問題があるのだろうと神南は思う。言葉にすることで何か形になるものがあるかもしれないと思うのだが、アインにはそれが判らないらしい。

「相談にのるってもなぁ」

 夕飯の後片づけをしながら、神南は困ったように呟いた。

 アインは神南を避けているようだった。夕飯の席でもアインは黙ったまま食事に専念し、神南につけ入る隙を与えなかった。食べ終われば即座に部屋に戻る。

 面と向かって『悩みがあるだろう』と問い掛けたところで、返ってくるのは社交儀礼のための記号のような言葉のみというのが判っているからこそ、神南はアプローチの仕方に悩んでいた。

「とはいえ、合同調査は明日だしなぁ」

 結局、手をこまねいているだけで期日切れになりそうだった。

 神南は溜息をつき、最後の食器を戸棚にしまう。

「ダメもとで、ご機嫌伺いでもしておくか」

 冷蔵庫から適度に冷えた葡萄をとりだして軽く洗う。

 リビングに呼びつけようかとも思ったが、おそらく降りてこないだろうと思い直し、1房ずつ皿に盛る。それを持って、神南は2階にあるアインの部屋をノックした。

「葡萄、持ってきたぞ。食うだろ? 初物のベリーAだ」

 カチャリ、とドアが開く。

 不機嫌そうな、どこか怒っているような表情で、アインが顔を出した。

「いらない」

「おいおい。せっかく持ってきたんだぞ。それに、ちょっと話したいこともあるんだけどな。……部屋には入れてもらえないかな?」

「……どうぞ」

 アインがこの部屋に住むようになってから、神南がここに入るのは数えるくらいしかなかった。掃除は趣味で神南が担当しているが、自分の部屋を勝手にいじられるのは嫌だろうと、アインの部屋は素通りしている。

「相変わらず殺風景だな」

 必要最小限のものしかない部屋を、神南はそう評した。

 客間だったころと何も変わらない。強いて違いをあげれば、机の上に書類がのっていることくらいだろうか。それも整然と置かれているので、以前との相違感はあまりない。もちろん、備え付けのワードローブにはアインの服が入っているし、机の中身も客間だったころとは違うだろう。だがそれでもここがアインの部屋という感じはしない。たとえそこがホテルの一室であろうとも、長期間滞在すればそれなりに愛着がわくだろう。それがその部屋をその人のものたらしめるのだが、アインには愛着もないようだ。そういう意味では、ここはいつまでたっても客間のままだった。

「話って?」

「つったったままで?」

「……その椅子を使っていい」

 アインは部屋に一脚しかない椅子をさしてそう言うと、自分はベッドに座った。

 神南は手にした皿をとりあえず机の上に置き、椅子をアインの前まで持ってきて座った。

「ほんとはさ、こうやって面と向かって改めてというのは苦手だし、雑談のついでにするような話だからそう構えられても困るんだが」

 神南は何も言うまいと気負っているように見えるアインに、照れたような笑みを浮かべて言った。

「だから何」

 アインの返答はつれない。歓迎していないのがありありと判る。取りつく島もないというのはこういうことを言うのだろう。

「そう返されると言いにくいんだけどな」

 神南は苦笑する。

 覚悟はしていたものの、話の糸口すら見いだせないのは我ながら情けなかった。

「えーと。明日だろ、合同調査。気負ってないかと思ってな」

「別に。いつもと同じ」

 無難なところから始めたつもりが、いきなり本筋に触れたらしい。アインが顔を強張らせる。

「今回は何が起きるか判らないからな。全部自分一人でやろうと思うなよ? 何があっても俺がフォローする。気楽に行け」

 それには気付かぬふりで神南は言った。

「必要ない。やることは判っている。やるべきことをやれば、予測したとおりの結果が出る」

「だからさ。今回は結果が予想どおりになるか判らないんだ。理論上うまくいくからって、実際もそうとは限らないからな」

 アインの瞳が不安に揺れる。

「カンナミさんでも失敗する?」

「どの状態を『失敗』と見るかによるな。今回に関して言えば、予想どおりに事が進まなくても仕方ないしなぁ」

 何がアインの癇に障ったのだろう、アインはきつい目で神南を睨みつけた。今まではほんの少しにしろ開いていた扉が、目の前でぴしゃりと閉められたように神南には感じられた。

「出ていって」

 アインにしては大きな声できっぱりと言った。まるで怒鳴るかのようだった。

「アイン?」

「もう寝るから」

 まだ寝るには早すぎる時間だった。翌日に備えてというのは表向きで、神南に早く出ていって欲しいための口実であることは明白だった。それでも神南にはこれ以上、部屋にとどまることはできなかった。

「判ったよ。……葡萄、どうする? 食わないようなら冷蔵庫に入れておくけど?」

「持っていって」

「判った。じゃあ、お休み。良い夢を」

 返答はない。片膝を抱えるようにしてベッドに座っているアインは、神南と目を合わせようともしなかった。

 静かにドアを閉めた神南は、しばらく部屋の前にたたずんでいた。

 アインの反応が気にかかる。だが今日のところは何もしてやれることはないらしい。

 結局一粒も食べないままだった葡萄を持って、神南は階段を下りた。

 不安を取り除いてやるどころか、却って不安を煽ってしまったらしいことに、神南は忸怩たる思いだった。



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