05◆7月-1
流血注意です。あっさりと流していますが、残酷な表現があります。ご注意ください。
綾女が神南との面会を許されたのは、手術後半月ほど経ってからだった。それでも神南の怪我の状態や賢人会議の思惑などを鑑みれば、比較的早く面会許可が下りたといえるだろう。
「やあ」
ドアから顔をのぞかせたのが綾女だと知ると、神南は苦笑いのような笑みを浮かべた。
そのあまりにいつもの態度に、綾女は安心すると同時に怒りも覚えた。
「やあ、じゃないでしょ! あなたねぇ、どれだけ心配したと思ってるの!」
「悪かった。考えるより先に身体が動いちゃってさ」
「謝ればいいってもんじゃないでしょ! まったく……こっちの心臓が持たないわ。アインから連絡を受けて駆けつけてみれば、血溜まりの中に倒れてるんだもの。一瞬、死んでるのかと思ったわよ」
きまり悪そうにとりあえず笑んで見せる神南に、綾女は大きく溜息をついた。『のれんに腕押し』とか『糠に釘』とかいうことわざが頭をかすめる。
「過ぎたことをぐだぐだと言っても仕方ないわね。仕事の話をしましょう」
半ば諦めたように、綾女は課長の顔になる。
神南のきまり悪そうな笑みが、楽しそうなそれに変わる。
「流石だね」
「褒め言葉として受け取っておくわ。で、比較的いい話と悪い話と凄く悪い話、どれから聞きたい?」
「嫌な三択だな。とりあえず、比較的いい話から」
関係者以外立ち入り禁止区域の病室で綾女相手という気安さからか、神南の口調は昔のものに戻っていた。それが綾女には何だか嬉しかったが、口調にまで気を配る余裕がまだないのかもしれないと思うと、一概に喜んでばかりもいられなかった。
その一抹の不安を押し殺し、綾女は口を開いた。
「アインの仕事ぶりだけど、ほぼ完璧といってもいいわね。もっとも、不測の事態というものがまだ起きていないからかもしれないけれど。このあたりはあなたの日頃の行いがいいってことかしら」
「アインは元気か?」
「――まぁね」
綾女は言葉を濁す。らしからぬことに、神南は嫌な予感を覚えた。
「何かあったのか?」
「凄く悪い話になるんだけど、聞きたい?」
綾女の歯切れは悪い。
「聞かずに済ませられるような問題なのか?」
「そうね。仕事には全然関係ないと思うわ。……今のところという限定付きだけど」
「でも耳に入れておいたほうがいいと?」
「できれば耳に入れたくはないけれど、そうもいかないわね。……《彼》が絡んできてるのよ」
綾女のいう二人称が誰をさしているのかタイムラグなしに把握すると、神南は頭を抱え込んだ。
「トーラのやつが? なんだってアインに興味を持つんだ。俺の相棒だからか? 俺に関わったからか?」
「きっかけは確かにそれだけどねぇ」
ここにはいないはずの声が降ってきた。それから均整のとれた肢体が現れる。
話題の主、トーラだった。
「トーラ! なんでここに」
突然現れたトーラに反応できたのは神南だけだった。
綾女は不覚にも硬直していた。予告もなく現れるトーラに対応できるほど図太い神経は持ちあわせていない。
「お見舞い。それに、呼んでくれたでしょ、僕の名前」
「固有名詞は口にしたが、呼んじゃいない。さっさと帰れ」
犬か何かを追い払うかのように、神南は右手を振った。
「冷たいなぁ、相変わらず。だけどさぁ、貸しがたまってるんだよね。今回はおとなしく帰ったりしないよ」
にやりと嗤うその顔は、羊の皮を被った狼のようだった。その言葉に綾女が反応する。
「手出ししないと確約したでしょう?」
「やだなぁ、綾女ってば。僕は自分で言った約束はちゃんと守るよ。だから、今回は本当にお見舞い。ちゃんと見舞いの品まで持ってきたんだからさ」
そしてパチンと指を鳴らす。
まず影が浮かび上がる。ゆらゆらとたゆとうながら次第に影は濃くなり、見知った姿となる。
「手出しするなと言ったはずだが?」
神南の声に怒りが混ざる。
「手出ししたうちに入らないよ。だって、会いたかったでしょ? これでまた貸し一つ」
対するトーラは神南の怒りなど一向に気にしていない。
「……アイン……」
綾女が信じられない思いで呟いた。
現れたのはアインだった。ぼんやりとした表情で、自分がおかれている状況を把握していないように見えた。
「十分手出ししてるだろうが。これをアインだと? ただ影を映しているだけじゃないか」
綾女がアインと認識したものを、神南は否定した。
つき合いが長い分だけトーラの力や行動がある程度ならば読みとれる神南には、それがアインではないことがはっきりと判っていた。
「うーん、やっぱり駄目? 本人を連れてきたいところなんだけどね、ちゃんとした手続きを踏んで面会に来るにはここはあまりに面倒だし、そうなると生身の人間を転移させなきゃいけなくって、それだと神南との約束破ることになるから嫌だし、苦肉の策なんだけどなぁ」
「退院すれば毎日顔合わせることになるんだ、殊更いま会いたいなどとは思ってないさ。用が済んだらさっさと帰れ。それと、俺にちょっかい出すのはまだしも、俺以外のやつに手出しするなよ」
それを聞くと、トーラは嬉しそうな顔をした。
「判ってるよぅ。神南が一番。他はいらない。神南だけが僕といられる。そう、ずっとね」
「できれば俺のことも放っておいて欲しいんだが」
「つれないなぁ。ま、いいや。嬉しいこと聞けたし、今日はこれで帰るよ。ああ、心配しなくたって、この影は直接あの子から持ってきたもんじゃないから、あの子に何か影響が出るってことはないよ。じゃあまたね」
現れたときと同じように、トーラは静かにその姿を消した。それと一緒に、アインの姿も消える。
「……神南さん……」
綾女は力なく呟いた。自分の力不足を嘆く余裕もない。
「綾女にそう呼ばれると、時間が戻ったみたいだ」
神南は苦笑を浮かべた。
「ごめんなさい。もっとしっかりしないと。だけど今は」
消え去ったトーラが綾女の気力をすべて奪い取っていったかのようだった。綾女は崩れるように座り込んだ。そしてベッドに突っ伏す。
「十分しっかりしてるさ。俺のことで綾女が気に病むことはないんだ」
優しく綾女の頭を撫でながら、神南は言った。
その言葉を淋しいと綾女は感じ、少しだけ涙をこぼした。
何かがおかしい。どこか変だ。
アインは自分の中に生まれる違和感に戸惑っていた。
わけもなく苛立ったり、妙な閉塞感に襲われたりする。薄布を一枚隔てたようなところで、その感情の動きを冷静に分析しようとしている自分がいるのにも気づいていた。
トーラが何かを取り除いてから、今までとは心の動きが変わってきた。冷静なアインは感情と理性が剥離していくさまを見せつけられているように思えた。
アインは今日も自宅待機のまま、地下にある資料を解析していた。
ふいに、ページを繰っていたその指を止め、軽くこめかみをもんだ。そして目線をあげる。
その目線の先にはトーラが浮かんでいた。
「もしかして、僕が来るの、判っちゃった?」
まさか見つかるとは思わなかったのだろう、驚いた表情でトーラは話しかけた。
「…別に」
トーラが来たと感じたわけではない。ただふと目線をあげたらそこにいただけのことだった。
「予想外に勘が鋭いのかな。調子、どう?」
「……別に」
アインは違和感を訴えることはしなかった。言ってどうなることでもないと思っていたし、何よりも人に頼ることをアインは知らなかった。
「別にってことはないと思うんだけどなぁ。ま、いいか。そこまで親切にしてやる義理もないし。このまま分離していく様を見るのも一興だしね。ってこれは手出ししたってことじゃないよねぇ。神南に文句言われたりしないよねぇ」
アインはトーラの問い掛けには答えず、資料に目を戻した。トーラの相手をする必要は感じなかった。
綾女が感じているであろう程の恐怖感はアインにはなかった。
元来、感情というものが欠落しているアインには、トーラの持つ不気味さなどあまり関係なかった。力の差ははっきりとしている。ここまで歴然としていれば、生き残ろうとあれこれ画策するのも馬鹿らしくなる。
しかしそれは、アインの理性が告げていることだった。
まだ生まれて間もないアインの感情は、心の奥底、本人も自覚していないような深い領域で暴れだしていた。その暴れているものが「恐怖」という感情であることすら、今のアインには判らない。
「本当に、君は面白いねぇ。神南に止められていなければ、あれこれいじってみたいんだけどなぁ。神南ってば妙に勘が鋭いから、手出しするとすぐばれちゃうんだよね。うーん、残念」
面白いおもちゃが目の前にあるというのに、それで遊べないもどかしさを感じているようにトーラは言う。
トーラにとっての『人』など、壊れやすいおもちゃでしかない。それは神南についても同じだった。ただ気に入りのおもちゃであることは間違いがない。なるべく壊さないようにしているだけだった。神南で遊ぶためにはその周辺にも気を配る。それだけのために、アインや綾女などは他と比べて比較的丁寧に扱われているのだった。
ふい、とトーラは視線を動かした。何かを感じ取った猫のような仕草である。
「……面倒だなぁ。どうしよう。ああ、でも、もうちょっと育たないと……」
呟くように言うと、トーラは消えた。
物事にあまり興味を示さないアインではあったが、これには思わず自問してしまった。なんのために現れたのだろうと。そしてあの呟きは何だったのだろうと。
手首に振動が来る。
携帯端末に緊急連絡が入った。
「はい。こちらアイン」
『まさかと思うけど、そこに《彼》いたりしないわよね?』
綾女からだった。《彼》が誰をさしているのか瞬時に判断してアインは即答した。
「先程までは」
『やっぱり《彼》がらみなのかしら』
対応を決めかねているような声で綾女は呟いた。
アインは黙って指示を待っている。
『だからって無視するわけにもいかないわね、職務上』
そこで声の調子を変える。
『K地区東2ー33に時空穴発生。現場に急行して。普通の時空穴とは違うみたいだから、特殊課にも出動要請はしてあるわ。できるかぎり現状維持、お願いね』
「了解」
返答しながらアインは階段を駆け上がる。
携帯端末で該当ポイントをサーチする。
今まで対応してきた時空穴とは違う反応を示している。
普通ならば歪みの中心となるポイントが見つかるはずが、それがまったく見当たらない。それでいてただの歪みではなく時空間を移動できるほどの穴
ができている。
『T地区と隣接してるから、小鳥遊くんと連携とって』
「了解」
玄関を出ると、目の前に車が急停車した。そして助手席のドアが開く。
「乗って!」
T地区担当の小鳥遊裕と組んでいる先崎千鳥が叫ぶ。
無言のままアインは車に乗り込んだ。
「タカ先輩は先に現場に行ってるの。本当はあたしたちの担当じゃないんだけどさ、キミの相棒、まだ入院中でしょ? 独りじゃ無理だろうと思ってさ」
堅い表情で前方を見ながら千鳥は言った。あからさまにアインを軽視している口調だった。
アインはそれに応えず、携帯端末で発生した時空穴の検証をしていた。穴を現状維持するための力場を算出する。
普通ここまで確定された穴であれば、通常空間との境目がはっきりとしていて、現状維持のために管理課が出張る必要もない筈だが、この時空穴は周囲の空間をも巻き込んでまだ広がりを見せようとしている。自然発生したものならば、拡大している間は穴にはなりえず、ただの歪みのままのはずだった。そして、何者かが故意につなげたものだとすれば、このように拡大しているのはおかしい。却って安定度が下がってしまい、時空穴として使い物にならなくなるのだ。
「なんなのよ。人が気にしてやってるってのに」
千鳥は何の反応も返さないアインに苛立ちを覚えていた。
そもそも現在発生している時空穴は神南の担当区域であって、千鳥が呼び出されるものではない。余計な仕事を増やされた気分で荒んでいた。その上、このアインの無愛想さが重なって、千鳥の気分は下降の一途をたどっていた。
「フロイライン」
「…………あたしのこと?」
よもやその呼びかけが自分に対してのものだとは思わなかった千鳥は対応が遅れた。
反応の鈍さに苛立ちを隠さず、アインは言葉を続ける。
「行き先は東2ー33ではなく東3ー33に」
「どうしてよ。穴
があるのは東2ー33でしょ! タカ先輩だってそこに急行してるんだから」
「移動している。今からでは東3ー33に回ったほうが早い」
千鳥は何を言われているか判らなかった。
時空穴が移動する。そのような事態はあり得ない。周囲の空間を歪めた結果として、近隣の地点に別の穴が開いてしまうことならば、滅多にあることではないが絶対にないとは言いきれない。だが、確定している時空穴が移動することはない。
「そんなわけないでしょ! ったく、お子様はナニ考えてんだか。東3ー33に回ってる暇なんざないのよ!」
「ならいい。ここで降りる」
そう言って、走行中の車からアインは飛び降りようとした。
千鳥は慌ててドアをロックした。
「おとなしく乗ってなさいよねっ! キミが勝手するのは構わないけど、あたしまでペナルティ食らうのは冗談じゃないわ」
そのままスピードを上げる。
東2ー33付近にさしかかった千鳥は、思わずブレーキを踏んでいた。
「……なによ、コレ!」
東2ー33は他時空と融合し始めていた。景色に他の風景が陽炎のように重なる。その区域がじわりじわりと増えていく。
「だから言った」
アインは平然と車を降りる。
やりにくさを感じていた。神南と動いていたときには感じなかったものだ。
前例はなくとも、時空穴が動いていることは携帯端末のデータを見ても判ることだった。その確認もせずにあり得ないと断じた千鳥のことは、最早アインの眼中にはなかった。小鳥遊と連携をとるようにと命令されていたが、千鳥が呆然としているこの状態ではうまく合流できそうもない。だがおそらくは東3ー33に向かっているだろうと判断し、アインは走り出していた。
――とおぉぉぉぉぉぉぉぉるぁぁぁぁぁぁあ
動いている時空穴付近から人の声のような音がしている。
東3ー33に回り込みつつ、アインは力場を作っていく。少しでも空間の歪みを抑えるためだ。
携帯端末で付近の歪みをチェックしつつ移動する。結界用の力場は、アインが作っているもの以外ないようだった。
軽く舌打ちをし、アインは小鳥遊を切り捨てた。
「こちらアイン。ヘル・タカナシと合流できず。単独で処理に当たる」
『判ったわ。こちらでも小鳥遊くんの動向はつかめていないの。気をつけて。これはやはり普通じゃ』
綾女の声が途中で途切れる。空間の歪みが電波障害を引き起こしたらしい。
――とおぉぉぉぉぉぉぉぉるぁぁぁぁぁぁあ
時空穴が進路を変えた。はっきりとアインを目指して動いている。力場に遮られた結果ではなく、まるで意識を持っているかのようだった。
特殊課が到着しても、ここまで広範囲にわたって歪んだ空間を修復できるのかどうか、アインには判らなかった。だが、それはアインが考えるべきことではない。命じられたまま、出来うるかぎり現状維持を試みる。
ふと、思った。神南がここにいたなら、何をしただろうと。
初めてのことだった。自分の邪魔にさえならなければ、アインが他人の動向を気にしたことなど、未だかつてなかった。そのことに戸惑うアインもいれば、それを冷静に分析しようとするアインもいる。そして分離を冷静に見つめるアインもいる。
アインは軽く頭を振って意識を時空穴に集中させる。
――とおぉぉぉぉぉぉぉぉるぁぁぁぁぁぁあ
なんだか意志を持っているようだとアインは思った。時空穴から聞こえる音は何かを探している声のようにも聞こえる。
「あったり〜」
能天気ともいえるような明るい声が降ってきた。見上げると、トーラが浮いていた。
「この子相手によぉく頑張ったねぇ。御褒美をあげちゃおう」
くすくすと楽しそうに笑いながら、トーラは右手を振る。時空穴が収縮して掌に乗るくらいの大きさの球体になった。それでも他時空と融合してしまった場所は元に戻らない。穴周辺の歪んだ空間だけは元に戻る。
携帯端末でそれを確認したアインは、自分の作った力場を解消する。
融合してしまった東2ー33から人影が浮かび上がる。時空の融合に巻き込まれ、ようやくの思いで戻ってきた小鳥遊だった。
「なんなんだ、これは!」
苛立ちを隠そうともせず、小鳥遊はアインをにらみつけた。空中に浮かんでいるトーラがアインを従えているように見えたのだ。
「貴様の仕業か!」
「うるさいよ」
トーラは小鳥遊に目をやることすらせずに言い放つ。すると小鳥遊の左手が、まず落ちた。
手首から先がぼとりと地面に落ちたのだ。
血は出なかった。痛みもないらしい。何か落ちた音がして下を向いた小鳥遊は、自分の左手が落ちているのを見て呆然としていた。
「つまんないけど、絶叫はなし。その分、他のことで楽しませてもらうから」
不機嫌そうな顔つきのまま、トーラは掌に乗せた球体を見る。
人の手に乗せられるような代物ではない。歪みが圧縮されすぎて、一種のブラックホールのようになっている。それを空間から切り離して平然としているトーラに、アインは畏敬にも似た感情を覚えた。
「ホムンクルスって知ってる?」
トーラはアインに尋ねた。
「……それがそうだと?」
「察しがいいねぇ。そう。ちょっと離れすぎてたみたいでね、僕を追って来ちゃった。ほら、見てよ。安心して眠っちゃってる」
そう言って降りてきたトーラは掌の球体を見せてくれる。だがそれが寝ているかどうかなど、アインに判ろうはずもない。
「さすがに判んないか」
笑いながらトーラはその球体を懐にしまった。
「なにがどうなってるんだよっ。答えろ!」
その間にも、小鳥遊の身体は分断されていた。手首が落ち、ひじから先が落ち、肩が落ちる。関節からぼとりぼとりと外れていくようだった。それでいながら痛みはないし、血も出ない。
半狂乱になるところをなけなしの力で押さえ込んでいるようだった。
「へえ。思ったよりもつね。さっさと狂っちゃうかと思ったのにな。ふふふ。じゃ、プレゼント」
天使のような微笑みを浮かべて、トーラは小鳥遊を見た。
それだけだった。なのに、小鳥遊の口から絶叫が飛び出した。
「ぎゃああああああああ」
「……やっぱりうるさいなぁ。痛覚もどすの、やめようっと。その代わり」
今度は地面が赤に染まる。いままで止められていた血液が、一気に流れ出したのだ。
小鳥遊は一転して蒼白になり、意識が遠のいたようだ。
それでもトーラは彼に倒れることを許さない。
「赤は綺麗だよねぇ。気持ちいいでしょ、意識が遠のく瞬間って。それを永遠にとどめておいてあげるよ」
そう言って、トーラはくすくすと笑う。
そこにようやく特殊課の面々が到着した。
目の前で行われている惨劇に一瞬言葉を失ったようだった。だが、問答無用で鉛玉が飛んでくる。そばにいるアインや大量の血を流し続けている小鳥遊を保護することなど、まるで考えていないかのようだった。
「危ないなぁ。そういう飛び道具持ってくるのって、邪道じゃない? こっちは丸腰なのにさ」
そう言いながら、トーラは右手を前に突きだす。
トーラを狙って飛んできた鉛玉はすべて、吸い込まれるように小鳥遊の身体を蜂の巣にした。
「ほらぁ、危ないじゃないか」
楽しそうに笑う。
トーラは突きだした右手をそのまま空に掲げ、一気に降りおろした。
びちゃりという嫌な音がして、特殊課の面々は本来の仕事をさせて貰えないまま、内臓をぶちまけて倒れていた。
立っているのは、力を放ったトーラと、側に立ち尽くすアインだけだった。
「……ダメだ」
アインは自分の口から飛び出た言葉に少なからず驚いた。
それはトーラも同じだったらしい。目を丸くしてアインを見る。
「君が僕を止めるの? なんで?」
理由はなかった。アインにも判らない。ただ、勝手に口が動いた。
「……判らない。でも……」
トーラは値踏みするようにアインを見た。
「分裂から融合? 神南の影響なのかなぁ」
そこまで呟いて、トーラはまずいことをしでかした子供の顔になった。
「やっばー。神南以外には手を出さないって約束しちゃったんだっけ。どうしよう。この子がこっちに来ちゃったのは不可抗力だし、それを止めようとしゃしゃり出てきたのに少しちょっかい出したらこの状態になっちゃったんだけど、神南、怒るかなぁ」
どう思う?とばかりにアインを見る。
「……怒る……と思う……」
ここに神南がいれば烈火のごとく怒りだすことは容易に想像できたので、アインはそう答えた。
「あ、やっぱりぃ? しっかたないなぁ。なかったことにしようっと」
トーラの長い黒髪がふわりと浮き上がる。それだけで、目の前の惨劇が消え去った。
両肩から先を失い、鉛玉で蜂の巣にされた小鳥遊は煙のように消えた。
内臓をぶちまけて倒れている特殊課の面々も、乗ってきた車ごと消えている。
あたりに充満していたむせかえるような血臭もきれいさっぱり消えていた。
まるで時が戻ったかのようだった。
ふいに、他時空と融合してしまっている東2ー33から人影が浮かび上がる。小鳥遊だった。
「なんなんだ、これは!」
小鳥遊は開口一番に先程と同じ台詞を吐いた。
そう言いたいのはアインの方だった。小鳥遊が現れたところからやり直そうというのだろうか。
思わずトーラを見ると、楽しそうに笑っていた。
「そ。やり直し。神南に嫌われたくないもん。ということで、僕はこの子と一緒に消えるね。この子がもう少し大きくなるまでは目を離すと危ないって判ったからさ、しばらくこっちには来れなくなるなぁ。もうちょっと君とも遊んでいたかったんだけどねぇ、優先順位の問題だね」
「融合してしまった東2ー33の処理は?」
「それは不可抗力だも〜ん。僕がやったことじゃないし、そこまで直してあげる義理もないね。そっちでどうにかしなよ」
そしてトーラは消えた。
目の前で人が一人、何の準備もなく時空移動したことに小鳥遊は衝撃を覚えたらしい。呆然と立ちすくんでいる。
それを横目で見ながら、どういうふうに報告をすればいいのかまるで判らぬままに、アインは綾女に連絡を入れた。




